一章 帰郷・1
リクスル皇国は大陸南部の肥沃な土地を有する強国である。周辺諸国を挙げてみるとローディア、ライドール、セルイアなどがある。カストール公爵アディスが治めるカストール地方は皇都アジェから馬の足―もしくは馬車―でだいたい二日の距離だ。かつては皇領であったカストールは湖と森林が大部分を占める領地であり、王侯貴族の離宮、別邸もちらほらと点在している。
そんな中でひときわ目立つ美しい城館が建っている。カストール公の居城、フェ―ルン城だ。
フェ―ルン城に住むカストール公爵の直系の家族は少ない。もともとカストールのヴィラン家が驚くほど少子な家系で、カストール公アディスの家族は母、妻に息子一人、従弟の忘れ形見の娘、従弟の妻だけである。アディスには兄弟はなく、夫を無くしたアディスの母のシルヴィアはカストールの山奥にひっそりと建つ別邸に隠居している。
フェールンに住むヴィラン家の五人を簡単にまとめてみると――
アディス・レイ・ヴィラン。カストール公爵、皇室補佐官。ヴィラン家当主であり第十四皇位継承者でもある。アディスは先代皇王オスカーの従兄の子であるからだ。茶髪に青い瞳の持ち主だ。
アントーニア・アルヴィト―・ヴィラン。カストール公爵夫人。隣国ローディアの女王オクタヴィアの従妹である。アントーニアの生家はローディアの名門アルヴィト―家だ。
かつてローディア宮廷を従姉オクタヴィアと共に騒がせた美貌の持ち主で亜麻色の髪に金茶の瞳の持ち主だ。
ナイゼル・ヨナ・ヴィラン。カストール公爵アディスの息子。第十七皇位継承者。今年十三歳になるナイゼルは王立学院に入学することが決まっている。リクスル皇家とローディア王家という至高の血をひく稀有な少年である。容姿は母親似の美しい顔立ちで瞳だけは父の青を受け継いだ。ゆえあってごく親しい者だけがナイゼルを<ヨナ>と呼ぶため、表記は<ヨナ>で今後統一する。
リンダ・ベルデ。ヨナの又従姉に当たる十二歳の娘だ。父のヨナ・ベルデ(ナイゼルのミドルネーム兼愛称の〈ヨナ〉はヨナ・ベルデをあやかったもの)は、母が――つまりリンダの祖母が――アディスの父の妹であるためにアディスとは従兄弟同士になる。ヨナ・ベルデはリンダが七歳の頃に病死してしまったが…。母のユリス・ベルデが〈森ノ民〉であるためリンダはリクスル人と〈森ノ民〉のハーフになる。〈森ノ民〉の象徴の黒髪と緑の瞳をユリスから受け継いだリンダは容姿は完璧な〈森ノ民〉に見えた。リンダの母ユリスは美貌の持ち主であり、娘のリンダは幼いながらも母の美貌を受け継いでいた。…ただ、眉の形や目もと、当惑したときにぎゅっと引き締める口もとはヨナ・ベルデに驚くほどそっくりだった。リンダは父を亡くしてからはアディスとアントーニアの娘として養女になり、公爵令嬢としてフェールンで養育されている―――
アディスはそこまで読み終えると目を馬車の窓から見える風景に向けた。
視線の先には今の季節に咲く、サリューの花が鮮やかに咲き誇っているのが見えた。穏やかなカストールの風景が広がっている。いつの間にかカストール公爵領に入っていたようだ。
再びアディスは手元の書類に視線を戻した。皇妃アヴィーナの依頼のために作成したカストール公爵家についての書類だった。今読んだところまでは、だが。……そこから先はリンダ・ベルデについて詳細に記されていた。
(リンダ)
まだ幼い娘の輝く緑の瞳が脳裏に浮かんだ。これから言わなければならないことは、幼い娘にとっては過酷で辛いことだった。
「おまえを、アリオス殿下を巡る嵐に巻き込まなければならなくなってしまうとはな…」
アディスは何回も繰り返し呟いた言葉を口にした。
しばらくまた窓に視線を向けていたアディスはふっと視界の端に白いものが映ったことに気づいた。まだ距離があったが、あれは―――
「…フェールン」
戻ってきた。
実に――二年ぶりの帰郷だった。
殆ど説明文…リンダは次は絶対出ます。
リンダの出生関連はぼかしてありますが、いずれわかるでしょう。何故リンダの父ヨナ・ベルデの父親は触れられていないのか?など…
補足:シルヴィアという名前はこの大陸ではよくある名前です