第七話「気分反転」
(俺の火は、人を守れるのか)
全てを焼き尽くすのではないかと恐れていた自分の力が、ここでは「希望」として機能している。
その事実に、灰は小さく拳を握りしめた。
じわりと胸が熱くなる。これは体温ではない。喜びだ。
その時、ポケットの中で硬い何かが指に触れた。
「ん?」
無意識に取り出してみる。
それは、泥のついた**「ドングリ」**だった。
丸々としていて、どこか艶がある。瓦礫の山であるこの駅周辺では、まず見かけない自然の種子だ。
なぜこんなものがポケットに?
さっきの幻覚のような少女――座敷童子がいた場所を振り返るが、やはりそこには誰もいない。
(……お礼、なのか?)
灰はそのドングリを、親指の腹でそっと撫でた。
不思議と、指先の震えが止まる気がした。
これが後に、彼の命を救う**「小さな幸運」**になるとは知らず、灰はそれを大切にポケットの奥へと仕舞い込んだ。
「やるじゃないか、リペアマン」
背後から、パンと背中を叩かれた。
振り返ると、ウズメがニヤリと笑っている。
「へっぴり腰だったけど、筋は悪くないよ。破壊しか能がない脳筋かと思ってたけど、意外と繊細な指先してるんだね」
「……褒めてるのか、それ」
「最大限の賛辞さ。この世界じゃ、壊す奴より直す奴の方が希少価値が高いんだ」
ウズメの視線が、一瞬だけ灰のポケット――ドングリを仕舞った場所――に向けられた。
彼女の鋭い勘は、そこに微かな「霊的気配」を感じ取ったのかもしれない。
だが、彼女は何も言わず、ただ面白そうに口角を上げただけだった。
「さあ、働き詰めじゃ体が持たない。休憩にするよ」
ウズメに連れられ、灰はコンコースの一角にある休憩スペースへ移動した。
ドラム缶の焚き火を囲み、配給された缶詰を開ける。
中身は正体不明の肉だったが、空腹の灰には極上のステーキに思えた。
味は、腹が減っていたせいか一番好きだった豚肉の味がした…この謎肉いける!
「で、どうする? カイ」
ウズメが神機の画面をタップしながら尋ねてきた。
画面には、名古屋駅周辺の3Dマップが表示されている。
「ここを拠点にするなら、もっと安全地帯を広げなきゃならない。今のままだと、いつ奥から『デカいの』が湧いてくるか分からないからね」
彼女が指差したのは、駅の地下へと続く階段部分。
マップ上では真っ黒に塗りつぶされている**「未探索エリア」**だ。
「地下街……か」
「ああ。名古屋の地下は迷宮化してる。でも、そこを制圧できれば、もっと多くの人が住めるし、資材も手に入る」
灰は缶詰を置き、立ち上がった。
腹は満たされた。失っていた自信も、少しだけ取り戻した。
なら、やるべきことは一つだ。
「行こう。俺の『火』がどこまで通用するか、試してみたい」
「ハッ、言うようになったねえ!」
ウズメは嬉しそうに鈴を鳴らし、立ち上がった。
「よし、ちょいと肝試しといこうか。奥のシャッター街あたりを調査するよ」
地下への階段を降りると、空気は一変した。
湿気と、カビと、そして濃厚な「死」の匂い。
ウズメが踊るように指を鳴らすと、彼女の周囲に小さな光の玉が浮かび、ランタン代わりに辺りを照らす。
「気をつけな。この辺りは『はぐれ悪魔』の通り道だ」
慎重に進む。
壁には無数の爪痕が刻まれ、床には乾いた血痕が黒くこびりついている。
灰は拳に熱を集め、いつでも『火』を放てるよう構えていた。
だが、妙だった。
静かすぎる。
魔物の唸り声も、気配すらもしない。
「……おい、ウズメ。何か変じゃないか?」
「ああ。私の『反響定位』にも反応がない。まるで、誰かが掃除した後みたいに……」
その時、角を曲がった先で、二人は足を止めた。
そこには、想像していた戦闘ではなく、一方的な**「処刑」**の跡があった。
「なんだ、これ……」
通路の中央に、巨大な魔物が転がっていた。
全身が岩石でできたオーガのような怪物だ。灰がまともに戦えば、苦戦は免れない相手だろう。
だが、その怪物は死んでいた。
それも、ただ死んでいるのではない。
バラバラだった。
頭、胴体、腕、足。
まるで積み木を崩したように、切断面が地面に散らばっている。
灰は思わず息を呑み、その断面に近づいた。
(焼けてない……叩き潰されてもいない)
切断面は、恐ろしいほど滑らかだった。
鏡のように磨き上げられ、血管の一本一本までが、スパッと寸分の狂いもなく断ち切られている。
血さえ流れていない。
斬られたことに気づかず、細胞が活動を停止しているような、神業の斬撃。
「……真空の刃か」
ウズメが低い声で呟いた。彼女の表情から、いつもの余裕が消えている。
「カイ、離れな。これは魔物の仕業じゃない」
彼女は周囲の闇を睨みつけ、警告するように言った。
その声には、明らかな警戒の色が滲んでいた。
「ここには、私たち以外の**『誰か(イレギュラー)』**がいる」
灰はゴクリと喉を鳴らした。
熱き炎の拳を持つ自分。
だが、目の前の死体を作ったのは、熱も痛みも置き去りにする、冷徹で圧倒的な「速さ」だ。
背筋に、冷たいものが走るのを感じた。
この名古屋には、まだ見ぬ怪物が潜んでいる。
場所の良くわからない暗闇の中、恐ろしく断面の綺麗なバラバラ死体、いるかも知れない怪物、肝試し…良く言ったものだ。




