プロローグ
はだけた服を急ぎ引き上げながら、青ざめた男がベッドの上を睨む。過呼吸のあまりにひゅうひゅうと泣く喉仏は、しきりに息切れを繰り返しては首を振った。
「君は一体何者なんだ……!」
視線の先には綿製のベッドがある。落ち着いた白色の枕は二人分の大きなもので、鼻を掠める薔薇香は淫靡な雰囲気を作り出している。
「自己紹介は、先程致しましたけれど……。まぁまぁ、少し、記憶が混濁しておられるのですね?」
ベッドから床につく露出した足先は、薄茶色のマニキュアで整えられている。綺麗に並んだ足は静かに組み替えられ、衣擦れの音とともに、旧いコルセットの上で、朱を乗せた唇が持ち上がる。
男が慌てて立ち去ろうとした所で、部屋にピストルの発砲音が響き渡った。
男は、飛び散った血痕の上に倒れ込む。脳天に残った綺麗な銃痕からは、弾けた火薬の臭いが煙となって立ち上っている。
「安い依頼だったね」
半開きだったクローゼットの中から、ニュースボーイキャップを目深に被った少年が現れる。少年は蔑むような目で男を一瞥して、一つ鼻から息を零した。
「たまにはこう言うのもいいのよ。短いバカンスみたいなもの」
女はベッドから立ち上がると、少年のいたクローゼットからバッスル・スタイルの服を取り出して着替え始める。ホックを外す音が響き、少年は咄嗟に彼女から視線を逸らした。
「いいじゃない、貴方が2つの頃からの付き合いでしょ?」
「……そう言う問題じゃないの。もうすぐ成人するだろ」
「はいはい、御免なさいね」
女は呆れるように微笑むと、腰帯の細かな調整を正して、「もう大丈夫ですよ、お兄さん」と揶揄うように言った。
クローゼットが小さく開き、少年の訝しむような表情が現れる。女が服を着直した事を確認すると、彼はクローゼットから部屋に出て、死体の後処理を始めた。
足先で頭をつつく。片膝になって脈動を確かめた後、指をこじ開け、手にピストルを持たせる。その腕を脳天の位置まで近づけると、血痕を踏まないように、静かに立ち退いた。
「行こっか」
少年が向き直ると、女は口元で人差し指を突き立てる。弧を描く瞳の先では、端正な金雀枝の装飾が施されたドアノブが動く。身構える少年に対して、女は静かに、来訪者へと微笑み返した。
「仕事は捗っているようだな、ハリエット君、それにコナー君」
中年の来訪者はコートと帽子を掛けると、死体を跨いで2人に近づいた。見知った様子のハリエットは、コナーの襟を掴んで男に道を開けさせる。
「今日はご依頼って様子ね、ミスター・チャールズ」
「そうだね。先に報酬を渡しておこうかと思ってね」
チャールズと呼ばれた男は、帽子掛けがわりにコナーの頭に帽子を押し付けると、ハリエットに紙切れを手渡した。
「あら、あら。断る理由がないですね」
ハリエットは紙を捲ると、即座に応じる。チャールズは押しつけた帽子を投げ返されると、これを被り直して踵を返した。
「依頼内容は、私の発明品である解析機関が海を渡らないようにする事だ。壊しても、誰かに渡しても構わんがね」
ハリエットは報酬を確かめようととりつくコナーから紙を隠しながら、先ほどよりも大きく、口角を持ち上げて見せた。
「コナー、大仕事よ」
コナーは報酬を諦めると、キャップを深く被り直した。
「はい、はい。分かってますよ」
血が絨毯に滲んでいく。チャールズは一度だけ振り返って微笑むと、わざとらしく床を叩いて、部屋を後にする。