第十八章 砂の遺跡
昨日と同じく日が沈む直前にアイオナとダーシュは出発した。
右手にはダルメノン山脈が見えている。その向こうにはドルム盆地がある。高原地帯だが、ドルム人の領域であることもあり、ほとんど実態が知られていない。
その先にイビドシュ山脈がある。目指すミスタリア海は更にその向こうだ。
このまま進めばザナカンダに着いてしまう。どこかでダルメノン山脈へと向かうはずだが、ダーシュは何も言わずにただ駱駝を進めている。
沈む夕日の中を駱駝が砂を踏むさくさくとした感じが伝わっていく。その感触に風が細い砂礫を巻き上げる感じが混じり合う。
「明日の休憩でも穴を掘って隠れた方が良いかしら?」
駱駝の背に揺られながらアイオナは問いかけた。駱駝というのはおもしろいもので、歩いているより走っている方が揺れが少なくなる。
歩かせている時が最悪で、駆足の時が最高なのだ。
駱駝もへたばりそうなものだが、これが馬よりも遥かに頑強な生き物で、水と食糧さえたっぷり与えておけば、三日くらいは平気で走り続けるのだ。
ただし駱駝は突然に死ぬ。
それだけが注意するべき点であり、砂漠の民は『駱駝は主人を裏切る』などと形容するが、突然死するまで酷使する方が悪いと思う。
今のところアイオナは駱駝を殺したことは無い。この先も殺すつもりは無い。
給料の金や塩も払っていないのに、水と食糧だけでこんなに働いてくれるのだ。実に有り難く、かつ可愛い生き物だと思う。
でも臭くてべとべとの涎だけはいただけないが。
一人で駱駝を操ることなどアンケヌの屋敷に居たときには考えもしなかったが、慣れてみると結構楽しい。馬とは違ったおもしろさがあった。
「そうだな。用心をした方がいいが……」
ダーシュは考えているように語尾を濁した。
「この先に岩山がある。そこで休憩する」
今のところ騎影はまるで見当たらぬ。砂漠を走るのは自分とダーシュの駱駝だけだ。
急にダーシュが進む方向を変え始めた。徐かにダルメノン山脈の方へと駱駝を向かわせていく。
日中ならば美しい山並みがほぼ一線に拡がっているのが見えるはずだが、今はただの黒い壁が並んでいるようにしか見えないのが残念だったし、暗示的で怖くもあった。
やがて黒々とした山並みが、段々と正面に向かってくるのが判った。
砂の多い地帯に入ったのだろう。行く手には砂が、うねりながら涯しなく続いている。
砂丘は月の光を受けているところだけが白く輝き、そうでない箇所は闇に沈んでいる。
暑さは感じない。むしろ涼しかった。昼間の熱は別世界のようである。
そう、別世界なのだ――
砂漠は昼と夜で恐ろしいほどにその姿を変える。
まるで死の世界のような静けさの中、ただ自分たちの騎行する音だけが耳に届いてくる。
ときおり吹く風の音すら耳に入らない。
砂避けの布を被り、目許まで覆っている所為か。
まるで死の国のようだとアイオナは思った。だが、これが死の国ならば、なんと美しいのだろうとも思った。
先日、遥か東方にあるという砂の砂漠を想像したが、丁度こんな感じではないだろうか。そんな風にも思った。
東の地平線に朝日が昇り始める頃、ダーシュの言う岩山が見えてきた。
山脈に向かっていることもあり、少し手前から足許の砂場が減って、また小石や岩が増えてきたと思っていたが、どうやら半ば砂に埋もれた山か何からしい。
ダーシュはここに来るのは初めてではないようであった。
確かな足取りで駱駝を走らせて岩山に向かってゆく。アイオナも後に続いた。
ちょうど良い岩陰を見つけて駱駝を繋ぐと、そこから更に岩山を登っていった。
登ると言っても急峻な山ではない。岩場を進んでいくのと大差はなかった。
時折、少し高さの違う場所が現れたが、そういう岩場はダーシュが手を貸してくれた。
そんなわけで、へばりついて登っていくような真似は必要なかったのだが、ダーシュが休憩所と定めた場所に出るまでには多少骨が折れた。
休憩所は少し開けた窪地だった。上に天蓋のように岩が張り出していて都合がいい。
「おもしろいものを見せてやろう」
風避けの布を張り、石でしっかりと固定してからダーシュはそう言った。
「何よ? まだ仕事の途中よ?」
「あとでいい。日射しがきつくなる前に見ておけ」
どこに向かっているのか。どうやらダーシュは岩山の反対側に出ようとしているようだった。
「ちょっとダーシュ! 駱駝をそのままにしていいの?」
「いいさ。どうせ誰もここには来ない」
軽い物言いだったが、確信めいたものが含まれているようにアイオナは感じた。
何故そうと言いきれるのかは分からないが、とにかくダーシュにはそう判断するだけのなにがしかの根拠があるのだろう。
それほど歩くこともなく反対側に出た。
ダーシュは岩壁に手をつき、もう片手でアイオナを招いた。
「見るがいい」
ただの砂漠が拡がっているだけだった。一見ではそう見えた。
けれどダーシュがわざわざ見せようとするのだ。何か理由があるに違いない。そう思ってアイオナは目を凝らした。
岩山の向こう側にはただの砂漠が拡がっている。
一面に砂礫を吹き曝したような荒漠とした風景だ。
砂の多い場所では、砂の紋様が波のように重なりながら拡がり、積み上がって小さな砂丘になっている所もある。
これまで見てきた景色と同じだ。何も変わるところはない。
だが、何か引っ掛かるものを覚えた。
――そうか……四角いんだ。
不思議と砂漠が仕切られているように感じる。左手にはダルメノン山脈が迫ってきているし、この岩山と、そして右手の向こうに見える砂丘の所為だろう。
「よく見ろ」
ダーシュが指差す辺りに目をやると、何やら砂漠上を輪郭めいた物が見える気がした。
「……何か埋まっているの?」
当てずっぽうで聞いてみた。
「ああ。以前は町があったのさ」
ダーシュが腕で示した範囲は、概ねアイオナが「仕切られている」と感じた範囲と一致した。
大方、右手の砂丘の下には都市を囲む防壁などが埋もれているのだろう。そしてこの岩山自体がもう一つの壁なのだ。
いや、壁だったのだろう。
かつて在ったはずの都市は砂に埋もれ、今ではそこに都市が、人々の営みがあったと想像することしか出来ない。
「……戦でやられてな」
ダーシュが呟いた。
「生き残りは西のオアシスに移ったという話だ」
「それって、これから向かうケッサラのこと?」
「そうだ」
「この都市が破壊されたのはいつの話?」
「詳しくは知らないが、少なくとも三百年以上は経っている。随分昔の話さ」
「どうして滅んだの?」
「さあな」
ダーシュの返事は打切棒なものだった。アイオナはむっとしたが、すぐに疑問が心に浮かんできた。
どうしてダーシュはここに来たのだろう?
自分たちがディブロスを目指す途上で、利用しやすい場所にあるということは理解出来る。
そうではなくて、ダーシュは元からここをよく知っていたのだ。だからアイオナに「おもしろいものを見せてやろう」などと言うことが出来たのだ。
それならば何故、この滅んだ都市のことを知らないなどと言うのか?
そこまで考えてふっと答えが浮かんだ。
「ケッサラは山脈の向こうなのね?」
「あのな……」
ダーシュは溜め息を吐いた。
「言っておくが俺はお前は試したり、焦らしたりしたいわけじゃない。今だってちゃんと説明をしようと思っていたんだ。それをどうしてお前は先に回って答えを言い当ててしまうんだ?」
「不満そうに言うこと無いじゃない……手間が省けて良いでしょ?」
「お前は頭が良すぎる」
「褒めてくれてありがとう」
「いや、褒めてないが」
「馬鹿ね。褒められたと思ってあげる、という意味よ」
その言葉にダーシュは吹き出した。余程面白かったのか暫く笑っていた。
「いやいや、お前と話すのは楽しいな」
「褒めてくれてありがとう」
ダーシュはまた笑った。笑いの急所を突いてしまったらしい。しかし嫌な笑い方ではない。楽しそうな笑い方だった。
笑いが収まると、ダーシュは手で遺跡の辺りを示した。
「お前の予想通りだ。ここの連中が通った道が、これから俺達が向かう地下通路なのさ」
「やはりね」
「ただ、俺も一度も見たことはないが」
「見付けられなかったらどうするの?」
「心配するな。判り易い目印があるそうだ」
「本当に?」
わざと疑わしそうに横目で見つめると、またダーシュは吹き出した。
あまり突つくのは止めておこう。本当に笑いの急所を突いてしまったようだから。
さすがに今度はダーシュも咳払いをして笑いを無理に収めた。
「……元は、ナーラキアの遺民が作った都市だったようだ」
「ナーラキアの?」
「ああ」
「それって新ナーラキアのことでしょ?」
「ああ。ザナカンダに都を移したナーラキアだ」
言い伝えによれば古ナーラキア帝国が滅んだ後、その遺民はちりぢりになったという。
しかも古ナーラキア帝国滅亡の折、その国土は砂漠へと変貌したと記録にはある。
信じがたい話だが、ナーラキアは聖遺物を積極的に用いた、極めて強引な侵略を繰り返していたから、それが関係しているのかも知れない。
その後再びナーラキア人達は結集して新たな国を作った。それが新ナーラキア帝国である。西ナーラキア、あるいは後期ナーラキア帝国ともいう。
かつての強大さには及ばないが、それでもリムリク地方一帯を支配下に置いた強力な帝国だったと歴史書にはある。
新たな帝都はザナカンダに置かれた。この都市は現在もリムリクに存在する。アンケヌからは南西にある都市だ。
しかしその帝国も又滅びた。
滅亡の動乱の中、聖賢リュベイオーンに率いられてローゼンディアへとやって来たのは、そうした遺民の一部である。
現在のナバラ砂漠は、一貫してナーラキアの国土だった。つまりかつては緑豊かな大地だった事になるわけだが、アイオナにはとても信じられない話である。
だが真実なのだろう。
となれば、その姿は変わり果てたとはいえ故郷を離れがたく、砂漠に居を構えた一団があってもおかしくはない。
それにしても遥かな昔の話である。
『呪われた民』として疎まれたナーラキアの人々が、そのまま自国の文化を保って生きていけるものだろうか?
「……尤も本人たちが言っていただけのようだがな。真実は誰にも判らんさ。なにせ千年を超える時の彼方の話だ」
そういうことならアイオナにも理解出来た。
「とにかくここに住んでいた連中は自分たちをナーラキア人の末裔だと信じていたらしい。その所為かどうか知らんが、あまり立ち寄る連中もなくてな。だからこの都市が滅んだ理由もよくは判らないのさ」
「どうしてこの場所をよく知っているの?」
「以前厄介事があってな。ここに追い立てられたことがある。すると連中、追いかけて来ないのさ」
ダーシュはくっくと笑った。
「後で知ったことだが、この近隣の連中はここには近寄らんらしい。何でも呪いがあるんだと……どうした? 神妙な顔をして」
「呪われた土地というわけだったのね」
「ああ、そうだ。恐ろしいか?」
恐ろしくないと言えば嘘になるが、今はそれよりもザハトの方が余程厄介だし、恐ろしいと思った。
「あまり良い気分はしないけれど、追っ手が来ないというのはありがたいわ。けど、ワディやザハトはここのことを知っているの?」
「ザハトは知らない。ワディの方はどうかわからんな」
「じゃあ平気で追いかけてくるんじゃない?」
「それは俺たちの後をきちんと跟けてきた場合だけだ。奴らはアンケヌに向かっているかもしれん」
「それはそうだけど……」
何だか嫌な予感がする。
「とにかく日が沈むまではここで休む。お前も岩陰で体を休めておけ」
ダーシュは岩壁から手を離し、休憩所へ向かって歩き出した。アイオナも後に続いた。
岩陰に身を横たえるとすぐに眠気が襲ってきた。目が覚めた時にはもう、日は大きく傾いており、そろそろ出発する時間だった。
「起きたか」
静かな呟きだった。急かす風でもない。水袋が差し出された。
「ありがとう」
アイオナは礼を言ってから水袋を受け取り、生温い水を飲んだ。なんて美味しいのだろうと思った。
ダーシュは休憩所の片付けを始めている。手伝おうかと思ったが、寝起きでのろのろ動いても邪魔になるだけと考え直した。
「駱駝の様子を見てくるわ」
言い置いて岩山を下りていった。きちんと繋いであるから心配は無いが、一応の用心のためである。
岩陰には駱駝の姿はなかった。アイオナは一瞬青くなったが、なんのことはない。少し離れた岩場をのろのろ歩いている。
しかし安心するのは早計だ。驚かせるとそのまま走り去ってしまうかも知れない。
アイオナは出来るだけ脅かさないように気を遣いながら、駱駝に向かってゆっくりと歩を進めた。
二頭はぼーっと突っ立ち、もう一頭は足を畳んで坐り込んでいる。
どうも馬と違って何を考えているのか予想出来ない。駱駝はわけの解らない生き物だと思う。
立っている駱駝の轡を手に握った時だった。いきなり背後から襲いかかられて抱え上げられた。
アイオナは悲鳴を上げた。
*
悲鳴が耳に届くと同時にダーシュは剣を抜いて飛び出した。途端に斬りつけられた。
ダーシュが岩陰から現れるのを待ち構えていたのだ。
驚きつつも、ダーシュは反射的に飛び退いて避けた。すぐにもう一撃が襲ってきた。幸いというべきか、相手は一人だった。
首筋を擦める一刀を何とかやり過ごして、反撃の太刀を繰り出した。手応えと同時に男の悲鳴が上がった。
どこの連中だろうか? ザハトか? それとも砂漠の剽盗か?
閃くようにいくつもの思考が頭を過ぎたが、今はそれどころではない。岩山を駆け下りた。
少し離れたところで、今襲ってきた男の仲間二人がアイオナを駱駝に積み込んで逃げ出そうとしている。
どうやら砂漠の盗賊らしい。ザハトの追っ手ではないと思った途端に妙な安堵感が込み上げてきた。そんな状況ではないというのに。
盗賊は盗賊だ。
よもやそんなことは無いだろうが、このままアイオナを連れ去られた場合、厄介なことになる。
アイオナを担ぎ上げた男は駱駝の背にアイオナを括り付けようとしている。その駱駝もダーシュたちのものなのだから恐れ入る。
アイオナは手足を振り回して暴れている。時々金切り声を上げる。
本来ならば賢いとは言い切れない行為だ。盗賊が癇癪を起こして喉首を掻き切りにきた場合どうするのか。大人しくしていた方が身のためということもある。逃れる機会を次に繋ぐために。
賢いアイオナにそれが判らないはずはあるまい。
とすれば、叫ぶのはダーシュに聞かせるためということになる。
――俺を信じているのか。
足が地を蹴るたびにアイオナとの距離が縮まる。
――期待に、応えねばな。
走りながらも冷静に、ダーシュはそんなことを考えた。
思ったよりアイオナが暴れるのだろう。男はなかなかアイオナを固定出来ずにいる。横で駱駝に跨がっていたもう一人が、ダーシュに気付いて向かってきた。
こちらは徒歩で相手は騎乗である。不利は明らかだったが、ダーシュはそのまま突っ込んだ。上から振り下ろされる剣を掻い潜りながら、同時に男の腰裏に剣を突き刺した。
男は悲鳴を上げて剣と轡を取り落とした。乗っていた駱駝の足が乱れた。
その隙にダーシュは素速く駱駝に取り付き、もう一度男を刺した。今度はくぐもった声が漏れた。男の白い服が、たちまち噴き出す血の色へと変化してゆく。
致命傷を負った男は力を失い、ダーシュに押されるままに地面へと転げ落ちた。
その間にもう一人の男は駱駝を走らせている。仲間も殺され、ダーシュが駱駝を取り戻したというこの状況では、盗賊はもう逃れようがないと言えるのだが、それでも逃げようとしている。生命惜しさか混乱からか、どちらにしてもダーシュの血を冷やしたのはそんなことではなかった。
駱駝が走るたびに、中途半端に固定されたアイオナが激しく揺れている。
このままでは後足で頭を蹴られかねない。そうなれば大怪我をしてしまうか、下手をすれば死んでしまう。
ダーシュは慌てた。すでに現状大慌てであり、斬り合いまでしているのだが、それ以上に慌てた。余裕があれば盗賊の間抜けさを神に呪ったことであろうが、そんな余裕は当然無かった。
奪い返した駱駝に跨がると、ダーシュは飛ぶようにアイオナを追った。
必死に逃げる男に追いすがる。こちらも必死である。剣の届く距離にまで近づくと、ダーシュは男の背中目懸けて剣を投じた。嫌な音とともに剣は深く背中に突き刺さり、男は蹌踉めいた。駆けていた駱駝の足が乱れた。
ダーシュはアイオナの服を掴んだ。頭が出来るだけ上に来るように強引に体を引っ張り上げた。悲鳴を聞いても容赦しなかった。アイオナを縛り付けた紐は実にいい加減に結ばれており、すでに解けそうだったからだ。
駱駝が足を止めた。
ダーシュは息を吐いて駱駝から下り、男を引きずり落とした。地面に落ちた男は、血を吐きながら死の痙攣を繰り返している。
男の胸を刺して止めをくれた。それから男の服の裾で血を拭ってから、ダーシュは剣を納めた。
アイオナの拘束を解いてやり、駱駝から下ろして地に立たせた。
「大丈夫か?」
両肩に手を置いて支えた。そうしないとアイオナは倒れてしまうのではないかと思ったからだ。
「大丈夫よ」
気丈に答えたが、声には震えが残っている。顔色も良くない。
ダーシュはアイオナを抱え上げた。いつもなら文句か抗議か、何か言ってきそうなものだが、アイオナは何も言わずに顫えている。
「帰るぞ」
アイオナを胸の前に抱くようにして駱駝に乗った。もう一頭は紐で繋いで岩山の休憩所に戻った。最後の一頭はダーシュが繋いだ時そのままになっていた。
おそらくダーシュを襲った男が、仕事の後に連れて帰るつもりだったのであろう。
盗賊たち自身は徒歩でやって来たらしく、他に駱駝の姿はなかった。
とすれば、この近隣に盗賊たちの住み家があるか、でなければいずれの部族が滞在している場所があるということだ。
どちらにしてもここに長居は望ましくない。そして二人とも、そのつもりはなかった。
この岩場に現れたという事は、どこか他所からやって来た連中である公算が高い。ならばアンケヌで起きたことも知らないだろうし、ダーシュにとっても全くの見知らぬ連中であるという事になる。遭遇するのは極めて危険だ。
休憩所に入ると、すぐにダーシュは火を起こして氷砂糖入りの香草茶を作り、アイオナに渡した。
アイオナがそれを飲み終わるまで、何も言わずにじっとしていた。余計なことを言いたくなかったし、そっとしておいてやりたかった。
ただ胸の内で、お互いに無事だったことを神に感謝した。
二人に会話はなかったが、休憩所を仕切る布が風を受けて音を立てていた。
風が出てきた所為ではなく、ただ片付けの途中で襲われたために、重石を除けられてあったからだ。
日は地平線に沈みかけている。出発には頃合と言えた。
「……もう落ち着いたわ。助けてくれてありがとう」
香草茶を飲み終わるとアイオナが口を開いた。
「すまん。まさか盗賊が現れるとは思わなかった」
ダーシュはすかさず謝った。誰も来ない、安全だと言っておきながらこんな目に遭わせてしまったのだ。謝罪は当然だと思った。
ところがアイオナには予想外だったらしく、突然の謝罪に慌てたようだった。
「いっ、いいのよ! 不用心にしていたわたしにも責任はあるわ!」
「いや、誰も来るまいと高を括っていた俺が悪い。恐い思いをさせてすまなかった」
――アイオナに怪我がなくて良かった。
ダーシュは心底そう思った。
出来ることならもう少し休ませてから旅立ちたかったが、そうもいくまい。
「動けるようになったら出発しよう」
アイオナは無言で頷いた。力のある目をしていると思った。たった今恐ろしい目に遭ったばかりだというのに。
まだ近くに他の盗賊が潜んでいやしないかという不安はあったが、あまりもたもたしていると今度こそザハトの追っ手に追いつかれてしまう。
おそらくもう一日以下の距離にまで迫っているだろう。
何せ向こうはゴーサの傭兵が追ってくるのだ。速度が違う。
もしこちらの選んだ逃走経路を知られていれば、ディブロスに着く前に追いつかれてしまうのは必至だ。
――何か手を打っておかねばな。
闇に落ち始めた砂漠を見ながら、ダーシュは考えていた。




