一章 帰郷・2
リンダ・ベルデ:カストール公爵の養女。十二歳
ナイゼル・ヨナ・ヴィラン:カストール公爵子息。リンダの又従弟。十二歳
ココ・クル:フェールン城の下働きの少年
闇の中で『それ』は静かに覚醒した。
『それ』は緩慢な動作で瞳を動かすとそこが自らが寝床と定めている場所であることを確認し、再び目を閉じた。
今、<視えた>ものは『それ』の探究心をおおいに刺激するものだった。
「<あの子>と、<輝く日の御子>の運命が、動き始めた…」
これだから、人間には飽きない。――『それ』はぼんやりとした意識の中で思う。自分たちよりも脆弱で、愚かな存在なのに、時々自分たちをハッとさせるようなことをあっさりしてしまう。
「これも<あの方>の気まぐれか…はたまた別の方々の御意志なのか…」
まあ、いい。『それ』は薄く笑った。
――運命が動き始めた。
変革が、始まる。
‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
ココ・クルは朝の爽やかな空気の中で鼻歌を歌いながら正門前で箒を動かしていた。ココの仕える城館・フェールンは賑やかになり始めていた。この城に住む貴族の朝は意外と早い。二年前から皇都アジェに行っている主人が不在でもそれは変わらない。
ココがしばらく石畳を掃き清めていると、視界の端にキラッと光るものが映った。
「んっ?」
ココは目を瞬かせると緩やかな丘になっている前方を見回した。今の季節では見慣れた、サリューの花が道のあちこちで咲き誇っている。
「んー気のせいかな?」
ココは手を止めて再び見回した。…と、丘の方で再びキラッと何かが光る。
「まただ…あっ…」
ここからではまだ点のようにしか見えないが、あれは、あの紋章は――
「だ、旦那さまの馬車だ…。旦那さまの、お帰りだ…」
箒を落としたことに気づきもせずにココは震える声で呟いた。
「あ………」
さっとココの瞳に歓喜の色が宿った。くるりと身を翻しかけ、慌てて箒を拾い上げると一気に走り出した。
門をくぐり、ココは城館の裏手の使用人用の入り口をするりと通り抜け、一番近い厨房に飛び込み、忙しそうに働く人々に向かって声を張り上げた。
「帰ってきた、旦那さまが、帰って来たよッ!」
それだけ言うと使用人たちの反応を見ずにココは厨房を出て使用人棟とヴィラン家の人々の住む棟を繋ぐ通路へ向かった。…厨房からはどよめきが聞こえ、やがてそれは歓声に変わった。
通路を通りながらココは興奮して上気した顔のまま、大声を出した。
「ヨナさまあ、リンダさまあ!旦那さまがっ、旦那さまが、お帰りになられましたよっ!」
ひんやりとした通路にココの声が響いた。
リンダは、遠くから微かに聞こえてきた言葉に自分の名前があることに気づき、本から顔を上げた。
「ココ…?」
リンダは呟き、しばらく耳をそばだてていたがもう声は聞こえてこなかった。リンダは本に目線を戻したがさっきの声が気になり、集中できなくなったので本を閉じて腰掛けに置くと私室の扉へ向かった。すでに寝巻きではなく、室内着に着替えている。扉に手を掛けかけたとき、コンコン、とノックが聞こえた。
「誰?」
侍女長のソフィア・マルキアが現れるには少し早い。時計を確認したから確かだ。神出鬼没、変わり者と言われている個人教師のリーナスだろうか。彼なら突然の来訪もやりかねない。
「僕だよ」
予想外の人物の声にリンダは拍子ぬけしたが扉を開いた。
「ヨナさま…」
同い年の又従弟、ナイゼル・ヨナ・ヴィランのあどけなさを残した、母親似の顔が目に入ってきた。
「おはよう、リンダ姉さん」
ヨナは父譲りの青い目をキラキラさせて挨拶した。リンダちょっと眉を上げた。…この美しい又従弟が自分を姉さん、と呼ぶときは必ず<何か>があるのだ。
「おはよう…どうしたの?」
「ココの声、聞こえた?」
「ええ…」
「ココがいい知らせを持ってきてくれたよ。父上が、帰ってきた」
ヨナは青い目にどこか面白がっている光を浮かべて、にやっと笑った。
やっとリンダとヨナさまが出ました
冒頭のお方は…いずれ正体は分かります。ある意味ではこの話のキー・パーソンなので…
次話はヴィラン家の穏やかな日常+アディスが皇妃アヴィーナの依頼を明かす…みたいな感じになる予定です。
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