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大国降り立つ

 

 敗戦に沈む港湾都市ゴッドルフに、真っ黒な蒸気巡洋艦プリンス・エーベンス号が停船した。遥かな甲板から見下ろす弾痕の生々しい傷跡や、砲弾で倒壊した瓦礫の残骸は、上陸作戦の凄惨さを物語っている。空を覆い尽くす蒸気に飲み込まれる街を冷やかに眺めながら、クィンザーズ王国海軍大臣、ウィンストン・ハットン卿は、テンプル公国外務相のカウニッツ・セル・トーンベルクを引き連れてゆっくりと下船を始めた。


「カウニッツ、この国では男の両親が同意しなければ、結婚ができないと言う法律があるそうでね」


 ハットン卿に付き添うように、金髪の若いカウニッツは、真新しいスーツで港へと降り立った。

 煤煙の嫌な匂いと蒸気の吹き出す工場の群れに向かって、憔悴しきった市民たちが逃げるように駆けていく。鬼気迫る表情はカウニッツを困惑させ、ハットン卿は艶出ししたばかりのシルクハットを持ち上げもしないで進んでいく。


「男が産まれると両親は泣いて喜ぶのだそうだよ」


 港に居並ぶ倉庫の隙間を縫うように、ハットン卿は早足で、御用車両の待つ駐車場へ進んだ。


 車高の高い御用車両には、2台の陸軍戦闘車が連れ添っている。静まり返った町のあちこちにある焦げた跡や、人の形を切り取った鮮血が、壁にびっしりとこびりついている。ハットン卿は杖を頼りに、重い体を持ち上げると、一歩ずつ体勢を整えながら、御用車の中へと入っていく。


 王国御用車両は女王陛下のものと同じく黒地で、渋い深緑のラインに縁取られている。車両前部に御者台があり、剥き出しのハンドルを手にしながら、御者はすまし顔で背景と同化している。

 機械の一部と化したこの人間が、この三輪の機動車を自在に操作する。人類はいまや、あらゆるものを鉄と石炭によって支配できるようになっていた。


「君は懸命な判断をした、カウニッツ。この町の瓦礫を撤去させるのにかかった労苦と比べれば、町の隅に追いやられた解析機関の解体調査など、我が国で容易く行えるだろう。我が国は蒸気機関の発祥の地だ、技師も貴国とは桁違いの手練れだ」


 ハットン卿は車両に乗り込むと、早速葉巻を咥えて金属のライターを弾く。キィン、という金属音が鳴ると,すぐにライターは目的の炎を灯して見せた。


「この度のハットン卿の御助力、感謝に堪えません。我がテンプル家、そして麗しいクィンザーズ家両家の繁栄にも、必ずや解析機関が役立つ事でしょう」


 カウニッツは扇を軽く仰ぎながら、努めて笑顔を作る。車両は瓦礫の破片に時折が揺れ,不快な振動で両者の杖が床の上で交差する。ハットン卿は鬱陶しそうに顔を顰め、まるでそれが揺れの原因であるかの如く、飢えた子供が泥に突っ伏している様を睨み付けた。


「凄惨な現場だ。いまや戦場は隣り合う国から遠く隔たれて、クィンザーズの王宮にまで砲弾を打ち込むのだ。地獄のような地下壕にお気に入りの万年筆と印鑑を持ち込み、顔を青白くさせて身を震わせるのは、沢山だ。解析機関さえ手に入れば、そのどれもが報われるというもの」


「その代わりに、私達の頭脳も使い古されてしまうのでしょうかね」


 カウニッツは自嘲気味に笑う。ハットン卿は静かに杖を引き戻すと、口に溜まった主流煙を吹き出して笑う。


「喜ばしい事だ。もう老ぼれは引退したい所だよ」


 御用車は町の中心部へと至る。縮絨工場と煙草工場に混ざって、クィンザーズを散々に苦しめた軍需工場地帯の廃墟が連なっている。


 その軍需工場から西へ3キロほど進んだ程近いところに、の国章を身につけたテンプル公国の兵士が警備する煉瓦造りの建物が建っている。建物は一部倒壊しており、火災の後のような物々しい雰囲気を纏っている。


 煙突から立ち上る煤煙の代わりに、細い煙がいくつか上がっているこの建物の地下で、今も「解析機関」が稼働していると言う。

 ハットン卿は物憂げな瞳でこの軍事要塞を眺める。兵士たちが通るごとに敬礼を返す様に、カウニッツは手を振って返す。この中には、背の低い少年兵から、精悍な顔つきの青年将校まで混ざっている。ハットン卿は静かに葉巻を口から離すと,ますます目を細めて建物を見上げた。


「貧困に疫病はつきものだが、鼠には用心した方が良いいだろう」


 御用車は天井付きの駐車場に、バックで停められた。


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