第五話「名古屋駅跡地」
道なき道を征く旅になる。
そう覚悟していた俺の予想は、良い意味で裏切られた。
「これが……新幹線?」
足元に伸びているのは、かつて日本の大動脈だった東海道新幹線のレールだ。
だが、それは俺の知る直線の軌道ではない。
球体となった世界の曲面に合わせ、飴細工のようにぐにゃりと湾曲し、空へ向かってジェットコースターのように伸びていた。
枕木の隙間からは発光する苔が生え、薄暗い黄昏の道をぼんやりと照らしている。
「『レイライン』さ。この上だけは比較的、魔物が寄り付かない」
ウズメが軽やかにレールの上を歩きながら言った。
時折、重力が不安定になる。
坂を登っているはずなのに体が軽くなったり、逆に平地で鉛のように重くなったりする。
「重力酔い」しそうな感覚を堪えながら、俺たちは黙々と歩を進めた。
どれくらい歩いただろうか。
視界の先に、巨大な影が現れた。
二本の塔が折れ、互いに寄りかかるようにして支え合う、かつての摩天楼。
「着いたよ。あれが私たちの拠点、**『名古屋・ステーション』**だ」
崩壊した廃墟を想像していた灰は、その光景に息を呑んだ。
駅前の広場には、バラック小屋やテントがひしめき合い、焚き火の煙が幾筋も立ち昇っている。
そして何より――人がいた。
それも、数人ではない。何百人という人々が、蟻のように動き回っている。
「こんなに……生き残っていたのか」
驚きを隠せないまま、ウズメに連れられて駅構内へと足を踏み入れる。
そこは、外の荒廃が嘘のような熱気に包まれていた。
コンコースの天井は崩落していたが、代わりに巨大な布が天幕のように張られ、雨風を凌いでいる。
自家発電なのか、裸電球が温かいオレンジ色の光を灯し、屋台のような店が並んでいた。
肉を焼く匂い。鉄を打つ音。人々の話し声。
そこには確かに「生活」があった。
(すごい……死んでない。この街は生きてる)
だが、灰が感動に浸っていられたのは一瞬だった。
周囲の雑踏が、ふと静まり返る。
突き刺さる視線。
行き交う人々が、足を止めて灰を見ていた。
ボロボロに焦げた服。全身から漂う「焦げ臭さ」と、隠しきれない微熱。
好奇心、警戒、そして畏怖。
(……なんだ? 俺、そんなに浮いてるか?)
居心地の悪さに身を縮こまらせる。
まるで異物が混入したかのような空気。
それを察したウズメが、パンと手を叩いて空気を変えた。
「はいはい、見世物じゃないよ! 新入りを拾ってきただけさ。仕事に戻んな!」
彼女の一喝で、人々は蜘蛛の子を散らすように動き出した。
ウズメは灰の肩を叩き、ニカッと笑う。
「気にすんな。アンタみたいな『点火』した人間は珍しいんだ。それに、ここじゃ情報は金より高い価値がある」
「金……か」
「そう、金だ。いい機会だ、教えてやるよ」
ウズメは懐から一枚の硬貨を取り出し、親指で弾いた。
キィン、と澄んだ音を立てて宙を舞い、灰の手のひらに落ちる。
それは、黒い金属の中心を、金の輪が囲んでいる奇妙なコインだった。
「それが**『縁』**。この球体世界で唯一通用する通貨さ」
「縁……これが?」
「そ。金貨だよ。ここじゃ紙切れ(お札)なんてケツも拭けやしない。信用できるのはゴールドだけさ」
ウズメは指を立てて説明を続ける。
「レートは単純。アンタが知ってる昔の10円が、今の1縁だ。水一本買うのに10縁(100円相当)くらいかな」
「10円が1縁……なるほど」
「で、こいつが財布代わり」
次に彼女が取り出したのは、画面が蜘蛛の巣状にひび割れたスマートフォンだった。
だが、ただの壊れたスマホではない。
ひび割れの隙間から、青白いルーン文字のような光が漏れている。
「『神機』。昔のスマホが、神様の力で変質しちまった代物さ」
ウズメが画面をタップすると、ホログラムのように地図が空中に投影された。
現在の名古屋駅周辺の地形が表示されているが、所々が黒く塗りつぶされている。
「通信機能はもちろん、翻訳アプリで悪魔の言葉も分かる。マップで敵の位置も見れる優れものさ。ただし……」
彼女は画面の端にあるバッテリーアイコンを指差した。
「使うには『縁』を消費するか、自分の生命力を削る必要がある。タダ飯は食えないってことだ」
灰は手の中の「縁」と、ウズメの「神機」を交互に見つめた。
金と情報。そして命。
全てがこの小さなコインと端末に集約されている。
「この駅もそうだ」
ウズメが視線を駅の奥、闇に沈むプラットホームの方へと向けた。
「表面上は賑わってるように見えるけどね、奥はまだ瓦礫と魔物の巣窟だ。住める場所はほんの一握りしかない」
「……」
「直したいんだよ。もっと奥まで安全にして、もっと多くの人が住めるように。でも、私一人の力じゃ限界がある」
彼女の言葉に、灰は胸の奥が熱くなるのを感じた。
破壊する力しか持たないと思っていた自分の炎。
だが、その炎で金属を溶かし、繋ぎ合わせることができれば――。
「……ウズメ」
灰は顔を上げ、駅の天井を見上げた。
崩れかけた鉄骨。剥き出しの配線。
それらが、自分には「修復すべき傷跡」に見えた。
「俺にやらせてくれ。……いや、やりたいんだ」
灰は拳を握りしめた。
そこにはもう、暴走する炎はない。あるのは、明確な意志の熱だけだ。
「ここをもっと、マシな場所にする。俺の火で」
ウズメは目を丸くし、それから満足げに口角を上げた。
「……へぇ。言うじゃないか、新入り」




