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偽装の結婚  作者: 琴乃つむぎ
第一部
19/64

第十九章 地下通路

 ダーシュの話によると、入り口は幾つかあるらしい。

 それはそうだ。入り口にせよ出口にせよ、一箇所だけということは有り得ない。

 いくら人外の種族であろうとも、複数の出入り口を設定する程度の知恵はあるはずだし、でなければ攻められたら全滅してしまう。

 自分たちが向かっているのは一体どの入り口なのか。

 あの砂の遺跡に暮らしたというナーラキア帝国の遺民達が使った入り口だろうか。

 そう思って尋ねると、

「さあ……それはわからんな、ただ駱駝で入れる場所へ向かっている。徒歩で長い地下通路を行くのはぞっとしないからな」

「そうね」

 山脈の手前で朝を待つのかと思いきや、ダーシュはそのまま登っていく。

 月明かりもあるし、道幅が広いので今のところは問題ないが、この先道が狭くなり、片側が崖とかになったらもう進めなくなる。

 アイオナは不安に思いながらついていったが、乗っている駱駝の方には何ら不安はないらしく、足並みに乱れはなかった。やはり駱駝は馬とは違うと思った。

 岩肌が急角度になって切り立っている場所に出ると、ダーシュは駱駝を止めて降りた。

「ここだ」

 左手に崖崩れか何かで壁のようになった山肌がある。その下に、ちょっとした広場程度の開けた空間があった。

 あちこちに岩や砂礫が散らばっているが、休憩を取るのには十分なだけの広さがある。

 そのことに違和感を覚えた。これだけの崖崩れがあったらしいのに土砂の山がない。

 逆に広場のような場所になっている。これは変である。

 雨風でどうにかなるとも思えないし、誰かが片付けたのだろうが、そんな事をするには理由があるはずだ。

 おそらくダーシュもその辺を感じ取っているのだろう。松明たいまつを片手に、壁のようになった岩肌を調べて回っている。

 邪魔をするのも悪いし、特に何も言ってこないのでアイオナも話しかけなかった。

 駱駝から降りて近くの岩の上に腰を下ろすと、自分たちが来た方向へ目をやったが、当然ながら暗くてほとんど見えない。

 月の光は明るいが、それで見える範囲も限られている。

 アイオナは闇に向かい合って坐っていた。

 少し高いところにいる所為か風もある。その風は目の前の闇から吹いてきて、アイオナの服や髪を揺らし、頬を撫でていくのだ。

 不安を感じても良い状況だと思ったが、駱駝に乗っていた時と違って、何故か不安は感じなかった。

 月を見上げた。空に雲がないのでくっきりとその姿が見える。冷たいように輝いていて、とても綺麗だと思った。

 振り返って岩肌を見た。全体は壁のような印象だが何というか、上手くは言えないが不自然なものを感じた。

 岩壁の端の方を調べていたダーシュが急に姿を消した。驚いたが、どうも岩壁の向こう側に廻り込んだようだった。松明の明かりが漏れている。

 見ているとすぐにダーシュは出てきて、アイオナの所へ戻って来た。

「見付けたぞ」

 そこは岩壁の裏側の窪みだった。

 入り口から見るとただの浅い窪みだが、中に入ると急に開けた空間になっていた。見てもすぐには判らないように入り口が偽装してあるのだ。

 ダーシュが松明を動かすと、空間の中が照らされて、通路がずっと延びているのが見えた。縦に細長い通路で、裂け目のようにも見える。

 かなり綺麗に岩の中をり抜いてあって、さすが地下で生活するジャグルの作った通路だと思わせた。

 おそらく入り口の偽装は人間が作り、通路から先がジャグルの掘ったものだろう。

「駱駝を連れてこよう」

「このまま行くの? 朝を待った方が良くないかしら?」

 アイオナは怖くないのかと思った。一日待って明日の朝か、でなくともしばらく休憩してから行くのではないのか。

「地下なんだから昼も夜も関係ないだろう。それに俺達には時間がない。急ぐぞ」

「そうね……」

 アイオナは頷いた。

 二人は駱駝を連れて通路の中に入っていった。アイオナの駱駝は中に入るのを嫌がったが、ダーシュがなだめながら手綱を引くと諦めたように歩き出した。

 横幅がそれほどでもないのに天井は高く、二人が駱駝に乗ったままでも進むことが出来た。

「おそらく槍などを持った兵士が移動する為だろうな」

「でもそれだと出口に敵が沢山いたらどうするの?」

 こちらは少人数しか一度に出せないとなると不利ではないだろうか?

「その時は内側からこの通路を塞いでしまうんだろうな。守りに回ることを考えれば、一度に多人数の出入りができない場所は有利になる」

 ダーシュが先に立って松明をかざし、進む。アイオナがそれに続いた。

 二人は無言で駱駝を進めた。道は少しずつ下りになっている。

 どのくらい進んだろうか。おそらくはそれほど行かない内に左右の壁が消えた。

 ダーシュはすぐに駱駝を止めて松明を動かした。

 外は涼しかったのにそこはほんのりと暖かかった。

 空気の動き方や、何となく伝わる周囲の感じから、自分たちがかなり広い空間に出たことは判った。

 松明の動きに合わせて、周囲の状況が切り取られたように目に入ってくる。

 そこは巨大な広間のような空間だった。あちこちに四角い石柱が立っている。天井を支える柱だとすぐに理解したが、その高さが凄かった。

 まるで神殿のようだ。相当な高さがある。

 松明で照らしても天井の方ははっきりとは見えない。

「おお……」

 ダーシュは感嘆していた。アイオナも周囲を見回した。

「凄い……」

 柱の他にはやはり石で出来た奇妙な三角形の置物とか、長方形の大きな卓のような物とかが、アイオナ達が入ってきた入り口の脇に据え付けられてあったが、何に使う物なのか用途が判らない。

 ただ、どれもそれなりに大きくて、くつろぐ為の椅子や何かではなさそうだ。

 ここは文字通りの広場のようだ。

 ジャグル達が作ったのだろうか。おそらくそうだろう。

 岩肌の中を、いやもうここは山の内部かも知れないが……そんな場所を、こんな風に加工するのは人間の手では難しいと思えた。

 地下生活者のジャグルならではの仕事だと思えた。

「少し周囲を見てくる。お前はここにいろ」

 そう言ってダーシュは駱駝で周りを歩き始めた。

 アイオナは目でダーシュの松明を追った。周囲をぐるりと回って戻ってくるのに、それほどの時間はかからなかった。

「……おそらく出撃前に集合したりする為の場所だったのだろうな。あの辺の置物も槍とか剣を立て掛けたりするのに使ったのだろう」

「え?」

 武器と聞いてアイオナはひやりとした。

「そう怖い顔をするな。ここが放置されて随分長い時間が経っている。最近と感じるようなジャグルの痕跡はないな」

「ジャグルの痕跡が判るの?」

「ああ、野営の跡とかを見ればある程度判る。あいつらは人間より小さいしな」

 驚いた。この人はジャグルを見た事があるのだ。アイオナは話に聞くだけで一度も目にしたことはないというのに。

「人間達が宿営した痕跡ならあったぞ。火を焚いたすすが残っていた。ただ、これも最近のものではないな」

「さっきの遺跡のナーラキアの人達かしら?」

「かも知れん。または俺達の他にもここを知っていて、利用している商人とかがいるのかも知れんしな」

「聞いた事がないわ」

「山脈を貫通して延びている地下通路だぞ? しかもおそらく盗賊も知らない。つまりは安全で、早く移動できる経路だ。余程の馬鹿でない限り、この道を知った奴は誰でも秘密にするさ」

「ましてや商人なら」

「そうだな」

 微笑むかと思ったがダーシュは頷いただけだった。

「……急ごう。出来れば休憩を入れずに一気に通り抜けたい。ついて来られるか?」

「ええ」

 アイオナは頷いた。休憩がないという事には落胆したが、そんな場合ではないのだ。

 休むならばディブロスに着いてからゆっくり休めばいい。

「行きましょう」

 アイオナが決意を口に出すと、ダーシュは駱駝の向きを変えた。また先頭に立って進み始めた。

 松明がまぶしいので、アイオナは額に降りた日射しけの布を出来るだけ引っぱって、更に目線を下げ気味にして進んだ。

 進んでいく内に判ったが、ここは地下通路と言うよりも、地下都市と言った方がいい作りをしているようだった。

 まるで町の中の通りを進んでいるようなのだ。

 自分たちが進んでいるのはその中でも中心的な通りの一つであるらしく、道幅はとても広く、複数の馬車がすれ違えるほどだった。

 左右には壁か、建物を思わせるジャグル達のか何かが並んでいて、時折枝分かれした通路が現れるといった感じだった。

 建物と言っても岩をり抜いて作られたものであり、壁と一体化している。それが岩壁にへばりつくように積み重なって拡がっているのだ。

 どことなくアウラシールの日干し煉瓦の建物に似ているが、やはり人間の作る物とは違う印象で、何というか微妙な感じなのだ。そして全体に小作りだった。

 天井の方は高さが目まぐるしく変わった。ジャグル達の密集していたであろう地区では天井は凄く高くなるが、単なる通路の時には低くなる。

 更にアイオナ達が走っている通路とは高さの違う通路があるらしく、松明の明かりにそうした別階層の通路が見えることがあり、アイオナを驚かせた。

 ここは幾つもの地区が通路で結ばれた地下都市だったのだ。

 一体どれほどのジャグルがここに棲んでいたのか。それを考えるとアイオナは恐ろしくなった。

 だがそれも遠い過去の話だ。今はここにジャグルが棲んでいるはずがない。生き残っているはずがない。そう信じることにした。

 ダーシュは途中で松明を取り替えたが、駱駝の足は止めなかった。時々振り返ってアイオナを見た。心配してくれている気配が伝わってきた。そのたびにアイオナはダーシュを見返して無言で頷いた。意地を張っているのではなく、積極的に先に進もうと思った。ここが踏ん張りどころだと感じていたからだ。

 どのくらい進んだか判らなくなって、更にそれからまたどれくらい進み続けているのか判らなくなった頃、ダーシュは急に駱駝を止めた。

「ここらで少し休憩しよう」

「大丈夫よ。まだ行けるわ」

「判ってる。俺が休憩したいんだ。咽が渇いてな。すまない」

 言いながら駱駝から降りると、駱駝に下げていたクポラを取った。

 クポラというのは飲料用の器で、主に旅行で使われる。荷物や、馬や駱駝の帯から下げられるように、横に持ち手の付いたものだ。アウラシールではカラクという。

 ダーシュは自分のクポラに水袋から水を注いだ。少し変わっているが、ダーシュはじかに水袋から飲むという事をしないのだ。

「お前も降りてきて水を飲むといい」

 言われて駱駝から降りようとして落ちそうになった。何でそうなったのか解らない。解らないが、とにかく急に頭が大きく動いて下に向いたのを感じた。

「大丈夫か」

 突然ダーシュの声が耳元で聞こえた。何で? と思った。どうしてついさっきまで、少し離れていたダーシュが自分のすぐ傍にいるのだろう。

 体が引っぱられるような、持ち上げられるような感覚があって、気が付くと地下通路の上に坐らされていた。

「あれ?」

「取り敢えず水を飲め」

 言われてクポラを押し付けられた。銅から叩き出した物で凄く手触りがいい。口を付けて水を飲んだ。

 それで気分が少し良くなって、頭がはっきりしてきた。

 気付かない内に自分は意識が怪しくなっていたようだ。自分で感じていた以上に疲労が溜まっているのか。

 落馬ならぬ落駱駝らくらくだしそうになったのもその所為だろう。

 道々振り返りながらアイオナを観察していたダーシュにはそれが判ったのだ。

 ダーシュが抱き止めてくれなければ、頭からこの石の地下通路に落ちていたかも知れない。

 ――抱き止める?

 思った途端に顔に血が上るのを感じた。だが恥ずかしさよりも嬉しさの方が大きかった。

 ダーシュはちゃんと自分を見ていてくれたのだ。

「飲んだか? 何か食べるか?」

「……棗椰子を少しもらうわ」

 余り食欲はなかったが、少しでも元気を付ける為にアイオナは干した棗椰子を二つ食べた。

「香草茶でも飲ませてやりたいところだが……」

「うん。わかってる。ありがとう」

「すまん」

「ちょっと横になるわ。四半刻しはんときもしたら起こしてくれる?」

「わかった」

 ダーシュはアイオナから少し離れたところに剣を抱いて坐った。

 松明は消して、携帯用の油燈を出すと火を点じた。松明に比べて遥かに小さい可愛らしい燈がともる。

 ダーシュはそれを近くの石で軽く囲って、アイオナからは直接見えない位置に置いた。

 火はダーシュの体に遮られて、アイオナからはぼんやりとしたあかりがわずかに感じられるだけになった。そうした小さな心遣いが嬉しかった。アイオナは目を閉じたまま少しだけ微笑んだ。そこで意識が途切れた。

 どのぐらい寝ていたかは判らない。ともかくアイオナは肩をそっと揺すられる感触で目を覚ました。

「出発するぞ」

 ダーシュの声を聞きながら身を起こすと、体がかなり硬張こわばってしまっていた。

 硬い石の床に寝たのだから仕方ないが、服を払って立ち上がってから少し伸びをしたり、腰を回して腕や肩を自分で引っぱったりした。

 埃っぽいこともあいまって、アイオナは風呂に入りたくなった。

 公衆浴場カラシュハルに行けば専門の按摩士が居て、料金を支払えば客の体の筋を伸ばしたり、筋肉の硬張りをほぐしてくれるのだ。

 それが見た感じグラティオンのようになる事もあるが、やってもらうとすっきりするのだ。そうした腕のいい按摩士にかかりたいと思った。

 グラティオンとは戦場での組打術であり、ローゼンディアでは一般的な闘技の一つである。幾つかの方式があるが、公衆浴場で施されるのはお互い素手で組み合うものに似た感じになる。

 ローゼンディアではこうした闘技を、貴族の子供は全員学ぶことになっている。

 なので準貴族の身分で就学していたアイオナも当然学んだ。余り興味が持てない学課ではあったが。

「後どれくらいかしら?」

 何の気なしに聞いただけだが、ダーシュは済まなさそうな顔になった。

「……わからん。ただこの道を行けばイビドシュ山脈の向こう側に出るはずだ。ケッサラの近くに出ると思う」

「ケッサラね」

 それで大体の位置関係は判った。もっとも出口だけだが。

「じゃあ行きましょう。もう大分来たと思うし――」

 話している途中で目の前を筋のような物が横切った。何かが飛んで来たのだ。

 不思議に思って飛んで来た方向、つまり自分たちがやって来た方向を見ようとすると、ダーシュが強くアイオナの手を引いた。

「いたっ!」

「伏せろ」

 頭を上から押さえられる。ダーシュとアイオナは這うようにして石で囲ってある油燈のそばから離れた。

「弓だ」

「えっ?」

 自分たちの居た辺りを何かが飛び過ぎていく音がする。耳を澄ますと弦音つるねも聞こえる。

 何者かが弓で自分たちを攻撃してきたのだ。

 アイオナの脳裏にジャグルの名前が浮かんだが、すぐにそれを否定するような疑念が浮かんだ。ダーシュの意見を信じるまでもなく、ジャグル達がここを根城にしていたのは遥かな昔の話である。

 ジャグルよりも人間と考える方が可能性は高いと考え直した。

「何者かしら?」

 声を潜めてダーシュに問うと、

「さあな。盗賊の類かも知れん」

「盗賊が?」

「こんな場所だ。盗賊が隠れ家にしていたとしても有り得る話だろう? それに時々俺達のように迷いこんでくる奴らが居れば獲物になるしな」

「どうするの?」

「話し掛ける」

 逃げるという答えを予想していただけに意外な感じだった。

「まさかジャグルが居るとは思えんが、相手が人間だって事を確認しておけば、逃げる分にも気が楽だろう?」

「それは……そうだけど……」

「心配するな。逃げるのには自信がある」

 おどけたようにダーシュはアイオナに片目を瞑って見せた。

 また矢が飛んできた。微かだがそろそろと近づいてくる足音もする。

「奴ら駱駝を射らないな……やはり人間か」

 急にアイオナの駱駝が立ち上がってこちらに歩いてきた。微かな光に反射して、駱駝の大きな瞳が黒い宝石のように見える。

「丁度いい。お前は駱駝の蔭に入れ。俺が合図したら一緒に走り出すんだ」

「わかったわ」

 ダーシュは寢かせていた松明を取ると、置いてあった油燈をそれで掻き寄せるようにして手元に持ってきた。油燈など見捨てていけばよいと思えるが、ここは地下だ。燈りが無くては何も出来ない。

 また矢が飛んできた。こちらに燈りがある為に、向こうはそれを目指して攻撃したり移動すればいいわけだ。非常に危険だった。

「俺達は敵じゃない!!」

 ダーシュはイデラ語で叫んだ。そしてアイオナを見て頷く。それで理解した。

「わたしたちは敵じゃないわ!!」

 今度はアイオナがローゼンディア語で叫んだ。

 暫く間があった。これで攻撃が止むかも知れない。そう期待した時、

「お前共死にゆるし!」

 妙な返答が返ってきた。

「死にゆるし?」

 アイオナは小首を傾げた。

「妙なダルメキア語だな」

 ダーシュが呟いた。

「生け続かられぬ! お前ばら!」

 他にも幾つかの言葉が投げかけられてきたが、どれも何だか妙な言葉だった。

 ダルメキア語なのだが何だか奇妙おかしい。

 少し考えてアイオナははっと気付いた。ダルメキア語にはないが、聞き覚えのある名詞の変化と動詞の活用があった。それはナーラキア語の文法なのだった。

 ダルメキア語もローゼンディア語も、名詞は男性、女性、中性の三つの性別がある。

 それが単数、両数、複数の区別と変化を伴う。ここまではいい。

 問題は名詞と動詞の変化の仕方で、ナーラキア語はこれが圧倒的に多い。格形の変化は八種類に及び、名詞だけでも二十四種類にも曲用するのだ。

 つまりローゼンディア語やダルメキア語には無い曲用があるわけである。

 曲用とは名詞の変化のことで、動詞の変化を活用という。

 ナーラキア語では動詞の活用は一般的に十種類に分けられているが、これは学者によって分類に違いがある。

 つまり襲撃者が話しているのはナーラキア語(なま)りのダルメキア語なのだ。

 言葉の出現した時系列的には正しいが、起きている事態は明らかに異常だった。

 ナーラキア語は死語なのだ。今ではその母語話者はいない。いないはずだ。

 だが現実に古代の地下遺跡の中で、ナーラキア語(なま)りのダルメキア語を話す連中が、アイオナ達に矢を射掛けてくる。

 こんな言葉を話しそうな連中といったら一つしか心当たりがない。

 いや、こんな言葉を話してるかどうかは判らない。

 こんな言葉で話し掛けてきそうな連中といった方が正確だろう。

 おそらくはドルム人。まずそれ以外は考えられない。

 でなければこんな妙な言葉でわざわざ話し掛けてきたりはしないだろう。

「逃げるぞ」

 ダーシュは言うなり駱駝に乗った。松明はもう火を付けてある。

 同じくアイオナも急いで駱駝に乗ろうとしたが駱駝が坐ってくれない。口をもごもご動かしてるだけで坐る様子がない。

 アイオナは慌てた。駱駝は馬よりも高い。必死にじ登ろうとしていると、ダーシュが背中を引っぱり上げてくれた。

「身を低くしろ! 走るぞ!」

 ダーシュはアイオナを急かして、駱駝の綱を引きながら走りだした。アイオナは何とか駱駝にまたがってしがみついた。

 背後から矢が飛んでくるが、どうも駱駝にあたるのを恐れているらしく、いまいち勢いがない。

 二人はひたすら駱駝を走らせ続けた。駱駝は馬ほどの速度は出ないが、その分長く走っていられる生き物である。松明を先頭に二頭の駱駝は地下通路を走り続けた。

 随分走ったと思ったとき、道が徐々に上りになっているのにアイオナは気付いた。

 そしてまた不意に開けた空間に出た。

「ここで少し待て」

 ここでもダーシュは言って、駱駝に乗ったまま偵察に出た。

 松明の火が移動する様子から、最初に入った広間と同じような作りの空間であることが予想できた。

 ダーシュは一回りして戻って来た。

「最初の広間と同じような作りだな」

「じゃあ……」

 期待を込めたアイオナの呟きにダーシュは頷いて応じた。

「ああ、出口が近いかも知れん」

 広間を突っ切ると、反対側の地下通路の入り口が見えた。

「ねえ、さっきの人達……」

「ドルム人だと思う」

「やっぱり? でなければあんな変な言葉で話し掛けてこないわよね」

「だがナーラキア帝国もドルム人を圧迫していた。イビドシュ杉が理由でな。その敵の言葉をドルム人達が話しているとすれば、悲しいな」

 ダーシュの言葉には同情が籠もっているとアイオナは感じた。

「でも、ドルム人達は独自の言葉を話すらしいし、あれは余所者向けの言葉かも知れないわ」

 ドルム人達に最初に立ち開帳はだかった敵、それも恐るべき敵がナーラキア人だ。

 一体どれほどのドルム人達が殺されたのだろうか。アイオナには想像も出来ない。

 だから敵の言葉を学び、それを今の時代まで保持していたのか。

 そして現代のダルメキア語も同じように学んだが、習熟度の差が訛りとなって現れた。

 彼らはイビドシュ杉を守りたいだけだという。実際に彼らと親しくなった人間は数少ないらしいし、それがどこまで本当かは判らない。

 判らないが、その事について考えるのは気分の良いものではなかった。

「悲しいわね」

「ああ。だからといって俺達が殺されてやる理由にはならん」

「ええ……」

 とてもゆるやかな上り坂を二人は黙って進んだ。

 途中で道が急角度で折れていた。しかも少し進むと小さな小部屋に出た。何もない部屋だ。反対側にまた通路の入り口がある。

 ひょっとしてまだまだ地下通路は続くのかも知れない。

 そう思ってアイオナはぞっとした。嫌気がさしたと言うよりも怖気おぞけが走った。

 ダーシュの様子を窺ったが、松明たいまつを手に持った後姿からは何も感じられない。

 部屋の入り口で一度駱駝を止めたが、すぐにまた進み始めた。

 そしてその通路もまたしばらく行くと折れ曲っていた。

 うんざりしながら通路の角を曲がった瞬間、遠くに白い物が見えた。

「アイオナ!」

「ええ!」

 ダーシュが駱駝を前に進めた。進むほどにその白い光がはっきりしてくる。

「出口だ」

 声に喜びが表れている。ダーシュが最初に外に出た。すぐにアイオナが続いた。

 ちらと見た感じ、どこかの山の中腹のようだったがよくは見えない。

 長い間地下にいた為に、急な光がまぶし過ぎるのだ。

 二人は目を閉じたり開いたりして光に目が慣れるのを待った。

 目が開けられるようになると辺りを見回した。

 背後には山脈が見える。前方には山脈はない。

 つまり背後の山脈はイビドシュ山脈ということだ。

 ここも偽装などはないものの、まともな出口にはなっていなかった。おそらくは人間など来ない場所なのだろう。

 いきなり出口が外に向かって開いていて、その下は斜面になっている。道として使えそうな経路は出口から少し離れて左の下手にあった。

 それほど急な斜面ではないが、そこまでは駱駝を降りて引いていく必要がある。

 下りの岩肌を道になりそうな所まで降りると、アイオナは遠くへと目を向けた。

 山の斜面を降りきった向こうには、あの見慣れた砂礫の地平と、棘だらけのしぶとい植物が点在しているのが見えている。

「今どの辺にいるのかしら?」

「大体は判っている。任せろ」

「もちろん頼りにしてるわよ」

 アイオナの言葉にダーシュは少し眉を上げた。

 意外な言葉を言ったつもりはないが、相手はそう思っているという事か。

 その事が不本意だったがまあ仕方ない。何よりも今は再び地上に出られたことを喜びたい。

 天には燃え盛る太陽神アクシオーンの姿がある。位置から考えて、そろそろ本気で輝き出す頃合いだろうか。

 朝と言うには遅く、昼というには早い、そんな時間帯だろう。

 アイオナがアンケヌに来た頃は夏の初めで、季節的にもアウラシールの陽光は十分強烈だった。

 余りにも強烈なので、本当にこれがあの偉大なるローゼンディア王家の神なのかと、故郷にいた頃とは余りに違う日輪の姿に驚いたものだ。

 しかし今こうして、叩き付けるような――そう、アウラシールでは陽光に対して『叩く』という動詞形を使うのだが――日射しを浴びていても、無慈悲な強烈さは感じない。

 というか、その強烈さを歓迎したい気分だった。

 以前だったら広大な地下迷宮とか、地下遺跡と聞いたら胸がときめいたろうが、今はもう御免だ。少なくとも当分は。

「本当ならここで休憩をしたいが、まだ山脈のすぐそばだ。またドルム人が現れないとも限らん。このまま山を下るが、いいか?」

「もちろん!」

 アイオナは自分でもうきうきしながら答えた。

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