第二十二章 化け札
ケザシュの話によれば、ゴーサの傭兵団は複数に分かれて、それぞれ追っているという。
「それなりに人手があるからな。それでもディブロスには一番多くの人数が割かれているぞ」
それはそうだろうと思った。アイオナを連れて逃げる以上、ローゼンディアの植民都市を目指すのはごく当然の判断だからだ。予想されていても不思議はない。
「俺とて全ての動きを知っているわけではない。こちらに振り向けられたのは二十人といったところだろう」
それでも驚異的な数である。追いつかれたらどうしようもないと思った。
どんな戦士であれ、一人で二十人を相手には出来ないだろう。
とにかく見つけられたらお終いだ。
「お前たちの姿を変えてやろう」
ケザシュの提案は、ひどく奇妙なものに思えた。
前もってダーシュから『魔道の徒』と聞かされてもなお奇妙に聞こえた。
「断わる」
即座にダーシュは否定した。
「お前一人で決めていいのか?」
おもしろそうにケザシュは言った。棗椰子が好きらしい。スィサが持ってきたお茶受けの中でも、それだけを食べている。
アイオナは答えなかった。ケザシュの力を借りて良いものかどうか判断が出来なかったし、ダーシュの意思をあからさまに無視するのも嫌だった。
黙ってダーシュの目を見た。ダーシュも無言で見返してきた。
アイオナはその瞳の中に理性を見た気がした。単に意固地になっているだけではないと思えた。
アイオナは頷いた。ダーシュに任せようと思った。魔道の助けがどのようなものか興味はあった。頼りたいという気持ちもあった。
けれどそれ以上にダーシュを信じようと思った。
「断わる。お前の手は借りたくない」
ダーシュははっきりと言った。
「ヒスメネスの言った通りの返答だな」
ケザシュの口調は半ば予想通りといったものであり、落胆したり、馬鹿にする様子などは見られなかった。
「あいつが新たな宿主か」
「仲間と言って欲しいものだな。相方だと言っただろう?」
アイオナは軽い衝撃を覚えた。何ということだろう。この男とヒスメネスが組んでいるというのか。
あのヒスメネスがこんな不気味な男と。
かなりの違和感を覚えたが、よくよく考えてみれば、ありそうな話でもある。
ヒスメネスは切れ者だ。この男のような人間を味方と出来れば、それはさながら賭け札で言うところの『化け札』になりそうである。
ヒスメネスなりに危険と、期待利益とを秤に掛けて吟味した結果、この男と手を結んだのならば、それは怪訝しいことではない。
それにしても、ケザシュというのは不気味な精気を感じさせる男である。
化け札というのは我ながらいい譬えだと思った。
「まあいい……お前の返答は予想出来ていた。俺は俺で好きにやらせてもらう」
「待て。どういう意味だ?」
「言った通りの意味よ」
「貴様、何を企んでいる?」
「お前たちの利益になることさ。さて、話は終わりだ。俺は立ち去るとしよう」
「俺たちに関わるのを止めろ。そしておとなしくヒスメネスの許へ戻れ」
その言葉に、ケザシュは凄味のある笑みを見せた。
「あの時も言ったな、ダーシュ」
「……そうだったな」
ダーシュは息を吐いた。うんざりしたような、しかし同時に危険を感じさせる仕草だと思った。
「俺を殺そうというのなら考え直した方がいいぞ」
「安心しろ。もう結果は出ている。俺は貴様に出会って以来、このことを考え抜いてきている。夢に見るほどにな」
「そうか? だがもう一度考えた方がいいぞ。奴隷を失いたくなければな」
アイオナとダーシュは、ケザシュの指が指し示す方向を見て息を呑んだ。
それはスィサの足許だった。斑の毒蛇が静かに床上を這い摺っている。
スィサは気付いていない。きょとんとした顔をしてアイオナを見ている。
いつでも命令されても大丈夫なように、注意心のほとんどをアイオナに振り向けているのだ。足許の脅威には全く気付いていない。アイオナは叫びそうになったが、両手で口を押さえて我慢した。大声を上げたらどうなるか判らない。
「……奥さま?」
「スィサ、そこを動くな。決して大声を上げるな」
静かに、はっきりとした口調でそう命じてダーシュは立ち上がった。ゆっくりと剣を抜いた。それを見てさすがにスィサも異常を感じ取ったらしい。自分の周囲を見回し、そしてびくりと身を固くした。スィサの視線が毒蛇に張り付いた。
「声を出すなよ」
言いながらダーシュが静かに近づき、剣を振り上げた。
「ではな、ダーシュ」
ケザシュの声がした。ダーシュが剣を振り下ろすのと同時だった。床板に剣先が食い込む鈍い音がした。
「……やられたか」
あくまで冷静なダーシュの呟き。
剣の下には毒蛇の姿はなかった。ただ両断された紐が転がっているだけだった。
「えっ……?」
アイオナは腰を浮かした。何? 何がどうなっているのだろう?
確かに毒蛇の姿があったはずだ。
それが何故……。
「半ば、そうではないかと思ったんだがな……」
剣を鞘に納めながらダーシュは一人ごちるようにそう言った。アイオナはぽかんとその横顔を見つめ、次いで再び足許の紐に目を落とした。
「……」
「スィサ、もう動いていい」
ダーシュに言われて、スィサはへたへたと腰を落とした。その場に坐り込んだ。余程、驚いたのだろう。
「いつまで呆けているんだ」
「えっ? ああ、その、毒蛇はどうしたのかしら?」
それを聞いてダーシュは吹き出した。堪えるようにしてくくくと笑った。
「何が可笑しいのよ?」
「いや、お前の態度があまりにも型通りなのでなあ……」
むかっと来た。明らかに馬鹿にされていると感じた。
「笑うことはないじゃない」
「これが笑わずにおれようか……」
まだ笑っている。いい加減頭に来たのでアイオナは詰め寄った。
「あなたねえ……」
「いやいや」
身を躱そうとしてダーシュは蹌踉めいた。その拍子に例の紐を踏みつけて足元を滑らせた。
「うわっ!」
「っ!」
アイオナは反射的に手を伸ばし、ダーシュの腕を掴んだ。が、そのまま堪えられず、二人は重なるように倒れ込んだ。
ダーシュの上に覆い被さったアイオナは、ダーシュのぬくもりを感じてどきりとした。
「あ……ご、ごめ……さいっ!」
顔を赧らめ、舌を縺れさせながら慌てて離れる。その途端、後頭部に衝撃が走った。目の前がぐるぐる回った。
アイオナは何が起こったのか判らなかったが、卓の角に後頭部を思い切り強打したのだった。
不本意ながらもダーシュの上に再び倒れ込んだ。
「おいっ、大丈夫か!?」
「奥さまっ……!」
ダーシュとスィサの慌てた声が、遠くに聞こえる。
ダーシュの胸に顔を埋めたまま、アイオナは声も無く呻いた。痺れるような痛みである。痛みに意識が行き過ぎているためか、体にうまく力が入らない。頭の様子を確かめようにも、腕が上がらない。
と、ダーシュの手がアイオナの頭に触れてきた。まさぐるように、しかし慎重に、アイオナの髪を掻き分ける。
こんな状況でなんだが、アイオナは何やら頭を撫でられているような気分がして、こそばゆくなった。しかし悪い気分ではない。むしろ心地良い。痛みが引いていくような気がした。
「血は……出ていないようだな」
少し安堵したように言う。
さらにまさぐり、大きく息を吐いた。
「瘤が出来てる。瘤が出来てるなら大事ないな」
その言葉で、スィサもほっと息を吐いたようだった。
「動けるか?」
アイオナははっとした。ダーシュの上に載っかったままだった。再び顔が赧らんだ。
後頭部はまだずきずきと疼いているが、体はもう動かせる。今度は慎重にダーシュから離れた。
自分でも頭に触れてみると、確かに立派な瘤が出来ていた。瘤が出来ることになった理由も理由だけに、何やら非常に間抜けな気がした。
ダーシュが気遣うように見ている。抱き合った感触が思い出されて、また恥ずかしくなってきた。
「あなたが悪いのよ」
指を突きつけて言った。
「あなたがわたしを馬鹿にするような真似をしたから、こんな瘤を作る破目になったんだわ」
ダーシュは何か言い返したそうに唇を動かしかけたが、軽く息を吐き、
「そうだな。俺が悪かった」
素直に過ちを認めた。あんまり素直に認められたので、今度はアイオナが責任転嫁をしているような気持ちになった。
「……まあいいわ。とにかくローゼンディア商人を捜しに行きましょう」
「奥さま、おやすみになられた方が……」
「ありがとう。けどそんな余裕は無いのよね」
にっこりスィサに微笑みかけて、アイオナは立ち上がろうとした。
立ち眩みがした。右手を卓上に置いて体を支えているのに、全然頼りにならない。
足が浮き上がったとかそういうのでもない。けれど急速に視界が傾く。
倒れると思ったがそうはならなかった。
力強い腕が体を抱き留めてくれた。
「無理をするな」
「ダーシュ……」
「頭を強く打ったのにすぐに動けるわけはない。お前は休め。俺が商人を捜してくる」
有無を言わせぬ口調だった。
「でもわたしが行かないと……」
「俺で信用されぬならそれまでの話さ。スィサに買ってこさせた布もあるしな」
「少し横になれば大丈夫よ」
「駄目だ」
ダーシュには全く聞く耳はないらしい。
「風呂にでも入って横になっていろ。俺が出掛けてくる」
ダーシュはアイオナの世話をするようスィサに指示を与えると、買ってこさせた黒布で顔を目元まで覆った。
「無理はせず休んでいろ」
土笛を腰に紐で止めると、そのまま宿を出て行ってしまった。
アイオナは寝台に身を横たえた。スィサが水で絞った布を持ってきてくれた。
「ありがとう。あなたはよく気の付く子ね」
「奥さま……大丈夫でございますか?」
「ちょっとしたへまをやっただけよ。珍しい話ではないし、少し横になっていれば良くなるわ」
冷たい布を後頭部に当てているのはとても気持ちがよかった。
こうして横になっていると、ダーシュの言う通りに外に出て交渉するのは無理だったと判る。
「あとでお風呂に入るわ。手伝ってね、スィサ」
「本当に大丈夫でございますか?」
スィサはまだ心配そうな顔をしている。




