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猟犬

 テンプル公国の兵士たちにとって、いつ爆弾を投げ込まれるか分からない護衛任務ほど、恐ろしいものはなかった。まして、見知った外相カウニッツではなく、面識も何もないウィンストン・ハットン卿の護衛である。愛着も何もあったものではない。


 青年将校は気晴らしに、たまたま隣に居合わせた少年兵にちょっかいをかけようと頭ひとつ分低い彼の方を見た。少年兵が退屈そうな顔を持ち上げる。彼は戦場で出会っていれば兵士達の間でさぞ「大活躍しそうな」紅顔の美少年に、一瞬我を失いそうな衝動に駆られたが、我に返った彼は一層嗜虐的な欲求として披露した。


「嫌になるよな。戦場にまともに出てないんだぜ、あいつら」


 少年はキレ長の整った目でじっとりと彼を見つめると、自分の持つ小銃を軽く持ち上げて見せた。


「あんなのが戦場に出てきても、足手まといなだけでしょ」


「ふふん、生意気な奴だな」


 青年将校は少年の頭を撫で回す。少年は心底鬱陶しそうに、彼の手を払い除けた。


「どうも」


 仏頂面のこの子供が、一体何故これほど先輩の、まして将校を恐れないのか。彼は密かに疑問を抱き、探りを入れようと思いつく。


 例えば、この少年がゴッドルフのレジスタンスで、腹に爆弾を仕込んだテロリストであれば、腹を触られるのを嫌がるだろうし、クィンザーズ王国のスパイで、極秘情報の傍受の為にいるのであれば、彼のしょうもない、嘘八百の情報に飛びつくかもしれない。


 煙突に支えられた分厚い空の下には、いくつかの戦闘用車両と、数名の兵士だけが待機しているらしかった。


「なぁ、腹空いてないか?ちょっとサボろうぜ」


 彼はそう言って腹を摩る。少年はそっぽを向いて、「どうぞご勝手に」と答えるだけだ。青年将校は即座に彼の腹を摩る。柔らかい、少年の肉の感触が服越しに伝わってきた。


「ほら、ちっとも食い物にありつけなかったんだろう!そんなへなちょこ腹で!奢ってやるから、な!」


「やめろ、結構です!」


 少年はするりと抱擁から抜け出ると、心底不快そうに顔を顰めた。煙突の乱立する工場群の背後には、彼と同じ年頃の子供達が工場に追い立てられている。鞭をもった資本家達は、廃墟のようになったゴッドルフの大工場を見た腹いせに、手に鞭をもって彼らを追い立てている。


 こうした光景は、ゴッドルフだけでなく、テンプルでも特段珍しいものではなかった。

 蒸気機関が発展し、石炭採掘業が最盛期を迎えると、テンプルの貧しい少年たちは資本家に買い上げられ、狭く落盤の恐れもある坑道を、トロッコを曳きながら出入りするようになっていた。少女達は紡績工場に駆り出され、仕事が遅いと鞭打たれることも珍しくない。

 青年将校の妹も、そうした理由で心労が重なり、特有の「重い空気」にやられて死んでしまった。

 彼は少年の背後にある光景にしばらく釘付けになる。少年が首を傾げると、彼はぽつりと呟いた。


「かわいそうだな……。子供ってのは、いつも最初の被害者なんだ」


「そう言って憐れんでるだけで救われるって言うんなら、あんたは幸せ者だってことだよ」


 首の辺りから声がする。将校は声の主を見る。そこには、古式のナポレオン・ハットを脱いで、ニュースボーイハットを目深に被った少年の姿があった。


「……妹がああして死んだんだ。俺は、長男だから、世継ぎのために残された」


「かわいそうも何もないだろう。残されたあんたも似たようにかわいそうだって言われるのか?かわいそうだよな、男ってのは。いつも戦場に駆り出されるのはあんたらだ」


 青年将校は、少年の手にあるナポレオン・ハットを取り上げると、これを上から被り直させる。反抗的な少年の目はしかし、将校の泣きそうな瞳に映されて、居場所を失った。


「俺は、コナーって言うんだ。ついて来い」


 コナーはそう言って、男の手を引く。瓦礫に足を取られながら、男は何度も持ち場を振り返った。建物の手前まで来ると、コナーは守衛に交代の指示を取り付け、青年に同意を求める。彼が反射的に頷くと、兵士たちは顔を見合わせて肩を持ち上げ、持ち場を後にした。


 暫くその場に待機していると、扉が開かれる。赤のフロックコートにトラウザーズ、ピッケルハウベという出立ちのクィンザーズ兵が現れた。


「クィンザーズ兵とテンプル兵数名で、ウィンストン・ハットン海軍相を警護することになった。我々と共に来るように」


 青年は目を瞬かせる。コナーは軍人よろしく敬礼を返すと、青年を引っ張って建物の中に引き込んだ。



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