FILE.46 ニヒリズム
新宿区281- 水道局本庁舎 局長執務室。
高級感ある黒革の椅子に深々と腰掛けたまま、男は冷たくなっていた。血飛沫が飛び散る卓上を、鑑識ドローンがせっせと動き回る。
入口扉に張られた立入禁止ホログラムを素通りする、雫と愛華。現場では、先着の結城巧と他捜査官2人が初動捜査をしていた。
相次ぐ捜査官の殉死と特課捜査官の逃亡を受け、局長・天宮碧葵による緊急的な措置として、白羽衣雫を班長、柚崎愛華を副班長に据え、課員に結城巧、他2名を配置した、臨時的な第四課が発足していた。
「害者は?」
雫は、手袋を咥えた口で問う。
「栃内文彦。54歳。産業省水道局 局長です。前任の任期満了により、産業省からの天下りで局長に就任したのが10日前。昨日までは、各特区の水生産施設の視察や関係各所への挨拶周りで全国行脚していたようです」
結城巧は、デバイス情報を読み上げた。
「つまり、今日からこの座り心地の良い椅子で高給取りライフを満喫するはずだったって事だな」
嫌味ったらしく鼻で笑う、雫。
「恐らく、致命傷は頸動脈を切られたことによる出血性ショック死。両目の眼球は抜き取られ、両指全てが第二関節から切断されている…。雫さん、これ、何かの生体ロックを解除する為に殺されたのかも」
覗き込むように遺体を見る、愛華。
「第一発見者は?」
雫の問いに、結城はホロ情報を展開する。
「公設秘書官の保坂梨花。25歳です。今朝、死亡している栃内文彦を発見、通報に至ったようです」
結城の報告を他所に、指で遺体の下瞼を引っ張り、眼球が抜かれた跡をペンライトで照らす、愛華。その光景は、何かに取り憑かれたかのように異様だった。
「ちょ、ちょっと愛華さん!!! そんなの鑑識ドローンに任せれば…」
慌てて止めに入ろうとした結城を、雫は無言で首を振り制止した。
「分かってます。でも、きっと"あの人達"ならこうする」
その手を止める事無く、今度は喉仏周辺を触診した愛華は、嵩張る感触に違和感を覚えた。その正体を探ろうと、遺体の口から気道内の確認を試みたが、せいぜい扁桃が見える程度で、違和感の正体を探る事はできない。
愛華は、鑑識ドローンを呼んだ。
「気道と頸部を集中スキャンして」
愛華の指示でスキャンし始める鑑識ドローン。
顎から鎖骨へと下に動いていた赤色のレーザー線光が一ヶ所で止まった。何かを検知したのか、今度は青色のレーザー光で部分的なスキャンをし始めた。
鑑識ドローンは、数秒程度でスキャニングを終えると、今度は被害者の鎖骨から頭までの3Dモデルを空間にホログラム投影し始め、喉仏の下辺りに、長さ5cm程度の異物が埋め込まれているのを映した。
愛華は、宛ら手術前の医者のように、ビニール手袋を手首まで引っ張ると、「メス」の一言と同時に手を差し出した。
鑑識ドローンが差し出した医療メスを受取ると、咽頭から気管へとスッと線を引く、愛華。切り口から半透明のプラスチック袋の端が覗いていているのに気付き、切り口に手を突っ込み異物を取り出した。
「洗浄!」
愛華の指示を聞き、鑑識ドローンによる洗浄と殺菌で血が洗い流されると、スキャンで確認した長さ5cmの異物が姿を表した。
愛華は、ビニール手袋を外すと、袋からチップを取出し、デバイスで簡易解析を試みる。しかし、再生されたのは砂嵐のような雑音だけだった。
「ダメです…」
首を横に振る、愛華。しかし、払拭できない気掛かりを"気のせい"で切り捨てられず、様々な角度からチップを見回した。
その時、自身の親指の指紋がふと目に入った。
「そうか。指紋だ…」
愛華は呟くと、鑑識ドローンに指紋のスキャンを命じた。すると、疑念通り1つの指紋が浮かび上がる。
そして、出た解析結果に、愛華と雫は目を剥いた。
« 解析結果:竹内梓。データベースとの一致率:98.5% »
「現時刻を以て、竹内梓、森原遼子、立華陽菜、河下深月の4人を、レートSSに引き上げる。
結城、厚生省に半径50km圏内の優先識別を申請しろ。それと、スキャナー網が薄い所を徹底的に潰す。全警務ドローンの配備申請を上げろ。あとの2人は、栃内の死亡推定時刻から現時刻に至る、庁舎内のスキャンデータとドローン映像の解析だ。
あいつらは、素人じゃない。時間を掛ければ掛けるだけ足跡を追えなくなる。3時間以内にあいつらを炙り出す。いいな? 」
雫の指示に、「はい!」と返答した捜査官2人は、足早にその場を後にした。
しかし、結城巧は動かなかった。その様子に、雫は疑問を呈した。
「どうした? お前も行け」
「いえ、厚生省への申請もドローンの配備も、デバイスからすぐにできます。なので、俺はお二人とその音声データの復元を手伝います」
有言実行を証明するように、目の前でデバイス操作する、結城。
その様子に、何となくの違和感を覚える、雫。
暫定的に組織されたチームとはいえ、結成時に課員の情報には目を通していた、雫。その情報における結城巧は、所謂指示待ち族だった。上官からの指示には忠実だが、刑事特有の勘や行動は持ち合わせていない。
それに、元は第一課と第四課で所属は異なっていたが、捜査官同士の話はよく耳にしていた。その話においても、結城巧の評価はお世辞でも高いとは言えない内容だった。
しかし、今の結城巧は、その評価やこれまでの行動を覆す程、積極的なのだ。積極的過ぎる程に。
指紋が検出された以上、梓達は狩られる側だ。だが、自分と愛華が上手くやれさえすれば、死ぬ未来は回避できるかもしれない。結城を始め、他の捜査官を信用しない訳ではないが、今は公安から遠ざける事を選んだ、雫。
「その必要はない。復元は愛華だけで十分だよ。暇だと言うなら、栃内の生体情報でリンクさせている全リストの洗い出しと周辺の人物に聞き込みしろ」
雫は、膨大な量のセキュリティリストを結城に送り付けた。
これだけの量であれば、個人のデバイスでは処理しきれず、公安庁に戻るしかない。
「了解です…」
結城は、会釈すると、部屋の出入り口へと足を進めた。雫と愛華を尻目に見ながら部屋を出る、結城。それに気付いた雫もまた、結城の姿を最後まで目で追った。
「雫さん。梓さんがわざわざ指紋を残すなんて有り得ません。それに音声データは人為的に壊されています」
愛華は何度も音声データの復元を試みたが、完全に破壊されたデータは一部も元に戻らなかった。
「あぁ、恐らくデータは復元できないだろうな。そんな事ができるのは陽菜しかいない。梓の指紋といい、是見よがしに痕跡を残しているとなると、音声データを残したのは…」
少し困ったように髪を掻き上げた、雫。
「空だ」
「空さんです」
雫と愛華は、口を揃えて名前を出した。
「気付いていたんですね。それじゃあ、栃内を殺したのが梓さん達じゃないって事も…?」
尋ねる、愛華。
「あぁ、新宮那岐だろうな。空は、何らかの取引きをして新宮の計画に加担している。たぶん、その計画のどさくさ紛れに、梓達の救出を提案されたんだろうな。
で、梓達も空を追う内にココに辿り着いた。この痕跡の残し方だと、合流はできていないだろうが、空の残した音声データによって、梓達は新宮の目的を知ったんだろう。梓は、自分達がしくじった時の事まで考える奴だ。どんな結果になっても、空だけは確実に救出できるよう、私達2人に痕跡を残した。
まぁ、そもそも、空が生きている事自体、公安庁にとっては都合が悪い。他の捜査官に悟られる訳にはいかないから、私達2人だけが分かるメッセージを残したんだろう。まったく、憎たらしい程、妥当な判断だよ。
その想い、汲んでやる為にも、結城達捜査官には悪いが、見当違いな捜査をしてもらわなきゃいけない」
「ええ。そうですね。私は、梓さん達が国家に裁かれるのも、空さんが犯罪者化するのも嫌です。必ず止めてみせます」
愛華の目に強い信念を感じた、雫。
「まずは、梓達の足取りを追わなきゃだが…」
最直近のスキャニング情報を調べ始めた、雫。それを遮るように、愛華は言葉を挟んだ。
「きっと梓さん達の足取りを追うのは不可能だと思います。指紋を残した時点で、スキャナーの優先識別プログラムが書き変わる事だって考えているはずですから、必ず撹乱してくる…。
私が梓さんだったら、街頭スキャンそのものを欺く策を講じると思うんです。そして、"どうやってスキャナーを欺くのか?"、なんて事を考えて足踏みしている間に、目的を達成するでしょう。それが狙いです。
だからこそ、私達が追うべきは梓さん達ではなく、新……」
ピピピピッ。
デバイスが発した通知音は、愛華の真を突いた発言を遮った。意表を突かれ、驚く2人。
愛華は慌てて応答した。
「はい…………了解です」
デバイス通信を切り、雫の顔を見る、愛華。
「雫さん。識別スキャナーが機能不全に陥りました。局長から緊急招集です」
驚いた表情で雫を見る、愛華。雫もデバイスを目を向けると、入ってきた通知に目を剥いた。
2人が驚くのには理由があった。それは、オンラインでの緊急招集だったからだ。
本来、どれだけの緊急性があっても、公安庁大ホールに招集されるのが通常だ。それ故、異例。識別スキャナーの機能不全という事態を上層部は重く見ている事に他ならない。
愛華と雫は、デバイスの応答ボタンを押した。
公安庁 大ホール。
「諸君らも既知の事実だと思うが、目下、識別スキャナーによる生体情報検知が機能不全に陥っている」
壇上に立つ、局長・天宮碧葵を前に、ホログラム投影された捜査官達が各地から参加していた。
緊張感漂うピリついた空気が、今現在、外で起こっている事態の深刻さを物語っていた。
「原因は、個人のデバイスに仕掛けられたウィルスプログラムによって、本来、生体情報を読み取るべき識別スキャナーが、デバイスに記録された擬似情報を読み取っている事にある。さらに、擬似情報は、無制限且つ無差別に混交する。もはや、識別スキャナーで国民を管理する事は事実上不可能となった。
感染手段は一切不明。現時点、これを止める手立ては無い。
犯人は、水道局長殺害の容疑が掛かっている元第四課捜査官、竹内梓、立華陽菜、森原遼子、河下深月の4人と考えられる。
元捜査官によるテロ行為。前代未聞の事態だ。発見次第、即時執行を許可する」
ホロモニターには、公安庁に登録された、梓、陽菜、遼子、深月の捜査官情報に使われている写真が映されていた。
「識別スキャナーが機能しない以上、犯人の追跡は難しいと思いますが…」
捜査官の1人が、手を挙げ質問した。
「その通り。既に厚生省直轄部隊によって、立華陽菜が隠し持っていたセーフハウスを抑えたが、全て蛻の殻だった。現状、システムで奴らを追えはしないが…」
回答に合わせて、天宮の背後に映像が展開する。映し出されたセーフハウスは全部で8つ。その全てにおいて、一瞬たりとも人の居た形跡すら無い、文字通り蛻の殻状態だった。
公安庁のトップたる天宮が、識別スキャナーでの追跡不能を言及する異例の事態に、愛華、雫以外の捜査官達は驚きを隠せずにいた。
そして、天宮は、言及した瞬間に愛華と雫に目を向けた。その視線に気付いた雫は、スッと手を挙げると口を開いた。
「私と柚崎の2名で4人を追います。彼女らを追跡するには、思考や行動を先読みする必要があります。かつて同じチームで活動していた我々2人であれば、他の人間より行動パターンを推測できるかと思います」
「ほう。だが、それは犯人とて同じでは無いか? 君達2人の行動を読まれて、追跡を回避されるという失態を犯し兼ねない訳だが? 」
雫の進言に対し、欠点を指摘する、天宮。
天宮が、雫と愛華に目を向けたのは、逃亡犯を追跡し、執行する可能性を高く期待したからではない。遅かれ早かれ、元同僚の追跡を志願する事は予測していた。その場合、感情論で逃亡幇助する可能性だって考えられるのだ。故に、捜査官達が集まる面前で、精神的、物理的にその可能性を潰しておく必要があった。
「まぁ、良いだろう。ただし、追跡は結城巧 巡査長と厚生省直轄部隊も同行する」
「待ってください。人数が多ければ多い程、共有や報告に費やす時間を要します。そうなっては、犯人を追う上で障害になりかねません」
雫にとって、自分と愛華以外の人間も追跡に加わるのは不都合極まりないことだった。自分達の判断基準外で、梓達の執行や、殉職者認定された空が処分される可能性があるからだ。
「不都合かね? 君達2人は、只でさえ、元々同じ組織の一員としてやっていた。犯人を追う中で、余計な感情が邪魔をしないとも言い切れない。君達の覚悟を他の捜査官に示す機会を与えた親心を察して貰いたいものだがね 」
天宮は、冷めた視線で突き放す。これ以上、反論はできない。雫は、「了解しました」と答えると、悔しそうに奥歯を噛み締めた。
「一課、二課、三課及び五課は、識別スキャナーの機能不全によって、ストレス負荷の生じた市民の対処を命じる。既に、ストレス値が規定値超えした元市民が、暴徒化する事案も発生し始めている。逮捕、執行の判断は、各々に任せる。
事態は、2年前の暴動を超える脅威となりつつある。迅速に対処し、社会を守る砦として、諸君らの検討を祈る。以上…」
天宮が発した最後の言葉と共に、プツリと通信は切れた。
新宿区281- 水道局本庁舎 局長執務室。
天宮の"以上"という言葉の後、一切の間も無く通信は切れた。まるで、遮断されたように。その不自然な途絶に嫌な予感が過る、愛華と雫。2人は、顔を見合わせ小さく頷くと、足早にその部屋を後にした。
公安庁 大ホール。
電気系統の遮断によって、真っ暗闇に包まれた大ホール。天宮碧葵は、デバイスを確認するも、通信エラーが表示されている。そんな状況下でも、顔色一つ変えることなく、デバイスで周囲を照らした。
その光に人影が照らされる。そして、その人影は、天宮にゆっくりと銃口を向け、口を開いた。
「お久しぶりです、天宮局長。いや、那巫と呼ぶべきか…」
「ほう。君という訳かね。木嶋丈太郎。何のつもりだ? 」
自身に向けられた銃口に物怖じした表情を見せる事も無く、鋭い視線を木嶋に向ける、那巫。
「何のつもり? こりゃまた、国民管理システムの管理者たる、全知全能のAI様でも分からない事があるとは、滑稽ですな。あの日のように、リアルタイムで読み取りゃいいだろう…。いや、意地悪だったか。国民管理システムの中で、俺はあの日、死んだ事になっているんだから。まぁ、確かにあの日、俺はあんたに殺されたよ。だから、今はスマイルマンと名乗っている」
1段ずつ階段を降りる木嶋の顔には、まるでモザイクが掛かるかのように、ノイズ混じりのホログラムが覆ったり、消えたりを繰り返している。
銃口が近づく中、那巫は変わらぬ表情でその場に立っていた。
そして、演台を挟み、対面する両者。木嶋は、"天宮碧葵"の額に銃口に突き付けた。
「さぁ、裁きの時間だ」
木嶋の顔を覆い隠すように展開された、スマイリーマーク。その清々しい程の笑みは、心底を映しているようだった。
公安庁 屋上ヘリポート。
公安庁屋上に設置されたヘリポート。Ⓗと大きく書かれた離着陸マークの上に、ライトに照らされた2人の影が伸びる。
「ただの器に過ぎないこの身体を撃っても意味が無い事くらい、君も承知しているはずだ。替えはいくらでも利く。それを認識していても尚、私に銃口を向ける、君の思考。全く以て理解に苦しむよ」
皮肉めいた発言をする、那巫。どこか嘲笑っているかのような態度は、命惜しさではない。仮の身体である以上、撃たれたところで何も失わないという、那巫の余裕がそう発言させていた。
「あぁ。知っているさ。だから、裁きだと言った」
デバイスを操作した木嶋の背後に、ホロモニターが展開した。そして、そこに映し出されたのは、屋上ヘリポートで顔をホログラムで覆い隠した何者かに銃口を向けられた、公安庁局長・天宮碧葵の姿だった。
識別スキャナーが機能不全に陥った現在、街のあらゆる場所に"公安庁からのお知らせ"として、市民に自制を促すホロ映像が流されていたが、それも全て、屋上ヘリポートの中継に切り替わっていた。
千代田区111- 永田町 首都高速中央線。
「雫さん、これ見てください」
慌てた様子で映像を見せる、愛華。映る映像は、公安庁屋上ヘリポートで、顔にスマイリーマークのホログラムを展開させた人物が、局長に銃を向けている様子だった。
「どうなってる!? こっちから公安のシステムに入れないか?」
舌打ちをしながら、車内の戸袋内柱を殴る、雫。
「ダメです。完全に乗っ取られています…」
愛華が、何度もアクセスボタンを押しても、その度にエラーが表示される。
「急ぐしかねぇってか」
手も足も出ず、歯軋りする、雫。デバイスには、公安庁への到着予定時刻が表示されていた。
公安庁到着まで、あと10分。
公安庁 屋上ヘリポート。
公安庁局長の公開処刑という前代未聞の事態が全国中継されている現場で、2人は言葉を交わす。
「なるほど。私の正体を拡散し、国民にクーデターの意識を植え付けるつもりね? 考えたわね。那岐…」
目を細めて呟く、那巫。
「終わりだ」
木嶋は、引金に掛けた人差し指に力を入れた。その瞬間。
「そこまでよ」
第三者の声に驚き振り返る、木嶋。空間にノイズのような靄が覆い、足元から色付くように姿を現す。
姿を見せたのは、拳銃を構える、梓と陽菜だった。
「誰かと思えば、"元"捜査官の2人ですか。公安庁から逃亡し、今や追われる身であるあなた方が何の用ですか? 」
現れた2人に、正体不明のハッカー・スマイルマンを演じる、木嶋。
「猿真似はそこまでよ。スマイルマン。いえ、木嶋丈太郎 元第一課班長」
陽菜は、向けた拳銃をさらに前へと突き出した。
「バレてたのか。なら、話は早い。俺達が何を為そうとしているのかも知っているんだろう?」
正体を言い当てられた木嶋は、顔のホログラムを解いた。
「ええ。国民管理システムの崩壊と社会秩序の革命でしょ?
それに、あなたの正体も知っているわ。天宮 局長。いえ、国民管理システムの管理者、AI・那巫」
梓に銃口を向けられた天宮碧葵こと那巫は、目を細めて睨む。
「人間も随分と舐められたものね。機械による最大幸福だなんていう耳障りの良い言葉で誤魔化され、その実、AIによる独裁と支配で成り立っていただなんて。まぁ、得体の知れない機械を善だと盲信していた、国民一人一人の自立心の低さが招いた事態でもあるけどね。
でも、それも今日までよ。今日を以て、国民は国民管理システムと決別する」
梓自身も、国民管理システムの正体を見抜く事ができず、多くの国民と同じように人生を預け、生活の指標として過ごしてきた。それを恥じるが故に、"決別"という言葉を発する事で、盲目だった過去からの脱却を決意表明したのだった。
当然、国民管理システムの管理者たる那巫にとって、支配下から後天的に発生した異分子の存在は不都合だ。すぐにでも梓と陽菜を排除したいところだが、天宮碧葵という端末では、有効な策に必要な演算能力が足りず、現実的ではない。且つ、異分子2人とテロリストに囲まれている以上、為す術が無いというのが現状だった。
「ほう。だが、果たしてそれを国民は歓迎するかね? 管理される事が当たり前となった社会において、自らの意思決定で生きると言う事がどれ程の事か、君達はまるで理解していない。生きる指標を失った人間に待ち受ける未来は、虚無だ。君達の身勝手で一方的なクーデターによって、国民は生きる術を無くすのだよ」
弁舌の最中にも、梓、陽菜、木嶋の位置を眼で追い、状況を試算する、那巫。天宮碧葵という端末の眼には無数の0と1が縦に流れ、行動によって得られる結果を幾重にもシミュレーションしていた。
当然、そんなシミュレーションが電脳内で行われている事など気付かない、梓、陽菜、木嶋。国民にとって不都合な未来を持ち出した那巫の弁舌を、梓は真向から否定した。
「詭弁ね。人はいつだって歴史から学び、経験からより良い道を探って選択をしてきた。そういう努力の積み重ねが、今、そしてこれからの社会を創り上げていくの。
自惚れるのもいい加減になさい」
「あなた達もよ。木嶋。あなた達が為そうとしているのは、革命じゃない。ただの破壊よ」
陽菜は、1歩ずつゆっくりと木嶋に近づく。
「見解の相違だよ。立華。そもそも、お前らも俺達と同類だろ? 捜査官という立場から逃げ出し、かつての上官に銃を向けた挙句、社会そのものと言ってもいいシステムを破壊しようとしている。アプローチが違うだけで、目的は一緒だよ」
冷めた視線を向ける、木嶋。
三者の論戦はまさに平行線だった。お互いが主張を認めず、否定し合う。だが、そんな状況も刻一刻と終わりが近づいていた。
「まぁ、言い合っていても仕方がない。そろそろ時間だ…」
諦めたように木嶋が呟いた直後、背後からガシャンという音がした。
思わず目を奪われる陽菜は、「え…」という声を漏らした。
「全員、そこまでです」
三つ巴の緊張に割り込んだのは、エンフォーサーを構えた、愛華と雫だった。
突入早々、陽菜、梓へとエンフォーサーを向ける、愛華。その様子を見ていた梓は、愛華と目を合わせた。その時間、僅か数秒だったが、重い空気が2人を包む。そして、先に目を逸らしたのは、梓だった。梓は、再び那巫へと視線を戻した。
家族以上の関係だと思っていただけに、冷たく逸らされた視線に複雑な想いが表れる、愛華。気持ちを切替えるかのように、木嶋にエンフォーサーを向けた。
その様子を見た木嶋は、抑え切れない狂気を滲ませながら、クククと嗤い、振り向いた。
「そんな……。木嶋 刑事がスマイルマン…? 」
これまで公安四課相手に痛手を負わせてきた特A級ハッカーが、死んだとされていた男だったという事実に言葉を失う、愛華。
その隙を木嶋は見過ごさなかった。
パンッ。パンッ。パンッ。
3つの銃声が轟いた。
1つ目は、雫が撃ったエンフォーサーの銃撃音。銃弾は、陽菜が持つ拳銃のバレルに命中し、陽菜の手から弾かれるように、バラバラになった部品が宙を舞った。
2つ目は、愛華が撃ったエンフォーサーの銃撃音。銃弾が掠めた左肩の棘下筋を、右手で抑える木嶋。右手から溢れ出る血が、ポタポタと落ちる。
そして、3つ目。被弾したのは天宮碧葵だった。左顔面は着弾の衝撃で弾け飛び、機械としての素顔が露出していた。引金を引いた木嶋は、目標を達した愉悦から、痛みを忘れて高嗤いする。
「局……長…? 」
その異様な姿に言葉が出ない、愛華と雫。ギョロリと機械の目玉が2人を見ると、蹌踉めきながら数歩前へと歩き、そのままガシャンと音を立てながら前へ倒れた。
その始終は中継を通じて、全国民の目に映る。動揺、困惑、不安、恐怖が爆発的に拡がり、警報音と共に平和は崩れ堕ちた。