願ったこと
生き返って、と願った。
父の経営する病院で、祖父が亡くなったときのことだった。よく遊んで可愛がってくれていた祖父の死を受け入れられなかった七歳の頃の私は、そう願った。祖父の冷たくなった手を握って、強く、強く。そうすると、死んだはずの祖父が起き上がり、再び動き始めた。生き返ったのだ。そのときの感動を、私は生涯忘れることはないだろう。全身を貫いた衝撃と、私は何だってできるんだ、という万能感。私は魔法使いになったのだ。
この世界には魔法が存在する。魔法は努力や才能にはよらず、ある日突然、どんな人にも無差別にその身に宿る。その数はごく僅かで、けれど世の中の在り方を根本的に変えるような効果をもたらす。私の魔法は死者蘇生。当然その事実は家族間で秘匿された。特に私は病院の家の娘だった。たとえ患者がどんな理由で死んだとしても蘇生できる。元々経営に難があった父の病院は、たちまち奇跡の病院だと評判になり、人気になった。私が魔法を使う回数も年々増えていった。幼い頃の私は、まるで自分がヒーローになったつもりだった。
私が蘇生した人が人を襲うようになった。そのことに気が付いたのは十二歳の頃だった。一年ほど前から全国で通り魔事件が頻発していた。その事件の加害者の共通点が、皆私が蘇生した人物だった。事件が起きたのは、私がそのことを両親と話そうとしていたときのことだった。病院にいた両親が祖父に殺された。周りにいた病院の職員も患者も見舞客も何人も殺された。そして祖父は自らの命も絶った。私が蘇生して事件を起こした加害者のいずれもが事件後に自殺していた。
私は母方の祖父母の家に引き取られて生活することになった。それから二年近くの間記憶が曖昧になって、抜け殻のように生きていた。精神科に通院して気力体力ともに持ち直してきたのが十四歳の頃。今から一年前のこと。世間ではその間も通り魔や無理心中、自爆テロ事件が増加の一途にあって、その加害者の多くが私が蘇生した人物だった。警察や世間が加害者が共通して同じ病院にかかっていたことに気が付いて、私を訪ねて祖父母の家に捜査関係者や取材が大勢やってきたが、魔法のことは絶対に言わなかった。言えなかった。連日の取材に体調を崩してしまった祖父母を見かねて、私は高校入学とともに一人暮らしをすることになった。
そして今、私は蘇生した人物を調べてまとめている。彼らの行方を追うために。いずれ事件を起こしてしまうかもしれない彼らを、どうにかして止めるために。
まずは病院のある同市内から。そのため家も高校も同じ市にした。四月の初め。私、智枝乃亜の新生活が始まろうとしていた。
変わりたい、と願った。
私は包丁だった。その前は牛、その前はバケツ、その前は人。その前は何だっただろうか。私は変身の魔法使いだった。魔法使いと言っても、私は変身を完全に意のままに操れるわけではなく、流れ流れて今は包丁になっていた。
それは突然の出来事だった。私はある四人家族の家の包丁だった。四十代ぐらいの夫婦と中学生と小学生くらいの兄妹、仲睦まじく暮らしていた。私はいつ何に変身するかいつもスリルを味わっているのだが、このときのスリルはまた一味違ったものだった。家に知らない人が入ってきて、まずは父親、次に母親を殺した。そして後ろから襲いかかってきた兄を、持っていた私、包丁で刺し殺した。そのとき、私はその兄に変身した。それを目にした殺人鬼は驚く素振りも見せず、なぜか自ら首を切って自殺した。私は慌てた。こんな現場に居合わせたのは初めてで、さらにこれはチャンスだと思ったから。私は急いで兄の遺体を隠すことにした。バラバラに切断して家の裏庭に埋めることにした。ちょうど深夜だったし、周囲に家は少なかったので誰にもバレなかったことだろう。ただ一人を除いて。
「にい、さん?」
「……何だい、ソラ?」
「何、してたの?」
「外の空気を吸ってただけだよ」
「お母さんと、お父さんが」
「うん、すぐに救急車を呼ぼう、それから警察も」
「なん、で」
「ん?」
「なんで、笑ってるの?」
「……いや、何でだろうね」
久しぶりの人生が嬉しくて嬉しくてたまらなかったからだ。
それから私はこの少年、フジミネリクトとしての人生をスタートさせた。
都合のいいことに、変身の魔法は変身した人間の記憶まで読み取って成長する。だから私がフジミネリクトとして生きていくことは大して難しい話じゃなかった。現在十五歳。四月から高校生になる。妹の空は十三歳。中学二年生になる。お兄さんの人生を貰い受けている身でもあるわけだし、せめてこの妹だけは何とか面倒を見てやらないといけない。あとはまあ普通に、真っ当に生きていこうと思っている。
それにしてもあの殺人鬼。テレビのニュースで知ったことだけど、今世間を賑わせている病院にかかったことがあるらしい。曰くショッカー病院。その病院に入院した者はその後人を襲うようになると噂されている。そんなこと普通ならあるわけないと考える。でも私は変身の魔法使いだ。おそらくそういう魔法もあるんじゃないかと思う。人に人を襲わせる魔法。もしそんなものがあるとしたら迷惑極まりない。とっととお縄にかかってもらいたいものだ。もちろん、この少年とその両親のためにも。
声を聞きたい、と願った。
お腹から大量の血を流している、だんだん冷たくなっていく両親の手を握りながらそう願った。強く、強く。両親の唇はすでに青紫色で微動だにしなかったが、私はそのとき声を聴いた。死にたくない、と。まだ死にたくない。陸都と空に会いたい。両親の願いを私は聴いた。耳鳴りがするほどの強い声を聴いたのだ。やがて、願いは聴こえなくなった。両親は亡くなった。殺されたのだ。ある日突然、全く面識のない人に家に入られて襲われて。その人も両親を殺した後に自殺した。殺したい、殺したい、と願いながら。どうして両親を殺したのかは、何一つ分からなかった。
これは後から知ったことだが、一年くらい前から頻発していた通り魔殺人事件の加害者の多くが同じ病院にかかっていたらしい。そして私の両親を殺した犯人も同じ病院にかかっていたという。病院が関係しているかどうか、確たる証拠は何もなかった。私はどうしても理由を知りたい。犯人が私の両親を殺した理由を。両親が死ななければならなかった理由を。私はあれから人の願いを聴くことができるようになった。強く、強く、声を聞きたいと願うと、その人の願いが聴こえてくる。私は魔法使いになった。だからこそ思う。人に人を襲わせる魔法。もしもそういう魔法使いがいるなら、私はその人を絶対に許さない。そして、私のような悲しい思いをする人がこれ以上増えないために、通り魔を未然に防ぐことができたらと思うのだった。
もう一つ、私には気がかりなことがある。兄のリクトのことだ。事件のとき、兄は裏庭にいて、何かを埋めていた。それが何だったのか私は知っている。兄だ。兄は兄自身を裏庭に埋めていた。兄は殺人犯に向かっていって包丁で刺されて動かなくなった。そう思ったら、次の瞬間にはもう一人の兄が兄を抱えていて。私は今も裏庭を掘り返すことができないでいる。あれからの兄はそれまでの兄とどこか違う。時折演技がかった、他人行儀のような印象を抱かせるようになった。そして一番はその願いだ。バレたくない。私と一緒にいるとき兄からそんな願いが聴こえてくる。魔法のことは兄にも誰にも話していない。魔法使いは公言しない。それが世の中の暗黙の了解だった。私もそれに倣った。そして兄もまた何らかの魔法使いになったのだ。分身の魔法? 分からない。兄に魔法のことを聞いたことはない。どうしてか。あのとき刺されて動かなくなった兄が、本物だったとしたら。そう思ったら、本当のことなど聞けるはずもなかった。
生きたい、と願った。
私は猫だった。猫に変身して生きていた頃の話。私は道路を横断したときに不注意で車に轢かれてしまった。追突されて、飛ばされて、地面に叩きつけられた。そのまま死ぬと思った。生きたいと願った。このまま死にたくないと思った。どうせなら、人の姿に戻って死にたいと。昔、まだ私が私だった頃の、自分に戻って死にたいと。それは叶わぬ願いだった。二度、他のものに変身してしまえば後戻りすることはできなかった。そんなこと魔法が教えてくれるわけはなく。気付いたときには手遅れだった。でも、そうか、猫か。猫で死ぬのか私は。薄れゆく意識のなか、私は泣いていただろうか。笑っていただろうか。そんな余裕もなく、ただ目の前が暗くなっていくのを眺めていただろうか。もはや思い出せない。でも、覚えていることがある。あの青みがかって見えるセミロングの髪、こちらを憐れむ緑がかったような瞳。真っ白い肌。あの顔。死神か天使か。かわいそうに、まだ死にたくないよね、と言ったときの、無機質な声。私はあのとき確かに一度死んだと思う。目覚めたとき、そこは道路のそばの公園のベンチで。まるで昨日のことは夢だったように体は無傷だった。けれど目の前に深めの皿に入った水が置いてあったことと、昨日嗅いだ気がした匂いの残滓に、確かに昨日私は一命を取り留めたのだと実感した。あの少女は何者だったんだろう。魔法使い? だとしたら傷を癒す魔法? それとも蘇生? 何にせよ、私はお礼が言いたい。そのおかげで今こうしてフジミネリクトとして生きることができているのだから。




