びっくり人間なんかじゃないのですよっ
恐怖に怯え震えるポークはいつの間にやら生み出したレンガで造った小さなドームの中に閉じこもっている。
モエにつまずき全速力で地面とキスしたエルフはまだ再起動しないが、待っている時間さえもが惜しい。
「今を逃せばどうなるか分からねえ。俺たちだけでやるぞモエ」
「分かったのですっ」
シュシュがモエの背中に飛び乗れば、慣れたものでモエは合図も何もなく走り出す。
戻ってきた道を引き返すモエだが、ぬかるみに足を取られ先ほどのようなスピードでは走れない。
(無我夢中でってことか。たしかに残っている足跡は滑りながらもその踏み込みと蹴り出しが今とは全然違う気がするな)
どういう走り方をすればそんな足跡になるのかという抉れ方を見て、モエの普段の全力もまだまだ余力があるのかと考えるシュシュ。
だがそんな思考にふける時間はそう無い。すでに牛の顔は頭上に近いところにある。
敵の下に潜り込んだということだ。
「ここで降りるっ。無茶はするなよっ」
「分かったのですっ」
近接タイプではないシュシュはまだ牛の脚が遠く見えるところで降り、フィナからかっぱらっていた弓矢を構えて射る。
「ちっ、普通に打っても意味がないかっ」
シュシュの予想通りであったとしても、中身の詰まっていない空っぽの皮に一点の傷をつけただけでは何ともならないだろう。
シュシュが2射目を構えた時には鉄球を横に振り回して突撃するモエが映る。
重さを自在に操れる鉄球を徐々に重くさせながら回転を速めて繰り出す1投が牛の脚を打ち砕き──手応えのなさにモエもそのまま飛んでいく。
「あのバカっ」
放物線を描くモエは牛の左前脚を2本目3番目と貫き弾けさせたが、階層主の亡骸からの供給が続く状態ではすぐに再生されてしまう。
「──“サクション”」
その様子を見ていたシュシュの対応は早い。
供給もとの亡骸はシュシュが食べ尽くす魔物の残骸だ。いつも血の一滴までとりこみお残ししないのがシュシュの流儀。
「ぐっ……アレは違うってのか」
階層主の亡骸は綺麗に無くなったが、牛に供給される血肉はその跡地から絶え間なく流れ出ている。何もないところからとめどなく。
「──生きているんだ。この流れは生きているから俺じゃあ食えない」
シュシュの固有スキルとして現れた“グール魔法”に関して、自身が地下階層で成り果てた姿を踏襲したものだと解釈している。
血肉に飢えながらもモエとフィナを襲う魔物になることなく百年を生きた魔物だが、生命の輝きにはめっぽう弱い。
「だとして何もできない訳じゃあねえだろう、よっと」
“ジェネレイト”と唱えてシュシュが発現させたのはいつかの大鎌。手に持つことなく自在に宙を舞う鎌が牛の脚を幾度となく切り裂いていく。
「──全然止まらないのですっ」
ひとり空を飛んだモエは鉄球の重みで墜落して、何の成果も得られなかったことに唖然としている。
「シュシュちゃんの剣……すごい動きなのです」
空中でそれだけが舞い踊るようにモエが狙った左前脚群を何度も何度も切り裂いている。
まるで、そこに誰かが立ち止まり振り回しているかのように。
ピコーンっ!
耳をピンと立てて目を丸く見開いたモエ。先ほど勢い余ってセルフ人間大砲をした残念な頭に閃きが降りてきた。
「ぐっ──膝くらいまでしか届かねえか。しかもいくら斬っても再生しやがるとは」
手を離れて自在に操れる鎌にも限界がある。斬れ味のよい大鎌をどんなに振り回しても、相手の被害は微々たるものでしか無い。
未だに供給され続けている血肉はあとどれくらいで巨大牛を完成させてしまうのか。
見上げれば妖しく光る紅い瞳が感情なくシュシュたちを見下ろしている。
どこかで打開すべきところだが、何が効果的かも分からないうちは魔力の無駄遣いにしかならないと進展しない現状に歯噛みするシュシュ。
そんなエルフ幼女が目にしたのは、再び打ち上がったセルフ人間大砲だった。