プロローグ
「ええと、今日は確か駅前のスーパーで卵が特売だったから……夜ご飯はオムライスにしようかな」
一週間の仕事を終えた金曜の夜、私は家路をたどる途中、片手に持ったチラシを眺めながら今夜のタスクに頭を巡らせる。
激務と言って差し支えないであろう、勤め始めて七年目の調理の仕事は、週末ともなると文字通り目が回る忙しさだった。
もう慣れたとは言え、足腰は悲鳴を上げかけている。
しかし、悲しいまでの薄給を物語る財布の負担を少しでも少なくするため、毎日特売のスーパーを巡るのが当たり前になっているのが、もの悲しい。
「ああ、でも冷蔵庫のブロッコリーもそろそろダメになるかな。うーん、アーリオ・オーリオでも添え物に作ろうっと」
そんな事を考えながら青になった信号を横目で確認し、横断歩道を進みだした時。
ブレーキを踏む様子も見せず爆走してきたトラックが突っ込んでくるのに気づいたのは、その車体があと一メートルに迫った後だった。
「がはっ……!」
視界が回り、身体が宙を舞った。
鈍い衝撃は、全身の骨がおかしな方向に折れ曲がった事を示していて。
ドン、と地面に叩きつけられた自分から、赤い血が流れだしていくのが目に入る。
それがチラシを赤く染め上げて行くのを眺めながら、私の人生はあっけなく幕を閉じた、はずだった。
「おやまぁ、こんな山奥にまろうどか。可哀そうに、ぼろぼろになって」
「昨晩の歪みにひっかかってしまったんじゃな。もう扉は閉じたというに、取り残されたか」
「おぬし、聞こえるか? ……生きては、いるようじゃが」
鈴の鳴るような、好きっと負った女性の声が聞こえる。
閉じた瞼には、うっすらと光が差し込んでいた。
ゆっくりと目を開くと、ぼやけた視界に金色が映り込む。
「おぉ、聞こえておるな。良かった良かった。なぁ、おぬし。おぬしは今、死にかけておるんじゃ」
「……っ、は」
「あぁ、無理するな、動くでない。なぁ、おぬしは、まだ生きたいか?」
「……」
生きたいか、との問いに、過去の世界での苦労が思い出される。
でも、それでも、この人生を終えるにはまだ早いような。今ここで死を受け入れてしまったら、負けになるような気がして。
「……き、た」
絞りだした声と共に、口からごぽりと血が溢れた。
「ん、そうか。なら、生きるがよい」
ふわり、と甘い煙の臭いが鼻を掠めた。
金色が視界に広がり、血まみれの唇に何かがそれが触れる。
頬にさらりと糸が滑り、それが髪の毛だと理解する。
徐々にクリアになっていく視界には、自分に口づけをする女性の瞑った瞳から生える、長いまつげが揺れていた。