『悲劇的に正しい結婚』
「ええ、貴方のことは好きよ……愛してるわ。
だからこそ……」
アデルは、決壊しそうな想いをぐっと堪え、エミールに告げた。
「―― この婚約の話は、ぜったいに受けられないのっ!」
それは悲痛な決断であった。
好意を寄せる幼馴染からの求婚。
ほんの数分前、あの光景さえ見ていなければ、
すんなりと受け入れていたであろう婚約の申し出。
だが、状況は一変した。
あの<先見>によって。
「やはり……
たかが子爵家の子倅では
伯爵家のひとり娘の君とは
家格が釣り合わないということか?」
アデルが、自分のことを好ましく思ってくれていることは間違いない。―― だが、この拒絶にはいったいどんな裏があるのか?
エミールは、自分の中で辻褄の合う、それらしい答えを求めた。
「違うの、エミール!
貴方はとっても素敵な紳士よ。
家格なんて関係ないわ。
だけど……だけど……」
「だけど? だけど何なんだ、アデル?
理由を聞かせてくれ!」
意味が分からないといった顔で、アデルを見つめるエミール。ほんの少しだけ、心当たりのようなものがあるにはあった。だが、それも今は関係のないものだと、エミールは考えていた。
「もし、私たちが結ばれたら、貴方は…………
貴方のことは愛してるわ、本当よ。だからこそ……
だからこそ、私たちの結婚は絶対に駄目なのっ!」
立ち上がり、唇を震わせながら、部屋から出ていこうとするアデル。
「ちょっ、待ってくれ、アデル……アデル!」
アデルの足は止まらなかった。
応接間に、ひとり残されたエミールは、
持参してきた婚約指輪の箱を握りしめながら、溜息をついた。
アデルの態度が急変するのは、過去にも幾度かあった。
突然、わなわなと震えだし、気分を悪くする。
だが、その理由をアデルが語ることはなかった。
おそらく原因は、自分にはない。
そのことも、エミールの判断を誤らせた。
エミールは深く考えず、ただ優しい言葉をアデルにかけ、
その場しのぎに慰めることしか、してこなかった。
「……いったい何だって言うんだ、アデル?」
今になって、エミールは深く後悔した。
なぜ、これまで一度も、ちゃんとその理由を訊いてこなかったのか、と。
◆◆◆
九歳。
洗礼を経て、アデルの人生は変わった。
教会での形式的な祈りが、アデルに齎したもの。
それは<神からの贈り物>と呼ぶには、あまりにも酷なものであった。
洗礼を終えた日、家族での夕餉の折に、それは目覚めた。
食事の最中、目の前に座る両親の<未来>が突如、脳裏に浮かんだ。それは、あまりにも鮮明で、すでに一度、過去に見た記憶とも思えるほどであった。
ベッドの上で衰弱しきった母のエレーヌ。
その手を両手で包み、声を殺して涙を流す父のジェラールの姿。
そこには、なぜか自分の姿がなかった。
( これはいったい何なの?)
父の相貌に大きな変化はなかった。
ゆえに、それはそう遠くない未来の光景であることを
幼いアデルにも予見させた。
<未来>が消えた瞬間、アデルは呆然とした。
目の前には、いつもと変わらぬ、暖かな食卓。
それが近い将来に、失われる……?
アデルは泣き出し、テーブルに頭を打ち付け、叫んだ。―― 「こんな未来が待っているはずがない! 私は、洗礼のせいで頭がおかしくなってしまったんだ」と。
突然、気の触れた様子のアデルに、ふたりは驚き、ジェラールはアデルを抱きかかえ、彼女をベッドへと運んだ。
―― それから半年ほどの月日が経ち、それは<現実>となった。
伯爵家の領内で流行り病が蔓延し、アデルと母が、それに罹患したのである。
腹には、アデルの弟か妹を宿し、身重でもあったエレーヌが、帰らぬひととなった。この時、アデルもまた死の神と闘っており、母の最期には立ち会うことが出来なかった。
数日後、なんとか生還したアデルは、この事実を知らされ、絶望した。半年前に見た<先見>とまったく同じ状況となってしまったことに。
これは、回避できた未来であったのか?
それとも、不可避の運命であったのか?
考えたところで、答えは出なかった。
たとえ、答えが出たところで、母が蘇るわけではないという事実も、アデルを深く傷つけた。
◇
その後も、アデルは幾度となく<先見>を体験することとなった。
どれもカップル、または伴侶との<終わりの場面>であった。ただの破局から、王の死まで。
どうやらアデルの未来視は、極めて限定的なものであるらしかった。
<先見>があり、やがて結果が訪れる。
アデルは、どの別れでも二度、悲しみを覚えることとなった。
このことを誰かに打ち明けたいという気持ちはあった。
だが、立ち会えぬまま訪れた母の結末が、アデルの口を固く閉ざした。
言ったところで、どうにもならない。
自分が結末まで、目の前のふたりに立ち会えるわけではない。
なぜ、神は私にこんなものを見せるのか?
果たして、貴方は本当に神なのか?
未来を見るたびに、アデルはふさぎ込んだ。
そんな時、いつも黙って寄り添ってくれたのが、幼馴染のエミールであった。
何も聞かず、何も強いず、ただそこにいてくれた人。
だからこそ、彼だけは失いたくなかった。
◇
エミールからの求婚の直前、アデルが見た<先見>は、これまで以上に、残酷なものであった。
それが始まった瞬間、アデルは悪い予感しかせず、両手で顔を覆った。
場面は、ふたりの結婚式。
祭壇の前に立つ花嫁姿の自分と、礼装に身を包んだエミール。
誓いの言葉を述べようとした、その瞬間、
人込みをかき分け、見知らぬ令嬢が飛び出す。
手には、鋭利に輝くナイフ。
一瞬の出来事であった。
令嬢は、何度も、何度も、エミールを突き刺す。
エミールが倒れ込むのと同時に、膝から崩れ落ちる自分。
エミールが、息も絶え絶えに、何かを告げようとする。
だが、内臓から湧き上がる血に喉を詰まらせ、そのまま彼が息を引き取る。
―― <先見>が終わった瞬間、アデルの心の中で、何かが壊れる音がした。
自分には、幸せになる権利がないのか?
このギフトは、悪魔からの呪いではないのか?
だけど、こんなことは、絶対にあってはならない。
エミールを死なせるわけにはいかない。
ひょっとしたら、警備を厳重にすれば、回避できるかもしれない。
けど、万が一があれば?
そんなリスクを、エミールに負わせる権利が、果たして自分にはあるのだろうか?
―― さまざまな葛藤の末、アデルは決心した。
この話は、なかったことにするしかない。
たとえそれが、これからの自分をさらに孤独にさせるものであったとしても。
◇
「……来てくれたのか、アデル」
婚礼の正装をしたエミールが、アデルに右手を差し出した。
アデルもそれに応え、手袋越しに、その手を握った。
「「…………」」
ふたりのあいだに、苦い沈黙の時間が流れた。
繋がれた手と繋がらない感情に、エミールが何かを口にしようとしたその時 ――
「ねぇ、エミール。ひょっとして、そちらの方がアデル様?」
無垢な白いドレスを身にまとった、アデルよりも少しだけ若い令嬢が、二人のあいだに割って入った。
エミールはうなずき、令嬢は続けた。
「初めまして、アデル様。
私は、セシル・ド・モンレーヴ。
男爵家の小娘にございますが、
此度、エミール様と晴れて婚姻を結ぶこととなった
エミール様の従妹にございます」
なぜか挑発でもするかのように、顎をしゃくらせ、勝ち誇った顔でアデルを見つめるセシル。
その時、またアデルは、例の<先見>を見ることとなった。
老いたエミールが、ベッドでいる。
そして、じっとエミールの手を握る、これまた老いたセシルの姿。
傍らには、成人した男性が二名ほどおり、
その膝元には幼い子供の姿も見える。
どこかエミールに似たその面影は、
直感的に彼の子孫であることを確信させる。
窓から、穏やかな午後の陽光が差し込んでいる。
そして、家族に見守られながら、エミールがそっと息を引き取る。
やすらぎに満ちた表情のまま。
―― そんな場面が、アデルには見えた。
「おめでとうございます。セシル様。
貴女とであれば、きっとエミールも幸せな人生を過ごせますわ」
アデルは、<先見>の変化を確かめるために、この式に参加していた。
自分の代わりにエミールと結婚する女性が、エミールの未来をどう変えるのかを。
そして、アデルは安堵した。
この選択は、間違っていなかったのだと。
自分にとっては、苦すぎる結末である。
しかし、エミールが天寿を全うし、幸福の内に家族に見送られる最期は、アデルの望んだ結末でもあった。
「今日のところは、見逃して差し上げますが、
これからは、エミールのことを気安く呼び捨てには、
しないでくださいませね、アデル様。
エミールは、もう私だけのものなのですから」
安堵と喪失感を抱えながら、そっとその場を立ち去ろうとしていたアデルに、セシルはさらに言葉を重ねた。
アデルとセシルが、顔を合わせるのは、これが初めてのことであった。
だが、自分を睨みつけるセシルの表情に、アデルはどこかデジャブを覚えた。
(この目はどこかで見たことがある。この嫉妬と憎悪を強く宿したような瞳を……)
記憶をフル回転させる。
そして、その答えに思い当たった時、アデルから血の気が引いた。
エミールと自分との結婚式で起きた惨劇。
あの<先見>で見た、エミールをめった刺しにした見知らぬ令嬢。
―― その正体が、いま目の前で勝ち誇った笑みを浮かべている、セシル本人であるということに、ようやくアデルが気付いたためであった。
―― Fin.
神が与える試練には、必ず意味がある。
アデルは、この経験を経て、この先、いったい何を成し遂げるのか?
アデルの物語は、まだ終わらない。




