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20 愛しのパン屋





 久しぶりに俺の好きな、あのパン屋にいこうと思う。焼きそばパンのあの店だ。


 そこは、駅から少し離れていて、ちょっと不便な場所にある。

 学校がある駅の一つ手前で降りて、そこから歩かないとならない。で、パンを買い店を出たら、さらにそこから歩いて学校へ向かう事になる。中途半端な場所にあるから、駅に戻るわけにもいかず、結局駅一つ分は歩かないとならない。

 俺と逆方面から来る奴も、わざわざその駅で降りてから歩いて同じルートを辿る。とにかく中途半端な場所にある。


 朝からそんな面倒な事をする奴もあまりいない。かといって帰りに寄ろうとすると、もう目ぼしいパンはほぼ売り切れだった。特に焼きそばパンはなくなっている確立が高い。だから結構ここのパンは貴重なんだよな。


 今日は朝からいい天気だったから、俺も気分良く早起きできた。今日は栞ちゃんを誘うんだ。昼休み一緒に弁当食べようって。大丈夫だ、きっと誘える。頑張れよ、涼。


 彼女もここのパンが好きだって言ってたから、ひとつ余分に買ってってあげよう。一個なら迷惑じゃないよな。確か、やきそばパンもコロッケパンも好きだって言ってた。俺と好み一緒だな。

 何となく嬉しくなって、空を見上げる。もう雲も高くて、すっかり秋の空だった。吹き渡る風も涼しくて気持ちいい。朝はちょっと肌寒いくらいだ。

 あの告白の日から、もう四ヶ月半だ。早いよなあ。ていうかさ、女の子達と付き合った期間よりも長いってどういうことだよこれ? 付き合っても最長で四ヶ月くらいだったもんな。もう彼女を想って、片思いして四ヶ月半経ったわけだ。どうしようかな、これから。やっぱり、

「吉田くん!」

 この声は……。

「おはよう! 早いね!」

 振り向くと、笑顔の栞ちゃんがいた。え、何で?! 急激に心臓が早く波打つ。

「お、お早う。どうしたの? こんな早く」

「パン屋さん行くの。吉田くんも?」

「うん」

「じゃあ、一緒に行こ」

「うん……!」

 は、初めてだ。初めて一緒にパン屋に行くことになった。


 横に並んだ彼女が顔を上げて俺の顔を見る。

「天気いいよね。……こんな日は、」


「屋上!」


 二人同時に同じ言葉が出た。顔を見合わせて、一瞬黙ったけどすぐ笑顔になる。

「やっぱり同じこと考えたよね?」

 彼女は楽しそうに笑った。

「いい天気だと思い出すんだ俺」

「あたしも」


 こんな会話がすごく嬉しかった。同じこと考えてたってわかっただけで、どうしてこんなに幸せな気持ちになるんだ。

「栞ちゃん、よく行くの? あそこのパン屋」

「ううん。やっぱり朝は時間がないから、あんまり。今日は随分久しぶりなんだ」

「俺もなんだよ。もう何ヶ月ぶりだろ」

 そう、告白現場を見てしまったあの時以来なんだ。

「そうなんだ。すごい偶然だね」

 うん、すごい偶然だ。喜んでにやけてる顔あんまり見られたくないから、ちょっとだけ視線を外して、頷く。神様ありがとう! こんないい天気の日に朝から彼女に会わせてくれて。


 ガラスの引き戸が入り口の、古臭い店。ここが愛しのパン屋だ。外にまでいい匂いが漂っている。

「はい、いらっしゃい」

 中に入るとおばちゃんが出迎えてくれた。ここは自分でトレーにパンを乗せるんじゃなくて、ガラスケースの中のパンをおばちゃんに注文するシステムだ。

「吉田くん、先にいいよ」

「うん、じゃあえーと、焼きそばパンと、コロッケパンと、卵サンドね。後は……そのラスクも」

「はいよ。ちょっと待ってな」

 おばちゃんはそういうと、腰をかがめてパンをトレーに乗せていく。ふと視線を感じ振り向いた。

「……」

 それは彼女の視線だった。彼女はパンじゃなくて俺を見ている。真剣な顔だった。

「……何?」

「う、ううん。なんでもない」

「?」

「あたしも……焼きそばパンにしていい?」

「え? うん。もちろん」

「あと、コロッケパンもいい?」

「うん。どうしたの?」

「ううん。……吉田くんの、真似したくなったの」

 そう言って彼女は並んでいるパンの方へと、視線を移した。な……何だよ、可愛いなあ。でもどうしたんだろ、いつもの彼女とちょっと違う気がする。


 無事にパンをゲットし、そのまま学校へ向かう。チャンスだ。友達以上の。少しだけ息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。

「あの、さ。今日昼一緒にパン食べない?」

「……」

「屋上で」

 また一緒に屋上に行きたい。いいって言ってくれるかな。誘い方おかしくなかったよな?

「……うん、いいよ」

「え、ほんとに?」

 よし、やった! 高野、原、誘ったぞ! 友達以上に少し近付いたか? 嬉しくて彼女を振り向くと、肩に掛けた鞄を握り締めてさっきのように俺を見つめていた。

「吉田くん」

「ん?」

「焼きそばパン、好き?」

「……うん。すごく」

 答える俺に彼女は小さな声で呟いた。

「あたしも、好き」

「!」

 心臓がドクンと跳ねた。お、落ち着け涼。彼女はお前を好きだなんて一言も言ってないんだぞ。パンだ。パンが好きなんだよ。おばちゃんが作った焼きそばの入ってるこのパンが。決して俺の事じゃない。

 けど彼女の表情に、その声に、押さえようとしても心臓が反応してしまう。俺を見つめる彼女の口元は笑っていたけど、なんだか泣き笑いのような顔だった。眉を寄せて、切ない表情だった。

 何て言ったらいいかわからない。俺は彼女から目を逸らしてしまった。まだ心臓がドキドキ言ってる。


「……美味しいよね」

「う、うん」


 そこに……何の意味もないのはわかってる。

 ただパンが好きで美味しいとしか言ってないじゃないか。俺は栞ちゃんを好きだから、だから意味がなくても必死にそこから何かを探ろうとしている。それだけのことなんだ。こんなやりとりの中からほんの少しでも期待しようとするなんて、馬鹿げてる。


 彼女の言葉に、仕草に、表情に、一喜一憂させられる俺がいる。こんな事くらいで、舞い上がったり落ち込んだり、普通に話せなくなってしまう。




 彼女と友達以上なんて……どうやったらなれるんだよ。





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