人間のココロ
自作漫画短編化、第二弾目は敵キャラ主の物語。
ブログに載せたものをこっちにも出してみました。
彼女は、灰色の雲に覆われた空を見上げた。
空の上からは、無数の雨粒が地上に向けて降り注いでいる。その多くが彼女の顔の上で弾けた。
それを見て彼女は、思う。
あの日の『あいつ』も、こんな気持ちだったのだろうか――と。
彼女は、死ぬことがない人間だった。
否。死ぬことがないという時点で自分はもう、人間ではないのでは、とすら思った。
あの暗い部屋で目を覚ましてから、永い、本当に永い時を生きてきた。守護者という名の操り人形として生きてきた。当然、親兄弟のことなどこれっぽっちも知らない。
その間に他人の死は幾度も見てきた。が、そこにはなんの感情も残さなかった。ただ無感情な瞳で、骸を見下ろしているだけだった。
そんな彼女に変化があったのは、六年ほど前のことだった。
彼女の仕えている家に、新たに一人の少年がやってきた。その少年は最初、彼女を微妙に怒りと憎しみのこもった瞳で見つめていた。まあ、彼を――変な意味で――見込みがあるからと言ってここまで無理やり連れてきたのは自分だから、仕方ないと思った。
だがそのうち、彼女に向けられる視線、そこにこめられる感情に変化が生じた。忌々しいモノを見る目から、不思議な人を見る目へと変わっていたのだ。
彼女は気になって、少年に話しかけてみた。
『……なんだ』
『いや……おまえってチビのくせに無表情だなと思って』
彼女の方が首を傾げる番だった。
『私はこれが普通だと思っているが。それに、その話に“チビ”は関係あるのか?』
『大ありだ。大体のチビはもっと騒がしいし、表情はころころ変わる』
まだ十になったばかりだというのに、彼はやや上から目線で彼女にそう言ってきた。不思議な奴だ、と思いつつ、彼女は少年に返した。
『“外”の人間とはそういうものなのか。なるほど、覚えておこう』
『変わってるよな……ホント、おまえって』
少年はこんどこそ微妙な眼を彼女に向けて、言った。変わっていいるのはオマエの方ではないのか、と返しそうになったがそうすると話が終わらない気がしたので、彼女はそこで口を噤んだ。
それから彼女は、自分以外の人間に興味を持った。だから、あの少年のいる場所へ積極的に足を運んだ。
彼女から見れば、少年は本当に変わっていた。
まず、このような陰気な場所にそぐわない笑顔を浮かべる。それから、彼女からすれば常識的なことをいうと、たまにふてくされたり怒ったりする。それこそ、彼があの時教えてくれた“外”の幼子のように表情がくるくると変わった。
それを見るとますます彼らに対する興味が出てきて、彼女はある日こんなことを聞いた。
『おまえはなぜ……そのようないろんなカオをするんだ?』
『え?』
少年は一瞬、訳が分からないというように彼女を見たが、すぐに笑って言った。
『何故って言われてもなあ……ココロがあるから、じゃないのかなあ。楽しい時や嬉しい時は笑って、悲しい時や悔しい時は泣いて、ムカついて仕方ない時は怒って。
――人間って、そういうもんだろ?』
それを聞いた彼女は、思わずこんな問いを重ねてしまった。
『それじゃあ、心のない私は人間ではない……か?』
複雑な顔で肯定すると思っていた。それでもって、必死に言葉を重ねると思っていた。
しかし、彼の答えは意外なものだった。
『そんなことないと思うぞ。だっておまえ、オレと話す時、ほんのちょっとだけどいろんなカオするもん。それって、ココロがあるってことだろ?』
『――そうか?』
『そうだよ』
彼女の問いに、少年は笑ってうなずいた。
その時。何故か分からないけれど、とても嬉しかった。
――悲しい時や悔しい時は泣いて、ムカついて仕方ない時は怒って――
彼は、そう言っていた。
ならば、親しい誰かが死んだ時、人はどんな顔をするのだろう?
罪のない子供が殺されたのを知った時、人は泣くだろうか? 怒るだろうか?
彼女はその夜、血にまみれた実験室にいた。
とある実験を終えた後だった。国の中でも異例の、小さな子供を使った実験だった。
彼女は相変わらず、感情のない目で小さな骸を見下ろしていた。
その時だ。
『てめえも……実験に立ち会ってたんだな?』
やけに低い、しかし聞き覚えのある声が実験室に響いた。彼女は驚いて、ぱっと顔を上げた。するとそこには、やはり彼がいた。
なぜ彼がここにいるのか、それについてはだいたい察しがついていた。
『脱走を……するつもりか?』
無言の肯定。
その瞬間、彼女は臨戦態勢をとった。守護者の任を、全うするために。しかし、だ。
『捕まえられるもんなら……捕まえてみやがれ!!』
少年が言った時、彼の身体を青い光が包んでいた。その彼が思いきり壁を蹴り上げると、壁は音を立てて崩れ落ちる。
『……おまえっ……』
『オレは、許さねえ』
悲鳴に近い彼女の叫びを、少年の低い声が遮った。その声からは、怒りと憎しみ、そして悲しみが感じ取れた。彼女の知らない、感情だった。
少年が、続ける。
『オレは絶対、おまえらを許さねえ。いつか本気でやりあうことになっても、容赦はしねえ。
――覚えとけ、レイラ』
気がついた時、少年はそこにいなかった。ついでに、小さな骸も消えていた。
彼女は、小さなため息をついた。
「さて」
小さく声を発し、緑生い茂る中に立てられた小さな石の墓から視線を逸らす。
これを立てたのは、きっと『あいつ』だ。そしてここに眠っているのは、あの小さな骸。
ここへ来て彼女は、初めて人が死ぬということに対して覚える『悲しみ』を知ったような気がした。
だが、だからと言って何が変わるわけでもない。
彼女は、相変わらず抑揚のない声で呟いた。
「そろそろ、始めるか」
今まででもっとも残酷な、“忠犬狩り”を。
言葉にならなかった呟きは、寒空へと消えていく。
それと同時に、彼女は涙を流しながら笑っていた。
その涙の理由は彼女――レイラにも、分からなかった。
原作ですらまだ見ぬ『彼女』は、とても微妙な立場にいます。
時には主人公たちの行く手を阻む敵となり、
時には気紛れと言って彼らに情報をやる味方となる。
その時『彼女』がどのような思いでいるのか、それを本当に理解することはだれもできないかもしれません。
が、ただひとつ。確かなことがあるとすれば。
『彼女』は――この短編に出てきた――『少年』には自由に生きてほしい、と思っているのです。
なにはともあれ彼女の登場はもう少し先です。更新頑張れ自分!
以上、後書きでした。長くなって申し訳ありませんでした。




