猫がうるさくて眠れないんだ!
野良猫が気に食わない。連中は当然のようにうちの敷地に侵入し、糞をして去っていく。その後始末をするのはいつも俺なんだ。それに、夜行性の連中がにゃあにゃあ騒がしくするせいで、こちとらまるで眠れやしない。眠れないから高校には遅刻するし、授業中に寝てしまう。そのうえ俺はアレルギー持ちで、連中が通るだけでも首が痒くなる。
まったく迷惑な話だ。
ああいう輩は、とっとと保健所にでも連れていかれればいい。だが、連中は法律によって守られているのだ。
だから俺が取れる行動といえば、餌を与えているバカを見つけ出して早急に辞めさせることしかなかった。連中がうちの庭を根城にするのは、誰かが餌をやっているからに違いない。供給元を断てば連中もおとなしく立ち去るだろう。
翌日、俺は庭で張り込みをした。そこにまんまと魚肉ソーセージを抱えた人間が現れた。そいつの顔を知っている。同じクラスの藤村だ。
「貴様が悪の給仕か」
「え?」
彼女は目を丸くしてこちらを見た。彼女に誘われるように野良猫たちが集まってくる。常習犯である証拠だった。
俺は藤村の手にある魚肉ソーセージにかぶりついた。彼女はふたたび驚きをあらわにする。
「猫に餌をやるな!」
俺は威嚇するように吠えた。
「どうして? 可愛いじゃない」
「あんなもん魔女の使いだ!」
俺は思わず声を上げた。
「この畜生どものせいで俺の生活はめちゃくちゃだ。猫がうるさくて夜も眠れないんだ!」
藤村は黙って聞いていた。それから、
「ごめんなさい」
と頭を下げた。
「あなたの気持ちはよく分かったわ。それじゃあ、あたしがあの子たちをどこかに連れていけばいい?」
「そうだ」
「どこに行けばいいかな?」
「知るかそんなもん」
俺は吐き捨てた。
「うーん。うちはペット禁止だから飼えないし……」
藤村はしばらく考え込んだ後、名案が思いついたとばかりに手を叩いた。
「一緒に飼い主を探しましょ!」
それから俺たちは学校帰りに駅前へ赴いてビラを配った。しかし、いくら待っても誰も拾ってくれなかった。
「駄目ね。やっぱりこういうのは地道な活動が必要なんだわ」
藤村がうんざりしたように言った。俺は彼女の横顔を盗み見る。その表情からは疲れの色はうかがえなかった。ただひたすら、目の前のことに集中しているような印象を受けた。
「今日、あなたの家に行ってもいい?」
「は?」
突然のことに動揺する。
「猫ちゃんに会いたくて」
「……ああ。いいよ」
家に帰ると、藤村は猫とたわむれた。文字通りの猫なで声を出している。
「きっと素敵な飼い主を見つけてあげるからね」
「……なあ」
「ん?」
「猫に話しかけてなんか意味あんの。人間の言葉なんか、わかんねえだろ」
藤村はしばらく考えてから言った。
「何も言わないほうが、もっとわかんないと思うよ。ねー、猫ちゃん?」
そんな日々が何日も続いた。
ある日、俺がいつものように駅前に行こうとすると、友達に声を掛けられた。
「なあ、カラオケ行かね?」
「ごめん、用事があって」
「……藤村だろ?」
さすがに隠し通せないか。ほかの生徒に見つからないように現地集合にしていたのだが、どこかで噂が回ったらしい。
「女との用事のが大事かよ」
めんどくせえな、と思った。別に俺が飼い主を探してやる理由もない。俺は口を開いた。
「巻き込まれただけ。あいつ、俺の家にまで来てさ。ホント、参るわ」
そのとき、廊下で物音がした。
ちょうどその日から藤村は俺を飼い主探しに誘わなくなった。廊下ですれ違っても顔をそらすようになった。多分、あの日、廊下にいたのは藤村だったのだ。でも、あえて訂正することもない。嘘は言ってない。藤村との縁が切れたからといって、何も困ることもない。
用事があって駅前に行くと、藤村がビラ配りをしていた。俺がいなくなっても続けていたんだ……。
目を逸らして立ち去る。もともとの原因はあいつなんだ。あいつが責任を負って当然なんだ。
とある日の放課後、俺は友達にほうきを突きつけられた。掃除当番を代わってくれと頼まれたのだ。友達はわざとらしい声で言った。
「俺、用事があるからさ!」
放課後の誘いを藤村との予定で断っていた当てつけである。身から出た錆。俺は断り切れずに掃除当番を引き受けた。
帰宅すると、通知表を掲げた母に玄関先で睨まれた。猫の鳴き声で眠れなくなってから明らかに成績が落ちたのだ。両親は俺が父の跡を継いで医者になると信じていた。
本当は絵の道に進みたかった。だが、それを口にすれば父の顔に泥を塗ることになる。だから言えなかった。
俺はベッドの上でうつ伏せになった。
なにもかもうまくいかない。全部が悪い方に向かっている気がする。泣きたい気持ちに襲われていると、窓から「にゃあ」という声が聞こえた。
顔を上げると、窓際に野良猫がいた。
そのときの俺はどうかしていた。誰かに話を聞いてほしい気持ちでいっぱいだった。だから恥ずかしげもなく、猫に話しかけられたのだと思う。
「なあ……」
猫はじっとこちらを見ている。
「お前さ、今までずっと、俺に何を言ってたんだ?」
「にゃあ」
「毎日、夜中のあいだ、ずっと鳴き続けてたろ。何を言ってたんだ?」
「にゃあ」
「うん……うん……」
「にゃあ」
朝まで猫と話した。眠たかったけど、気分はよかった。
朝食の時間、俺は両親に打ち明けた。医者は継ぎたくない。絵の勉強がしたい。
父は目玉焼きを口に運びながら、
「がんばれよ」
と言ってくれた。
学校に行き、友達に謝った。
「ごめん、付き合い悪くて」
「いや、俺の方こそ。すまん。藤村にお前のこと取られて、なんか面白くねえなと思って……」
「今日、カラオケ行こうぜ」
「おう」
俺たちは笑い合った。
教室で藤村が来るのを待った。彼女を待ち伏せするのは、これで二度目だ。最初は餌を与えているバカを見つけ出してやろうと思って待っていたっけ。
そこにまんまと現れたんだ。
「おはよう、藤村」
彼女は目を丸くしてこちらを見た。手提げ鞄からはビラが見える。ずっと飼い主を探していた証拠だ。
「いいか、藤村。お前のせいで俺の生活はめちゃくちゃだ。お前のことを考え出すとなぁ、夜だって眠れないんだ!」