終章 契約延長
確かにダーシュが死んでしまえば暗殺者は追って来なくなるだろう。
ザハトも何か企むことはなくなるはずだ。
だがこの計画には大きな欠点がある。
それは……自分が未亡人になってしまうということだ。
実際には結婚もしていないのに、それを飛び越していきなり未亡人にされてしまうというのは、どうも納得出来ないものがある。
しかしこの計画が有効なことは理解出来る。素晴らしい計画だと言ってもいいだろう。
「お前が嫌なら断わってもいいんだぞ」
ダーシュはそんな優しい言葉を掛けてくれた。
目覚めてからのダーシュは優しい。単にまだ力が出ないだけかも知れないが。
結局、アイオナはこの計画を受け入れることにした。
「偽の葬式ですからね。あまりお金を掛けずに済ませたいところですが、曲がりなりにもお嬢さんの夫ですからねえ……あまり簡略に過ぎるのも問題ですし」
ヒスメネスは葬式の注文書を作成しながらそんなことをぼやいていた。
ホイヤムとスィサにも事情を説明した。二人は納得したし、口も硬いだろうから大丈夫だ。商会の使用人たちにも事情を話して協力してもらったが、こちらはヒスメネスに任せた。
もちろん全ての事情を説明しはしなかっただろう。
商会の者たちは皆、信用出来る。大丈夫だ。この計画は上手くいく。
「計画が上手くいったとして……俺はどうすればいいのだ?」
「一旦、ディブロスを離れた方がいいかも知れないわね」
死んだ人間が市内を彷徨いているというのは、いかにも始末が悪い。
「わたしも一度マンテッサに帰るつもりだし……よければあなたも一緒に来る?」
勇気を振り絞ってそう言うと、ダーシュは真面目な顔をして頷いた。
「有り難い。そうさせてもらおう」
素直なのは嬉しいが拍子抜けしてしまうのも確かだ。
だが話が簡単に進むことに喜んでばかりもいられない。
ダーシュを連れて行くとなれば、父や母に会うことも考えなくてはならないからだ。
無論自分がではなくてダーシュがだ。
正直不安ではある。偽装とはいえ結婚もしていた相手を紹介するというのは勇気が要る。
けれどこのままダーシュをディブロスに置いておくことは出来ないし、一騒動を覚悟で遣り遂げるしかない。
しかしそれから程無くして、アイオナのそうした心配事を一挙に解決させる出来事が起こった。
葬式の準備が始まった日の昼のことだった。店に早荷が届いたのだ。
「お嬢様にお手紙が届いてますよ」
使用人がそう言って蜜蝋で固められた手紙を持ってきてくれた時に、もう嫌な予感がした。
案の定父の印章が捺してある。蜜蝋を剥がして中を読むと、予感は確信に変わった。
手紙を右手に握り締めて、早足でダーシュの部屋に向かった。
ダーシュは相変わらず寝台に横になったままで、日がな一日自分やホイヤムと話したり、本を読んだりしている。療養らしい生活をしているのだ。
まだ目覚めて何日も経っていないのだから当たり前だが、日、一日と元気になってきている。
「ダーシュ! ちょっといいかしら?」
アイオナは勢いよく扉を開けて中に入った。
「……どうした? そんなに慌てて」
「父様が来るわ」
自分でも慌てているのは分かっていたが、他に言いようがない。
「それがどうかしたのか?」
不思議そうにしているダーシュに対して激しいもどかしさを感じた。おそらくそれが顔に出てしまったのだろう。
「お前の父親は悪霊か何かのように娘に嫌われてるのか?」
ダーシュは呆れたような顔をした。
「冗談を言ってる場合じゃないわよ。あの父様がディブロスに来るのよ?」
「ふむ……そんなに大変な事なのか?」
アイオナは天を仰いだ。豪華な天井画が目に入る。海神ゼーフル、その勇ましい姿が目に入る。だけど助けにはならない。
そうなのだ。ダーシュはまだ一度も父に、ファナウス・メルサリスに会っていない。
そのこと自体には幸も不幸もないのだが、今の状況を考えると父がこの商館にやって来るのは非常にまずいと言わざるを得ない。
「父様は……常識や何かを蹴倒して生きているような人なのよ」
「ああ、それはお前を見ていると何となく判るな」
アイオナはダーシュを怒鳴りつけたい気持ちを抑えた。
「……とにかく、わたしが偽装結婚をして、そのあげく偽装未亡人になろうとしてるなんて知れたら大変な事になるわ」
「そんなに恐い父親なのか?」
「恐くはないわ。凄いだけ」
ダーシュは首を捻った。理解できぬらしい。
ああ、ダーシュと父を正面から向き合わせてみたい。全ての事情を話した上で。
きっと大変なことになるだろう。
砂漠には時に隊商を吹き飛ばすほどの竜巻が起こることがある。
だけどそんな竜巻も去ってしまえば大気は爽やかになり青空も拡がる。灼熱の日射しは決して優しくはないけれど、頭上に拡がる青一色の天空の清しさは何物にも代え難い。
それは素晴らしいことではないだろうか。
危険な誘惑が頭をもたげてきたが、アイオナはそれを振り払った。
竜巻は過ぎ去った後が爽やかなだけで、通過中はとんでもないことになるのだ。
人が死に、駱駝が死に、荷物は吹き飛ばされ、口の中は砂にまみれる。それはとんでもないことだ。
「……えーと、あなた本当に死んでみる気はない?」
葬式が本物になってしまえば全てが隠蔽できるではないか。
「お前自分が何を言っているか解っているのか?」
ダーシュが心配そうな目を向けてくる。
確かに混乱している。落ち着かなければならない。
アイオナは額に手を当てて考えを回らせた。
「……なあアイオナ」
「何よ。今必死で考えてるんだから邪魔しないでちょうだい」
「俺に考えがあるんだが」
アイオナはダーシュの方を見た。意外な提案だと思った。一体ダーシュにどんな考えがあるというのだろう?
「俺と結婚するんだ」
その言葉が心に滲み込むまでに少し時間が掛かった。
理解すると顔が赧くなるのを感じた。
「ばっ、馬鹿じゃないの!? これから葬式をしようという人間が何をっ……!」
「まあ聞け。お前の父親が来ると言ってもまさか葬式の最中に来ることはあるまい。葬式をさっさと切り上げて、その後は俺を夫として紹介すればいい。店の連中に口止めをすれば誰にも暴露ないだろう。いい考えだと思うがどうだ?」
アイオナはぽかんとしてダーシュを見た。
嫌味も何もなく、あまりにも直接的な提案に釈然としないものを感じる。ダーシュらしくない。やはり寝込んでいたために弱っているのだろうか?
「そんな疑わしそうな目で見るな……俺だって恩義は感じるさ。お前には世話になった。ここらで一度恩返しをしておかないと寝覚めが悪い」
「……心を入れ替えたわけではないのね」
「どういう意味だ? とにかく俺に出来ることなら協力するぞ」
アイオナはじっとダーシュを見た。父の船が着くまであと一週間から十日はかかるだろう。いや場合によってはもっとかかるかも知れない。何せあの父なのだ。
その間にダーシュは歩けるくらいには快復するかも知れない。いや快復するだろう。
するとこの計画は上手くいくかも知れない。
「……つまり、契約の延長をするというわけね?」
「そう取ってもらっても構わない」
お互いに、相手を見つめるのを避けていた。アイオナは照れ臭くてダーシュをきちんと見られなかったし、ダーシュの方でも視線を窓の外に逃がしているようだった。
「……そうね、それがいいかも知れないわね」
「なら決まりだな」
ダーシュは得意そうに頤を反らした。
「安心しろ。お前が恐れてるような事態にはならんさ」
「だといいのだけれど……」
「必ず役に立ってみせるぞ」
ダーシュはやけに乗り気である。やはり目覚めてから変だと思う。あの毒には人の性根を叩き直す薬でも混じっていたのかしら? そんな風に考えてしまう。
「ではさっそく夫婦らしくなるように打ち合わせをしなくてはな」
「その前に葬式の準備よ」
アイオナは疲れたように言った。まずは葬式。精々悲しんで年若い未亡人を演出して見せなくてはならない。それだけでも面倒臭いのに、その後に竜巻が来る。
「また変な動物を連れてきたらどうしようかしら……」
「お前の父親は動物を飼うのが趣味なのか?」
「ええ、数多ある趣味の一つね」
アイオナは乾いた笑いを放った。
「夜中に豹に鼻面を舐められてご覧なさい。寿命が三年は縮むわよ」
「猛獣を放し飼いにするのか。それはいかんな」
「ええ、ぜひ本人に言ってちょうだい」
どうせ無駄だろうが。母でさえ無理だったものが他の人に出来るわけがない。
アイオナの知る限り、母ほど父の奇矯な振る舞いを改めさせるべく努力してきた人はいないが、いまだ目的を達成するには程遠い状態にある。
また、商会の人たちは父の奇行を一向に止めさせるつもりはないらしい。
どう見ても被害者なのに何故放置しているのか理解に苦しむが、そこは父の不可思議な魅力の為せる業なのかも知れない。
「なに安心しろ。見事にお前の……その、夫の役を務めてみせるさ」
ダーシュは鼻の頭を掻きながらぼそぼそと言った。そんな自信無さげな言い方では反って不安になるではないか。
「とにかく力を合わせてこの危機を乗り切りましょう。わたしたちのためだけではなく、商会の皆のためでもあるわ」
アイオナはダーシュの手をしっかりと握った。ダーシュも握り返してきた。
今ごろ竜巻はミスタリア海の船上にあるだろう。
海上に砂嵐というのも変な話だが、その砂嵐は東を見つめ、娘に会うことを楽しみにしているだろう。
……会いたくないわけではないが、やっぱり、災害は災害なのだ。
第一部・了
第二部へつづく




