FILE.5 正義という暴力
東京都中央区450-築地旧市場。
サイバーグラスを着けた男達の足音が、浮浪者の溜まり場と化した廃市場に鳴り響く。
国民管理システムが統治する巨大都市・新東京。全面積の9割は整備されているが、残り1割を廃棄区画として残している。
国民管理システム統治下の社会に順応できず、排される一定数の人間が、最後の行き場とするのが、この廃棄区画だ。外の常識は通用しない独自の社会が成立つ地域。至る所で浮浪者が根城を構え、違法露店、薬物売買、違法賭博、詐欺、窃盗、喧嘩等々、有りと有らゆる犯罪の温床となっている。ただ、問題視される一方、その区画が在るからこそ、地区外の犯罪発生率が低いとも言える。言わば、廃棄区画そのものが巨大なメンタルケア施設の役割を果たしているのだ。
そうしたゴミ溜めに住まう"住民"から見ても、彼等の存在は異分子だ。例えるなら、身体に入り込んだウィルスの如く、存在そのものが災いとなるような。
浮浪者の寝床を通り過ぎる、謎の男達。その見た目から東南アジア系外国人だろう。銃火器で武装しているところを見ると、恐らくは不法入国者。不穏さを感じ取った1人の浮浪者は、帽子を深く被り直し、寝返りを打った───。
密入国者達は、まるで導かれるかのように迷路のような路地を突き進む。
無言のまま歩を進めていたが、行き着いた行き止まりで、先頭を歩くリーダー格の男はピタリと足を止めた。
リーダー格の男は、サイバーグラスの智部分に触れると、辺りを見渡す。直後、仲間に手信号を送ったかと思えば、行き止まりの壁に手を伸ばした。男の手が壁に触れた途端、触れた一部分にノイズが走り、そのまま吸い込まれるかのように、壁の中へと入っていった。仲間の密入国者達も、リーダーに続くように次々と中へと入る。
まるで神隠しのように、密入国者達の痕跡は跡形も無く、その場から消えた。
───5分後。
警務車の進入と共に、街の灯りは消えてゆく。事件で無い限り、公安庁が廃棄区画へ足を踏み入れる事は無い。公安庁の立入りに覚えの無い住民達は、警務ドローンによって一帯が封鎖していく経過を固唾を呑んで見ていた。
そんな中、警務車から降りた6人は、運搬ドローンからエンフォーサーを取り出した。
「ミツバチ*¹の情報は全員の端末に届いているわね? 侵入経路は不明だけど、どうやら密入国。東南アジア系の外国人が、この先の行き止まりで姿を消した。恐らく、行き止まりはホロによる偽装で、その先に通じていると考えられるわ。ミツバチによる簡易スキャンの結果は、全員アウト。即時執行が必要な連中よ」
梓を前に、課員5人が弧を描くように並ぶ。腕に着けたデバイスからホロ展開された情報には、識別スキャナーの生体情報と防犯ドローンによる映像が表示されていた。
半鎖国政策を取り入れた日本において、密入国は重罪。それだけで執行対処となるが、それを考慮しなかったとしても、高い攻撃性と反社会的思想を持った彼等は、この国にとって不要と判断されるに価する人間だった。
「どう突入しますか? 」
愛華の質問に、梓は地下駐車場のマップ情報をスワイプした。
「不正にホロ展開された一帯をドローンで封鎖後、地下へは非常階段とエレベーターの2チームに分かれて突入する。空と遼子は私と一緒に階段から、陽菜、深月、愛華のチームは、ドローン2機を先頭にエレベーターで。突入地点に、敵のトラップが無い事は確認済みよ。
まず、ミツバチによる閃光攻撃の後、私のチームが突入。それで敵の目を惹き付けている間に、陽菜チームは後方から侵入。敵を挟み撃ちにして、一網打尽にする」
梓の説明に沿うような形で、マップ上にはシミュレーションが表示される。
「目眩まし? やけに慎重じゃん」
深月は驚きの表情で訊ねた。
「ミツバチの報告によると、敵は銃火器で武装している。敵に反撃を許せば、負傷者が出るかもしれない。十分に気を付けるように」
注意を促す、梓。デバイスには、ミツバチが敵の様子を撮影した、リアルタイム映像が展開されている。
特殊部隊顔負けの戦闘作戦も少なく無い第四課において、慎重過ぎる作戦を執り行う理由。それは、愛華にとって初の危険なミッションだからであろう。明言こそしなかったが、今回の任務で愛華のレベルを底上げする狙いも梓にはあるに違いない。それ程までに、愛華の潜在能力には期待していたのだ。
「了解! 」
一同は、二手に別れ、闇の中へと身を隠した。
築地旧市場地下駐車場。
剥き出しのコンクリート支柱が幾多にも連なる空間で、外国人密入国者達は、8人の日本人グループと対面していた。黒のスーツを身に纏った日本人は、見るからに裏社会の匂いを醸していた。中でも、中央に立つ60代の男は、背はそんなに高くないものの、凄まじい威圧感と狂気を放っている。
異常な緊張感が空間を支配する中、外国人リーダー格の男が口を開いた。
「Are you Mr. Kataoka? 」
「Yes. I'm honored to meet you all. One moment, please.」
60代の男は、流暢な英語で挨拶すると、デバイスを指で突くような素振りを側近に見せた。指示を受けた側近幹部は、デバイスの自動翻訳機能を作動させた。
「翻訳機、作動しました」
側近が60代の男に耳打ちすると、男は笑みを浮かべ、外国人リーダー格の男に「伝わってはりますか? 」と訊ねた。
音声までもが正確に翻訳再生されると、外国人リーダー格の男は、「あぁ」と返事をした。
「改めて、私が天元会*²を束ねとります、片岡祐治です。遠路遥々、日本へようこそ。
ここまでの経路は確保させてもろうたけど、問題は無かったですかな? 」
片岡は、自身が用意した侵入ルートに絶対的な自信を覗かせた。
「あぁ、ドローン警備にもスキャンにも引っ掛かる事なく辿り着けた。礼を言う。
早速だがビジネスに移りたい」
外国人リーダー格の男は、仲間に持って来させたアタッシュケースを目の前で開いた。中には、ケースいっぱいに敷き詰められた"白い粉"が小分けにして入っていた。甘い匂いに引き寄せられたのか、ハチが2、3匹飛び回る。
「まずは、中身の確認をさせてもらいます」
片岡の側近幹部は、群がるハチを払い除けると、"白い粉"をスキャニングする。その直後、ジッパーの付いた小分け袋を開いて、粉を一摘み取り出すと、親指と人差し指で感触を確かめたかと思えば、ペロリと舐め、味を確かめるように咀嚼した。
数秒後、側近幹部は片岡に小さく首を振り、中身が本物である事を伝えた。
「どうやら、中身の確認が取れたようです。あなた方のご所望は、あちらに用意させてもろうてます。サービス言うたら大袈裟やけど、対警システム*³も搭載してるんで、派手なことしーひんかったら、公安の目も誤魔化せるはずですわ」
成果のある取引きが行えた事に満足げな笑みの片岡。側近幹部は、自動車の鍵を渡し、ホログラム解除する。すると、忽ち、片岡から見て左手に置いていたコンテナにノイズが走り、自動車へと姿を変えた。
外国人密入国者の1人が、車内を一通り確認し終えると、リーダー格の男に頷いた。
その様子を見ていた片岡は、手を差し出した。
「これで取引成立という事で…」
握手に応じず、ピリ付く取引相手を見た片岡は、言い知れぬ違和感を覚え、首を傾げた。その刹那、ふと目に映る"ハチ"に気を奪われる。
何かがおかしい…。目の前を"ハチ"が飛び去る一瞬が、何十倍、何百倍にも濃縮され、ゆっくりと経過する中、ソレがミツバチ型の小型ドローンである事に気付いた時には、ミツバチの体から光が漏れ出していた。
「しまった…。公安!!!」
吹き出た冷汗が吹き飛ぶ程の閃光。予期せぬ事態に、その場にいた全員が怯む。
「公安庁よ。無駄な抵抗は止め、直ちに投降しなさい」
光学迷彩*⁴を解除した梓は、エンフォーサーの引き金を引いた。
放たれた銃弾は、ジャイロ回転しながら空を切り、片岡の右肩を着弾すると、骨を抉りながら進み、貫通前に破裂した。真っ赤な飛沫と共に、骨は筋肉ごと肉片に変わり、周囲に飛び散った。
右肩を失った片岡は、未だかつて味わった事の無い激痛に呻きを上げながら、その場で蹲る。
天元会の幹部2人が、片岡を護るように囲み、拳銃で応戦し始める。しかし、その引金が引かれる事は無い。引金に掛かる指に力が入るまでの刹那、2人の頭蓋は、風船が割れるように破裂する。唇から上が剥き出し状態になり、2人の身体はその場で崩れた。
直後、空間に半透明の靄が掛かったかと思えば、徐々に色付き、銃を構えた、空と遼子が姿を現した。銃口からは硝煙が立ち昇っている。
間違いない…。天元会の2人を殺したのは、あいつらだ…。
外国人リーダー格の男は、見た事の無い武器の威力に呆然と目を剥いた。
「Return fire! 」
このままでは、自分と仲間まで国家権力の餌食になる…。我に返った外国人リーダー格の男は、声を上げ、コンクリート支柱を盾に反撃の狼煙を上げた。
「奴ら、戦い慣れしている。ただのテログループじゃない。傭兵か? 」
想定を超える反撃を受け、支柱に身を隠した空、梓、遼子。空は、支柱の影から敵の様子を伺いながら、ブラックリストを確認したが、一覧に一致する者はいない。つまり、日本政府ですら未確認の傭兵という事になる。
勢いの止まない集中砲火に、さらに天元会の側近幹部4人も銃撃戦に加わり、コンクリート支柱は蜂の巣のように削れていく。その様な状況下で、梓は冷静にカウントし始めた。
一方、銃撃戦の隙に、側近幹部の1人は片岡を自動車の後部座席に乗せ、逃走を図っていた。ボスの命さえ無事ならば、組織として死ぬ事は無い。幸い、公安庁の3人は、集中砲火で他に意識を割く余裕など無い。側近幹部の男は、今しか無いタイミングを逃すまいと、運転席へと乗り込もうとした。
「3・2・1…」
梓のカウントが終わると同時に、まるでコーラ瓶の蓋が弾けたかのように、運転席へと乗り込もうとした男の首が飛ぶ。飛んだ頭は、ボーリングボールのように外国人リーダー格の男の足下へと転がった。
それを見た外国人リーダー格の男は、目を剥いて絶句すると共に、迂闊にも敵が"3人"だと思い込んでいた事に後悔した。慌てて背後を見ると、警務ドローンを盾に、対峙していた敵と同じ銃を構えた女捜査官の姿があった。よく見れば、その周りをいくつかの黒い"何か"が飛んでいる。いや、"ハチ"だ。
つまり、最初から公安庁の掌で踊らされていたのだ。外国人リーダー格の男は、歯軋りする程奥歯を噛み締めた。
コンクリート支柱に向いていた銃火器は、"ハチ"を纏った陽菜へと向いた。
しかし、銃の引金が引かれるよりも前に、脱兎の勢いで"影"が動く。その"影"は、あっという間に外国人密入国者の懐まで入ると、両脚の腱から、脛、膝、大腿の順に斬り込んだ。
身体を支える為の重要な部位が斬られた事で、足元から崩れる、外国人密入国者。倒れる寸前で髪を掴まれ、膝立ち状態で拘束されると、自身を斬り崩した"影"の正体が、自分より一回りも小柄な女性であった事に驚駭した。
「Dammit! 」
外国人密入国者の最期は、あまりに短い言葉で迎えた。深月は、冷めた目でナイフを気道に突き刺すと、そのまま引裂いた。
血飛沫すら浴びない鮮やかな職人技に、怖れ慄くテロリスト達。
仲間の死も束の間、また1人。外国人密入国者が命を散らす。エレベーター方向からの弾丸は、胸部にめり込むと、心臓諸共破裂する。
光学迷彩を解除し、姿を見せた愛華は、さらに1人の外国人密入国者を執行する。相次ぐ仲間の死に、動揺を隠せない外国人密入国者達と天元会。削がれる戦意が攻撃の手に隙を生む。
梓、空によって、外国人密入国者達 はさらに1人ずつ。遼子、陽菜、深月、愛華によって天元会の側近幹部らは執行された。
文字通り、挟み撃ちによる一網打尽で、天元会は、片岡を除く全員が死亡した。
一方的な暴力によって、次々と仲間が命を落としていくのを目の当たりにした、外国人リーダー格の男。断腸の思いで仲間の1人にその場を託すと、もう1人と共に近くの自動車に乗り込み、スキール音を立てて急発進した。
残った外国人密入国者は、1人でも狩殺そうと、雄叫びを上げてマシンガンを撃ち放つ。しかし、命懸けで放つ弾丸雨注ですら、深月の華麗な身のこなしの前では、無意味だった。
瞬く間にゼロ距離まで接近した深月に対し、武器を捨て、近接戦闘術に切替える外国人密入国者。宛ら、フィリピンの近接格闘術・カリのような癖のある攻撃ならば、深月を翻弄する事など容易いと踏んでの判断だったが、相手が悪い。
息もつかない拳打の応酬を、深月は手玉に取るかのように容易く去なすと、刹那の隙に懐へと潜り込み、肘打ちを打ち放つ。肋骨から響く鈍い音。そして、吐血。恐らくは、折れた肋骨が肺に刺さったのだ。
深月は、勢いそのままに外国人密入国者を投げると、仰向けに倒れた外国人密入国者の額にエンフォーサーを突き付けた。
「Go to Hell! 」
死を悟った外国人密入国者の最期の抵抗は、深月を睨み付けて言い放った暴言だった。パンッという発砲音の後、力無くだらりと腕が地面に付いた。
「俺達がこんな奴らに…。計画は完璧だった。それなのに…」
サイドミラー越しに小さくなっていく仲間の勇姿に、見ていられず目を瞑る、外国人リーダー格の男。悔しさ噛んだ下唇からは血が伝った。
一方、逃走車の姿を梓は逃さない。「陽菜! 」と大声を上げる梓に、陽菜は「大丈夫よ」と答えると、ホロキーボードをカタカタと叩いた。
「な、なんだこれは!!!」
波のようにうねる地面に、逃走車を運転する外国人密入国者の正常な判断は損なわれ、悲鳴の末、逃走車はコンクリート支柱に衝突した。
衝突の衝撃でダンパー部分は原型を留めていないが、エアバッグが飛び出した事で、運転者は血塗れになりながらも辛うじて一命を取り留めていた。
猟犬のように逃走車の周りに群がる、第四課の面々。
「車内は1人ね」
遼子は、車に乗っていたはずのリーダー格の男が姿を消している事を確認した。助手席周りには出血痕も見られる。相当な怪我を負っているに違いない。しかし、逃走車から僅か5mで出血痕は消えていた。
「1人は逃げちゃったかー。ここで痕も消えてるし、足取り追えそう? 」
への字の口で陽菜に訊ねる、深月。
「今、ミツバチが探してるわ。見つかるのも時間の問題…。って、言ってるそばから見つけたわ」
陽菜は、人差し指に留まった愛用のミツバチドローンを撫でた。
「深月、遼子、愛華はその男を確保。空と陽菜は私に着いて来て」
梓は、空、陽菜、そして数匹のミツバチを引き連れて、その場を後にした。
築地旧市場 路地裏。
外国人リーダー格の男は、足元が覚束ない状態で、壁に手を付きながらも足を前へと出す。額から流れる血と心身共に限界を越えた疲労が、意識を削り取ってゆく。
足取りの重い一歩に鞭打つ最中、パンッという音と共に、左脹脛に激痛が走る。
声にならない呻きを上げて倒れる、外国人リーダー格の男。激痛の方へと目を向けると、冷たいコンクリートの地面に転がる膝から下の足が瞳に映り、阿鼻を上げた。生に獅噛み付いている訳では無い。ただ、数秒前まで自分の身体の一部としてあったものが、今や無機物と化して転がっている状況に絶望したのだ。
そして、弱者にこの世界は優しくない。怪我を負い、息絶え絶えのシマウマに群がるハイエナの如く、国家の猟犬がリーダー格の男を囲んだ。仲間を殺した殺人銃を向けて。
外国人リーダー格の男が、絶体絶命の状況下でできる唯一の抵抗。それは、国家の犬諸共死ぬ事だった。自身に着けた爆弾のスイッチをポケットから取り出すと、罵倒の声を荒げながら、スイッチに指を掛けた。
「お前たちは正義という名の暴力を振りかざし、自由を独占し、息絶えていく弱き者を虫螻同然に踏みつぶす。我等が消えようと、必ずお前たちを───」
しかし、スイッチが押される事は無い。外国人リーダー格の男は、意識を刈り取られたようにその場で倒れた。
「間に合った…。こんな路地で自爆されても困るからね」
安堵の表情を見せた陽菜が人差し指を立てると、ミツバチが留まった。
外国人リーダー格の男は、ミツバチの麻酔針を刺され、意識を失ったのだった。
陽菜によって、外国人リーダー格の男に巻き付けられた爆弾を無力化している最中、デバイスが鳴った。
「こちら遼子。天元会会長と外国人密入国者の1人は移送したわ」
「了解よ。こちらも移送後、そっちに合流するわ」
梓の応答とほぼ同時で、陽菜による爆弾処理が終った。警務ドローンに囲まれ、移送される途中で、外国人リーダー格の男の胸ポケットからカードのような物が落ちた事に、愛華は気付いた。
それを拾った愛華は、思わず「え? 」と声を漏らした。
「La Justice…正義?」
*¹ ミツバチ:陽菜が開発したミツバチ型ドローン。追跡、麻酔での制圧、諜報など多様性がある。
*² 天元会:指定暴力団。2069年に警察庁による警察組織の解体と公安庁による新たな警察組織設立を機に、暴力団一掃計画として暴力団組織の99.4%壊滅した。これで反社会勢力根絶に思えたが、2081年に片岡祐治が組織し、率いた、「資本主義を守る会」が発展し、新興暴力団として「天元会」を設立。反社会的事件、テロなどを行う可能性が高いとして、公安庁が監視している。
*³ 対警システム:対警備妨害システムの略。
*⁴ 光学迷彩:使用者の光学的及び熱領域レベルまで視覚的にカモフラージュする技術。