第二十三章 追っ手
ダーシュは道向いの宿屋に向かって歩いていった。自分たちが泊まっている宿で捜すよりも、他の宿で捜した方が、多少は足がつきにくくなるだろうと思えたからだ。
向かいの宿屋の入口にまで来た時、オアシスの入口の方からやって来る四人組の姿が目に入った。
白装束に槍を携えた覆面姿。見間違いようがない。ゴーサの傭兵だった。
――遂に追いつかれたか。
ダーシュは胸の奥がひやりとするのを感じた。
追い付かれるだろうとは思っていたが、地下通路を抜けたことで安心していた部分もあったのは確かだ。その甘さを悔いた。
相手は四人。どう頑張っても切り合いになれば勝ち目は無い。
四人はそれぞれに辺りに目を配りながらゆっくりとこちらに近づいてくる。
慌ててこの場を離れようとすれば目についてしまうかも知れない。
ダーシュは平静を装い、そのまま宿の入口を潜った。
「いらっしゃいませ」
使用人と思しき若い男が進み出てきた。だがすぐにダーシュの身なりを見て眉を顰める。怪しんでいるような眼付きになる。
ダーシュの扮装を考えれば当たり前のことだった。
顔と頸許を覆う黒い布、腰に下げた土笛は、ダビール人の印だった。
ダビール人は砂漠を行き交う遊牧民の一部族で、決して定住をしないことで有名だ。
彼らならば普段から放浪をしているので、隊商に加えてくれと言い出しても不自然ではない。
仲間から逸れてしまったとか何とか、適当な事情を言えばまず疑われないだろうと考えたのだ。
アイオナはダビールの人々を知らない様子だったが、おそらくアンケヌにずっと定住していたからだろう。
大店のお嬢さんでもあることだし、市の周縁部にしか姿を現さない遊牧の少数民族など、知らないのかも知れない。
「こちらにローゼンディアの交易商人さんはいらっしゃいますか?」
「居ないね。客でないのなら出て行ってくれないか」
言いながら男はダーシュを押し出そうとする。何という扱いだと思った。アイオナがこちらの宿を選ばなかったのは正解だと納得した。
「あのう……本当にいらっしゃいませんか?」
なおも食い下がったがぐいぐいと押し出されてしまう。強気というより無礼な使用人としか言えない。
あまりしつこくしすぎても目立ってしまうと思い、ダーシュはそのまま宿の外へと押し出された。
すぐ横に、例の四人組が居た。先頭に立っていた男と目が合った。
何と間の悪いことだろうと思った。肝が冷えたが、これくらいの危機ならば今まで何度も切り抜けてきている。
ダーシュはすぐに目を外らすことをせず、わざとぼんやりと男と目を合わせて、それから目を外らした。
そのまま歩き去ろうとすると呼び止められた。
「お前、ローゼンディア人の妻を連れた男を見なかったか?」
ハルジット訛のあるイデラ語だった。
「そうですねえ……見たような気もしますよ」
ダーシュが気を持たせるように言うと、男は仲間に目配せをした。
軽く頷いた仲間が銀貨を一枚放って寄越した。ダーシュは空中でそれを受け取って懐に入れた。
「アルシャダールのオアシスへ向かうと言っておりました」
「夫婦連れか?」
「はい。黒髪のローゼンディア女で」
それを聞くと四人組は顔を見合わせた。
アルシャダールはドルム高地にあるオアシスだ。そこに向かったということは、ダーシュたちはディブロスを目指してはいないかも知れないという事になる。そういう解釈をさせることを狙った嘘だった。
アルシャダールからはディブロスにも、ザナカンダにも行ける。
ドルム高地にありながらダルメキア人の都市として建設された町である。
千年ほど昔にザナカンダ王によって征服され、現在ではザナカンダの要塞都市となっているオアシスだった。
しかしアルシャダールというのは咄嗟に出た嘘にしては絶妙だった。どこへ向かったかの推測がしづらい位置にあるのだ。
男たちはハルジット語で会話を始めた。
十人長に報告を……ディブロスに向かうのは中止するか……小声で交わされる会話を耳にしながら、ダーシュは内心ほくそ笑んだ。
「ありがとうございました」
ダーシュは内心の緊張を決して表さないように注意しながら礼を言った。
それからごく普通の歩みでそこを立ち去ろうとした。
「おおい! あんた!」
突然宿の中から大声で呼ばれた。無視するわけにもいかずに足を止めるしかなかった。
中から出てきたのは明るい髪をしたローゼンディア人だった。
「あんた今ローゼンディア商人を捜していたよな? 俺で良ければ話を聞くがどうだ?」
――まずい時に……!
舌打ちをしたい気分だった。
ゴーサの四人組もこちらに注意を向けている。
「とりあえず中に入れよ」
「はあ……」
ローゼンディア商人について中に入ろうとすると、案の定呼び止められた。
「お前、その覆面を取ってみろ」
来た、と思った。同時に思ったよりも呆気ないと思った。
どうするか。ここはオアシスだから中に居る限りは殺し合いにはならない。
しかしオアシスから出ることも出来なくなる。
ゴーサの連中はオアシスに掛け合うかも知れない。そうすれば自分の身柄は引き渡されてしまうだろう。そうなればアイオナは……。
ぐるぐると頭の中で思考が回る。己が混乱しているのは判ったが、だからといってどうすることも出来ない。
「取ってやれ」
老人の声がした。振り返ると同じダビールの衣裳を着た老人が杖を突いて立っている。
「こちらの御方たちはお前の顔が見たいそうだ。取っておやり」
何だこの老人は!? ダーシュはますます混乱したが、どちらにしろこの場で布を取るのを拒否しても同じことだと思った。
――顔を見せ、驚いている隙に斬り殺すか。
オアシスで斬り合えば、もう二度とオアシスというオアシスへと足を踏み入れることは出来なくなる。
――だが死ぬよりはましだ。
このまま正体が露顕すれば、捕縛されるのは目に見えている。そんなことを受け入れるわけにはいかない。
アイオナを無事にディブロスに連れて行くこと、そのことだけは遣り遂げなくてはならない。
ダーシュはゆっくりと顔を覆う黒布を外しにかかった。
顔を見せたら、奴らが驚いている隙に斬り掛かる。二人殺せれば活路はある。そう信じた。
布を外し、同時に剣を抜こうとした途端、凄じい力で手首を掴まれた。あの老人だった。
全く動くことが出来ない。
「儂の息子です」
老人はゴーサの四人組に向かってそう言った。どうしたことか、四人組に動揺の色は見て取れなかった。ダーシュを目の前にしているというのにだ。
「……失礼した。世話を掛けたな」
先頭の男がそう言って踵を返すと、後の三人も続いた。わけが解らなかった。
ダーシュは心臓が飛び上がろうとするのを抑えるように息を吐き、暫く四人組の背中を目で追っていた。
だが、すぐに思い当たることがあって横に立つ老人に向き直った。
そこに居たのは老人ではなかった。ケザシュだった。
あの怪しい目眩ましの術だった。
「……礼を言われてもよい状況だと思うが」
意地の悪い笑みを浮かべながらダーシュを見ている。
「貴様……」
「俺が通り掛からなければどうなっていたことか」
「ずっと俺をつけていたのか?」
「違うな。ここを通ったのは偶々さ。お前は運がいい」
「とりあえず、礼を言っておく」
「ほう、まさか本当に礼を言われるとは思わなんだぞ」
「危ないところを助けられたんだ。礼くらい言う」
「とにかく気を付けることだな。お前の敵はゴーサだけではないだろう?」
軽く手を振ってケザシュは歩き去っていった。
ローゼンディア商人は宿の中に引っ込んでしまっていた。揉め事の気配を察したのだろう。もう一度呼びかけても、おそらくもう顔を出してはくれまい。
いつになくダーシュは無力感を感じた。
自分で出来ることには限界がある。久し振りにそれを感じさせられたと思った。
過去が思い出された。炎、焼け落ちる中庭、兵たちの靴の音、最後を見ることも叶わなかった父と母。
――兄上……私はまだ未熟です。
ダーシュは宿に帰ることにした。このままダビールの三人組と言うことでケッサラを出よう。
それでいいと思った。追っ手が掛かるとしても、それは少なくともゴーサの傭兵ではないだろう。
それよりもずっと厄介な相手だ。まだ姿さえ見せていない。




