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一章 帰郷・3

扉から響いたノックの音にアディスは目を通していた書類から視線を上げた。

「どうぞ」

「失礼します。旦那さま」

入出したリンダは丁寧に頭を下げ机に向かっていたアディスの前に立った。

「お呼びでしょうか」

「すまない。こんな夜更けに呼びつけてしまって。…そこに掛けなさい」

アディスはリンダに席を示し、自らもリンダの正面にあたる席に腰掛けた。


―――フェ―ルンの主アディス・レイ・ヴィランはココがふれまわったように、約二年ぶりに城館に戻った。早朝の帰りだったために城中てんやわんやの騒ぎになったがアディスは家族たちに挨拶し、朝食も共にしたがその後食事もそこそこに書斎に引き篭もってしまった。アディスの慌ただしいさまにリンダやヨナも拍子抜けしてしまったが――書斎を訪ねたが侍従に柔らかな物言いであったが、追い返されたのだ――侍女長のソフィアに促されてしまったのでそれぞれの予定に取り組まざるをえなかった。ふたりの予定とは国史や数学などの講義やダンス、芸術など一般教養の勉学を受けることだ。といってもそれぞれ別の教師に教えを受けているため一緒に授業を受けているわけではなかったが。ふたりがともに受ける講義と言えば、ふたり専用の個人教師のリーナス・セオ・アルヴィト―の講義だけだろう。

リンダもヨナもけして暇なわけではなかったため、結局は胸に疑問を抱いたまま一日を過ごすことになったのであった。そしてアディス、そして奥方のアントーニアもなぜか夕食に姿を現さなかったため、リンダの疑問は深まるばかりだった。

母のユリスに問い掛けても煮え切らない、おざなりな言葉しか返ってこなかったのでリンダはとりあえずは好奇心を胸に押し込んだのだが――


―――ともあれ。

夜になり、私室に戻り、寝床に入ろうと侍女たちをさがらせたリンダをそっと訪ねてきた者がいた。

「え…旦那さまが私を?」

「はい、リンダさま」

微かに緊張した声で答えたのはアディスつきの侍従のミシェル・マルキア(ソフィアのひとり息子だ)だった。

ミシェルは、茶色のふわふわした巻き毛にぱっちりとした目のという可愛らしい容貌の少年だ。ややきつい顔立ちのソフィアにまるで似ていないミシェルだったがまだ十四歳なのにも関わらず、アディスづきの侍従として勤めていた。ミシェルも皇都にアディスの侍従として同行していたため、リンダも顔を見るのは久しぶりだったのだ。ミシェルは礼儀正しく夜遅くにたずねた非礼を詫び、再会の挨拶を述べた後にアディスがリンダを内密に呼んでいる旨を伝えた。

「すぐに行くわ。…ああでも寝巻きのままなの、少し待ってくれない?」

ミシェルはなぜか僅かに視線をそらして話を聞いていたが、その言葉に目をリンダにそろりと向けた。ミシェルは頷きかけたがふと頬を染めて「お待ちしています」と言ったきりまた目をそらしてしまった。




-----

「さて…リンダ。こんな夜更けに話を聞くのは辛いだろう…だが少々長い話をしなければいけない」

すまないね、といったアディスにリンダは慌ててふるふると首を振った。

「いえ、旦那さま。私は平気です」

リンダはミシェルから言伝を聞いた時点で、昼間収めた好奇心が心にあふれ始めていたので僅かに表情に好奇心をにじませた。

アディスはそんなリンダを見てかすかにためらうように目を伏せたが、意を決したのかヨナによく似た青い目を再びリンダに向けた。

「―――おまえにひとつ、重大なことを頼みたい」

「重大な、こと…」

アディスはそこで言葉を切り、つとめて無表情になると口を開いた。

「―――第一皇子、アリオス殿下付きの侍女になってもらいたい」

その言葉に、リンダは緑の瞳を見開いた――。







同時刻。

『それ』は平伏し、額を地面にこすりつけている彼らに感情の読めないまなざしを向けたが、ふと微笑んだ。

「そう萎縮しないでいいよ、私は<あの方>の気まぐれを告げにきただけだから」

『それ』の言葉に平伏していた者たちに緊張が走った。

「恐れながら…それは」

沈黙を破り、彼らの中で一番前で額づいていた老人ががたがたと震えながら問い掛けた。


「―――この国に<あの方>がささやかな種をまいた。その種を育てるのはふたりの子ども」

『それ』は笑みを消し、奇妙な、どこか遠くを眺めているかのような表情で唐突に口を開く。

「子どもたちのひとりは、アージェに選ばれた<輝く日の御子>。もうひとりは、アルフュスに選ばれた――きみの孫娘だ。――ユンの族長のサイ・ユン」

言い終えると、『それ』は己の、この世のものではないようなその紅い瞳を老人に向け、謎めいた微笑みを浮かべた。


補足

アージェ、アルフュス:リンダやアリオスの住む世界の双子の兄弟神です。<聖戦ロイア>と共通の神々の名前になります。

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