あんまり乱発も出来ねえからな
注意を促すオスメは後衛たちの背後に姿を現した人狼のリーダーがユズを見下ろし襲い掛かろうとしているのを見て青ざめる。
ユズは振り返り固まり、そばにいるララも驚きと焦りから魔法の発動を失敗している。
前衛である近接組は距離が遠く、ザーパフもゲルッフもが間に合わなくとも、と駆け出して、モエとフィナは「終わったわね(なのです)」と口にしてリハスは見逃すまいと目を凝らしている。
オスメたちの焦燥に反して、他の人狼よりもひと回り大きなその人狼は、立ったまま、動かない。
ユズの硬直が長く感じられ、ララが魔法の発動が出来ると感じ、近接組が人狼を間合いに捉えたとき──
人狼は大きな右腕を肘から先で落とし、左腕は肩を残してボトリと音を立てて失えば、残った胴体に左肩から右脇腹までの赤い線を浮かび上がらせて、そのまま斜めにずれて崩れ落ちた。
「んん?なんだこりゃ」
ユズとともに振り返って見ていたシュシュはとぼけた声をあげるが、人狼のリーダーが間近に迫ったときにはすでに、終わらせていた。
群れのリーダーが接近していたのを、ユズは敏感に察知していた。それはスキルによるものだったのか“南風”の中では彼女だけが、それこそ死を覚悟したあの経験から油断なく警戒していたからだろう。
だがそれよりも野生的に察知していた者がいた。
もちろん、モエである。そのモエからそれとなく合図を受けていたシュシュなら、リーダーの登場に合わせて仕留めることが可能である。
シュシュの鎌はその意志に反応して自動で動いてくれる。脅威が勝手に崩れたのは、仕留めた瞬間を確認した者が“南風”の中にはいなかっただけのこと。
モエたちの一年と少しの経験は、個人プレイばかりなパーティの連携をあまり高めはしなかったかも知れないが、意思疎通くらいは出来るようになっていたようだ。
「──まあ、無事ならいいか」
シュシュのすっとぼけた態度にユズたちも何か思うところがあったが、それを問いただせばこの幼女さえも見た目そのままに接することが出来なくなりそうで、誰も口を挟まなかった。
日が沈み、1日の終わりが近づく。塔の中とはいえ、ここは神が作ったひとつの世界。
であるならば、そこには太陽が昇り、夕陽に夜の訪れを予感し星空の下で朝陽を待つという事があっても不思議ではない。
いや、この塔に生きる彼らはそれが当たり前で、疑問に思うこともない。
「ぐーるぐる……」
「ララさん、すごいのですっ」
共闘して突き進んだモエたちは、獲物の取り合いなんてことにならないように、譲り合い戦ってきた。
戦力に数えないシュシュを除いても、それぞれに戦える8人となれば、個々の負担は違う。
魔力がいつもより余っているララは、杖の先に水の流れを作り渦を描き徐々にその規模を拡大している。
「ここに、モエのあいえ──フガフガ……」
「モエ汁よねっ、モエのいい香りの汁よね!」
どうもモエは愛を強調したいらしいが、その場合に意味の違う言葉になりそうでフィナは即座に口を塞いでみせる。代わりのその表現もなかなかに際どいものだが。
そんな危うい言葉を口にしがちなモエが指先から植物の香りを凝縮した液体をララの水流に溶かし込んでいく。
「ララは何をしてんだ?」
「オスメさんが臭いのです」
「……俺だけってこともねえだろ。モエも暴れて今なんか汗くさくなってんぞ。むしろケモノくせえ」
「女の子にそんなこと言うのはダメなのですよっ?そんなだからモテないのです」
「んなっ⁉︎これでも俺は──」
モエとオスメが言い合っているうちに、ララのそれは完成して空に放たれる。
「香りの、シャワーね」
フィナが言うように、モエ汁を薄めた水は空から降り注ぎ臭いオスメも、臭いモエもまとめて草の香りに染めていく。
「──って青くさあっ!」
てっきり華やかな花の香りだとばかり期待していたフィナもユズたちもつい顔をしかめてしまう匂いは、指でつぶした苦い薬草を思わせるものだ。
「飯の後でよかったぜ」
シュシュはそれでも「これで少しは楽だろうよ」と言い、迷惑そうな素振りなどしない。
「ああ、これは獣除けの香りだね」
「……たしかにこれなら見張りのリスクも軽減されそうだな」
ゲルッフの感想にザーパフも納得したらしく、大仰に頷いてみせる。
「……オスメさん、臭いのです」
「お前もすり潰した草みてえな匂いさせてるじゃねえか」
鼻をつまみ理不尽な苦情を入れるモエにオスメはそう返して、口の端を上げてみせた。