これだけあればお家がつくれそうなのです
足を踏み出すたびに舞う煤に足元を汚しながら広場を通り過ぎたモエたちは、ヒューマンからすれば大きすぎる通路を慎重に進んでいる。
「前方よしなのでーすっ」
「しっ、声おおきいっ」
釣り人のおじさんからパンをもらっておかわりまでしたモエが張り切って先頭を進んでいるのは、もし階層主に出会ったら1番に挑めるからにほかならない。
「戦闘の音は聞こえないわね」
「もうやっちまったあとかもしれないな」
「がーん。見てくるのですっ」
「ちょ、待ってよー」
「──俺たちも行くしかないな」
「おたくのお嬢さんは元気がありすぎるようだ」
「へっ、そのパンのせいなんじゃねえのか?」
「肉体のコンディションを高めても精神に異常をきたすものはない」
「それは僕が保証しますよ」
「だとしたらうちのモエが戦闘狂みたいじゃねえか」
「……」
釣り人の釣ったパンや、エイタが作り振る舞う料理に少なからず肉体のコンディションを調整する作用があるのはすでに疑いようのない事実となりつつある。
しかし生まれ変わりのアクシデントにより猫獣人化した時から異様な身体能力を発揮し、戦闘を重ねるごとに好戦的になっていったモエの衝動は彼女自身の特性であり、シュシュの突っ込み待ちの苦言を否定してくれないあたり、どうも他人の目から見たモエはただの戦闘狂のようだ。
「とにかく俺たちも──」
多くの攻略者が階層主を追い立てている後方からの合流であれば、モエたちが少々勝手な行動をしたところで命を落とすような危険に見舞われるような状況ではないが、常識人枠のリハスからすれば放置もできない。
つまらない冗談ならさっさと切り上げて追いかけようと提案しだしたところで、通路内を騒音と悲鳴が駆け抜けていく。
「モエたちの声だったか⁉︎」
「分からない……が、ふたりだけではなかったはずだ」
「急ぎましょうっ」
何かが崩れる音といくつもの悲鳴。その出所はモエたちが向かった先であり、慌てて走り出したリハスたちは立ちこめる砂煙を見つけると何事かと構えたが、その原因はすぐに判明した。
「あ、シュシュっ! 見てよ、もう……道が塞がれちゃって」
「太い丸太の山なのです。大きくて重くて、硬い丸太の山なのです」
どうやら無事らしいモエたちと出会えたことに安堵するリハスだが、目に飛び込んできた光景はなかなかにひどいものである。
恐らくは先ほどの焼け野原があったのと同じ規模の広間一面を、雑に散らかって行手を阻むのは何やら画一的に加工されたような丸太であり、先行していたモエたちも通れずに足止めをくらっていた。
「こいつはひどいな。生き埋めになっているひとが多い。救出には相当時間がかかるぞ」
「それに階層主はどうした。フィナは見たのか?」
「ううん。わたしたちが来た時にはもうこんなだったから」
崩れた丸太の下敷きになった攻略者も多いのだろう。ところどころよりうめき声や助けを求める声が聞こえてくる。
筋肉ハゲ僧侶のリハスが率先して丸太を持ち上げてどかせようとするとモエも加わりふたりで一本を運ぶかたちで邪魔にならないところに運んでいく。
もちろんフィナたちも救出作業に加わり、やっとひとり目を救い出したが、物量の脅威は下敷きになっていた彼の両脚の骨を砕いていたらしく、膝から下があらぬ方向へ曲がっているのを苦悶の表情でこらえていた。
「おっさんの治癒魔法ですぐか?」
「馬鹿言うな。骨を繋ぐつもりで真っ直ぐにして……痛みが広がらないようにゆっくりとやるしかねえ」
「他のひとも助けてくるのです」
「待ってくれっ、俺たちには構わなくていいっ。それよりは階層主を追いかけて行った連中を追いかけてくれっ」
「いや、だがこのままにはしておけないだろう──」
乱雑に重なり合う丸太の山の中でどうにか脚を真っ直ぐに伸ばして置ける場所を確保して治療に取り掛かるリハスだったが、思いがけず怪我人のほうから待てがかかった。
「無様にやられちまった俺みたいなのよりも、なんとか潜り抜けて階層主を追い立てている連中の力になってやってくれ。でないと、次のチャンスは来ないかも知れないんだから」
「ここにいるので全員じゃないんだな」
「ああ……俺たちを引き連れて先頭を突き進んでいたパーティたちが抜けているはずだ」
「──分かった。だが俺たちが戻るまでここで安静にしておくように」
「はは、情けねえがもう脚の感覚もねえ。後続のパーティに僧侶でもいりゃ、助けてもらえるようにするからよ」
怪我人が言うことは尤もであるが、しかしそれは今この時しかない場合で、仕切り直しを当然に考えれば戦力を整えてから今回の教訓を生かした立ち回りをすることで、むしろよりよいシチュエーションに持っていけるはずだ。
それが分からないリハスたちではなかったが、それでも怪我人を差し置いてでも進ませたがる理由として考えられるのは、すでに階層主に手痛いダメージを負わせているか、もしくは倒せていなかった階層主相手にレイド戦に持ち込む判断を後押ししてしまうほどに強力な戦力がこの先にいて、それが彼らでは簡単には追いつけないほどの実力者であるか。
顔を青白くして冷や汗を流している彼から根掘り葉掘り聞くのは酷だろう。リハスはせめてこれくらいは、と痛み止めの魔法を施してから立ち上がり、シュシュたちに相談した。
「そういうことなら行くとするか」
「エイタ君はここの人たちをいくらか助けてからにするといい」
シュシュの返事に迷いはない。むしろこの惨状がレイド戦を仕掛けてきた攻略者たちを間引くためだとすれば、ふるいに掛けられた連中を助けて時間を浪費するよりも、突破できた何人かに合流して一気に叩くほうがいいと考えていた。
釣り人も同じ考えだったのか、そのうえで戦力として数えられない料理人エイタにはここの怪我人たちの介抱を勧めてエイタもそれに従うことになった。
最前線に加わりたいエイタに、戦力外だからとただ待つことだけを強いるよりも素直に受け入れることが出来る提案にはシュシュも助けられた気持ちになる。
「じゃああんたの働きに期待していいんだよな?」
「君らほどに活躍出来るとは思えんが、全力を尽くすと約束しよう」
あくまでもキャリーを期待するエイタとは違ってこちらは自ら戦うつもりであることが窺える釣り人だ。確実に戦力アップが見込める入れ替えにシュシュも文句はない。
「あの通路の先だな」
「モエがいくのですっ」
「あっ、またぁーっ」
身軽に障害物を飛び越えていくモエを見失わないようにフィナが追いかけると被害の規模がはっきりと見えて来る。
丸太が散乱する部屋の造りはさっきと同じらしく、奥に続く通路もまた同じ大きさをしているが、壁の至る所に抉られたような痕跡が見られ、どんな階層主か見ていなくともその大きさだけは想像出来るようだった。
「階層主は巨人かなにかか」
「魔法の可能性もあるのです」
「だとしてこんな風に壁に無駄撃ちはしねえだろうよ。それに上手く言えねえが、この痕跡のどれもが向こうからこっちに向けて振り下ろしたみてえな感じなんだよな」
「──きっとシュシュの見立てが正しいんだと思う」
「こいつは……もう助けられないな」
壁にも床にもつけられた深い溝は角度からして進行方向とは逆につけられている。そのうえで、モエとともに先頭を進んでいたフィナは床に転がる残骸を見つけて声のトーンを低くし、事態の深刻さを告げる。
あまりの衝撃に原型をとどめていないものや、腹から上と下を分けてしまったもの。そういったいくつもの命があったものの骸たちは流れ出る体液が真新しく艶のあることから、それがついさっきの出来事だと分かる。
「足跡は続いている。立ち止まっている暇はない」
「ああ。行こう」
階層主を追い立てる戦闘が続いているのなら、全滅する前に合流する必要がある。
冷静に促す釣り人とシュシュに、足元の残骸に向けていた視線を前に戻したフィナたちもついていく。
強い魔物と戦いたい元気っ子モエも容赦のない現実に少し暗い表情をしてしまうが、フィナたち同様にここで立ち止まるつもりはない。
この先で、仲間が同じようなことになる、そんな未来を幻視してしまうよりも、先を往く者たちの助けになることができるならと、気を引き締めたモエは力強く足を踏み出した。