FILE.45 革命の産声
「あの日、俺は確かに死ぬはずだった───」
木嶋丈太郎は回顧する。
1年半前、2120年11月。新宮那岐によって引き起こされた人災と言うべき大規模暴動。識別スキャンを阻害する仮面を着けた暴徒によって、殺人、強盗、破壊が各地で行われ、狂暴性が伝播した結果、狂気に呑まれた一般市民による私刑や魔女狩りによって、社会は一時的に機能不全に陥った。
その裏、新東京庁舎タワーの最上階では、元凶・新宮那岐を第四課が追い詰め、地下では第一課とテロリストによる戦闘の末、最奥地で先に到着していた劉睿泽と共に国家の本質に直面していた。
「俺はテロリストを追って、国家の秘め事に辿り着いた。さっき新宮が言っていた、国民管理システムの正体を目にした俺は、言わば放心状態だった。
それもそうだろう? 劉睿泽は、"魂の強制収容所"だと言っていたが、生まれた瞬間に分離されたもう1人の自分によって、リアルタイムで精神情報を監視されてたんだ。思い出すだけで鳥肌が立つよ」
鳥肌を確かめるように腕を見る、木嶋。
「劉睿泽は、その非人道的なシステムを破壊では無く、ボタン1つで世界に晒し、民衆を味方に革命を為そうとした。そして、それは成されるはずだった…」
「それを阻止したのが結城…いや、宿那とかいう国民管理システムの管理者って事か」
力強く握った右手の拳を震わせた、空。その拳を左手で包み、なんとか怒りを抑えようとしていた。
「そうだ。国家機密の秘匿と引き換えに、劉睿泽と宮下は殺された。そして、エンフォーサーの銃口は俺に向いた。絶望の果てに、正直終わったと思ったよ。
だが、死を意識し目を閉じた時、頭に無数の映像と知識が流れ込んできた。
その時、俺は全てを思い出した。娘の事。新宮から聞いたこの国の本当の姿を」
眉間にシワが寄るほど、目を強く閉じる、木嶋。娘を忘れていた愚かな自身に苛立ちを隠せずにいた。
「記憶を思い出した事と生きていた事がどう繋がる?」
空の問いを、木嶋は笑って跳ね除ける。
「まぁ慌てるな。まだ話の途中だ」
「俺が生きていたのは、劉睿泽が仕込んだウィルスが作動したからだ。
さっきも話した通り、俺の脳には国民管理システムが都合良く記憶操作できるようマイクロチップがインプラントされていた。それに目を付けた劉睿泽は、自身の死をトリガーに2つのプログラムが作動するよう、ウィルスを設計していた。
1つは記憶操作だ。俺が"本来の目的"を遂行できるよう、一度消した記憶を復元した。
ハッカー・劉睿泽の知識を上書きするおまけ付きでな。劉睿泽は自分に何かあった時の為に、ほぼリアルタイムで精神記憶を電気信号に変換し、サーバーに記憶データーとして保存していた。劉睿泽自身、まさか使う時が来るとは思ってなかっただろうが、俺の脳には劉睿泽の知識と記憶がインストールされている。肉体は死んでも、精神は生きているってやつだ。まるで劉睿泽の信念から真実を暴けと言われている、そんな気がしたよ」
記憶の分割。それは奇しくも、国民管理システムの成立ちと似ていた。それ故に、木嶋は何か運命のようなものを感じていた。
「もう1つは、マイクロチップの動作を利用した、木嶋丈太郎という生体情報の改竄だ。
そもそも『アメノオモイカネ計画』でマイクロチップを利用したのは、今のように一人一人の生体情報をリアルタイムで管理するには処理能力が不足していたからだ。だから、それを補う為に、情報更新の著しい"元"警察官に埋め込まれた。
今となっては、よっぽどのことが無い限り、利用価値なんて無い代物だ。だが、機能は失っていない。国民管理システムがその気になればいつだって使えるようになっていた。
劉睿泽は、それを逆手に取った。
劉睿泽の死亡情報をまるまる、俺に書き換えて、マイクロチップを経由で国民管理システムの情報を上書きしたんだ。つまり、宿那によって殺されたのは、劉睿泽ではなく、木嶋丈太郎という情報に書き換わった。
だがそうなると、宿那の目とエンフォーサーを通して国民管理システムに映る、俺の存在は矛盾するよな?」
「情報パラドックスか」
空は呟いた。
「そうだ。国民管理システムはそれをバグと認識し、情報修正する際、修正する情報と宿那の目から得る情報との差異に整合性を取ろうとするが、どうしても遅延が発生する。その瞬間、俺の姿は宿那らから見えなくなる。文字通り透明人間って訳だ。
俺はその隙をついて脱出したんだ。だから、国民管理システムの認識としては死亡した事になっているだろうし、公には失踪扱いになっているんだろうよ」
暴動後の局長の命令には、ずっと疑問を抱えていた、空。何故、暴動の中心地に局長がわざわざ赴き、木嶋と宮下の応援に向かおうとした四課の動きを止めてまで、別編成した組織を動かしたのか、という点。しかし、今の木嶋の証言で疑問は解消された。
別動隊の目的は、2人の救出や応援ではなく、バグが発生した原因調査と、バグによる認識不全で生きている可能性が浮上した、テロリストの残党または刑事2人の完全抹殺だったのだ。
つまり、国家にとっては、四課が藪を突いて事実を暴く事態は避ける必要があった。だからこそ、局長が赴いてまで、強い権限によって四課の足止めをした。
今となっては茶番だったと呆れ返る、空。
そして、生きていた木嶋にも失望を隠せずにいた。
「生きていたならどうして、公安庁に戻って内部告発しなかった? 刑事だったあんたがどうしてそっち側に堕ちた?」
空の問いに、鼻で嗤う、木嶋。
「戻れると思うか? 戻ったところで、告発する前に消されるのが関の山だよ。
それに、タワーを出た後に確信したんだ。暴動で国民管理システムの機能不全は全国民に知れ渡ったはず。にもかかわらず、それでも尚、多くの都民が国民管理システムに縋り付いていた。それを目にした時、心底嗤ったよ。この国は末端まで腐ってるってな。
その時、何故だかふと思ったんだ。なんで十字架事件の被害者は笑ってたのかって。答えはすぐに出たよ。あいつらは、国民管理システムが支配する腐った社会と、それを享受する国民を嗤っていたんだ。
だから今度は、俺が国家を嗤う番だと決意した。"笑顔"を意味するスマイルマンというコードを自分に付けて…」
木嶋の脳裏には、暴動により廃墟のようになった街の中心で佇む、かつての自分が映っていた。その顔は、子どもが黒のクレヨンで落書きしたように塗り潰され、その上にスマイリーマークが描かれていた。
そして、対面する空は確信する。木嶋丈太郎は、あの日、あの地下で既に死んだのだと。目の前にいる人物は、ただのろくでも無いテロリストなんだと。
空は溜息の後、木嶋に問い掛ける。
「そういえば、結局、十字架事件の犯人は誰だったんだ? あんた知っているんだろう?」
「君はよく知っているはずだよ。井川空。あれだけお互いに求め合い、殺し合った仲なんだから」
後ろから割って入った新宮が仄めかす人物。"お互いに殺し合った"という言葉が、朧気な輪郭を次第に鮮明にする。
「まさか…。JOKER? 」
ハッと名前を口にする、空。その男はかつて、空と数回に渡り対峙し、新東京タワーへの道で、殺し合いの果てに死んだシリアルキラーだ。新宮は、ご明察と言わんばかりに狂気の笑みを浮かべた。
つまり、十字架事件の実行犯はJOKERで、その後ろ盾になっていたのが新宮だったのだ。
空は、再び木嶋へと顔を向け、問い掛けた。
「あんたは知ってたのか? 」
「あぁ。暴動の後に知ったよ」
木嶋はあっさりと答えた。
正気を疑う回答を解せない空は、新宮を指差して、木嶋の心に訴える。
「正気じゃない…。この男が事件を手引きさえしなければ、娘さんは死ななかったんだぞ? あんたにとっては仇だ。そんな奴の計画に乗るのか?」
木嶋は、新宮と顔を見合わせ、苦笑した。
「あのな。お前は1つ勘違いしているよ。井川。確かに、新宮が手引きした事件がきっかけで娘は死んだ。だが、肝心なのはそこじゃねぇ。誰が殺したかだ。それは明確になっただろう? 俺が許せねぇのは新宮じゃねぇ。己の支配欲の為に国民を騙し、俺達刑事の想いを弄び、無実と知っていながらただの都合で娘を殺した、国民管理システムとこの国そのものだ。
馬鹿げた茶番を終わらせる。その為に、公安から逃亡した新宮と準備してきた。あの事件の真実なんて、今更なんだよ」
かつて刑事だった男には、もう娘の想いすらも残っていないのだろう。そうでなければ、醜く歪んだ笑みを浮かべられるはずが無い。
声を掛け続けさえすれば、犯罪者に堕ちた男が目を覚ますかもしれない。そう希望を持っていた自身の甘さを痛感する、空。
声はもう届かない…。諦めと共に、空は視線を落とした。
「君が知るべきはこれで全てだ。そろそろ計画の話をしたい所だが、全てを知った君にもう一度聞こう? 僕達に協力してくれるね?」
新宮は、手を差し出した。それを跳ね除けて立ち上がる、空。
「お断りだ。さっきも言ったろ? 俺はあんた達を利用するだけだ」
空は、キッと2人を睨んだ。
「十分だ」
微笑む、新宮。そして、国家転覆計画を語り始めた。
都内某所 陽菜セーフハウス。
公安庁から逃亡して4日が経っていた。4人は陽菜が幾つか隠し持つセーフハウスを転々としていた。
締め切ったカーテンの隙間を木漏れ日が照らしていた。
「おはよぉ〜」
欠伸混じりに降りてくる、陽菜。
「一番最後なんて珍しいわね。朝食できてるわ。食べちゃって」
苦笑する、梓。洗い物をしているせいか、テーブルを差した指には泡が付いていた。
テーブルには一人分の朝食が用意されいる。他の3人は既に済ませたのだろう。陽菜は、コーヒーを飲む遼子の前に座ると、手を合わせた。
「徹夜したの?」
カップを置いて尋ねる、遼子。
「昨日中に終わらなかったからね。ここに一泊するつもりは無かったんだけど、思いの外、手間取っちゃった。でも、時間を掛けただけの成果はあるわ」
陽菜は、テーブルに蜂の絵が描かれたバッジを置いた。
「なになに?」
深月は、手に取ったバッジの蛍光灯照明に翳して、チェックするように裏表を返し返し見る。
「アンチスキャンね」
梓は、深月の手からバッジを取り上げ、再びテーブルに戻した。
「ご明察。流石ね。前に、新宮那岐が起こした暴動で使われた、識別スキャンを無効化する仮面を参考に作ったの。
あの仮面に取り付けられた逆相チップが、識別スキャナーの代わりに使用者の生体情報をスキャニングして、得た情報を基にした逆相波形を出力する事で、使用者を透明人間にしていた。
だけど、更新プログラムがリリースされた今、同じ手法は使えないわ。だから、今度は敢えて、"スキャンさせる"事に着眼したの。
このバッジは、半径50m圏内のデバイスと自動通信する仕組みになっているの。バッジには、所有者の生体情報を読み込み、通信相手の生体情報と交換するウィルスが搭載されているわ。
交換によって私達の生体情報を受け取ったデバイスは、第二のバッジとして機能し、別の誰かと情報交換する。こうして、情報交換を無限且つ、連鎖的に行うの。
そして、私達のバッジも一度のみならず、同じ工程を繰り返す。つまり、私達自身はすれ違った"誰か"としてスキャニングされ続け、一方、私達の生体情報も、秒単位で他者のデバイスを転々とする仕組みよ」
陽菜が説明したバッジの仕様は、単純ながらシステム管理社会において致命傷を負わせるものだった。当然、簡単にできるような代物ではない。凄腕ハッカーである事以前に、システムについての研究や研鑽があったからこそだ。
凄いモノを創り出した結果に梓と遼子は関心する中、ただ1人だけが頭を抱えていた。言わずもがなで深月だ。
「え? どゆこと?」
頭上には数え切れない程の"?"が浮かんでいた。
「つまり、そのバッジを持つと、識別スキャナーには他人として認識されるってことよ。
深月とすれ違った他人、仮にAさんとしましょうか。深月は、Aさんと互いの生体情報と交換すると、深月はAさんの生体情報、Aさんは深月の生体情報を持つ事になるわよね?」
梓は、どこからか持ってきたA4用紙に、絵を描いて説明し始める。棒人間2人のうち、1人にサイドテールが生えている。これが深月なのだろう。そんな適当に描かれた絵だが、深月はツッコミする事なく、梓の説明に「うん」と相槌を打つ。
「Aさんが街を出歩く限り、また別の誰かとすれ違う。仮にBさんとしましょう。AさんとBさんは生体情報を交換する。そうすると、深月の生体情報は誰が持つ?」
梓による教師さながらの説明に、深月だけで無く、陽菜と遼子も思わず頷く。
「Bさん!」
自信満々な顔で答える、深月。
「そうよ。そうやって、Bさんも別の誰か、Cさんとすれ違い生体情報を交換、CさんもDさんと、DさんもEさんとっていうように無限に情報が移動する事になるっていうのが、このバッジの仕組みよ。
それとウィルス発生源の深月も同じ。Aさんとの情報交換で終わらず、αさんとすれ違えば、深月の持つAさんの生体情報とαさんの生体情報を交換し合う」
梓が説明に用いた紙は、いつの間にか無数の棒人間と矢印で埋め尽くされていた。約10分間で紙という限られたスペースの中で起こった事が、現実社会では数秒且つ無制限に繰り広げられる。まさに感染爆発だ。
「うぉぉおお! まるでシャッフルみたい!」
深月の脳でも十分理解できたようだった。梓は安心から溜息を吐いた。
「でも、取得する個人の情報がコマ飛ばしされたように転々とすると、流石にシステムだって対処してくるんじゃないか? 例えば、検知したタイムスタンプから逆探すれば、元の人物に辿り着く事だって難しくないはず」
問題点を指摘するに遼子に、「それよ」と言わんばかりに指を差す、陽菜。
「えぇ。その通り。このバッジの目的はまさにそこにあるの。識別スキャナーは、まるで瞬間移動したかのように計測された情報をバグとして認識するわ。それが1人、2人なら対処も容易よ。でも、ねずみ算式に、数万人、数十万人ペースで増えればどうかしら?
識別スキャナーは優秀でね。一度バグが起きれば、原因を検証して、特定、修復という自己デバッグ機能が働くの。だけど、一瞬にして数万人分のバグが継続的に発生すれば、識別スキャナーだけで処理しきれなくなる。
必ずその先にある国民管理システムで、膨大な数のバグを処理しなきゃいけなくなる。流石のシステムでも秒単位で巾乗されるバグの処理を、通常処理と同時には行えない。処理しきれないバグが溜まりに溜まれば、待ち受けるのはシステムダウンよ。
今までみたいに識別スキャナーの目を掻い潜って移動するのは、現実的じゃない。指名手配された私達が自由に動き回るには、これしか無いのよ」
まさに完全管理社会の盲点を突いたサイバーテロだった。
「あとは、空の救出方法だけど…」
陽菜は呟きに、遼子が反応する。
「あぁ、それは梓と考えていた」
遼子は答えると、梓とアイコンタクトを取った。
「その前に、まずは明確にしておかなきゃいけない事があるわ。それは、空は死んでないってこと。
もちろんこれは、希望的観測でもなければ、空論でも無い。理屈を重ねた上での帰結よ」
梓は、空が死亡している可能性をきっぱりと否定した。それは、行動の意義に関わる為でもあったが、一番の理由は、梓なりに口にする事で、余計な邪念を捨て去りたかったからだ。
「まぁ、空みたいに上手く読んだ訳じゃ無いんだけど、新宮那岐は空に執着している。その理由は、2人が似ているから」
梓の発言に、深月が意外そうな表情で反応した。
「似てるって? 」
「言動が精神的指導者になりやすいところよ。認めたくは無かったけど、ここ最近、特に顕著に感じていたわ。アジデーター、デマゴーグとも言えるかしら。
新宮は、『アメノヌボコ計画』によって産み落とされてからというもの、周囲との明らかな違いに孤独を感じていた。手駒に成り得た者は何人かいたとは思うけど、同じ思考を持ち、対等に議論し合える人間はいなかった。
だけど、空と出会い、新宮の世界は一変した。まるで初めての友達ができたかのように思えたでしょうね。そして、子どものように何を成すにも一緒にという想いが強くなっていった。だから、空を拉致した。恐らくは、これから成し得ようとするテロを共同する為に…」
腕を組む、梓。両肘に添える手には力が入っていた。
冷静を装っていても、愛する者が犯罪の当事者となる未来を考えるだけで、内心はざわついていた。
当然、他3人も同様で、深月は空の犯罪者化を認められず、疑問を呈した。
「でも、空が協力するとは限らなくない? 」
「いえ。協力する…せざる得ないでしょうね。私達を救出する為にね。メディアでこれだけ私達のことが報道されているもの。それを利用しない手はないわ。例えば、何らかのテロを起こすどさくさ紛れに、私達を救出するよう提案したりね。そして、殉職者認定された空が動くには、協力するしか無い事も織り込んでね。当然、空も言いなりになってばかりにはならないとは思うけど…」
言葉尻が小さくなる、梓。新宮那岐を相手に、絶対に呑まれないと断言できずにいた。それを察したのか、消沈したように俯く、深月。
「とはいえ、不確定要素を心配しても仕方がないわ。それに、メタ的な視点になっちゃうけど、新宮が空を殺そうと思えば、あの状況とタイミングなら確実に殺せたわ。でも、結果的には殺さず拉致した。殺すつもりならそんなリスクは犯さない。
もし、新宮の影響を受けたとしても、空が生きてさえいれば、その影響から開放してあげる事だってできる。でしょ? 」
梓の説得に、「うん」と元気良く返事をする、深月。
一時は廃人のように窶れていたが、見違える程の回復に安堵した、遼子と陽菜。
「で、本題なんだけど、空の救出にはまず、空本人と接触しなきゃいけない。その為に、空には出て来てもらう必要があるんだけど…」
数分前、空が殺害された可能性を否定こそしたが、拉致されてから10日間、全く動きが無い事に胸騒ぎがしていた、梓。
すぐにでも助けに行きたいという気持ちとは裏腹に、空の居場所が分からない中、どうやっても後手に回る状況を一同は憂いていた。
「なるほど。それで、さっき言ってた、"新宮のテロに協力させられる"話に繋がるのね」
陽菜の確認に、梓は相槌を打った。
「そうよ。表に出ないサポート役は恐らくスマイルマン。であれば、空は必ず何らかの役目を持って表に出てくるはず」
梓は、空ほど心理学に精通もしていなければ、プロファイリングに長けている訳ではないが、事、空の動きを予測するとなれば誰よりも自信があった。
「そこで、梓と考えたのは…」
遼子の答えを待たず、まるで早押しクイズのような脱兎の勢いで答える、深月。
「新宮の出方だね!」
「ハズレ。もちろんそれも考えたけど、何通りもあって絞れなかったの。だから、"どういうテロが現社会に多大な影響を及ぼすか"という題目で、トークルームを立ち上げておいた」
猪突猛進な深月に呆れながらも、茶番に付き合う、遼子。
遼子は、答えと同時に匿名チャットの画面をホログラム展開した。
「これって…」
陽菜は目を剥いた。何故なら、画面に映された内容は、どれも国家にとって都合の悪い書き込みばかりだった。それを国民管理システムに検知もされず運営されている事に驚きを隠せなかった。
「匿名性を重視したオープンチャットよ。外国のサーバーを幾つも経由しているから、国民管理システムの監視の目を上手く潜り抜けているわ。ここを使っている人の中には大学教授や評論家、ジャーナリストといった有識者もいるのが特徴よ。
そんな彼らが一般人に混じって、社会に対しての鬱憤をここに書き込むってわけ。ある種、メンタルケア装置の役割も果たしているわ。不毛だけど、息詰まる管理社会の中では、こんな場所があるだけマシかもしれない…。
立ち上げたルーム名は、『国民管理システムによる管理社会で有効なテロ』。皆おふざけの延長だと思って、面白がって乗ってきている。
幾つか面白いものもあったんだけど、中でもコレが一番目に止まってね」
匿名性あるトークルーム故か、多くの参加者が各々の持論や考察、それに対する反応を書き込んでいた。スクロールバーが中盤に差し掛かる中、遼子は指を止めた。
「水不足が招く管理社会の崩壊……」
深月が呟いた。
"コメントを全て表示する"というボタンを遼子がクリックすると、専門家らしき人物の書き込みと、それに対する反応が表示された。
✱✱✱✱
『昨今の水道インフラは、北関東特別管理地区における全自動制御によって供給されています。水質保持の為、イオン組み換えによる塩素剤ただ1種類に依存しています。しかし、もしイオン組み換えに欠陥が見つかれば、汚染された毒劇物が国民に届く危険性があり、最悪の場合、数年間は水を生産できなくなる可能性があります。』
✱✱✱✱
「インフラテロ。これが新宮の狙いよ。国民管理システムの施行と新都市改革により、都市部への急激な人口集中が起こった結果、都市部でのインフラ生産が不可能になり、地方特区での全自動生産を余儀なくされた。
もし仮に、生産機器のプログラムに何らかの障害が発生して、イオン組み換えに重大なトラブルが生じたら、安全な水を供給できなくなり、未曾有の水不足に陥ってしまう」
梓の説明に合わせて、ホロ画面には水不足に陥った際の影響範囲を示すグラフが表示されていた。
「水不足によって水の供給が制限でもされれば、きっと国民は耐えられない。そうなれば、この前の比にならないくらいの暴動があちこちで多発するわ」
梓は、人の潜在的な本能が悪意によって刺激される事を懸念していた。
水は飲料以外にも、社会における自立生産に欠かせない。当たり前のように供給されるはずのものが、一瞬にして絶たれた時、国民管理システムが"善良"とお墨付きの国民はどうなるのか。想像するまでもなく、これまでの歴史が証明していた。
「国内で水が作れない以上、諸外国から安全な飲料水を輸入しなくてはいけなくなる。
第三次世界大戦後、諸外国との交流を避けてきた日本が輸入を解禁すれば、国境警備を緩めざる得ない。諸外国の要望に応えて、難民の流入も始まるわ。そうなれば、"どこまでの人を管理するのか"が問われ、やがては国民管理システムの機能そのものが失われてしまう…」
暴動の上、諸外国からの人、価値基準の流入によって、この国の機能は失われる。それを想像しただけでも、先の無い未来に息を呑む、遼子。
「水道インフラのテロが、国民管理システムにまで影響するなんて…。
でも、たしか日本の水道は、エリアごとの各特別管理地区に設置された水生産施設で作られているわよね? そして、外部とはネット環境を完全遮断しているはず。だから、水質保全プログラムの書き換えは、それぞれの施設内でやらなきゃいけないわよね?」
陽菜の質問に首を振る、遼子。
「それがそうでも無かったんだ。ただ一ヶ所だけ、全施設を制御できる場所があった。それが旧長野県、東海都水道局水生産施設よ」
「じゃあ、新宮はそこに?」
机に手を付き立ち上がる、深月。新宮那岐が現れる所、空もいるはずという期待から、いても立ってもいられず、身体は動き出していた。
それを制止するように、陽菜は首を振った。
「ううん。そこに入るには旧式の生体情報が必要よ」
「そうか。だから10日間動きがなかったんだ」
梓は思い出したかのように、ホロキーボードを叩き始めた。出てきた情報は、産業省の大臣及び官僚、職員の動静データだった。その内の項目をクリックすると、1人の関係者が浮上した。
全員がその関係者に釘付けになっていた所で、突如としてアラーム音と共にAI・ハニーが飛び回る。
「陽菜ちゃ〜ん!!! 大変だよ〜!!!」
「来たのね」
梓の呟きに頷く、陽菜。
10分後───。
真っ暗の部屋を外からの光が照らす。人気の無い室内は、藻抜けの殻となっていた。