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公安四課  作者: やん
45/52

FILE.44 都合の良い人形

2116年7月───。


港区5101- 天王州アイル埠頭コンテナ。


深夜2時。人の背丈をゆうに超えて積み上げられたコンテナが、月の光を遮断する空間。(はな)たれた猟犬達が、嗅覚(きゅうかく)を頼りに闇の中を網目状に徘徊(はいかい)する。


十字路を挟んだコンテナの影にお互いに身を(ひそ)め、エンフォーサーを構える木嶋(きじま)安浦(やすうら)。立場は逆転したが、先輩後輩タッグの息の合った動きは気配すら感じない(ほど)、闇夜に溶け込んでいた。


局長の緊急招集から1週間。公安は、ようやく犯人に繋がる手掛かりを掴んだ。気掛かりなのは、情報元(じょうほうもと)が"匿名(とくめい)"という一点。ただ、情報を()ろしたのが局長という事から、角度は高いはずだと言い聞かせていた。


「お前さん、良かったのかい?」

それまで手信号でコミュニケーションを取っていた2人だったが、安浦(やすうら)の急な通信に木嶋(きじま)は驚く。

「どうしたんです? 急に」


梨乃(りの)ちゃんだよ。誕生日だったんだろう? 」

耳に届く通信音は、安浦(やすうら)(あき)れ声だった。


「えぇ…。まぁ。でも、あいつも俺の仕事分かってますから。それにこういう時ですし、プライベートは二の次です」

返す言葉が見つからず、言葉に詰まる、木嶋(きじま)


他所様(よそさま)の家庭事情に(うるさ)く言うつもりは無いけどよぉ。たった1人の娘なんだ。こういう時だからこそ、誕生日くらい一緒にいられる時間を作ってやっても良かったんじゃないか? 現場(こっち)は俺達に任せてよ」

刑事という仕事柄、それも今追っている事件が事件なだけに、毎日無事でいられる保証はない。四課のように全員が死亡する事だって有り得る状況下、安浦(やすうら)木嶋(きじま)に1人娘を最優先に考えてほしかった。

安浦(やすうら)の想いに木嶋(きじま)は笑顔を浮かべた。


「やっさん…。ありがとうございます。それじゃあ、ちゃちゃっと終わらせて、娘の(もと)へ帰ると…」


言葉尻が突然の大きな音で阻害される。音の大きさ的に、木嶋(きじま)安浦(やすうら)が近い。2人は音がした方へと急いだ。


まず目に飛び込んで来たのは、暗闇でもはっきりと(わか)る狂気じみた笑顔で、コンテナに(はりつけ)られた遺体(いたい)。間違いなく、一連(いちれん)の新たな犠牲者だ。遺体(いたい)の足先からは血液がポタポタと落ち、直下のアスファルトを真っ赤に染め上げていた。


しかし、これまでの事件とは1つ異なる点があった。それは、遺体(いたい)の前に人がいるという事だ。背中まで伸びた長髪(ちょうはつ)に、血飛沫(ちしぶき)で真っ赤に染まったワンピース。その手には、(はりつけ)で使用する釘のような物が握られている。後ろ姿ではあったが、華奢(きゃしゃ)な体型から女性だと思われる。


木嶋(きじま)は、エンフォーサーの引金に指を掛け、一歩、また一歩とゆっくり近づく。

「公安庁刑事課だ。両手を後頭部で組んで、ゆっくりとこちらを向け」


女性は指示通り、両手を頭の後ろで組むと、ゆっくりと振り向く。その一瞬、音を立てて跳ね返る釘のような物に目を奪われる、木嶋(きじま)安浦(やすうら)

再び女性に目を向けた時、目を疑う光景に木嶋(きじま)は動転した。


「ど、どういう……事だ? 木嶋(きじま)…」

安浦(やすうら)も自身の目に映る光景が信じられず、言葉を失う。

そして2人が構えたエンフォーサーは、腕ごと力無くだらりと()りた。


梨乃(りの)…なのか? 」

木嶋(きじま)()い掛けに、無言の涙を流す、木嶋梨乃(きじまりの)


「な、何でお前がここにいるんだ? 何で…何でだ!」

()えるように()木嶋(きじま)()いに、首を横に振る、木嶋梨乃(きじまりの)


「お前がやったのか? これまでの事件も全部お前が?」


「違う! 私じゃない。気が付いたらここにいたの! お父さん、今日は帰って来るはずだったじゃない。だから、夕飯を作って待ってた。そしたらインターホンが鳴って、お父さんだと思って出てみたら、お父さんの同僚だって人達だった。そこからの記憶が無くて、気付いたらここにいたの。ねぇ、どうなってるの? もう分かんないよ!!!!」

木嶋梨乃(きじまりの)もまた動揺していた。家に(おとず)れたという人物に接触してから、ここで目が覚めるまでの記憶がないのだ。無理もない。


「わ、分かった。大丈夫だ。お父さんが守ってやる。だから、お前はこっちへ来い」

安心させようと笑顔で手を差し伸べる、木嶋(きじま)

しかし、思惑と反対に(おび)える木嶋梨乃(きじまりの)は、立っているのがやっとの震えた両足を後退(あとずさ)りした。

「い、嫌…」


その理由を理解するのに時間は(よう)しなかった。

「犯人の即時執行を命令したはずだが? 木嶋丈太郎(きじまじょうたろう) 警部(けいぶ)


天宮(あまみや)…局長……!?」

現場に出るはずの無い人物が、エンフォーサーを愛娘(まなむすめ)に向けている光景に言葉を失う、木嶋(きじま)


何故(なぜ)ここに…? いや、そんな事より、あれは私の娘です! 犯人じゃない。エンフォーサー()を下ろしてください」

天宮(あまみや)が向けたエンフォーサーの前に立ち、娘を(かば)うように両腕を広げる、木嶋(きじま)


「何を言っている? 木嶋丈太郎(きじまじょうたろう) 警部(けいぶ)。君の娘こそ、この(いま)わしき連続猟奇殺人れんぞくりょうきさつじん元凶(げんきょう)だよ」

天宮(あまみや)によって()げられた有り得ない知らせに、木嶋(きじま)は言葉を失った。これまでの事件、犯行時刻とされる時間帯に、娘・梨乃(りの)木嶋(きじま)は一緒にいる事が多かった。つまり、娘にはアリバイがあり、犯行は物理的に難しい。


しかし、そんな事を主張したところで、身内の証言などアリバイにはならないと聞き入れてもらえない事など、火を見るよりも明らかだ。


()(すべ)の無い木嶋(きじま)にできる事は、天宮(あまみや)の前に立ちはだかる事だけだった。

「違う…。娘は犯人なんかじゃない。何かの間違いです! 誤認執行など、真犯人の思惑通りじゃないですか?」


「だったら何だというのだね? 君の娘が真犯人かどうかという些細(ささい)な事に価値など無い。犯人として執行されれば十分。犯人でなくとも、執行された事で真犯人へのメッセージとなれば、それはそれで十分だ。(よう)は満足のいく結果が得られさえすればいい。

それより君は、責務を逸脱して私の前に立っているわけだが、その意味を理解しているのかね?」

天宮(あまみや)()てつく視線が、木嶋(きじま)穿(つらぬ)く。


(なん)…ですか…。それは…。それじゃあ、娘は生贄(いけにえ)同然(どうぜん)じゃないですか! そんな事、納得できるはずが無い!」

木嶋(きじま)の必死の抵抗も、天宮(あまみや)には退屈な雑音だった。「はぁー」という冷めた溜息を()らす、天宮(あまみや)


「そこまで言うのなら、娘が無実だという事を証明したまえ。ほら、君の娘は君を待っているよ?」

冷めた表情のまま、()みを浮かべる、天宮(あまみや)

振り向く木嶋(きじま)(ひとみ)に映ったのは、不安に押しつぶされそうになりながらも、父を信じる娘の姿だった。

気付けば足を踏み出していた、木嶋(きじま)。娘を抱きしめて安心させたい。父親としての本能が足を動かしていた。


思えば、即時執行命令が出ている中、明確な証拠を集められる程の時間など無かった。そんな事すら忘れ、娘の元へ駆け寄る木嶋(きじま)は、娘・梨乃(りの)へと手を伸ばす。


あと数メートル。あと数センチ。娘を抱きしめるのに、あと一歩。

その刹那(せつな)、希望は弾け飛ぶ。父の目の前で弾けた頭は、肉片となって周囲に散る。頭を失った胴体が、力無く崩れ落ちる(さま)を目の当たりに、(まばた)きすらできない程、目を()く、木嶋(きじま)


先程まで前へ進ませていた足がピタっと止まり、(うつむ)くと、血溜まりと肉片の海に頭を失った(どう)が、横たわっていた。


一粒の水滴が木嶋(きじま)(ほお)(つた)った。それが地面に落ちる頃には、音を立てて雨粒が降り注ぐ。まるで、降り注いだ絶望が立つ力を()ぐように、(ひざ)から崩れ落ちた、木嶋(きじま)


「あ…あぁ………あああああアああ"ああ」

嗚咽(おえつ)にも似た叫び声を上げ、変わり果てた娘を抱く、木嶋(きじま)


負の感情を向ける木嶋(きじま)に対し、(さげす)むような視線を天宮(あまみや)は向けた。


憎悪(ぞうお)渦中(かちゅう)、娘が死の直前に言っていた事を思い出す、木嶋(きじま)梨乃(りの)はたしかに、"同僚を名乗る男達が(たず)ねて来た"と言っていた。そして、その後の記憶は無く、"気が付けばこの事件現場にいた"と。では、その同僚を名乗る男達は誰なのか?

気掛かりな事はもう1つある。それは、全捜査官が招集された場で、天宮(あまみや)の言った、四課が殺害された現場を検証したという厚生省直轄チームの存在だ。厚生省直轄という言葉から気にもしていなかったが、よくよく考えれば、どういう経緯で組織され、どういう人物で構成されているのかなど、詳細は全くの謎だ。


結びつくはずの無い2つの謎に、繋がりが見い出してしまう木嶋(きじま)は、次第に"厚生省直轄チーム=自宅を訪ねて来た男達"でないかと思うようになっていた。

証拠なんてものはない。ただ、どうしても国家の闇がチラついてしょうがないのだ。


そして、局長・天宮碧葵(あまみやみき)は全てを知っている。いや、目の前にいる冷酷無慈悲な悪魔こそ、一連を仕向けた張本人ではないのか。天宮(あまみや)への怒りが、心に芽生(めば)えた疑念を増幅させる。忠誠を誓ってきた上官に裏切られ、これまでの言葉さえも疑わしく思う中、国家の闇を疑えば疑う程、辻褄(つじつま)が合っていく事に、次第に恐怖すら感じるようになっていた。


本能的に"敵"を認識した時、何かがプチンと切れる音がした。その音が何だったのか、当時は分からなかったが、確かだったのは"敵"への殺意を向けていた事だった───。



───現在。


「"思い出した記憶"で確かなのはここまでだ」

深呼吸なのか、溜息なのか曖昧な、しかしいずれにしても深い息を()く、木嶋(きじま)。当然だろう。最愛の娘の死。それも、忠誠を誓った信頼すべき上官に、半ば濡れ衣のような形で殺害されたのだ。


忘れたくても、忘れられない記憶に違いない。しかし、それ(ゆえ)に謎は深まる。何故(なぜ)、以降も刑事として有り続けたのか、という事だった。局長への疑念と失った忠誠心に耐えかね、本来なら刑事を辞めるはずだ。もっと悪くすれば、狂気に呑まれ、復讐を考えても不自然では無い。だが、木嶋(きじま)は娘を殺害した張本人の下で、刑事で有り続けた。とてもじゃないが、正気の沙汰では無い。


「確か?」

(そら)は、疑いの眼差(まなざ)しを木嶋(きじま)に向けた。


「あぁ、この記憶すら俺は忘れていた。いや、記憶にロックを掛けられていたんだ」

(ひたい)を右手で抑える仕草を取る、木嶋(きじま)。記憶に混濁(こんだく)(しょう)じた人間が、その記憶にアクセスしようとした時によく見せる仕草だ。心理的行動ゆえに、無意識下で行う事が多い。"記憶にロックが掛けられていた"という突飛なワードは気掛かりだが、"記憶を失っていた"という木嶋(きじま)の証言には、ある程度の信用があると、空は確信した。

その上で、確信に迫る質問をする、空。

「記憶のロックというのは? 」


「俺の脳には外部から記憶、思考を操作するマイクロチップが国家によって埋められている」

人差し指で顳顬(こめかみ)をトンと()く、木嶋(きじま)。衝撃の告白に驚きを隠せない、空。


木嶋(きじま)の発言の意味を理解しようと、頭で整理するが、考えれば考える程、恐ろしい疑念が思考を邪魔する。


"もしかして、第四課(俺達)の脳にもチップは付いているんじゃないか?"


空の疑念を、木嶋(きじま)は笑って一蹴(いっしゅう)した。

「お前らには付いてねぇよ」

木嶋(きじま)の一言は、動揺を抑えられずにいた空の胸中を刺した。

仕事柄、他者の心理を読み()きはすれど、他者に心を(のぞ)かれる事など無かった。それも意表を()くような形で。(ゆえ)に、まるで心を掌握(しょうあく)されてしまったような、何とも言えない気持ちの悪い感覚に襲われた。


目を()くような表情のまま動かない空に、木嶋(きじま)は答え合わせをするかのように、話し始めた。


「一般に国民管理システムが運用したとされる2069年。国家の治安維持組織の改革により、警察庁が解体され、厚生省に公安庁が設置された。ここまではお前も知っている通りだな?

それじゃあ、公安庁への改組後(かいそご)、警察庁に在籍していた警察官はどうなったと思う? 」

木嶋(きじま)の質問に、親指と人差し指で(あご)(つま)み、(うつむ)くように腰を折ると、記憶を辿(たど)る素振りを見せる、空。


「国民管理システムによる適正判定で、全国の警察官のうち0.1%が公安庁の捜査官として採用された…と記録にはあったはず…」

断言から程遠い、曖昧(あいまい)な言い方だったが、木嶋(きじま)は正解だと言わんばかりに微笑(ほほえ)んだ。


「確かにそう記録されている。それじゃあ、99.9%の"元"警察官達はどうなったのか。当然そういう疑問に(いた)る訳だが…」

木嶋(きじま)の話を(さえぎ)るように、質問を被せる、空。

「一度、メンタルケア施設に入所後、各々の適正に応じた職務へ()いているはずでは?」


流石(さすが)、表に出ない記録も熟知しているな」

特課(とっか)(ゆえ)に、過去の事案についても必要以上に目を通さなくてはならない立場で、自身が入庁する40年以上前の情報までしっかり覚えていた空に、感服した木嶋(きじま)


「警察官というのは、他者の狂気に向かい合う仕事だ。それ(ゆえ)に、耐性の有る無しにかかわらず、ストレスを受けやすいとされている。だから、記録上はお前の言う通り、メンタルケア後に斡旋(あっせん)された違う職務に()いた事になっている。

だが、国民管理システムからすれば、汚染されたメンタルを持つ、用済み人員は果たして必要だろうか?

答えはNOだ。記録上、別の職務に()いたとされる99.9%は、メンタルケア施設と称した処分場で殺害されている」

木嶋(きじま)の発言に、目を()く、空。

99.9%というのは、実に全国29万人に(のぼ)る。この人数を国家都合で殺害しているのだとしたら、これは殺害などという生優しいものでは無く、虐殺という言葉が相応(ふさわ)しい。

国民管理システムの正体が人の魂をベースにしたAIである以上、完全管理された楽園を(うた)っていた日本の本質は、人類史上(るい)を見ない独裁国家だったという事になる。


その考えに至った時、公安在籍時に何度も見た、局長・天宮碧葵(あまみやみき)の冷たい表情をふと思い出し、恐怖から鳥肌立つのを感じた、空。


しかし、それは国家が見せた本質の片鱗(へんりん)でしかない事を、まだ空は理解していない。言葉の出ない空を他所(よそ)に、木嶋(きじま)は続けた。


「そして、公安庁の捜査官として採用された0.1%においても、捜査官適正を認められ死を(まぬ)れただけで、これまで警察官として職務に当たってきたメンタルは汚染されている。

そういう人間が、ある日を(さかい)に全く異なる体制、常識を強要され、「はい、そうですか」って適応できると思うか? 」

木嶋(きじま)の言う通り、今日と昨日で思考、行動、価値基準が180度変わるという事は、当然受け入れられない人間が一定数発生する。それも、数年がかりで変化していくのでは無く、"明日から今までの常識は通用しません"という事にもなると、従順できる人間など僅かでしか無い。

それは、警察官も人である以上、同じだ。


「適応できる人間なんて、ほんの(わず)かだ。

今でこそ、国民管理システムによる、教育という名の洗脳によって、国民誰しもが生まれながらに、システムに従順な人形(にんぎょう)として管理されているが、当時は違う。0.1%の"元"警察官も、最低限の治安維持を確立する為に、急ごしらえで用意された使い捨てに過ぎなかった。

だが、国民管理システムからすれば、使い捨てとは言っても、システムの意に沿()わない人間は使い勝手が悪い。そこで、国家によって画策(かくさく)されたのが、治安維持に従事(じゅうじ)する者の記憶と思考をコントロールする事だった。

それが『アメノオモイカネ計画』。メンタルケアを名目(めいもく)に、マイクロチップを脳へ埋め込み、人為的な記憶改竄(きおくかいざん)と外部から思考操作をする計画だ。

人間の"記憶"と"思考"が電気的な脳内信号だってのは、お前に説明するまでもない事だが、この計画は、脳の電気信号をマイクロチップで数値化し、データとして国民管理システムへ送信する。システムは、受信したデータを都合の良い情報に書き換えた上で、マイクロチップへ返送し、再び電気信号として脳へと命令を出す。

こうして、知らぬ()に操り人形にされた"元"警察官達は、自身の判断や感情を疑う事すら無く、時には非人道的な責務にも当たった。

この計画は、廃止される2100年まで続き、2094年に入庁した俺の頭にはマイクロチップが今も尚、入っている」

指で再び顳顬(こめかみ)を小突く、木嶋(きじま)。長々と説明した木嶋(きじま)が本当に伝えたかったのは、2113年に入庁した梓、2116年入庁の四課メンバーの脳にはマイクロチップを入れられていないという事実だった。

しかし、キャパオーバーになる程の情報量を突き付けられ、その事実に気付く事は(おろ)か、言葉どころか、リアクションすらできずにいた。


見兼ねた木嶋(きじま)は、「おい、井川!」と(かつ)を入れる。


ハッと我に返る空の様子を見た木嶋(きじま)は、話を続けた。

「話を戻すが、俺は娘を目の前で殺された事を……いや、娘がいた事さえ忘れていた。

局長に娘を殺されたあの日、俺の中で"何か"が切れた。当時は分からなかったその"何か"が、今でははっきりと分かっている…。

理性だ。俺は本能のまま怒りに()まれ、剥き出した狂気を局長へと向けた。

それからの記憶は(いま)だに無い。恐らくはアネスシーザーで眠らされ、そのまま記憶を書き換えられたんだろう…。

その日から娘に関しての記憶全て失い、刑事として日々を送っていた。ちなみに、一連の事件はというと、被疑者執行という形で記録としても終わっていた。記憶の無い俺が、当然違和感を覚える事も無く、それから5ヵ月が経った12月、ある事件の捜査中、新宮那岐(しんぐうなぎ)劉睿泽(リュールイジェ)に出会った───」



2116年12月───。

埼玉区川口861- 荒川公園河川敷。


警務車(けいむしゃ)の背面が機械的に開くと、捜査官達が続々と降車する。


野次馬(やじうま)が集まる中を()き分け、規制線ホログラムの前に立つ2台の警務ドローンに、木嶋(きじま)はデバイスを向けた。

『認証中───。公安庁第一課 木嶋丈太郎(きじまじょうたろう) 警部(けいぶ)…。立入り許諾、承認されました。お入りください』

道を開けたドローン達の真ん中をコートのポケットに手を突っ込み、ズカズカと木嶋(きじま)は入っていく。


遺体(いたい)は、肩から下が地面に埋まっていた。そして、顔は糸か何かで()るように、無理矢理な笑顔で硬直していた。


その時、木嶋(きじま)脳裏(のうり)にフラッシュバックのような強いイメージが錯綜(さくそう)した。


「何だ? 」

まるでフラッシュ演算のように、1秒もないくらい短い点滅で、映像が浮かぶ。そして、耐え切れない程の頭痛が点滅する映像に呼応するかのように木嶋を(おそ)った。


そして、ふと遺体(いたい)の前に書かれた文字に目が行く。

『キミノコトヲミテイル』


一見、猟奇とも言えるこの殺人事件は、犯人が創り上げた歪んだ作品で、この文字は言わば題名のようにも思えるが、木嶋(きじま)にはどうしても自分へのメッセージに思えてならなかった。


脳内再生されるフラッシュバックを振り払うかのように、頭を振り、後ろを向いて深呼吸をする、木嶋(きじま)

目の前には、事件現場に群がる野次馬(やじうま)達。普段と変わらない光景のはずだった。その中の1人以外は。異様に際立つ男。何故だか目が合い、男は微笑むと、くるっと背を向け、野次馬(やじうま)の中に紛れてしまった。


何の確信もなかったが、(のが)してはいけないという勘のようなものが、男を追えと足を動かした。


「お、おい。どこ行くんだ」

安浦(やすうら)()いに、木嶋(きじま)は「やっさん、しばらく現場(ここ)の指揮お願いします。ちょっと気になる奴を追います!」と言うとその場から立ち去った。


数十分は走り回り、男の行方(ゆくえ)を探したが、その姿を捉える事ができない。いつの間にか住宅街にまで来ていた。迷路のような住宅街で、ドローンや仲間の援護も無く、たった1人で追うのは絶望的だ。走りっぱなしだっただけに、息は上がり、諦めかけていたその時。


「思っていたより熱血漢だな。木嶋丈太郎(きじまじょうたろう) 刑事」

声の方向へと顔を上げると、そこにいたのは間違いなく、野次馬(やじうま)の中、目が合った男だった。


(あわ)ててアネスシーザーを向ける、木嶋(きじま)

「お前、何者だ?」


「君が失った記憶を知る者だよ」

男は微笑(ほほえ)んだ。


「ふざけ……。!?」

正体を問いただそうとした時、木嶋(きじま)は違和感に気付く。向けた相手にアネスシーザーが反応していないのだ。有り得ない事だった。視認はできている。それなのに、アネスシーザーがその存在を認識していないのだ。


「無駄だよ。その(じゅう)では僕を()てない。そんな事より君にとって重要なのは、さっきの現場で君が感じた違和(いわ)じゃないのか? 感じたんだろう? 記憶が混濁するような感覚を」

男はまるで霊視能力者(れいしのうりょくしゃ)のように、木嶋(きじま)が感じた不快感や違和感を当てて見せた。オカルトを信じる訳ではない。しかし、ぐうの音も出ない程に言い当てられた事に驚きを隠せずにいた。


男は微笑(ほほえ)むと話を続けた。

「さて、まずは君が失った記憶を思い出してもらわなくてはいけない。頼んだよ。劉睿泽(リュールイジェ)

路地の陰から糸目の男が現れる。


木嶋(きじま)はハッとした。相手は1人だと思い込んでいたのだ。こんな路地裏に誘い込まれた上、アネスシーザーが認識しない相手の他にもう1人。それも名前からして外国人。つまり2対1。相手がどの程度武装しているのかも分からない状況下で、事態は最悪だった。

劉睿泽(リュールイジェ)と呼ばれた糸目の男に、アネスシーザーを向けたのは咄嗟(とっさ)だった。

しかし、またしても異常事態に気付く、木嶋(きじま)。今度はアネスシーザー自体が機能性を失っているのだ。


「悪いがこの辺一帯のあらゆる電波を遮断させてもらった。言うなれば、ここ一帯が巨大な電波暗室って訳だ。新宮(しんぐう)さんと違って、俺はその(じゅう)の標的になっちまうからね」

アネスシーザーは、向けた相手の生体情報を識別し、国民管理システムへと情報を送る事で初めてトリガーのロックが解除される。つまり、電波を遮断されたという事は、国民管理システムとの通信が遮断されたという事になる。そうなれば、アネスシーザーはただの鉄屑(てつくず)に過ぎない。

しかし、その仕組みは公表されていない。劉睿泽(リュールイジェ)という男がその仕組みに自力で辿り着いたのであれば、国家にとっては当然脅威だ。

さらに、電波遮断の影響はもう1つある。捜査官同士がお互いの位置を確認し合うよう、デバイスに位置情報の記録と更新が常に行われているが、電波が遮断されている以上、他の捜査官から見れば、突如として木嶋(きじま)はロストした事になる。いつから電波を遮断されていたのか分からないが、現在地の特定ができない以上、仲間の救援は絶望的に見込めない孤立状態を意味していた。


「そう(にら)まないでくれ。これは君のためでもあるんだ」

新宮(しんぐう)はそう言うと、劉睿泽(リュールイジェ)に合図する。それを受けて劉睿泽(リュールイジェ)は手首に着けたデバイスを慣れた手付きで操作し始めた。

直後、割れるような頭痛に襲われ、(ひざ)を付いて(うずくま)る、木嶋(きじま)(うめ)き声を上げずにはいられない程の激痛に、目を強く(つぶ)ると、事件現場で断片的にループしたイメージが、次第に連続性ある映像として再生されていく。


鼓動(こどう)は高まり、激痛はピークに達していた。そして、殴られたような衝撃を受け、反動から(うずくま)っていた背筋が立ち、顔は天を仰ぐように放心した。


梨乃(りの)…」

全ての記憶が(よみがえ)り、大粒の涙が(こぼ)れる。


「どうやら思い出したようだね。君の脳には記憶を操作するチップがインプラントされている。国家にとって都合の良い駒にする為に。僕らはね。君達国民が盲信する国家の本質を暴く為に行動している。それは、国家に騙された国民を救う為の行動だと思っている。その為に君の正義を貸してはくれないか? 木嶋丈太郎(きじまじょうたろう)



───現在。


「彼らに出会い、俺の信じていたものが(うそ)で塗り固められたものだと知った。だから俺は、彼らの…いや、新宮(しんぐう)の計画に乗った。そして、一度は思い出した記憶を、劉睿泽(リュールイジェ)に再び消させた。刑事として内部から活動する為にな」

木嶋(きじま)は顔を上げ、空の目を見た。信念を感じる強い眼差(まなざ)しだった。


「それじゃあ、俺と出会った時のあんたは…」

確かめるように聞く、空。


新宮(しんぐう)との出会いや、娘や国家の闇に関する記憶の全てを消した俺だ。

そして、2年前。新宮(しんぐう)が起こした暴動で、俺は全てを思い出した。

まぁ、暴動までは新宮(しんぐう)劉睿泽(リュールイジェ)も、当然俺も、国民管理システムや局長の正体までは知らなかった訳だが…」

木嶋(きじま)の回答に、策略だったとはいえ、先輩後輩として過ごしたあの時間だけは本物だったと確信し、安堵した空は、()らず溜息(ためいき)()いた。


そして、再び鋭い目付きでもう1つの疑問点を問いただした。

「その暴動であんたは死んだはず。どうして生きている?」

空の()いに、木嶋(きじま)微笑(ほほえ)むと、2年間、探っても全く得られなかった真相を語り始めた───。



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