第2話
「奴隷が逃げるぞ! フィリースだ!」
「応援を呼べ! 絶対逃すな!」
騎士達の怒号が降る廊下をフィリースの生き残り達は駆け抜ける。
道を塞ぐ敵を次々と素手で屠るも、増え続ける敵の数に押し負けて何名かの仲間が剣に刺されて死んだ。
「おい殺すな! 致命傷を避けろ!」
「かあさん、かあさん!」
「大丈夫、近くにいるから」
「見るなよリアム。いい子だから目ぇ瞑ってろ」
抱いているリアムが周囲の光景を見せないよう、青年は自身の胸に顔を埋めさせる。
大人達は騎士の屍の海を作りながら廊下を抜ける。
地上へ出る。
その時だった。
眩い光が遠方から、地下牢の出口へと放たれる。
「……っ!」
「――クレアッ!」
フィリースの生き残りの中で最も優れた身体能力を秘めていた青年はリアムを抱えたまま回避行動を取る。
しかし他の者は殆どが反応に遅れる。
そしてそれはクレア――リアムの母とて同じだった。
迫る脅威に顔を強張らせるクレア。
そこへ脱走を提案した女性が駆け込む。
彼女は走る速度を落とすことなくクレアに突進する。
魔法によって生み出された高火力の光線は騎士諸共、脱獄者を呑み込んだ。
光線が引いた頃。地下牢の入口は崩れ、その周辺にいた者達は全員が跡形もなく姿を消していた。
突き飛ばされたクレアは体を起こし、リアムの姿を探す。
そんな彼女を落ち着かせるように青年はクレアへ近づく。
リアムの無事を視認したクレアはホッと息を吐くと今度は自分を突き飛ばしてくれた女性へ声を掛けようとした。
礼を述べようとして口を開く。
そして――そこで異変に気付いた。
クレアの前に倒れ込んだ女性の下から、血が広がる。
リアムとクレアの無事を視線で確認し、微笑む女性。
彼女は下半身を失っていた。
「っ、そんな……!」
「はやく、いくんだ」
明らかな致命傷。共に行くことはできないと悟った女性は生き残った三人へ逃亡を促す。
自分を庇ったせいで命を落とそうとしている仲間を見てクレアは涙を流す。
そんな彼女の背を叩き、青年は行動の選択をせかした。
「ここで足を止めればそれこそ全て無駄になる」
「……っ」
「…………リアム」
女性はリアムへ手を伸ばす。
彼女の意図に気付いて青年が屈み、その手は小さな頭へ届いた。
未だ言いつけを守り目を閉じるリアムを小さく撫でた手はすぐに力を失い、地面へと落ちる。
仲間の絶命を目の当たりにする。しかしそれに心を痛める余裕はなかった。
「あーあ、外しちゃったかぁ」
「え……っ、エセルバート殿! 殺すなという命令でしたのに!」
「えっ、あ、そーなの? やば」
「……クレアさん」
「ッ、ええ」
夜の闇から姿を見せる魔導師と金色の鎧に身を包んだ騎士。
先程の魔法を放った魔導師が生き残った三人へ近付いていた。
クレアと青年は魔導師から逃れる為、闘技場の壁へ向かって走り出す。
出口へ繋がる通路を無視した進路。しかしフィリースである二人にとって水平の壁は道にも等しかった。
後方から放たれる魔法を次々と避け、二人は闘技場の客席へ乗り上げる。
しかしそこにも数十人の騎士や魔導師が控えている。
彼らは一斉に三人へ襲いかかった。
「クレアさん、リアムと先に逃げろ」
「でも……っ」
「これくらいの数なら俺だけでどうにかなる。無事に逃げられたら後で合流しよう」
魔法を避けながら青年はリアムをクレアに抱かせる。
目を閉じたまま青年へ顔を向けるリアム。
彼の頭を青年は雑に撫でる。
「きちんと約束を守れて偉いぞ、リアム! 母さんの言うことをきちんと聞くんだぞ」
「にーちゃんは行かないの?」
リアムの問いに青年は答えない。
代わりに、微かに笑う気配をリアムの耳は拾った。
青年はリアムの胸に自身の拳を添える。
「強くなれよ〜、リアム。俺みたいな腑抜けじゃなくて、きちんとした強者になれ」
青年はリアムとクレアに背を向け、拳を構える。
その背中からは数秒までの穏やかな空気が消え、ただただ冷たい殺気だけが残されていた。
クレアはリアムを抱きながら走り出す。
彼女を狙って走り出す騎士がいた。
しかし彼の首は瞬きのうちに青年の蹴りによって粉砕される。
目にも止まらぬ速さで移動する彼はクレアを狙った敵を次々と殺していく。
そしてその場に立つ者が殆どいなくなった時。
青年の死角から一本の槍が飛ぶ。
それは人の気配がない場所から突如と現れ、青年は避けられなかった。
「これ、流石に生け捕りは無理でしょ」
貫通した槍を引っこ抜き、残された敵への攻撃を続ける青年へ一人の魔導師が近づく。
先程光線を生み出した魔導師が杖を振るう。
次々と武器が生み出されては青年の腕を吹き飛ばし、その体を蜂の巣に変えていく。
だが致命傷を与えても尚、彼は動き続け、十人の敵を屠った。
そして十一人目へ手を伸ばした時。
その脳天と、伸ばされた腕を槍が貫通した。
二つの攻撃を合図に青年の体は動きを止め、その場には静寂が訪れる。
「逃したかぁ」
凄惨な現場に立ちながら、魔導師は間延びした声で呟いた。
その視線はクレアが去っていった方角を映していた。
闘技場を脱したクレアは走り続ける。
とりあえずは街を抜け、身を隠せる森まで向かわなければと考えていた彼女はしかし、その目的を果たすことはできなかった。
突如、彼女の腹に穴が空く。
クレアは体勢を崩して転がり込んだ。
「っ、かあさん……!」
「平気よ。……リアム」
クレアは振り返る。
何十メートルと離れた場所から灯る魔法の光を見る。
自分の腹を居たのはあの魔法だろう。
何人もの魔法使いが遠距離から狙いを定めているのだ。
「目を開けて……お父さん譲りの綺麗な目を見せて?」
クレアは腕を緩め、リアムを解放する。
そして彼の頬を優しく撫でた。
開かれた大きな瞳は潤んでいた。
リアムは幼いながらになんとなく、嫌なことが起きていると理解していた。
「いい、リアム。ここから先は一人で行きなさい」
「い、いやだ……!」
「お願い。言うことを聞いて、いい子にして。……そうしたら、後で皆んなと一緒に追いついてみせるから」
耐えきれない涙がポロポロと零れ落ちる。
クレアはそれにつられないよう堪えながら言う。
「貴方はフィリース。誇り高き戦士の末裔。……この先がどれだけ苦しくても、その力と綺麗な手を汚さないで。私達を悪い人にしないで」
クレアはリアムの背中を押す。
「幸せになりなさい。リアム」
「かあさ……」
「行きなさいっ!」
これまでにない程に強い声だった。
リアムはビクリと肩を震わせると弾かれたように走り出す。
その小さな背中が遠ざかる事に安堵し、クレアは静かに微笑む。
「愛してるわ、リアム――」
その声は、背後から迫る光に呑み込まれ――掻き消されたのだった。
***
それから十年の年月が経過した。
ローブのフードを深く被った旅人は闘技場の高い壁を見上げながら感嘆の声を漏らす。
「おおっ、大きいな。こんなにでかかったのか」
風が吹く。
フードの下で赤い髪が揺れた。
「さて……」
フードに隠された瞳が静かに細められる。
青年は不敵な笑みを浮かべて呟いた。
「……始めるとしますか」




