第十六章 炎
ザハトは権力を握ることに余念がない。まずは将を失い動揺しているゴーサの軍団を手早く纏めた。ギドゥの葬儀を取り仕切り、軍団の半数以上をゴーサへと帰国させた。
上手くやらなければ大混乱が生ずる問題だっただけに、これにはヒスメネスも驚いた。
しかも一部は自らの私兵として再雇傭し、精鋭部隊まで編制してしまったようだ。
更にザハトはアンケヌ陥落以来、手持ち無沙汰になっていた王宮の兵たち、家臣たちを呼び戻した。
その上で自らの出自を明かした。
町はちょっとした騒ぎになった。無論それは、最近の騒々しさの中では大したものではないが、それでも人々にはそれなりの驚きをもって迎えられた。
それはザハトは先の王家の出身だという話だった。叛乱により追放された王族なのだという話だ。
十年ほど前に確かに王家の中での内紛はあった。それにより今の王が即位したのだが、その時の争いは市内にまで拡がるほどのものではなかったので、王族でも貴族でもない町の多くの住人にとっては余り関係ない話だったのだ。
もちろんそれは情報統制の結果でもある。
実際の王位簒奪でどれだけの血が流れたのか、何が行なわれたのか。
それらの事実を住民達にそのまま知られて良い事などあるはずがない。
ゆえに真実を隠蔽したり、嘘を市内に流したりといった事が行なわれたのは間違いないのだ。
ザハトの話は事実だろうと思う。少なくともダーシュが真実、王子なのは間違いない。
屋敷に居た時に、どこかで見たことがある顔だと思っていたのだが、それも当然の話だ。旦那様に連れられてアンケヌを訪れた時に、一度見たことがあるのだから。
そのことに気付いた時にヒスメネスは苦笑した。何のことはない。今回のアンケヌ陥落は先の王家による奪還でしかなかったわけだ。初めてザハトが屋敷を訪れた時、話した内容は、まさにそのことを裏付けている。
とはいえ大まかな事情は、つまりダーシュとザハトの関係や、彼らが何者であるのかなどということは、この屋敷にまだダーシュが居た頃から調べはついていた。
叛乱によって王位を奪った王は、ダーシュの叔父に当たる人物だったはずだ。
『剣によって得たものは、剣によって失われる』という。
これは戦神イスターリスの箴言だが、まさしくそうなったわけだった。
尤も誰が王位に就こうが、そのこと自体には興味が無い。
交易商人にとっては血筋だの、正統性だのといったことはどうでも良い話であり、問題になるのはただ一つ、安全に商売が出来るかどうか? ということだけだ。
その点、ザハトは有能な支配者であるようだった。
市民の怒りをハダクとその一党に向けさせ、ゴーサの軍団を速やかに帰国させた。
先王に仕えていた家臣たちを呼び戻し、その多くを新たに召し抱えた。
中でも最後まで簒奪者であった現王に味方せず、奴隷に落とされたり、追放された者達には極めて厚い恩情を示しているという。
逆に先王を弑逆した叛乱に乗じ、栄達を得ていた者たちは一人残らず殺されたという。
アウラシールではよくあることではあるが凄じいと思う。
ザハトは徹底して復讎したのだ。
大人達は獣の餌にされたり巨獣に踏み殺されたり、燃える泥を塗りつけられて火を放たれたという。
その他にも色々な方法で処刑が行なわれたようだが、噂と事実が混在しており、正確なところは判らない。知りたいとも思わない。
とにかく槍や刀を使った単純な処刑を選ばず、わざわざそうした残酷な方法を選んだのだ。
老人や病人たち、赤子も引き出されて鉄の板に並べられたという。
鉄の板に並べるというのは、ただ鉄板上に坐らせておくだけのことだが、アウラシールでは、今の時季によく使われる処刑方法だ。
強烈な日射しの下では、それは焼き殺すことに相当する。
皆、昼までに死んだと聞くが、熱さに耐えかねて転げ出た母親は、赤子ごと槍で突き殺された上に鉄板の上へ蹴り戻されたという。
子供たちなどは、通常は奴隷にするのが普通なのだが、ザハトは一人残らず殺してしまった。
一族、係累、悉く探し出して殺した。今も探し続けている。
逆に最後まで現王に味方せず、苦しんだ者達もまた、同じように徹底的に捜索されている。
生きている者は皆、名誉を回復され、以前の立場に戻れる者は戻ったと聞くし、奴隷として他の都市に売られた者達まで全て買い戻すつもりのようだ。
叛乱で殺された者や、不遇を託って死んだ者達はその骨までが捜されている。
彼らは名誉ある者達であり、それに応じた葬送でもって、後日正式に埋葬し直すのだという。
今も市内のゴミ捨て場や共同墓地などを、多数の者達を動員して骨を捜索させているのだ。
ほとんど狂気とも言える命令が下されているのだった。
それだけに、その胸に抱かれていた怨念の深さは、察するに余りあるものがある。
ザハトは処刑を自ら指揮し、観覧し、酒杯を片手に神の名を讃えていたという。
余りに酸鼻を極める光景に、見物人達も声も発せられず、ただ殺されていく者達の悲鳴と哀訴、怨みの叫びが刑場に響いていたとか。
元々罪人の処刑などヒスメネスは見たいとは思わない。悪趣味だと思う。
だから今回のことも伝聞であり、自分の目で見たわけではない。
しかしアウラシールの風習を考えても、今回のは度を過ぎていると感じざるを得ない。
復讎は正義である。これはローゼンディアでも変わらない。
ただしアウラシールではそれを示すことが、社会的な基本条件として要請されるのだ。
だからザハトもそれを実行したに過ぎないのだろう。
社会規範上は、そういうことになる。
理知的で冷静、野心があり、自己を恃むところ頗る厚い天才肌の政治家で、感傷的な復讎心に左右されるような人間ではない。
ヒスメネスはザハトのことをそう思っていたが、見誤っていたかも知れない。
あの怜悧な外見の裏には燃え盛る激情が隠れていたのだ。
自分は今、獅子の背後に立っているのかも知れないとヒスメネスは思った。
これは危険な状態である。だが危険は商売には付き物だ。
というか危険をどう選択するか? どのように危険を取るか? ということが商売だと言っても過言ではない。
商売とは、煎じ詰めれば危険の管理と同じことなのだと。
これを教えてくれたのはアイオナの父、ファナウス・ディアス・メルサリス。商会の長でありヒスメネスが敬愛する旦那様だ。
これは座学ではまったく解らなかったが、実際に仕事に関わるようになると、恐ろしいくらい正しいのだと思い知らされた。何度も思い知らされた。そのための授業料は高かったが、だからこそ今の自分がある。
商売は利益を取るものではなく、危険を取るものなのだ。
なんとなれば利益も損害も、危険の中に同居しているものだからだ。
安全な商売などというものは無い。もし安全だと思っていたならば、それは危険に気付けていない状態であり、逆に極めて危険だ。
――もしザハトではなくダーシュと手を組んでいたら、どうなっていただろうか?
そう自問してみた。
おそらくそれは無いだろうと思う。
何故か。
あの時の情勢では、ザハトに与した方が圧倒的に利益が大きかったから?
違う。ダーシュに味方をすることで被る危険の程度が予測不能だったからだ。
危険は常に管理可能になるように努めねばならない。だからザハトに付いたのだ。
そしてその目算は正しかったのだろうと思う。今のアンケヌの状態を見ていると、そう判断せざるを得ない。
アンケヌは完全に安定を取り戻していた。それはザハトの迅速な行動によるものだ。
尤も王宮の宝物庫はかなりの損害を受けているだろう。ゴーサの軍団への支払いや、被害を受けた市民の救済などで出費が量んだはずだ。
「だからギドゥに死んでもらったのさ。ゴーサとの契約の時に、ザハトは気前良すぎたからな。おそらくあの時にもう、やがてギドゥを排除することが決まっていたのだろう」
そう言うケザシュの言葉は、二つのことを意味している。
一つはゴーサの傭兵団との契約は、事実上ザハトとギドゥとの間で取り交わされたのだろうということ。
もう一つはザハトはギドゥのみに、特別な手当てを出すという約束をしていたのだということだ。
つまり軍団への支払いの額と、ギドゥとした約束の額とは等しくない。だからギドゥが死んでしまえば、支払いは一気に軽くなるということだ。
何故そんなことをするのかと言えば、直に軍団に契約を持っていくには都合の悪い理由があるか、または軍団に対してより大きな影響力を及ぼしたかったかだ。
真っ当に契約を結ぼうとすれば必要経費は大きくなるし、そのことを多くの人間に知られもしてしまうだろう。だから独自の人脈を利用して、秘密裏に軍団の一部を雇用した方が良いと考えたのではないか。その見返りとして、ギドゥに賄賂を呈示したのではないだろうか。
巨額の賄賂が入るとなれば乗ってくるだろうし、実際の行動においても真剣さが変わってくるだろう。何しろ自己の利益に直結してくるからだ。
そしてそのことは軍団全体には知られてはならない。これも当然のことだ。
おそらく、ザハトは兵を集める段階からかなりの注意をし、かつ目的を定めていたのだろう。
「ダーシュは反対だったがな」
「アンケヌの市民を巻き込みたくはない、ですか?」
「そうだ。奴は王族としての立場にあまり重要さを感じてはいなかった。王家の再興を熱望していたのはザハトだ。尤も今では奴が王になってしまったがな」
ケザシュは含み笑いをした。
「ええ。あなたの協力があった御蔭ですね?」
「どうかな? 奴自身の才覚によるところも大きいと思うが」
「でも御自分の助力も否定なさらない」
ケザシュは声を立てて笑った。
「まったくザハトといいお前といい、頭の切れる者が続くことよ」
「それはどうも。で、あなたがここにいる理由はなんなのです?」
「さあな。それを考えるのはお前の問題であって俺の問題ではない」
「あなた一人をただ食べさせておくほどの余裕は、この屋敷には無いのですが」
「ほう。ならば俺はこの屋敷を出ようか。お前が俺を必要とする時に、現れるとしよう」
ケザシュは上体を起こした。もはや定位置となっている長椅子の上からである。
「私が必要とする時?」
「そうだ」
ケザシュは怪しく光る瞳をヒスメネスに向けた。
「お前の望みを言うがいい。俺はそれを手助けしようではないか」
「見返りは何です?」
「それを知ってどうする?」
「逸らかさないで下さい。無料、ということはないのでしょう?」
つまらない質問だと思いつつ、敢えて聞いた。こういう場合、この手の質問はお約束のようなものだからだ。
「一つだけ教えておいてやろう」
ケザシュは人差し指を立てた。
「一度だけ機会が与えられるだろう。それを逃さぬことだな」
「……どういう意味ですか?」
「答える必要は無い」
ケザシュは立ち上がった。
「用があったら呼べ」
「待って下さい。あなたは私を手助けすると仰るのですね? ならば話は別です。このままお逗まり下さって結構です」
「現金な奴だ」
「商人ですから」
「なるほどな。で、お前は何を望む? この屋敷か? それともこのアンケヌか?」
「私がアンケヌを望むと言うとお思いですか?」
「思わんさ。お前は頭が切れる。用心深い。俺とザハトの繋がりを考え、そのようなことは言わぬだろう。だがそれがお前の限界でもある」
「……私の限界?」
その言葉にヒスメネスは興味そそられた。
「どういう意味です?」
「お前の器はこのような店で使われているものではない、ということさ。では何故この店に居るのか……お前はそれを自分に問うてみたことはあるのか?」
「……」
またこの話だと思った。ケザシュが、というのではない。
今までにいろいろな人間にこの話をされてきた。引き抜きを持ちかけられたことも一度ではない。
そんなに自分はこの店に不似合いに見えるのだろうかと思う。もしそうだとしたら、そのことに軽い憤りを感じもする。
「ありませんね。その内気が向いたら自分の店を始めるかも知れませんが」
「ほう」
「今は現状に満足しています。旦那様はよくして下さいますし、大きな仕事を任されてもおります。それに見合うだけのものを支払っていただいてもいます」
「計算高い商人かと思いきや、存外、欲が無いな」
「欲はありますよ。ただ道理を知っているだけです」
道理。通じぬだろうと思いつつそう口にする。
この言葉にはとても大きな意味が込められている。けれどそれを正確に表すためには非常に多くの説明が必要になる。そして説明したとしても、ほとんどの相手には理解されないのだ。
だから一言で済ませる。
「物事には道理というものがあるのですよ。それに逆らってはいけません」
魚が水の中を泳ぎ、鳥が風を読むように生きねばならない。
不自然なものは破綻する。
「何故、今以上を望もうとしないのだ?」
ケザシュは興味を持ったようだった。再び長椅子に腰を下ろすと、ごろりと横になった。
「欲するならば正しい時に、正しい手順でなければならぬということですよ。でなければ身を滅ぼします」
「なるほどすべて計算尽くというわけか」
「いけませんか?」
「いや、人が誰もお前のように考えたらさぞや俺の仕事はやりにくくなるだろうと思ったまでだ」
そう言う割にはケザシュは楽しげである。会話を楽しんでいる風である。
「ダーシュと逃げた女が、ここでのお前の直接の主人になるのかな?」
突然、アイオナに話が及んだ。
「あの女はお前とは違うようだが……お前のように物事を深く考える質ではないようだな」
「さあ……どうでしょうか。ああ見えてお嬢さんは道理が解った方ですよ。無茶はなさっても無道ではありません。ところで、あなたはどこでお嬢さんにお会いになったのです? あなたがいらした時には、すでにダーシュと共に屋敷を逃げ出していたはずですが」
質問をしながらヒスメネスは不安を感じていた。
おそらくケザシュはただの一度も、アイオナには会っていない。言葉を交わしたこともなければ、姿を見たことすらないはずだ。実際には、という意味でだが。
「お前はどこまで俺を試そうとするのだ」
うんざりしたような口調だが、やはりケザシュは楽しんでいるようだった。
「まあいい。奴らの生命も風前の灯火だ。今更考えるまでもない」
「ちょっと待って下さい。奴らということは、お嬢さんの生命に危険が迫っているのですか? 暗殺者はダーシュだけを狙うのではないのですか?」
「お前、奴らを狙うのが暗殺者だけだと思っているのか?」
不思議そうにケザシュは聞いてきた。
「ザハトが放っておくわけがあるまい。今頃、始末するための兵が出されたはずだ」
今度はヒスメネスが立ち上がった。ケザシュがおもしろそうに見上げてくる。
「今からでは間に合わんぞ。それに二人が向かった先をお前が特定出来るのか?」
「それはおそらくディブロスの町です。そこからマンテッサへと船で向かうのではないでしょうか」
「ほう。なるほど父親の所を目指すわけか」
マンテッサはカプリア地方にあるローゼンディアの沿岸都市であり、アイオナの父、ファナウス・メルサリスの居住する町である。当然メルサリス商店の本店がある。
しかし一体どこまでこの男は知っているのか。調べているのか。ヒスメネスは空恐ろしく感じた。
「ディブロスに向かうと判っていれば、途中のオアシスを繋いでいくことが予想されます。北回りのエルメサ経由か、南回りでザナカンダを通るか……」
言いながらヒスメネスは、これは表か裏かの硬貨投げに賭けるような物だと思った。
二人がどちらの道を選ぶかなど、そう簡単に推測できるはずもない。
現実的な手段と言えば、足の速い騎馬を先行させて情報収拾に当たらせることだが、当然ダーシュはその対策も講じているだろう。
だが、だからといってお嬢さんをそのまま放置して置くことなど出来はしない。今の状態は余りに危険である。
「……大急ぎで後を追えば、ザハトの追っ手よりは先に接触出来るはずです」
自分でも苦し紛れだと感じつつそう口にすると、ケザシュは鼻先で嗤った。
「ザハトもお前と同じように考えるとは思わないのか?」
当然の指摘でもあり、痛いところだった。ヒスメネスは眉根を寄せた。
「……」
「どうしようもないな」
ケザシュは起き上がって坐り直し、指を組んだ。相変わらず楽しげである。
「俺なら追いつける」
「何?」
「俺なら追いつけると言ったのだ。今からでもおそらく間に合う」
ヒスメネスは驚いた。驚愕したと言っていい。何年ぶりであろうか。
これほど驚いたのは久しぶりである。ケザシュの言葉に驚き、またその言葉を真面目に受け取っている自分に驚いていた。
「本当、ですか?」
「俺は決して嘘は言わぬ」
凄味のある声で呟くと、ケザシュも立ち上がった。
「お前を含め、連れて行けるのは五人までだ。それだけだったら運ぶことが出来る」
「あなたは……」
「さてな。そんなことはどうでもいい」
薄笑いを浮かべたままケザシュは歩き出した。先に外に出て待つつもりなのだろう。
「ゆくのなら急げ。時は待ってはくれぬぞ」
「一体どうやって……」
部屋を出る直前ケザシュは振り返った。
「空気の馬という秘術がある。ローゼンディア人のお前に見せてくれよう」




