第十話「明日を手に入れた」
旋の気配が完全に消え、張り詰めていた空気が緩んだ、その瞬間だった。
「……ぶっ」
隣で身構えていたウズメが、吹き出した。
最初は堪えるような音だったが、すぐに堰を切ったように爆笑へと変わった。
「あーっはっはっは! いや、ごめん! 無理! お腹痛い!」
「……な、なんだよ」
灰はまだ警戒を解けずに戸惑ったが、ウズメは涙目で灰の肩をバンバンと叩いた。
「だってアンタ! さっきの大見得切ったアレ、何!? 『点火』ォッ! とか、『陽炎』ォッ! とか!」
ウズメは灰の低い声を真似して、オーバーアクションで叫んでみせた。
「必殺技の名前、叫んじゃうタイプ!? しかもなんか、すごい『練り込まれた』感じのネーミングセンス! いつ考えたの? ねえ、探索に行く前に考えたの!?」
「――ッ!!」
灰の顔が、炎の熱とは別の理由で真っ赤に沸騰した。
指摘されるまで、無我夢中だった。
だが、言われてみれば確かに叫んだ。
『点火突き』も『陽炎足』も、かつて平和だった頃、道場の隅で「もしも俺に漫画みたいな必殺技があったら」と妄想していた名前そのままだ 。
それを、あんな強敵の前で、大真面目な顔で絶叫してしまった。
(……穴があったら入りたい。いや、俺の熱で穴を掘って埋まりたい)
羞恥心で死にそうになる灰を見て、ウズメはひとしきり笑った後、ふぅと満足げに息を吐いた。
「あー、笑った。寿命が伸びたよ」
「……悪かったな、中二病で」
「いいや、最高だったよ。あいつ(旋)も、あんな熱苦しい技名を叫ぶ奴は計算外だっただろうね」
ウズメはニカッと笑い、灰の背中を強めに叩いた。
「帰ろうか、カイ。今日はもう十分だ」
地上への階段を登りきると、世界の色が変わっていた。
ちょうど、球体日本の周期的な「日食」が終わろうとしていた 。
空を覆っていた影が引いていき、北の天頂――京都方面にある人工太陽の光が、斜めに差し込んでくる。
「……綺麗だな」
廃墟と化した名古屋駅の鉄骨が、黄金色の光を受けて輝き出した。
崩れたコンクリートも、錆びた看板も、全てが温かなオレンジ色に染まっていく。
それは「黄昏帯」 と呼ばれるこの場所に相応しい、哀しくも美しい夜明けだった。
駅前の広場では、灰が直したテントの下で、人々が安らかな寝息を立てている。
日常が、そこにあった。
「ほら、じっとしてな」
ウズメが、ドラム缶に座り込んだ灰の腕に、手際よく包帯を巻き付けていく。
旋の刃による切り傷は深かったが、致命傷ではない。
「アンタ、やるじゃないか」
包帯を結び終え、ウズメがぽつりと呟いた。
「正直、死ぬかと思ったよ。あいつは『一人鎌鼬』なんて呼ばれてるけど、中身は災害そのものだ。それを初陣で追い返すなんてね」
「……追い返しただけだ。勝ってはいない」
灰は自分の拳を見つめた。
皮が焼け、煤で黒ずんだ拳。
一撃は入れた。だが、次は通じないだろう。
旋は「計算外」だったから引いたのだ。次に会う時は、対策(計算)を済ませて殺しに来る 。
「それに、あいつだけじゃない。この世界には、まだ俺の知らない化け物が山ほどいるんだろ?」
「ああ。星の数ほどね」
ウズメは遠くの空、逆さまの大地の彼方を見上げた。
「……強くならなきゃな」
灰は立ち上がり、光に包まれた名古屋駅を見渡した。
ここには、守るべき人々がいる。
直すべき場所がある。
そして何より、自分を生かしてくれたこの世界で、生き抜く義務がある。
「ウズメ。俺はここをもっとマシな場所にする。誰もが安心して眠れる、最強の『駅』に」
「大きく出たねえ。ま、アタシも乗ったよその話」
ウズメは神機を取り出し、画面に表示された「縁」の残高を確認してウィンクした。
「手始めに、ここを修復して稼ぎまくるよ。アンタの『金継ぎ』とアタシの『演出』があれば、この駅はまだまだ化ける」
灰は頷き、ポケットの中の割れたドングリを強く握りしめた。
小さな幸運と、頼れる相棒。
そして、燃えるような目的。
何も持っていなかった灰の掌に、確かな熱が宿っていた。
「改めてこれからよろしく頼む、ウズメ」
「はいはい。こき使ってあげるから覚悟しな!」
二人の影が、人工の夕陽に長く伸びる。
黄昏の名古屋駅。
ここから、榊 灰の国造り――「日本再建」の物語が始まるのだ。




