Untouchables(不可触賤民ズ)
halさんから、イラスト頂きました
左がシナガワ君、右が飽浦君です
二人の挑発的なポーズが素晴らしいです!
ありがとうございますっ!!!
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この小説はRightさんの書いた小説「リリス・サイナーの追憶 嘘つき二人」のコラボです
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「How can I call you ? She or he ?」(お前をどう言ったら良いんだ?彼女、それとも彼?)
彼はそう訊いたらしい。そして、彼女は答えたのだそうだ。
「Shut up. It. 」(黙れ、イット)
シナガワが不満顔をしてドアを開いた。まだ、診療中だというにも関わらず。
僕の正面に座っている患者の人権は、いとも簡単に踏みにじられた。
まるで、蟻を踏みつぶすようだった。
彼氏の浮気性に悩んでいる二十代後半の患者は、余りの出来事に言葉を失っている。
僕もそうだ。
「飽浦。患者様を連れてきたぜ。精神科医の飽浦先生様よ」
黒のタートルネックに黒のカーゴパンツ。白いジャケットは着ているが、体の細い線までは隠せない。
ミディアムヘアーのウルフカットは相変わらず不機嫌そうで、まるで興奮したハリネズミのようだ。
「ヘイ、ドク。聞いているのか? 聞こえていないのか? 返事をしろ」
「ああ、シナガワ。聞こえているよ。いま診療中なんだ。後にしてくれないかな」
「そうはいかない。救急患者の登場だ。このままだと大変な事になる」
見れば彼の傍らに女の子が立っていた。橙色の長髪、金色の瞳の美少女。白いドレスを着ている。端正なフリルが蝶の羽ばたきを想起させた。
中学生?嫌な予感がした。
「誰が大変なの?」
「オ、レ、が」
なんだ、どうでも良い事じゃないか。
「今、診療中なんだって。見ればわかるだろう?」
おや?
患者の悩みが吹っ飛んでいってしまったようだ。
微かに彼女の頬が赤らんでいる。無理もない。
切れ長な目に、つり上がった眉。鼻梁はすっきりとして、薄い唇。
認めよう、シナガワはハンサムだ。
だが、一言だけ言わせてもらおう。
僕はモア・ハンサム。いや、むしろ美しい。
日本に来て随分になるが、元々僕は東欧出身。
少し伸ばされた髪は流れるような金色で、細みの眼鏡のフレームの奥には、珊瑚の海を思わせる澄んだ青い瞳。シルクのような繊細な肌は透明感のある白。
ビーナスが男性になったとしてもこうはいかない。それを更に磨き上げたのが、この僕だ。
ビューティフル。僕を表現するなら、その言葉すら背が届かない。
「よお」
シナガワが患者の肩に手をかけた。余りの馴れ馴れしさが目に余る。彼女もセクハラとでも言ってくれれば良いのに、顔を更に赤くして俯いた。
テンプレート的な反応に僕は少しだけイラッとする。
彼女のハートは大きく揺れているようだ。多分、彼女は現在付き合っている彼氏と別れた方が良い。彼女はそれを知っている。彼氏と別れるのを相談するのには、精神科医は適切じゃない。
それでなくとも、この所、僕に週末の予定を聞いてくる。良い機会だ。彼に押し付けてしまおう。彼女は回復するだろう。ハレルヤ。誰もがハッピーになれる気がする。
患者は戸惑いながらも、声を震わせて言った。
「な、なんでしょうか?」
シナガワとの出会いの期待に、喜びが声の中で踊っている。
シナガワはニッコリ笑った。笑顔だけは素晴らしかった。
「今直ぐ、出て行け、ビッチ」
言葉は最悪だった。
「え、え、先生。どういう事ですか? 私、診療中なんですよね?」
ああ、僕の所に戻ってきた。再び僕の患者になってしまった。残念だ。
「ええ、おっしゃる通りです。でも、あなたの症状は現在、この男が居る事で、余計に悪くなります。処方箋を書きますので、来週また来診して下さい」
彼女は名残惜しそうに僕とシナガワを何度も見直している。見比べているようだ。僕の方が断然に良い男だと思うが、彼女についてはシナガワを選んでもらいたい。
扉が閉まった。
目の前にはシナガワ。
世界が暗転する。眼鏡のガラスが鉄板に変わったしても、もう少し世界は明るく見えるはず。
帰りたい。僕の願いは軽く踏みつぶされる。
まるで、蟻を踏みつぶすようだった。
シナガワはソファーに乱暴に座った後、追い払うような手つきで、少女を僕に押し付けた。
「さあさあ、お嬢ちゃん。診察の時間だ、お前のイカれた脳を診てもらえ」
「ああ」
僕は頭が痛かった。頭痛の種が全部開花してしまったかのようだ。頭が割れてしまいそうだ。
「シナガワ、どうして君は仕事中にトラブルを持ってくるんだい? また、待合室の患者も全員追い返したんだろう?」
「まあな。でも、落ち着けよ。飽浦。精神科医なんて大した仕事じゃない。待合室の連中も薬が欲しいだけだろ?」
「君は簡単に言ってくれるけど、いずれも心のケア( care )を必要とするんだよ」
「Who cares.」(誰も気にするものか)
どうしようもない。シナガワと話をしていても無駄っぽい。彼と建設的な会話はできない。大人になろう。
今は少女の相手をしよう。彼女に向き合った。
新雪を思わせる素肌。光の祝福、眩いばかりの美しさ。だが、フリルが可愛さの中に邪悪を隠していそうだ。剣呑な気配がする。
少し、手がかかりそうだ。ニッコリ笑って挨拶をしようとすると、彼女は言った。
「ファック野郎」
「ええっと、僕は飽浦って言うんだけれど、君の名前は?」
「ファック野郎」
シナガワが顔に手を当てて、大笑いを始めた。
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「とにかく」
「とにかく?」
「愛佳ちゃんは、相当厄介だね」
橙色の長髪、金色の瞳。その時点で普通じゃない。将来、美人にはなるだろう。
ただ、その美しさは無機質な気がした。どこか音の無い、何もかもを閉じ込める。そんな感じ。
彼女の言う事によると、転生先を間違ったらしい。ゲームが始まる前に何とかしなくちゃならないそうだ。
「イル・モンド・ディ・ニエンテに行かなくちゃならない」
Il mondo di niente。イタリア語で虚無の世界。
ここが既に虚無の世界だが、彼女の言っている世界は違うようだ。
闇の滴と無の滴。
それが彼女を元の世界へと戻すらしい。
「こいつが厄介なのはわかっている。いきなりイットときた。軽く殺意を覚えたのは久しぶりだ。で、病気の名前は?」
「妄想性パーソナリティ障害、かな?」
「妄想性パーソナリティ障害? 何だ、それは?」
「パラノイア的な特徴を持つパーソナリティー障害だ」
「おいおい、頼むぜ」
彼は天を振り仰ぐようにして大声で言った。神様に不平を訴えているようにも見える。
いつものシナガワらしくない。少しイライラしているようだ。
「意味がわからない、説明しろ」
「はあ」
今日、何度目のため息だろう。
「ついでに治してくれ」
「はあ」
最高新記録は午前中に達成された。
「要するに物事に懐疑的な人格だって事だ。独裁者に多い」
「ああ、独裁者っていうのでピンときた。そうだろうな」
「おい」
愛佳が言った。ポツリというか、ブスリという感じだった。
「何だ? ん? 名前忘れた」
「愛佳ちゃんだろ?」
「ああ、そうだった。何だ? 愛佳、どうした?」
「お腹が空いた」
「へえ」
嘲笑うかのようにシナガワは顎を上げた。どうも彼は加虐趣味がある。少女相手に大人げない。
「それでお前はどうしたい? ええ、愛佳。どうして欲しいんだ?」
「ご飯を食べに行くから付いて来い」
「ほう。で、お前は金を持っているのか?」
愛佳はポケットから長財布を取り出した。
「ある」
「それ、俺のじゃないか? いつ盗った?」
「でも、食事はそいつに奢ってもらう」
彼女は僕を指差した。避けてみても、ついてきそうだ。
「僕?」
「男だったら、甲斐性みせろ。ファック野郎」
二十代女性が多く居る、ラウンジのような場所だ。
おちついた雰囲気の中、女性客達の囁きは、まるで小鳥の歌声のようだ。
ゆったりとしたソファーに重厚なテーブル。調度品も良い物を選んでいる。目につきにくい所に意匠が含まれていた。
天井は高く、淡い照明で手元が暗い。そして、僕の気持ちも暗い。
シナガワもそうらしい。
「I wanna cry」(泣きたいね)
そう言っていた。
まさかチョコレートフォンデュとは思いもしなかった。小さなレディーに男が二人。どう考えても不自然だ。
艶やかな女性達の視線を浴びながら、僕達は愛佳がクッキーをチョコレートにつけるのを見る。
バナナ、イチゴ、ぶどう、キウィにポテト。
カカオの匂いでむせそうだ。
「飽浦。遠慮せずに食えよ」
「シナガワこそ」
「いいや、俺はいい」
彼は肘をテーブルに付きながら、手元にあったイチゴを口に含んだ。
イチゴのへたを皿の上に乗せると、彼は大きく息を吐き出した。
「シナガワ、どうしてこんな事に?」
「ああ、道端に転がってたから拾ってきた」
捨て猫を拾うような気軽さだった。どういうつもりなのか?
しばらく、宙を見つめた後に彼は言う。
「奴隷市場に売ろうと思ってな」
そういうつもりか。
シナガワはアンダーグラウンドに身を置く稼業。僕が日本に来た時にも、戸籍を売ってもらった。色々世話になっている。
「だが、サイコとは思わなかった。とんだ失敗をしたものだ。これじゃ売り物にならない」
イチゴをチョコレートにつけて食べている愛佳が急に可哀想に思えた。
「なあ、シナガワ。彼女を売り物にするのは良くない。可哀想だ」
「何だ。情でもわいたか? お前が買うなら、それでもいいぜ。いくらなら出す?」
「君には良心がないのか?」
「ああ、とっくの昔に売り払ったよ。案外、安いモノだった」
「話にならない」
「なら、言うな。虚無の世界に行きたいんだろう? 俺が連れて行ってやる」
鍋が転がる大きな音がした。テーブルの上にチョコレートが川を作った。
熱せられたカカオが蒸気となって舞い、テーブルの端から垂れている。
シナガワが愛佳をテーブルから引き離す。黒に似たチョコの滴が彼女のドレスを汚した。
ハンカチで汚れを拭き取りながら、店員に冷やした濡れタイルを持って来させ、それで彼女に散った飛沫を拭っている。
指先まで丁寧に拭き、熱くなかったかと訊いていた。
僕の視線に気付いたのか、シナガワが見返してきた。
「何だ?」
「いや、何でもない」
僕は心配性のようだ。シナガワは悪も偽悪も演じるが、愛佳を売る事はない。面倒臭そうにしながらも、彼女の髪を触る手つきは、羽毛を扱うように慎重だ。
妙にイライラしている理由がわかった。
「おい」
またもや、ブスリという感じだった。
「服が汚れたから買いに行く。付いて来い。イット」
シナガワのいたわる目つきが、売ってやろうかという目つきに変わった。
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両手に買い物袋を持ち歩く僕とシナガワ。
愛佳は悠々と僕達の前を歩く。当然、手ぶら。レディーに荷物を持たせるのはマナー違反らしい。
「どこのマナーだ?」
シナガワは言ったが、聞く耳をもつ愛佳ではない。
困ったものだ。
「それにしてもシナガワはセンスがない。君のセンスだと愛佳ちゃんはゴシック人形になってしまう」
「お前には言われたくない。深紅のカクテルドレス? 何を考えている? バイラオーラ(フラメンコの踊り子)にでもするつもりか?」
僕達の意見が合致する事はなく。回った店舗も両手を越えた。飛び交うキャッシュ。少しは景気も良くなるはずだ。
試着室から出てきた愛佳を見ながら、僕達は腕組みをした。お互いの駄目だしをするが、そもそも決定的にセンスが違う。
シナガワにはセンスが無い。彼はそれを認めず、僕のセンスに問題があると言う。
夕暮れが地平線の彼方に沈もうとする頃。
雑踏が薄くなり人気がなくなった頃。
僕達は囲まれていた。どうやらシナガワのお客さんらしい。彼が抱えているトラブルは、僕達が持っている荷物の数よりも多い。敵の数はそれ以上。
「ヨウ。シナガワ、見つけたぜ」
「おやおや、南米くんだりから良く来れたな。歓迎するぜ。アミーゴス」
「よくも俺達を嵌めてくれたな?お礼はするぞ」
「来日する金が良くあったものだ。全部毟り取ってやったつもりだったがな」
南米から来た連中とやらは、顔が余計に悪人ぽくなった。怒っているらしい。見ちゃいられない。過度の怒りは人を醜くさせる。僕のエレガンスさを学んでもらいたい所だ。
シナガワは言葉を続けた。
「もっと毟っておくんだった」
とても悪趣味だ。相手を煽ってどうするというだろう?
僕は何度目のため息をついただろう。世界記録があるならば、おそらく手の届く距離まできているはずだ。
ちなみにシナガワは暴力沙汰には向いていない。誰しも向き不向きがあるというものだ。
「ヘイ、ドク。出番だぜ?」
彼が大きな口をきけるのも僕がいるからだろう。
夕食は地中海料理。魚介類とサフランの香りがする。これなら何とか食べられそうだ。ただ、オリーブオイルが少し合わない。もう少し滑らかさが欲しい所だ。
愛佳はナイフとフォークの使い方になれていないように見える。シナガワが何度も教えてみせるが、愛佳はいつもマイペース。
「うるさいぞ。イット。ご飯ぐらいで大騒ぎするな」
「レディーと言うのは食事の時は華麗に食べるものだ。ほらみろ、お前の場合、フォークに神経がいくと、ナイフがおろそかになる。ナイフの先が震えているじゃないか」
賑やかなテーブルになったものだ。ロウソクの光の下で、このような食事も悪くない。
「何を笑っている?」
鼻で笑った僕をめざとく見つけた愛佳。
「ファック野郎」
「愛佳。下品な言葉はテーブルを幼くさせる。レディーになりたければ、口を慎むものだ」
彼女は不満げな顔をしていたが、うなずいて見せた。
「良いだろう。ほら、彼の名前を言ってみろ?」
「飽浦」
ブスリという感じが、プスリという感じになった。濁りがマシになっただけでも、大した進歩だ。
「俺の名前は?」
「シナガワ」
「グッド。良い女だ」
彼女はポツリとイットと言ったが、聞き逃す事にした。何事も一日でクリアするのは難しい。
夜になり僕のベッドは愛佳に占領された。流石は独裁者。大した手並みだ。
「飽浦、ドアは開けておいてやれ」
「夜を怖がる事もないだろう?」
「いいから」
僕は両手を上げてわかったと言う。シナガワは一度言い出したら聞かない。これ以上、言葉を乗せると口論になる。
「彼女を売るのんじゃなかったのかい?」
「売るさ」
険しい目をしながら、窓の外を眺める。綺麗な夜景が広がるが、その下は俗界。何が行われているのやら。
「それがいつになるかは知らないが」
「シーバスだったかな?」
グラス二つとシーバスのビンをカウンターに置く。アイスキューブは要らないだろう。注ぐとビンの口から、心地よいウィスキーの歌声が聞こえてきた。
「妙な事になったな」
シナガワが苦い顔をして考え事をしているのは久しぶりだ。
「シナガワ、大体、答えはわかっているんだろう?」
「まあな。それに俺はタイに飛ばなくちゃならない。もう、時間もない」
「そうか。残念だな」
シーバスを飲み、ウィスキーグラスを置くと、いつもより大きな音がした。
「ああ、残念だ」
夜景の向こう側で光が踊っている。
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「なあ、シナガワ。ここらで彼女を返してやろう。君はタイに飛ぶんだろう?」
「そうだな」
シナガワはチョコマキアートを飲んでいる愛佳を見ている。
僕達はオープンテラスのカフェに居る。愛佳は椅子に座ったものの、両足が地についていない。ブラブラ動かしていたのをシナガワに嗜められていた。
彼はデミタスカップを口へと持ってゆく。エスプレッソのキツい香りは僕には合わない。カプチーノを口に含むと淡い苦みに寂しさを覚えた。
僕らしくもない。
「愛佳。良く聞け」
テーブルに肘をつき、髪をかきあげる仕草をしたシナガワ。目は正面に広がる道路に注がれている。鮮やかな赤いレンガがどこか場違いに思えた。
「お前を売り払うのはまだ先だ。とにかくお前を元の世界に戻してやる」
「そう、私は少し残念だよ、シナガワ」
薄い笑みを浮かべて、彼は鼻をならす。
「そこはとても残念だと言う所だ」
飛行機の飛ぶ音が空から落ちてくる。秋の日差しがどこか弱々しい。街路樹の葉も、そろそろ冬支度をしているようだ。プラナタスの葉が模様替えを始めている。
結局、僕達は空港で別れる事にした。それぞれの道に帰るのは、そこが適切だろうと思ったからだ。
タクシーの中では誰もが口を開かない。何かを喋りたくても、何を口にしてい良いかわからなかった。
窓に流れる景色を眺める。ビルの連なりが、後ろに流れて消えてゆく。そうだ、もう自分達の世界に帰る時間だ。
それが一刻でも遅らせれば良いのに。そんな事を思う。他愛のない事だ。
誰もが違う方向を見ている。そうだ。そもそも、僕達はそういう存在。こうして出会う事の方がありえない。
「おい、どこに行くつもりだ?」
不審な声をあげたのはシナガワ。空港前の駐車場を通り過ぎ、運転手は何も言わずに地下ガレージと入る。
「おい、聞いているのか?」
運転手は返事を返さない。ハンドルがきられる。結構なスピードでカーブを曲がると視界が揺れた。僕達の体は窓へと押し付けられた。
助手席に座っていた僕は運転手の方を向く。運転手は日本人に似ているが、どこか違う。
コカの香りがする。インディオ系の顔つきだ。肩に手をかけると、彼はうるさそうに手を払った。
「No entiendo lo que dices, hombre cara.」(お前が何言ってんだかわかんねえんだよ、色男)
発砲音がしたのと、僕の耳鳴りがしたのは同時だった。腹に何かが通った感覚。熱い。手を当てると、続け様に発砲される。鉛の銃弾が僕の体を引っ掻き回す。
「冗談だろ?」
車内に立ちこめる硝煙の香り。手を見ると、血が付いている。
僕は被弾したのか?
信じられない。とんだ油断をしたものだ。いつもならこんなはずは無かったのに。どこで気を抜いてしまったのか。
まったく僕らしくない。どうかしている。
シナガワの方を見ようとすると、車が急停車する。前屈みになっていたので、ダッシュボードに激しく頭をぶつけた。意識がどこかへ飛んでいってしまいそうだ。
扉が開かれると、そこにはシナガワの敵。南米育ちの悪党どもが立っていた。追い払ったつもりだったが、案外と執念深い。予想外だった。
息をすると口から血が溢れ出た。
恥ずべき事だ。
優雅である僕がこのような失態をおかすとは。
「下りろ。シナガワ」
「これは、これは。最期にサプライズとは、中々やってくれるじゃないか」
シナガワは愛佳を背中に庇って、車から降りた。相変わらずの余裕を見せている。どういうつもりなんだか。
「お前が今日、日本を発つというのは、調べがついてるんだよ。女を連れて頭がボケたか? ロミオ気取りが、とんだザマだな」
「たまのバケーションぐらいは、放ってくれても良いものを。よくも台無しにしてくれたものだ」
「前回は、そこの男に邪魔されたからな。ふざけた真似をしてくれたよな」
運転手に蹴飛ばされ、僕の体は地面に落ちた。うめき声をあげなかったのは流石。自分で褒めてやりたいくらいだ。そんな醜態を晒したら、恥ずかしくて道も歩けない。
「とにもかくにも、ここまでやったのは褒めてやるよ。まあ、いつもとはペースが違ったから。そう言い訳はしておこうか?」
「シナガワ。お前もここで終わりだ」
シナガワの言葉が僕を叱咤する。
「起きろ、飽浦。レディーの前だぞ! 恥を知れ!」
「ああ、そうだな。そうだよな」
僕が立ち上がろうとすると、悪党共が僕に向かって発砲した。
十の銃弾が僕の足を貫き、
十の銃弾が僕の腕を貫き、
十の銃弾が僕の腹を貫き、
「飽浦!」
一つの声が僕の胸を貫いた。
それだけの銃弾。百の銃弾を受けても、まだ立っている僕を悪党共は信じられないという顔をして見つめていた。
「そうだ。僕は飽浦だ」
シナガワはそっと愛佳を背で隠す。
「ドクター飽浦」
これからの光景はできれば愛佳には見せたくはない。だけど、もうここまでだ。仕方が無い事なのだろう。僅かな痛みが心に染みる。落とした眼鏡を踏みつぶした。
「Draculaだよ、ファック野郎!」
空港のゲート前で、僕とシナガワは小さなナイフで指を切った。傷口から血が流れ、静かに滴となって流れ落ちる。
「口を開くんだ、愛佳」
「お別れなのかい?」
「そうかもな」
シナガワの言葉の後に僕は言葉を続ける。僕達の住む世界はビターだけれども、そうでない可能性だってあるはずだ。
「どこかでまた会えるかもね?愛佳ちゃん」
「楽しかったよ」
「俺もだ」
「僕も」
血の滴を彼女の舌に垂らす。
闇の滴。
無の滴。
彼女に幸多からん事を……
それがどんな結果になろうとしても、僕達はそう願わずにはいられない。
僕達の事を忘れるのだろうが、それは言っても仕方の無い事だ。
彼女がいなくなり、僕達は別れる事にした。ハードな日常が待っている。
「ああ、そうだ。財布を持って行かれた」
「らしくない。どうしたんだ、シナガワ」
「まあ良いさ。良い女は金がかかるものだ」
「まったくだ」
アナウンスが構内に響いた。
「じゃあな。飽浦」
「そうだね。シナガワ」
タイ行きの便が飛んで行った。機体は小さくなり、彼は彼の所に戻って行った。
空港の帰り道を歩いていると、機影が僕の上を通過する。
僕はその影へと消える。
闇は闇にあるべきだ。
僕は僕の世界に戻る事にする。
Copyright (C) from リリス・サイナーの追憶 嘘つき二人 by Reght
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