ひいっ、ネバネバが……来ないでくださいっ
モエの攻撃を弾いた牛には意識があるのだろうか。
もしこれが、かつて「神」を自称した牛であるならば、シュシュたちはそれに反旗を翻した存在。
完全体となった時に逃してくれそうにもないだろうと、シュシュは見上げてその様子を窺う。
「いっ⁉︎」
さっきまではただ紅くぼんやりと光るだけの両目が、いつの間にかシュシュを捉えていたらしくバッチリと目が合う。
「コオオオオオオォォォ……」
静かに、しかし確かな質量さえ感じる吐息とともに、牛はその開いた口から液体を滴らせる。
糸を引くように伸びて、落ちる液体は粘度と泡を内包した、要するに唾液そのままである。
(──こいつぁ、ただのヨダレなんかじゃなく溶解液とかか⁉︎ 避けるには……多すぎるっ)
牛への攻撃を続けるか止めて退避するかの判断をためらったシュシュは、降り注ぐ液体に逃げ場を失くす。
「ちっ、俺としたことがっ──」
ここで判断の遅れた上、逃げに回るシュシュじゃない。
「次に繋げてみせる。だからモエよ、帰ってこいよ」
降り注ぐ液体の周りは少し風景が歪んで見える。それが自分を溶かすであろう成分によるものだと思いつつも、シュシュはグッと目を閉じて後に繋げるためにその場を離れない。
鼻をつく異臭が近づく。これが酸の臭いなのかと、頭から被るシュシュは──しかし溶けはしなかった。
「ぐうあっ……うあぁっ」
巨大な牛のヨダレはかなりの重さを伴って降り注ぐ。
まともに受けたシュシュは、膝を折りそうになるも耐えるが、耐え難いものもある。
「くっさあぁっ! なんつーっ……くさっ、うぐ、口に入っちまった」
「シュシュちゃんににゃにをするにゃーっ! にゃばっ⁉︎」
闘志をもって復帰したモエは、牛の顎を狙うもまたしても頭の振りだけで叩き飛ばされた。
そして、牛が首を振ったためにヨダレは撒き散らされ、泥まみれで動かないオブジェと化したフィナにも降り注ぐ。
「うわあっ、クサ、くっさあっ」
「……」
レンガの家に引きこもるポークは難を逃れたものの、フィナはモロに被液して覚醒する。
「うっぎゃあぁっ、何このねばねばぁ」
「……ひっ」
がばぁっと体を起こして喚くフィナ。動くたびに糸を引くフィナの姿をチラ見して、ポークは更に引きこもる。
だが唾液まみれのフィナはめざとくポークの行動を見ていた。
「あんたっ、ひとりで無事とかひどいじゃないっ。わたしも入れなさいよっ、もっと奥に詰めてさあっ」
「ひいっ、臭いっ……」
「ああーっ、女の子になんてこと言うのよっ! もう、遠慮しないわ。奥へ詰めてわたしも入れてよおっ」
「こわっ、壊れますっ! フィナさんまで入って……くざあっ」
もともとポークひとり分だけのレンガのお家らしきものに入ろうとするフィナだが、少し大きめのピザ窯ほどしかないお家にふたりは無謀すぎた。
本当に入れないと拒むポークと、どうしても(意地だけで)入らざるを得なくなったフィナとの攻防は、悲しい現実を引き起こしただけだ。
レンガのお家の破壊という誰も得しない結末を。