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余命一年と宣告された私は、第三皇子様に婚約解消を申し出ましたら、拒絶されました。こうなったら残された時間を使って皇子様を教育して差し上げますわ!

 宮城の跡地の一角、今も変わらず湧水をたたえる泉池があります。この泉にまつわる、悲しくも美しい物語をお話ししましょう。




「姫君には死の呪いがかけられております。満一年を待たず、その命は尽き果てましょう」


 宮中の占い師の厳かな声が、私の耳に冷たく響いた。羽麗うれい、それが私の名前。第三皇子の総王奕鶴えきかく様の許嫁であり、未来の皇子妃になる身。総王様とは深く愛し合っているけれど、この予言は、あまりにも残酷だった。呪いを解く方法はないという。


「総王様、どうか婚約を解消してください」


 私は、愛する人を悲しませたくない一心で、この一年という短い余命を一人で静かに終えようと決意した。でも、目の前の彼は、いつものようにきりっとした眉をぴくりとも動かさず、静かに首を横に振った。

「絶対に嫌だ」


「ならば、」


 まさかの返答に、私は思わず声を震わせた。頑固で融通の利かない彼らしいけれど、どうしてそんなに無茶を言うのだろう。私は残された力を振り絞り、最後のわがままを伝える。

「ならば、残された時間を、私の好き勝手に使わせていただきます。このわがままに、どうか付き合ってください」


 総王様は少しだけ驚いた顔をしたけれど、やがて優しい微笑みを浮かべた。

「よかろう。お前のしたいこと、全部に付き合おう。だが、婚約は解かぬ」


 その言葉に、胸の奥がきゅっと締め付けられた。この一年で、私は総王様を立派な政治家に育ててみせると、心に誓った。堅物で世間知らずな彼を、もっと多くの人に愛される皇子様にしてあげるんだから!


 それからというもの、私の奇行が、都の話題をさらった。

 まず、重くて動きにくい綾絹の衣を脱ぎ捨て、艶やかな黒髪をばっさりと切り落とした。だって動きやすい方がいいもの。

 そして、男装して、粗末な服を着させた総王様を連れ出し、腕を組んで雑踏を闊歩し、宮城の中では絶対に食べられない、庶民の甘くて美味しい菓子を頬張った。

 初めは「これは皇子たる私のすることではない」と渋っていた彼も、貧しい区画を訪れ、人々の暮らしに触れるうちに、その硬い表情を少しずつ和らげていった。

「なぜ、このような場所へ……」と戸惑う彼に、私は満面の笑みで答えた。

「都は宮城の中だけではございません。総王様には、ご自分の目でこの国の全てを見ていただきたいのです」


 総王様の瞳に、今まで見たこともないような光が宿っていくのが、私にとって何よりの喜びだった。


 都の人たちは、最初眉をひそめていたけど、次第に私たちの姿に笑顔を見せるようになった。


 でも、呪いは確実に私の体を蝕んでいった。血を吐き、床に伏す日が増えていく。

 一年が過ぎる直前、私はもう動けなくなった。彼は私の細い手を握りしめ、涙を流しながら「私が、絶対にお前を死なせはしない」と言ってくれた。


 その声が、私の耳に届いたのが最後だった。


「もう思い残すことはありません。この一年で学んだことを活かして、立派な政治をなさってくださいね」


 そう言い残して、私は彼の腕の中で、静かに息を引き取った。




 今も風が吹くと、池の水面が悲しげに揺れるのでございます。


 最愛の人を失った総王の悲しみは、やがて狂気にも似た執念へと変わっていきました。彼は羽麗の遺言を胸に刻み、彼女が願った通り、優れた政治家となるべく政務に打ち込みました。その才覚は認められ、羽麗の死から五年後、王朝の重職である尚書令を任されるまでに至ったのです。


 しかし、彼の心の奥底には、決して癒えることのない空虚さがありました。羽麗の「立派な政治をなさってくださいね」という最後の言葉は、彼にとって呪いそのものだったのです。彼女の願いを叶えるたびに、彼女のいない現実が、総王を苛みました。



 彼は政務の合間を縫っては、国中の道士や方術師を密かに集め、古の禁術を解き明かすことに身を投じていきました。その瞳には、羽麗を取り戻すという凍えるような執念が宿っていました。書庫にこもり、血の滲むような研究を続ける日々。ある夜、総王は膨大な呪術の歴史書の中から、羽麗を救う一条の光を見出します。それは、魂を肉体に繋いだまま眠らせるという古代の呪いでした。この術こそが、羽麗の命を奪った呪いであると確信した総王は、解呪の方法を求め、さらに深く禁忌の書を読み解いていきました。


 呪いをかけた犯人は、総王が密かに手なずけた宦官からの報告により判明しました。それは、父である皇帝の後宮にいる、皇帝の夫人の一人の婉修儀えんしゅうぎでした。


 婉修儀の実家は、代々呪術をもって王朝に仕える古い貴族の家柄です。一族の娘は皇帝を守るために後宮に入る習わしでした。

 彼女もまた、祖父ほども年の離れた皇帝に嫁がされ、孤独な日々を送っていました。その中で、若く、凛々しい総王だけが、彼女の唯一の心の光でした。それは、愛というにはあまりにも歪で、希望というにはあまりにも絶望的な光でした。やがて彼女は、将来を占う才によって、皇帝の死が遠くないこと、そして次の皇帝が第三皇子の総王であることを知ります。

 その時から、婉修儀は、義理の息子の皇后に収まるという倫理に反した野望を抱くようになりました。そのために、総王の婚約者である羽麗の存在が、どうしても邪魔だったのです。彼女は羽麗に、一族に伝わる「永遠に眠り続ける呪い」をかけ、総王を独占しようとしたのでした。


 総王が婉妃を捕らえた時、彼女は自らの野望が潰えたことを知りました。ですが彼女は嘲るように言ったのです。

「殿下は、羽麗しかご覧にならない。私がどれほどお慕いしていても……。ならば、いっそ、永遠に殿下だけのものにして差し上げようと思ったまで」


 狂気ともつかぬ愛を語る婉妃は、解呪の法を明かそうとはしませんでした。

「総王は九重の主おなり遊ばします。しかし、もっとも望むものは、決して手に入れることできないでしょう」

 婉修儀は、そう呪いの言葉を総王に投げつけました。総王は彼女の言葉を無視し、冷たい瞳で一言「だまれ」とだけ告げ、その場を後にしました。


 総王は、婉修儀の一族を七族まで誅滅させ、彼女の一族の禁断の書を没収しました。その書には、一族が編み出したおぞましい呪術の歴史と、羽麗を仮死状態に陥れた秘術の詳細が記されていました。解呪に必要なのは、呪いをかけた者の血。総王は、呪いの反動で死ぬこともできず、肉体が腐り落ちる苦しみを味わう婉修儀から血を採り、それを術の触媒としました。


 羽麗の墓前に立った総王は、冷たい石棺に語りかけました。

「羽麗、戻ってこい。犯人は捕らえた。お前を苦しめた呪いは、私が解く」


 彼は儀式を始めました。それは、国中の霊脈を強制的に吸い上げ、凝縮した「龍脈の霊薬」を生成し、その膨大な力を一気に解き放つという、恐るべき大術でした。総王が呪文を唱えると、大地がうなり、空が裂けるような轟音が響き渡りました。墓所を覆い尽くすまばゆい光が収まったとき、羽麗は棺の中でゆっくりと目を開きました。


 一方、呪いの代償をその身に受けた婉妃は、死ぬこともできず、肉体が腐り落ちながら生き続けるという責め苦を受けました。彼女は今もなお、この苑池近くの地下牢に閉じ込めれていると伝えられています。




 二人は再び結ばれ、幸せに暮らしました。……と、物語はここで終わるはずでした。


 その後、総王は二人の兄皇子が同日に謎の急死を遂げたあと、皇位につきました。新皇帝は民情を知る慈愛に満ちた善政を布きました。しかし、都では奇妙な噂が囁かれていました。


 皇后を蘇らせるために行われた大術は、国土の霊脈を枯渇させ、彼女の墓所の周りを草木一本生えぬ死の大地と化してしまったこと。

 二人の兄皇子が亡くなる直前、総王妃が彼らの諱を不気味につぶやいていたこと。

 そして、何よりも恐ろしい噂は、「皇帝陛下は、亡き妃への想いを断ち切れず、黄泉の国から、よく似た何かを連れ帰ってしまったのだ」というものでした。


 還魂した羽麗は、確かに羽麗でした。しかし、総王が蘇った彼女を愛そうと努めるほど、些細な違和感が日に日に彼の心をむしばんでいきました。



 かつてあれほど愛おしそうに庭の小鳥を眺めていた彼女は、今はただ無感情に見つめているだけでした。その姿は婉修儀の部屋に踏み込んだ時の彼女の姿に、恐ろしいほど重なって見えました。


 都の盛り場で過ごした思い出を語りかけても、どこか上の空で、まるで初めて聞く物語のように「さようでございますか」と相槌をうつだけ。


 そして、決定的な出来事が起こりました。ある夜、彼女が何気なく書き付けた文字が、教養を感じさせる流麗なものであったのです。かつての羽麗の文字は、風に舞う花びらのように伸びやかで、彼女の奔放な性格そのものでした。しかし、蘇った彼女の筆跡は、婉修儀のそれを思わせる、冷徹なまでに整った美しさがあったのです。皇帝は、震える手でその筆跡を見つめ、自分が黄泉から連れ戻したのは、本当に羽麗だったのかと疑い始めました。


 皇帝は昔、二人で通った市井の食堂の料理人を呼び寄せ、羽麗の好物であった甘い菓子を作らせました。大皿に盛られた菓子を彼女の前に差し出すと、羽麗は、かつてあれほど目を輝かせたその菓子を、まるで穢れたものを見るかのような冷たい目で見つめました。そして、細く白い指で、大皿の菓子を一つ、まるで蟲を払い除けるかのように無感情に弾き飛ばし、一言「要りませぬ」と呟いたのです。


 その声と眼差しの冷たさに、皇帝は凍りつきました。そして、その夜、隣で眠る彼女の寝息が、まるで水中で藻掻く人々の、途切れることのない断末魔の叫び声のように聞こえ、皇帝は全身の毛が逆立つほどの恐怖を覚えたのです。まるで、黄泉の底から、無数の魂が彼女の身体を通して、この世に現れ出ようとしているかのように。


 愛する者を失った悲しみは、時に人を常軌を逸した偉業へと駆り立てます。しかし、黄泉路の扉をこじ開けたとき、そこに立っているのは、もはや愛したその人ではないのかもしれません。ゆきすぎた執着は愛する相手をも不幸にし、そして自分自身も奈落の底に突き落としてしまうものなのかもしれません。


 王朝が滅び去った今も、宮城の跡地の泉からは、風の強い夜になると、女の苦しむような声が聞こえます。それを婉修儀の叫び声だと言う者もあります。あるいは、それは、黄泉の底から蘇り、己の身体に囚われた、もう一人の女の、苦悶の声なのかもしれません。

 そして、それを聞いた者はこう呟くのです。「あの泉のほとりに立ち、愛する者を連れ帰ろうと決めたあの男の執念こそが、真の呪いだったのではないか」と。

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