闇の微笑――アリオス十二歳
――――皇子よ、よく覚えておけ。神に選ばれた人間は哀れで――薄幸なのさ。
「兄さま…」
聞こえた、己を呼ぶ細い声にアリオスはつぶっていた目を開く。うっとりするような、だがどこか暗い色を含んだ冷たい紫の瞳が声の主を探すように動き、アリオスは柔らかな芝生から身を起こした。首だけ振り返ると、少し離れたところから大きな紫の瞳を見開いて己を見つめる幼い弟の姿がある。
「…アスエル」
アリオスの呟きにその少年――アスエルは兄皇子に、胸に手を当てて皇族の礼をした。弟の礼に軽く手を振って応えたアリオスは、弟に目でもっと側に寄るよう促した。アスエルがおずおずとアリオスに近づくと、アリオスは弟を静かなまなざしで見上げた。
「アズ(アスエルの愛称)…おまえ、供もつけずにどうやってここに来た?」
――リクスル皇国、皇宮カルメルの一角にある第一皇子宮のアストリアの庭園。ふたりの皇子たちは、庭園に咲き誇るアストリアの花々に囲まれながら向き合っていた。その庭園は、皇子宮を囲むように円環状に建てられており、主の気難しい気質を反映してか、初めてこの庭園を訪れる者にとっては美しくもどこか神殿に居るかのような錯覚に陥る雰囲気の漂う空間になっている。今ふたりが居るのは庭園の中でも奥まった、皇子宮に比較的近いところでアリオスが人払いをしていたためかふたりのほかには人の気配がない。アリオスが横たわっていたのは庭園の中でも際立って大きく見える巨木の側で、今日のように天気に恵まれた日に芝生の上に寝転がり、空を見上げるのが皇都に住むようになったアリオスの習慣になりつつあった。…そうしているうちに暖かい日の下でうたたねをしてしまうのだが、アリオスはむしろそれを好んでいるようであった。
アリオス皇子とアスエル皇子。
大国リクスルの皇王家の直系の皇子たち。アリオスは十二歳、アスエルは十歳になる。
兄皇子アリオスは、漆黒の、黒曜石のような髪の持ち主だ。この国、いやこの大陸では黒髪は大変珍しい色であった。
リクスル皇王家の血をひく者たちが受け継ぐ紫色の瞳は煙るような瞳で、同時に鋭い磨きあげた剣の輝きを宿らせている。母似の美貌を持つアリオスは、その瞳のおかげである種の冷たい雰囲気を漂わせていた。
弟皇子アスエルは、やわらかい質感の金髪に、アリオスと同じ紫色の瞳の持ち主だ。ただ、アスエルの瞳は兄皇子に比べてどこか親しみやすい色だったが。
(でも――僕は知っている)
アリオスの瞳に、アスエルと話すとき――家族と接しているときに限りないやさしさが秘められていることを。
現にこうしてアスエルと向き合ってくれているアリオスは無表情ではあったが冷たい雰囲気はどこかやわらいでいた。
兄皇子の深い色の瞳に目を奪われていたアスエルは兄に問い掛けられてはっと目を見開いた。が、気まずい表情になり、うろうろと視線を彷徨わせたが、じっと待つアリオスの無表情な顔に根負けしたのか諦めた風に口を開いた。
「ああ…ええ…そのう……抜け出して来てしまいました…」
「…………おまえは三日前から熱を出して臥せっていたと聞いているが」
「大丈夫、です!僕、昨夜には熱は下がりました!」
頬を紅潮させて言葉を紡ぐ弟を、アリオスはぴしゃりと言い放つ。
「だからって誰にも言わずに抜け出すのはよくない。…おまえは、世継ぎの皇子だ。おまえから目を放した、として罰を貰うのは召使たち。…周りの者に心配をあまりかけるな」
「……はい。ごめんなさい兄さま」
アリオスの、妥協を許さぬ叱責の篭もった声の響きと言葉にアスエルは僅かに青ざめながら目を伏せた。幼いながらも、異母兄を崇拝するアスエルにとってアリオスに軽蔑されることは死よりも恐れていることだったのだ。落ち込んでしまった小さな弟の姿に、アリオスは微かに口もとを緩めるとふうっと息を吐いた。
「分かればいい。…ほら」
アリオスは意識してやさしい口調でアスエルに話しかけてやると、己の身体の横の芝生をぽんぽんと叩いた。アスエルは兄の真意が読めず、途方にくれた顔でアリオスを見返した。
「俺の隣に座って。…ほら早く」
アスエルは最初、ぽかんとした顔になりアリオスを凝視したが兄に隣に座るのを許されたのだ、と理解すると顔を綻ばせていそいそとアリオスの隣に腰をおろした。
兄――アリオスは、アスエルを座らせると再び芝生に寝転んで空を見上げていた。もともと無口で進んで自分から話そうとはしないらしい兄の気質を、アスエルは兄に初めて引き会わされてからぼんやりとだが理解し始めていたのでこの静かな空間はさほど苦痛ではなかった。アスエルは膝を抱えてそっと兄を盗み見ていたがしばらくしてアリオスを真似てやわらかな芝生に、兄の方を向いて寝転んだ。
自分と同じ皇王家の紫色の目は何を思っているのだろう。美しいが愛想のない皇子――二年前、クルテア離宮から皇宮に迎え入れられたアリオスが、高位貴族たちにお披露目されたときにある貴族がアリオスを、こう評した。妾腹ではあっても、もともと美男美女揃いのリクスル皇王家の血をひく皇子であることに間違いない。アリオスは当時十歳だったが、そのあどけない、生母のユリア側妃似の顔はいずれ気品のある美しさを醸し出すであろう片鱗を見せつつあった―――。
――らしい。というのはこの話、アスエルの面倒を見る侍従や侍女たちが話してくれたものなのだ。アリオスに初めて引き合わされたとき、アスエルがまだ八歳だった。その日はアリオスの十歳の誕生日と、アリオスを第一皇子として正式に国民に公表する日が兼ねられていてその日の夜は盛大な宴が――庶子とはいえ、大国リクスルの直系の皇子のお披露目なのだから――催された。
だが、アスエルたち皇族――自分と皇王ユリシス、皇妃アヴィーナ、皇女ルイシア、アリオスの生母の側妃ユリア――は第一皇子生誕祝祭の前日、内々に家族だけでアリオスに引き合わされていた。
(最初は、この方が僕の兄さまだなんだと信じられなかった…)
アスエルはぼんやりと考え込んでいるうちに己がうっすらと、だが確実にまどろみはじめていることに気付かぬまま、<あの日>に想いを馳せた。
(あの日はとても不思議な、でもあたたかな気持ちになれた日だった…)
そこまで考えたアスエルは、だんだん重くなってくるまぶたの感触に気付き、目を開けていようとしたが穏やかなまどろみへの誘惑に負け、目をつぶった。
アスエルの意識は深淵へと沈み、二年前の<あの日>へと舞い戻って行った。
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「……ズ、アズ」
アスエルは姉に小さな声で話し掛けられている、ということにようやく気付きハッと目を上げた。
「あ…」
ぼんやりと佇んでいた弟の意識がこちらに向いたことを確認したのか、ルイシアは曖昧な表情で弟を見やった。
「ぼーっとして…どうしたの?」
「あ…はい…そのう、兄さま…はどんな方なんだろうって考えていました」
――皇宮カルメルの皇王宮の最深にある、皇王ユリシスの住まう主宮殿。
その、皇族と一部の者のみ出入りを許される主宮殿の皇王の私的な居間で皇女ルイシア、皇子アスエルの姉弟は両親とともにくつろいでいた。もう夜はとっくに更けており、幼い姉弟が起きているには少々遅い時間ではあったが今夜は姉弟にとって、いやふたりの両親たちにとっても大切な日であったので幼い姉弟もここに居ることを許されていた。
今日は、遥かなクルテア離宮で養育されていたふたりの腹違いの兄弟、アスエルにとっては兄にあたるアリオス・エル・リクスル第一皇子が数日後に執り行われる十歳の誕生日を迎えるために皇都に帰還する、近しい家族にとっては待望の一日であったからだ。
アリオス・エル・リクスル。第一皇子、第二皇位継承者。皇王ユリシスの長い間秘されてきた、妾腹の長子。
皇王ユリシスとその側妃ユリアとの間に生まれたアリオスは、皇室規範に従ってクルテア離宮で家族と離されて養育されていた。庶子であり――そのうえ<森ノ民>の血をひくアリオス皇子に第二皇位継承者という極めて重要な地位を与えるという皇王の決定に異を唱えた者は少なくなかった。皇太子のアスエル皇子は病弱で、やさしい気質で万人の認める為政者にはられないだろう――ともっぱらの評判だった。もしアスエルが死んでしまったときは――と密かに邪推し、庶子を第一皇子の座につけることに反対する宮廷の口さがない者たちを皇王ユリシスは時間をかけてなだめ、情理をつくした言葉で説き伏せてこの件を進めた。
――ともあれ。恐らく、純粋な意味でアリオスの皇都入りを心待ちにしていたのは家族たちだけだっただろう。
この居間には皇王ユリシス、皇妃アヴィーナ、皇女ルイシア、皇子アスエルしかいない。侍従たちも先程、アリオスの皇宮到着の報があってから下がらせた。アリオスの生母の側妃ユリアはいない。側妃宮でひっそりと息子の到着を待ちわびているだろう。……ユリアが皇王の居間にいないのはユリア本人が丁重に固辞したことが大きな理由だが、身分の劣るユリアが皇王の神聖な居間――皇王の居間は通常臣下の集う謁見の間とは違い、皇族や皇室補佐官が使う私的な空間なのだ――に入ることに異を唱えた者がいるのも事実である。
「――カストール公爵、皇室補佐官、アディス・レイ・ヴィランさま」
触れ係のよく通る美声が、来訪者の名を告げた。
そして――
「――第一皇子、第二皇位継承者、アリオス・エル・リクスル殿下」
その名前にユリシスは一瞬目を閉じ、深々と息を吐く。
「――通せ」
皇王ユリシスの入出を許す言葉に、豪奢だが品のある扉が開いた――。
「…え?」
アスエルは、気がついたら腑抜けのような顔で呟いてしまっていた。
(――この方が)
リクスル皇王家の血をひく証である紫色の瞳がアスエルの声にぴくりと反応し、緩やかにこちらを見た。
(僕の、この世でたったひとりの兄さま…)
その少年は、美しかった。まだ幼い、あどけなさの残る顔ではあったが鼻筋の通った綺麗な顔であり、形の良い眉、切れ長の紫色の目、くっきりとした二重まぶたなど、どこをとってもリクスル皇王家の<青い血>が生み出した神の芸術作品であることは一目瞭然であった。
だが、ひとつだけ見慣れぬ色があった。アリオスの肩の少し上で切りそろえた髪の毛は、艶やかな黒髪だった。この髪こそ、アリオスが<森ノ民>の血もまたひく存在である、という証拠である。
アリオスはこちらを見ていたが、ふと目線を父に移した。
「父、上」
ややかすれた、だが人を落ち着かせるような不思議な響きを含んだ声が紡がれた。ユリシスは息子の呼びかけに、喜びとためらいが混在する表情を浮かべた。そっと佇むアリオスの前に立ち、床に片膝をついて息子と目線をあわせた。
「私を父、と呼んでくれるのか」
「俺の父上は、父上だけです」
いきなり片膝をついた皇王のさまにアリオスは戸惑ったような表情を浮かべながら答えた。
「だから…」
言いよどんでしまったアリオスにユリシスはやさしく微笑み、肩に手を掛けた。
「おまえは私のかわいい子どものひとりだ。…そうだね、おまえの家族を紹介しよう」
「さあ。…お兄さまですよ」
母のアヴィーナ皇妃に促されてアスエルはおずおずと進み出て胸に手を当てて頭を下げた。恐らく隣では姉も皇女の礼をしているだろう。
「ルイシアとアスエル―――おまえの姉と弟だ」
「姉、上」
アリオスはその言葉の響きが新鮮だったのか姉上、姉上と口の中で呟くとルイシアに目を向けた。ルイシアは嬉しそうに微笑み、よろしくねとやさしく言う。
「アス、エル?」
アスエルはそっと呼びかけられ、びくっと身体を震わせると兄を見上げた。神秘的な紫色が目に入り、口の中がカラカラに渇いていることに気付いたアスエルはごくっと唾を飲み込みかねてから心に決めていた、兄にあったら真っ先に言おうと考えていた言葉を発した。
「―――――――――――――」
…あのとき、僕は兄さまになんて言ったんだっけ…?
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アリオスは、横たわって空を見続けていたが弟が眠ってしまったのに気付いて体をゆっくりと起こした。脇に置いていた上着を手に取り、身体をまるめて寝ているアスエルに掛けてやると弟をじっと眺めた。
顔色は、若干青白い。だが熱が下がったというのは本当のことらしい。
弟のやわらかな質感の金色の髪の毛の乱れたところを直してやると、弟の髪に触れたまま、視線を向けぬまま前方にあるイラスの茂みに向かって声をかけた。
「…で?いつまで見ているつもりだ」
「おや。…人間にしては骨があるとみた」
何処か――面白がっているような響きの、…いや、揶揄する調子を含んだ言葉にアリオスは眉をあげたがすやすやと眠る弟を護るように前に出ると傍らに置いていた短剣を自然な、そうと感じさせない様子で手もとに引きつけた。
「おっと。その物騒なものは抜くなよ…」
その声は油断無く周囲を見回していたアリオスの耳に不意に届いた。驚くほど身近な距離でささやかれたことに――懐に何時の間にか入り込まれていたことにアリオスが気付いたときには声の持ち主は短剣の柄に置かれているアリオスの右手を押さえ込んでいた。
アリオスは右手にかかる力の強さに微かに呻き、相手を見上げた。
声の持ち主は全身を黒い――闇に溶けるような色のフードつきのマントですっぽりと覆っていた。背は、アリオスの身体を封じるためにしゃがんでいるためにわかりにくいがアリオスよりは大きい。顔はフードに隠れていて見えない。恐らくまだ少年だろう。…不意に右手から圧迫感が去り、視線を降ろすと手の拘束は解かれ、短剣が抜き取られていた。
「これは預からせてもらう。…何、ほんの少しの間だけのことさ」
少年は手の中でくるりと短剣を器用に回すと懐にしまいこんでしまった。
「…………」
「そう睨むな、皇子よ」
「…!」
皇子よ、と軽く呼びかけられたアリオスは動揺は微塵も表さぬまま、だが警戒心をあらわにしたまなざしで少年を睨んだ。
「…何者だ」
暗殺者の類の襲撃を受けたのはこれが初めてではない。――だが、この少年は何かが違う。…それは確証のない、直感的なものではあったが、この少年の身に纏う空気は人間的な、――凡庸なものが一切欠落しているように感じた。
「俺か?俺は――」
言いかけた彼は、ああ忘れていたと呟いて顔を隠していたフードに手をかけた。ゆったりとした動作でフードを払いのけ、ゆるりと軽く頭を振った。
――紅い――――人間は決して持ち得ない、異様な美しさを備えた紅い瞳がアリオスを見下ろす。
アリオスは少年と目が合った瞬間、初めて動揺を顔に出した。
「…………………」
「やはり驚くか。…確かにこの色は人間は決して持つことの出来ぬ、神の眷属の証だからな。…安心していい。皇子、俺は別におまえの命を取る気はないさ。ただ、…そう、俺は今日はおまえと話がしてみたくなったからここに来ただけだ」
「…話?」
「まあ別に大神アリアンの託宣を告げに来た、とかそういうことではないぞ。それをするのは御使いのルスタの役目だ…」
少年は薄く笑ってアリオスの反応を見た。
――この、自称『神』の少年は何を言っているのだ。アリオスは一瞬相手の神経を疑いかけたが少年の紅い瞳を目にして言葉を失った。
アリオスとて古の時代から続く由緒正しき皇王家の教育を受けたひとりであるし、亡き母からの教えもあるために大神アリアンを敬う心は持っている。神は存在している――ただ見えないだけで。とある理由から、アリオスはそれを知っていたがあいにく今までの人生で神に出会う機会はなかった。千年前、<混沌の時代>と呼ばれていたとき人はまだ、神々と語らうすべを持っていたという。今それが出来るのほんの一握りの者たち――異能者と呼ばれる者たちと<森ノ民>だけ。その者たちが伝えた伝承によると神の血をひく眷属たちは皆紅い瞳をしていて、その色を持つことを人は許されていない。
――信じざるを…えない、か…。
アリオスは一応の結論を心の中で着けると、まだ警戒の色を浮かべたまま少年の紅い瞳を覗く。
「………………」
「皇子、そう怖い顔をするな。美しい顔が台無しだぞ」
少年のからかいの含んだ言葉にアリオスはかっと頬を染めたが冷静を装った声で――やや低めの、不機嫌があらわになった声だったが――訊ねる。
「あんたは何を話すために現れたんだ?」
「まあ何と言うか…有体に言ってしまうと世間話と忠告かなあ?」
「…は?」
「俺はこれでもおまえよりは長く生きているからなあ。だから…おまえに少し助言を
してみたくなった」
少年はにこりと邪気のない笑顔でアリオスを見返す。アリオスは段々自分がこの奇妙な少年のペースに乗せられていっていることに薄々とだが気がついた。
少年は黙って微笑んだまま佇んでいたが、ふとアスエルに視線を落とすとスッと無駄の無い動きでアリオスが立ち、アスエルの眠っている芝生に近寄るとふたりから少し離れたところに腰をおろした。
「ほら、おまえも座って。大丈夫、心配しなくともこの子には触れやしないさ」
アリオスの無言の意思表示に気づいたのかは分からなかったが――少年は肩をすくめて言い、アリオスは弟を背にして座った。
「―――皇子、おまえはどうしてこの国の皇子として生を受けたと思う?…それはな、運命の神がおまえに宿命を与えたからさ」
「宿命…」
「運命の神のカウンは――ああ、カウンは女神だ――気まぐれでね。大神アリアンですら想像のつかぬことを考え出してしまう女だ。おまけに怒りっぽくて嫉妬深い」
アリオスと少年の奇妙な語らいは始めてからそれなりに長く続いていた。…語らい、と言ってもアリオスはただ少年の口から紡がれる世にも奇妙な、神の語る神々への愚痴を聞いているだけだったが。今に至るまでアリオスは少年から今まで見聞きしたことのないさまざまな話を聞かされた。
「俺はどうにもカウンが苦手らしい。…カウンはな、人の運命を一身に引き受けている身だから人の一生を狂わせるくらいは簡単に出来る。…実際、あの女の気まぐれと嫉妬の所為で永遠に死ねない身体になって彷徨う運命を与えられた少女もいた。その子は今もこの世界を彷徨って自分の愛した青年の魂を探し続けているだろうなあ」
「俺にはよく、分からないが」
アリオスは延々と独白し続けている少年が感慨深げに呟いたあとに割り込んだ。
「ああ…ごめんな、普段こんな愚痴を言える相手は少ないんだ。おまえみたいに静かに聞いてくれる相手も。…そう、世間話もあったがもうひとつ言わなきゃいかんことがあった」
不意に少年は真面目な顔になるとアリオスに向き直った。アリオスが無意識に身構えると少年は笑うでもなく、それまで浮かべていたからかいや明るさを一切排除した、奇妙な静けさをたたえたまなざしでアリオスの紫色の瞳を見つめた。
「これから――」
とっくりとアリオスの無表情な顔を眺めると、少年はようやく口を開いた。
「これから俺が言うことを、どうか心のどこかに留め置いてほしい」
「………」
「皇子よ、よく覚えておけ。神に選ばれた人間は哀れで――薄幸なのさ」
――このことを言ったときに浮かべた少年の微笑を、アリオスは生涯忘れることができなかった。
瞳のこの世のものではないあやしい紅さをも遥かに凌ぐ印象をアリオスの心に植え付けた、口の端にほんの少し浮かべた奇妙な皮肉めいた――それでいてどこか憐憫を含んでいた微笑。
その微笑と言葉の意味を、アリオスは数年後に動き始めることになる己の数奇な運命を受け入れて初めて気がつくこととなる…。
更新が大幅に遅れました…。アリオスの過去です。といってもアスエルの回想や少年の登場でアリオスの影が薄くなってしまいましたが…伏線もところどころにあります…。
自称「神」の少年はまた本編でも登場します。時系列的にはこの<闇の微笑>が一番古いです。
次話からは本編に戻ります。