足元に広がる恐怖
「大丈夫なのです?」
声を掛けることを躊躇うことすらない。
モエは別に聖人君子でも何でもない。
苦手な人参はメンバーの皿に移すしゴキブリには大騒ぎする。
お風呂にはきちんと入るし汗まみれの剣士とタンクにクサいと言ったこともしばしば。
なのに、この男に対しての嫌悪感というものを感じなかったのだ。
それ以外にもどんな感情も。
だからモエが口にした“大丈夫か”というのは、こういう人の状態を見たらそう気にかけるのが普通。
という程度の挨拶程度のことでしかない。
そこに特別な感情も感想もない。
「ああ、私は大丈夫だ。君は大丈夫か?」
みすぼらしく、いまにも朽ちてしまいそうな男の口から、予想もしてなかった返事がきた。
この見た目にもボロボロの男に逆に心配されてしまうなどとはモエでさえ思っていない。
けれどモエの口をついてでたのは
「あんまり、大丈夫じゃなさそうなのですよ──」
モエの悩みはパーティ結成から少しした頃の魔導書で魔法を覚えたはずのその時からずっと続いている。
レベルが1から10にあがるくらいの時間。年齢にして9歳から13歳までの期間を悩み続けている。
優しいメンバーに囲まれて、そのうちそのうちと温かく見守ってくれる視線がたまに他所のパーティの魔法使いを追っているのに気づいた時などは心を締め付けられるのだ。
「「そうだろうな。そんなに擦り減らせて平気なわけがない」」
男の声が二重に聞こえた気がした。
モエはいつの間にか落としていた暗い視線をあげると座り込んでいた男はいつの間にか立っていてモエを見下ろしている。
「「これを君に」」
そう言って男は足枷をカチャリと外してモエに手渡した。
その先には鎖で繋がれた足枷にしても大きすぎる鉄球。
「「それは“自在の鉄塊”という。鎖に繋がれた人々を象徴するもの」」
そう言って男はモエの右手首に枷をはめた。
「え?」
枷はその表面に不思議な模様を浮かべたと思ったら次の瞬間には消えてなくなったのだ。
残ったのは太く頑丈そうな鎖に繋がれた鉄球だけ。
その場には男の姿さえ残っていなかった。
「という話なのですよ」
「ななな、何よそれ! 絶対怪談じゃないのよっ。そして呪われた装備でしょうよ!」
フィナは怖い話や、とりわけ幽霊というものが怖くて仕方ない。
目の前で話していた男は消えて身につけていたそれも足枷なんてのが残ったのだ。親切なひとからプレゼントされたとでも言いそうなモエの感情など理解できるわけもない。
「どっかの牢屋とか処刑場とかで死んだ人でしょそれっ。そしてその鉄球も……あわわ、よく見たら血がこびりついて」
さっきイノシシの頭を砕いたのだから当然である。
完全にビビったフィナにはモエの鉄球はもう曰く付きの武器というか拘束具にしか見えない。
「別に幽霊なんかも出てこないのですよ。たまに盛り塩してるのです」
「ちょっと不安になってんじゃないのよ」
モエはふふっと笑って鉄球の鎖を引き寄せ抱き上げる。
相変わらず血まみれのはずの鉄球は、抱きかかえられた時には血も何もついていない綺麗な状態になっていた。
「あわわ、鉄球が、血に飢えた鉄球が血を吸い取ったのよおおおおお」
フィナは余計にビビって震えてしまう。
心なしか長ズボンの青が一部紺色になっている風に見える。
「でもこの鉄球は便利なのですよ。“重さを自在に変えられる”のです」
「なにそれアーティファクト?」
お手玉のように軽く宙に放って遊ぶモエの鉄球が、途端に計り知れない価値を持つそれに見えてきたあたりフィナも単純な子である。
「ちょっとわたしにも見せてよ」
俄然興味の湧いたフィナの頭にはもう先ほどまでの恐怖はない。
その痕跡は股間にあるだけだ。
「いいのですよ。はいなのです」
モエから手渡しで鉄球を受け取ったフィナ。
そこに重さは感じない。
なんて不思議体験!
しかし、モエの手が完全に離れた瞬間にフィナの両腕を150kgの重みが襲う。
「んっははっはーあっ!」
最高に変な顔で叫んだフィナは1秒と耐えきれずに鉄球を地面に落とすと、軽く開いた足の間に小さなクレーターが出来てしまった。
「んほおおおおおおっ」
危うく足の上に落とすところだったフィナはその地面をみて股間の紺色をさらに広げていく。
「ふふっ。この鉄球はなぜかモエの言うことしか聞かないのですよ」
「ばかあっ!」
笑顔でそんなことを言うモエは可愛いのだが、フィナの内心はそれどころじゃない。
勢いに任せてモエをビンタし、フィナは上と下からそれぞれに成分のちがう水をチョロチョロと流した。