かゆいところはありませんかなのです
「ねえっ、本当にくさくない⁉︎」
「大丈夫なのですよ。全然臭わないのです」
「なんかねばつく気がする……」
「大丈夫なのです」
「ねえ本当に……」
「もういいだろ? あっちはモロに飲んじまったんだ。それにくらべりゃちょっと酸っぱい臭いがするくらいは諦めろ」
「そう、そうよね……って、やっぱりくさいんじゃないのっ!」
「おい近寄るな。くさいのがうつる」
リハスが浄化と回復の魔法を施しながらエイタの体調を確かめている間、物陰でまっ裸になったフィナをモエが“モエ汁”で清めていた。
どうにも香料で誤魔化すモエ汁ではカバー仕切れない臭いの残るフィナにしかめっ面でえんがちょとするシュシュのせいで、モエは再度フィナの全身のケアをさせられる羽目になった。
「魔物が来たら俺が追い払ってやるから気が済むまで流しとけや」
「むぅー、さっきはさっさと逃げたくせに」
「肉弾戦は俺の領分じゃねえことくらい知ってるだろうに」
あの魔物がリハスたちを押しのけて飛び出してきた時、シュシュは誰憚ること無く魔物との距離を取っていた。
もちろん非戦闘職で料理人のエイタを守るべきなのが戦闘職の役目ともいえるが、エイタのことに関しては彼自身が自己責任を前提にキャリーしてくれるよう依頼してきた立場だ。だからシュシュが体を張ってエイタを庇わなかったとしても非難されることではない。
というのがこの場におけるシュシュの主張で、そう聞かされたフィナも綺麗なままなシュシュに恨めしく当たることしか出来ない。完全に八つ当たりである。
(てっきり俺を狙っていたと思ったんだが……)
ただあの魔物がエイタに掴み掛かったのはシュシュの想定外であった。
(いや、そういえばアイツはリハスのおっさんを捕まえておきながら、こいつじゃねえって言っていたし、その場にいた俺も無視していた、か。だとして狙いがあの料理人だってのは……)
この階層にくる前、それこそ狂乱していたモエとの合流前に現れた魔物は誰かを探していた様子であった。
それが料理人エイタのことであったのなら、やはりこの組み合わせこそ何かしらの意思を持って仕組まれたものという可能性が高い。
(──おっさんも気づいているみてぇだな)
効果を発揮すればあら不思議、汚れた体も心も綺麗さっぱりとはいかないのが現実で、状態異常と目に見える汚れや穢れを清める“浄化”と失われた体力や肉体の負傷を癒す“回復”をエイタにかけ続けるリハスも、彼の背中をさすりながらシュシュのことを気にしているようで、先ほどから何度も目が合う。
いかにも何か聞きたげなリハスに、すっ裸のフィナを守るためという名目の見張りが忙しいからと、シュシュはハンドサインであしらっている。
「ねえっ、今度こそもうくさくないわよねっ⁉︎」
「ああもうっ! まだドブくせぇから大人しく引っ込んどけ!」
「ドブくさい⁉︎」
もはや自分の臭いのことしか頭にないフィナが、こちらに視線を送るリハスたち男の存在も忘れて泡まみれの裸体で飛び出してきそうなのを、シュシュはドロップキックで蹴り飛ばした。
「──どうもお手数をおかけしました」
「いや、無事でよかった」
吐き出せるものを全て吐き出して胃の中を空っぽにしたエイタが、リハスの魔法と献身で持ち直したのはそれから一時間ほどたった頃だ。
あまりのことにトラウマにでもなったかのように元気のないエイタに、シュシュは余計なことは言わず、フィナは鼻をエイタの首元に鼻を近づけてからそっと離れて顔を背けた。
「お前さんもあとで“モエ汁”をもらうといい」
「たくさん仕込んでるので遠慮はいらないのですよ!」
「──ありがとうございます」
近接戦闘は出来ないと告げたシュシュはその手にフィナから取り上げた弓矢を握りしめており、意外にもモエの手が空くまでの時間、パーティを魔物の脅威から守り切っていた。
どれほどの弓力があれば魔物たち相手にそうなるのかというほどに硬い頭骨も分厚い外皮もものともせず急所を射抜いた矢は、鏃どころかシャフトまで完全に埋もれて、見えているのは矢羽だけという結果となっている。
「あの方は弓使いだったんですね」
「シュシュちゃんなのです? エルフさんはやっぱり弓が得意なのですよ」
「ではフィナさんも?」
「フィナさんは──」
モエ汁による洗髪されながらのエイタは裸にはならず服を着たまま全身に流れ落ちるモエ汁で丸ごと洗うらしい。女同士はモエの“指使い”でもみくちゃにされるのだが、相手が男ならモエが手をかけるのは頭髪に限り、首から下はセルフサービスだ。
それというのもフィナの“感度最大化”がエイタの感じるそれも受け取った場合にイケナイ感情を顕にしかねないということで、細かなことは伝えないシュシュにより男へのフレグランスマッサージをモエに対して禁止しているからだ。
そんな男差別とも取れない扱いの差は、エイタからすれば汚れに触れたくないとか、それ以前にまだそこまで親密にはなっていないためとか、問いかけるまでもなく理由が浮かぶために自然と自分で洗っている。
散髪屋の店員と客みたいなふたりではあったが、弓矢で魔物たちを屠り続けたシュシュに教えを乞いにいったフィナが、シュシュ師匠の「練習あるのみ」という返事を真に受けてはじめた練習風景を見て、モエの返事は不要となった。
「あれもヒューマン以外が被ったモノであるなら──」
「どうかしたのです?」
「いえ……なにも」
何度弓を引いて矢を飛ばしても、どれほどに集中し執着し気合いをこめていたとしても、手を離れたとたんにあり得ない軌道を描いてフィナの矢は階層の壁や床に突き刺さる。
「──エイタのお清めが終われば出発するぞ」
フィナの練習風景を見て渋い顔をするのはエイタに限らないことで、青年エイタの体を清め終わったモエが慰めるようにフィナを背中から抱きしめるまで練習は続いた。