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偽装の結婚  作者: 琴乃つむぎ
第一部
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第三章 相談

 白茶けた日干し煉瓦造りの、平たい箱形の家並みの間を、アイオナを乗せた馬車は走っていた。

 日は高くなり始めている。出がけに肌を保護する油を塗ってきたし、日射しけの布をかぶってはいるのだが、砂混じりの乾いた熱風は、容赦無く肌を痛めつけてくる。

「どこに連れて行くのかしら?」

 屋敷を離れてしばらく経ってから、アイオナは尋ねた。

 隣にはヒスメネスがすわっている。話しかけるのは、これが最初だった。

「取り敢えず、モダバに向かいましょう。どこかの店にでも入って、そこで事情をお聞きします」

「助かるわ」

「お嬢さんこそ災難でしたね。あれは昨夜のぞくですか?」

「そうよ」

 ヒスメネスは溜息ためいきを吐いた。

「思ったよりも頭の回る男のようですね」

「そうかしら?」

 アイオナは首をひねった。どちらかというと生意気で、あとちょっと馬鹿正直なところがあると思うのだが。

「ともあれ、どこかで食事を致しましょう。朝はのどを通らなかったようですが、今なら大丈夫でしょう」

 ヒスメネスはにこりともせずにそう言い、馭者ぎょしゃに指示を出した。イデラ語だ。

 いつもながら良く気が付く男だと思う。

 これで微笑ほほえみを付け加えてくれれば言うことなしなのだが。

 モダバの市場はアンケヌの南西にある市場で、主に生鮮食料を中心に取り扱っている場所である。

 ほぼ一日中開いてはいるが、本格的に市場が開くのは夕方からである。

 日中の日射しをけるためだが、ローゼンディアとは違うその慣習に、最初は随分戸惑ったものだった。

 ヒスメネスが手頃な店と見定めたのは、モダバでも富裕層が利用する高級店だった。

「いいのかしら……」

「どうしてです?」

「だってあなた、いつも無駄遣いはいけないと言っているじゃない」

「そうですよ」

「これは無駄遣いにならないのかしら?」

「この時間、お嬢さんの口に合うような料理を出せるのはここしかありませんよ。お気にせずにどうぞ」

 さっさと中に入ってしまう。アイオナは後を追った。

 日干し煉瓦れんがというものは想像以上に暑さから身を守ってくれるものだ。屋敷からの道中、馬車の中で半ばあぶられていた状態だったため、店内の涼しさに生き返ったような心地がした。席に着くと日射し避けの布を外して脇に置いた。ヒスメネスは正面にすわっている。

 接客の娘にイデラ語で註文ちゅうもんを出すと、彼女は銅の水()ぎからアイオナに香草茶を注いでくれた。

 口に含むとちゃんと冷えている。アルメタの香りが爽やかだ。アルメタは香草の一種で、アウラシールではパファティという。

 アウラシールやダルメキアのお茶は、砂糖を必ずと言って良いほど入れる。

 所にっては茶器の半分が砂糖になるくらい物凄い量の砂糖を入れるが、ここは余り多く入れてなかった。

 ローゼンディア人の金持ち客が来る事を想定した配慮だろう。店というものは客層や立地を勘定に入れないと商売にならないのだ。

 アルメタの香りが立って、爽やかな甘さのある香草茶に仕上がっている。まるで花茶のようだ。

「では詳しい事情を話していただけますか?」

 アイオナは息を吸い込んだ。順序よく話せるかどうか不安だったが、生じた出来事自体は単純である。

 昨夜のことを、出来るだけ主観が入らないようにして話した。

 ヒスメネスは黙って聞いていたが、剣をあらためたくだりになると、質問をしてきた。

つかや装飾には血は付いていなかったのですね?」

「ええ。わたしもそう思ってよく見たんだけど……」

 血という物は非常に落としにくい。拭き取ったと思っても臭いが残ったりするし、おまけに水より油に近いような特徴もある。厄介なものなのだ。

 だから痕跡を完全に消すには手間が掛かる。昨日見た剣にはそうした血痕の類が全く見られなかったのだ。

「解りました。続けて下さい」

 アイオナは話を続けた。

 すべてを聞き終わると、ヒスメネスは考え込むような顔になった。

「契約を交わしてしまったのはまずかったですね」

「でもそうしないと殺されていたのよ」

「ええ。お嬢さんの判断は間違ってはいません。問題は現在の状況です」

「どうしたらいいと思う?」

「方法は二つあります」

 ヒスメネスは指を二本立てた。

「一つは、このまま本当に結婚をしてしまうことです。お嬢さんの夫という立場を持っている限り、彼の身は守られます。もう一つは契約の無効を申し立てることです。こちらは結果的にあの男を裏切ることになります」

「その場合どうなるかしら?」

「彼にうらまれるでしょうね」

 アイオナは溜息を吐いた。ダーシュは無実なのだ。少なくとも自分はそう信じている。

 どんな理由があるのかは知らないが、彼は追われている。

 彼の味方になれるのは自分だけなのだ。

「……身の潔白が立つまで、仮初かりそめの夫婦として過ごすのはどう思う?」

「難しいところですね」

「反対するの?」

「単純に言い切れないから難しいんですよ」

 ヒスメネスは軽く笑った。

「お嬢さんがおっしゃる通り、あの男が無実だとしたら、今度は別の問題が持ち上がってきます」

「というと?」

「あの男を追う理由ですよ。少なくとも都市の兵士に追われていたということは、なんらかの理由があってのことです。人殺しをしていないにせよ、彼は何かをやっているか……でなくとも何かの理由があることは間違いない」

 その通りなのだった。言われてみて初めて気付いた。理由無く、都市の兵士が人を追っかけ回すことは無いのだ。

「……泥棒かしら?」

「どうでしょうね」

 ヒスメネスは首をひねった。

「そういう人物には見えませんでしたし……ただ――」

「ただ?」

「いえ、私の気の所為せいかも知れませんが、どこかで会ったことがあるような気がするんですよ」

「ダーシュに?」

「はい」

 奇妙な話だった。一体どこに接点があるというのだろう。

「以前店に来たのかしら?」

「どうでしょうね」

 二人して首をひねった。

「しかし、なんにせよ厄介やっかいな問題に巻き込まれたことは疑いありません。どうします?」

「そんなこと言われても……あなたはどうしたらいいと思うの?」

「私はお嬢さんの判断に従います」

 それが一番困るのだ。なんと言ったって、自分でもどうすればいいのか判らないのだから。

 ただ……

 損得勘定を抜きにして、個人的な感情に従うならば、あの男を助けたいと思う。

 あの男は悪い男ではない。

 直感的にそう思うのだ。

 追われているのは、きっとむに已まれぬ事情あってのことに違いない。そんな人間に助けを求められて、その手を振り払うことなんて出来ない。

 そう、感情の部分ではもう心は決まっている。問題はそれ以外の部分、それを選択したことによってどういうことが生じるか、ということである。

 そうしてよくよく考えてみれば、あの男を助けようと助けまいと何かが生じることは確かで、それはなんであれ穏便に済むようなものではないということだった。

 ならば――

「わたし、ダーシュと結婚するわ」

 ヒスメネスの目を見つめて、アイオナは宣言した。

 ヒスメネスはアイオナを見つめ返した。

「そのお心は?」

「あの人、悪い人ではないもの。助けてあげたいわ」

「それだけですか?」

「ええ」

 損得は特に考えていない。

「甘いと思う?」

「いえ、お嬢さんらしいと思います」

「ありがとう」

「問題はどうするかということですね。本当に結婚なさるおつもりなんですか?」

 ――()()()

 その言葉にアイオナはどきりとした。わずかに目を伏せる。

「本当にって……本当の本当に結婚するってわけじゃないわ。あくまで形式だけよ」

「それを聞いて安心しました」

「良かった。反対されるかと思ったのよ」

「状況からの判断ではなく個人的な意見としては、私は結婚には反対ですよ」

 安心して息を吐くと、それを待っていたかのようにヒスメネスが言った。

 いつもながら感情を感じさせない、冷静な口調だった。

「……どうして?」

「一言で言えば、あの男がどういう人間なのか判らないからです」

「悪い人ではないわ」

 ヒスメネスは悲しそうに少し微笑ほほえんだ。

「残念ですが、私はお嬢さんほど楽観的には考えられません」

「でも……そうだ! あの剣! 剣には血が付いていなかったわ!」

「人を殺すのに必ずしも剣は必要ではありません」

 その言葉に驚いた。ヒスメネスをじっと見た。

「人柄というものも、これまた当てにはなりません。外見はもちろん、言葉遣いや仕草だけから、相手のすべてを判断するのは危険です。特に利害が絡む状況になると、人は相手を出し抜こうとしますからね」

「あなた……わたしがだまされているって言うの?」

「正直なところを申し上げれば、あの男にとって、お嬢さんに好感を持たれた方が都合がよいことは確かです」

 アイオナは怒りを感じた。どうしてヒスメネスがそんなことを言うのか理解出来なかった。

「お嬢さんが彼に善意を持つかどうかは重要です。ですがそれは彼にとって重要なのであって、お嬢さんにとって重要なのではありません。そこは間違えないようにしないといけません」

 ヒスメネスの言うことは正論だ。決して間違ったことを言っているわけではない。

 アイオナは冷静になろうと思い、香草茶を口に含んだ。甘さが口内に拡がった。

「……どうしてそこまで彼を疑うのかしら?」

 ヒスメネスは困ったような顔をした。

「私の方こそ疑問ですよ。自分の生命いのちおびやかした相手を、たった一晩でかくも信用するようになってしまうとは理解出来ません」

 ヒスメネスの言葉には特別な意味はなかったのだろう。そういう含みを持たせた物言いをする男ではない。

 だがアイオナは反射的に立ち上がってしまった。

「お嬢さん?」

「……帰るわ」

「何か――」

 言いかけてヒスメネスは気付いたようだった。

「申し訳ございません。決してそのような意味ではないのです」

「ええ」

 そんなことは解っている。だが解っているからといって、気分が良くなるわけではない。

「とにかく帰りましょう。それと宮殿への届け出をお願い」

「結婚の、ですね」

「そうよ」

 アイオナはヒスメネスを見下ろした。

「それと公開会議場の使用許可もお願い」

「何をなさるおつもりですか?」

「結婚の報告をするのよ。それと昨夜の強盗殺人事件について調べてちょうだい」

「なるほど……解りました」

 ヒスメネスは納得したように頷いた。おそらくこれで理解しただろう。

「実際に犠牲者が出ているかどうか調べるというわけですね?」

「そういうこと」

 アイオナは唇を少し吊り上げた。

「これではっきりするでしょう?」

 誉め言葉が返ってくるかと思ったのだが、ヒスメネスは何も言わなかった。考えるような目をしていた。

「とにかく私の方で調べておきましょう」

 それだけを言った。

 前菜の皿を持った給仕の娘がこちらに歩いてくるのが目に入った。残念ながら註文は取り消しになると伝えなければならない。

 もちろん前菜の分は支払わねばならないが。

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