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公安四課  作者: やん
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FILE.43 悍ましき笑顔

眉間(みけん)にシワを寄せた(けわ)しい表情で、足早に廊下(ろうか)を歩く、愛華。四課オフィスの扉を前に足を()め、認証システムにデバイスを向ける。


『認証中───』

システムの応答音声に、咄嗟(とっさ)にデバイスを引く。認証されれば扉は(ひら)く。これまでと何一つ変わらない。しかし、(ひら)いた扉の先に"彼・彼女ら"はもういないのだ。


様々な感情が(たらわた)で渦巻き、扉を(ひら)くだけの行為が億劫(おっくう)になる。

愛華は目を(つぶ)り、深呼吸をした。気持ちに整理は付かない。だが、前に進まなくてはならないという、刑事としての責務だけが彼女の背中を押した。


『ユーザー認証、第四課 柚崎愛華(ゆずさきあいか) 警視(けいし)。入室承認が得られました。お入りください。」


応答音声と共に、扉は開く。


「愛華!」


"彼・彼女ら"の声が脳内で響き、そこに()るはずのない記憶が、視覚情報としてのイメージとなって誤認する。頭では分かっているのに、脳が錯覚(さっかく)しているのだ。


「どうして私を…」

目の奥から(にじ)む涙に、言葉が詰まる。


「愛華!!!」

再び呼ばれた自身の名を聞き、(われ)に帰る、愛華。そう、これが現実だ。こんなにも広いオフィスの中で、今やたった2人しかいないのだ。


愛華は、思い出を心の奥に(しま)うかのように、数秒間、静かに目を閉じた。そして、再び目を開けると、作った()みで室内へと一歩踏み出した。

(しずく)…さん、、、お待たせしました」



都内某所 廃マンション。


何も無いと言えばそれまでだが、掃除の行き届いた一室は、一見(いっけん)、廃マンションだという事を忘れるぐらい綺麗(きれい)だった。


オフィス用のタイルカーペットが()かれた床を両足で()む、(そら)。拘束されていた身体(からだ)に異変が無いか、チェックするように左手で掴んだ右手首を回す。


何故(なぜ)、拘束を()いた?」

拉致(らち)監禁(かんきん)した相手に信用など無い。元より、2人は刑事とテロリスト。水と油。N極とS極。お互いに反発し合い、殺し殺される事はあるとしても、拘束を()き、自由にすることなど有り得ない。その気になれば、寝首を()く可能性だって有り得る。そんな常識を理解していない男では無いはずだが、新宮(しんぐう)(げん)に空を自由の身にした。

その意図(いと)を理解する事ができず、疑いの眼差(まなざ)しを向ける、空。


「僕らは互いの目的の為、協力し合えると思ったんだ。

今や殉職者認定じゅんしょくしゃにんていされた君が、不名誉(ふめいよ)な理由で拘束された仲間を助ける為には、僕を利用しなくてはいけないし、僕としても計画を成就(じょうじゅ)する為に君の戦力を利用したい。お互いにwin-winだろう?」

新宮(しんぐう)は、空の目の前にスーツ一式を置くと、一歩下がり笑顔を見せる。


「計画?」

空の疑問に、新宮(しんぐう)()みを浮かべた。


「僕はね。この社会の根幹(こんかん)たる、国民管理システム(〖クババ〗)の機能を停止させ、再び国民一人一人が、(みずか)らの考えで行動する社会を取り戻したいんだ」

新宮(しんぐう)は、(てのひら)に国民管理システムを()した立方体のホログラムを展開すると、破壊するかのように握り潰した。


立方体は細かなピクセルになり、砂のように(こぶし)から流れ落ちる。


「クーデター…いや、革命でも起こすつもりか?」

空は()う。砂のように崩れ落ちるのは、機械(システム)だけではない。危惧(きぐ)すべきは、機械(システム)に依存した、社会そのもの、引いては国家が崩れる可能性すらあるのだ。


大袈裟(おおげさ)だな。言ったはずだよ。取り戻すと。

国民管理システムなどが基準で無かった頃、人々は個々の理性と本能を天秤(てんびん)()け、(みずか)らの尺度でバランスを(たも)ち、総意によって作られたルールの中で生きてきた。

だが、便利さを勘違いした人々は、いつの間にか自身で(つく)り上げた機械(システム)に洗脳され、強制された日常を基準として享受(きょうじゅ)するようになった。

果たして、機械(システム)による支配と独裁が個人の価値を抑圧した社会で、奴隷(どれい)と成り下がった国民に、人間らしい価値を見出す事などできるのだろうか?

今の国民は、管理される事に慣れきってしまった。それは、依存と言うべきかもしれない。

僕は、そんな気持ち悪い社会にうんざりしている。当たり前の事が当たり前に行われる社会。僕はそういうのが好きなだけなんだ」

新宮(しんぐう)の言葉には、管理・独裁社会に対する強い嫌悪(けんお)と、それに依存する国民への軽蔑(けいべつ)が表れていた。


「だから、国民管理システム導入以前の社会に戻すと?」

目を細めて問いただす、空。


「そうだ。これまでの全てが、その為の準備だった」


「これまでだと? 他者の犯罪を助長(じょちょう)する行為が、より良い社会の為だって言うのか? 綺麗事(きれいごと)()かすな。貴様(きさま)のくだらない理想の為に、何人が犠牲になっていると思っている?」

声を(あら)げて否定する、空。新宮(しんぐう)の主張を認めてしまえば、正義と犯罪の狭間(はざま)で苦しんだ、安浦長八(やすうらちょうはち)を否定する事になるからだ。空にとって、それだけは絶対に認められなかった。


「見解の相違(そうい)だね。彼らは、抑圧された社会に鬱憤(うっぷん)しながらも、無意識に本能に(かせ)を掛けていた。自身の本質を見て見ぬふりをし、自分は社会に従順(じゅうじゅん)なんだと無理に尻尾(しっぽ)を振ってね。だが、(いつわ)りの自己を(たも)って見せたところで、永遠には続かない。彼らは僕に出会ったから鋳型(いがた)を外れたんじゃない。遅かれ早かれ、いずれは(いつわ)る事に限界を迎えていた。そして彼らが行き()った自身の本質、アイデンティティと言うべきものが、この国においては犯罪と定義されるものだったに過ぎない」

新宮(しんぐう)は、この自己責任論が国民管理システムに管理された社会においては理解されない事を理解していた。それでも、(ろん)じたのは、全く真逆の意見を持つ、空のと討論に意義を感じていたからだった。管理社会で生まれ育ち、思考は完全に国民管理システムの意に染まっているにもかかわらず、無意識にも自身の意見を口にする空に、自らに近しいものを感じていた、新宮(しんぐう)


新宮(しんぐう)()みを浮かべた。


「違う! この社会で生まれ育った彼らにとっての生きる指標がこの社会であり、法律だ。(いつわ)りなんかじゃなく、時には葛藤(かっとう)(かか)えながら、善悪や罪を意識して自分らしく生きていた。お前が介入しなければ、今頃、彼らには別の道もあった」

一歩も引かない空に、新宮(しんぐう)は鼻で笑う。


「どうだかね? そこまで言うのなら君に()うが、何を(もっ)て犯罪は定義される? 誰が決めた?」

新宮(しんぐう)の追求に言葉が出ない、空。"誰"という()いの答えは、国民管理システムの真実を知った今、明白だったからだ。


国民管理システム(〖クババ〗)だろう? 暴力も強奪も、(うそ)()ぎた欲も、人間として本来持ち合わせているものだ。それら本能と理性を天秤(てんびん)に掛け、個々人が(みずか)らで判断するから、そこに価値が生まれるんだ。

君だってそうだ。今や、国民管理システム(〖クババ〗)の基準から外れた君が、()そうとする仲間の救出は、国民管理システム(〖クババ〗)から見れば叛逆行為(はんぎゃくこうい)だ。この国で国民管理システム(〖クババ〗)への叛逆(はんぎゃく)は、(すなわ)ち犯罪と規定されている。

だが、それを理解した上で、君は犯罪に手を染めてでも意思を(つら)くのだろう? 国家よりも仲間を選ぶのだろう? それによって、仲間以外の誰かが命を落としたとしても」


「お前に何が分かる」

正論に対し反論できず(にら)む、空。


「分かるさ。()めているわけではない。むしろ、その判断価値を評価する。

だから、僕は君に協力するんだ。君に価値を発揮してもらう為にね。

君は僕に対し、厭悪(えんお)し、感情的に憎悪(ぞうお)している。それでも、仲間の救出という観点から、協力する事の優位性と必要性を否定できていない。そして、国民管理システムの真実を知った今、国民管理システム(〖クババ〗)がこの社会の(がん)として巣食(すく)っている認識を大前提として(わきま)えている。

さて、君と僕は共通の目的意識を備えている訳だが、再確認しようか。僕の計画に協力してくれるかい?」

笑みを浮かべて確認する、新宮(しんぐう)


「お前のテロに加担するつもりはない。俺は、俺の目的の為にお前を利用する。その過程で、お前が邪魔になれば、まず一番最初にお前を殺す」

予測通りの答えに鼻で笑う、新宮(しんぐう)


「良いだろう。君とは良い関係が築けそうだ」


「さて、話も(まと)まったところで、別の議題についても語り尽したいところだが、紹介したい人を待たせていてね。(さっ)しは付いているだろうが、彼もまた僕の計画に協力してくれている」

ドアノブが動き、開く扉。部屋に入ってきたのは、背丈が170センチ前後で細身の男。雰囲気からして20代前半ってところか。顔には、スマイリーマークのホログラムが展開されている。


間違いない。juːˈtoʊpiə(ユートピア)事件の首謀者にして実行犯。そして、数々の事件の裏で暗躍したハッカー。一度対峙(たいじ)した陽菜、遼子、深月、雫、愛華の報告通りの風貌(ふうぼう)。正体は───。


「スマイルマン…」

空は(つぶや)いた。


「まさか、こうして顔を合わせる事になるなんて思わなかったよ。井川空(いがわそら) 刑事。いや、"元"刑事だったね。早速、計画を話していこうと思うんだけど」

スマイルマンが計画について話し始めたところで、空は話を(さえぎ)った。

「待て。俺はあんたらを信用した訳じゃない。いや、今後も信用するつもりなんて無い。利用するだけだ。ただ、お前のような顔も偽装するようなやつを利用すらできない」


「それもそうか…。俺もお前相手にこの口調だと疲れるんだ。まずはこのホログラムを()くとするよ」

スマイルマン特有のスマイリーマークにノイズが走り、展開していたホログラムが解除されていく。いや、顔にばかり注目していたが、よく見れば全身を包んでいたホログラムが解除され、同時に声質が20代から50代のそれへと変わっていく。


「あ、あんたは!?」

そして、(あらわ)れたスマイルマンの姿に、空は驚きが隠せず、目を()いた。


「久しぶりじゃねぇか。井川」


聞き覚えのある、乱暴ながらも安心する声色(こわいろ)。その(あるじ)は"姿"を現した。


木嶋(きじま)…さん……?」

幽霊(ゆうれい)を見るかの(ごと)驚駭(きょうがい)する、空。当然だ。数時間前、新宮那岐(しんぐうなぎ)は確かに、新東京庁舎タワーの地下へと向かった刑事のうち2人は死亡したと言っていた。


「な、何で…あんたが…」

言葉が出ない空に対し、鼻で(わら)う、木嶋丈太郎(きじまじょうたろう)


「何でって事はねぇだろうよ。生きてちゃ問題か? そいつは、ご挨拶ってもんよ」

カッカッカッと笑い飛ばす、木嶋(きじま)。かつての彼と存分(すんぶん)(たが)わない態度を前に、疑念は否定される。


「まずお前の勘違いを正すと、木嶋丈太郎()は死んじゃいねぇ。言っとくが、AIだの全身義体だのじゃなく、生身の人間だ」

木嶋(きじま)は、(こぶし)で数回、頭を小突いて見せた。


「思い返してみろ? 新宮(しんぐう)は一度だって"死んだ"とは言っていない」

木嶋(きじま)の発言に目が泳ぐ、空。たしかに、言われてみればそうだ。新宮那岐(しんぐうなぎ)は、地下へと向かった仲間の所在(しょざい)を聞かれ、"殺された"とは答えた。しかし、その仲間を追った刑事2人については"殺された"と名言していない。

監禁されていた状況下で、早とちりしたのだ。だが、()に落ち無い点もある。勘違いとはいえ、木嶋(きじま)宮下(みやした)を殺害した人物についての質問に、新宮(しんぐう)結城巧(ゆうきたくみ)(すなわ)ち、国民管理システムの管理者たる【SHINGU】シリーズの1人、"宿那(すくな)"だと答えた。では、結城巧(ゆうきたくみ)宿那(すくな)は、一体誰を殺したのか?


「じゃあ、死んだのは誰です…」

これまでの何が事実で、何が嘘だったのか。目の前の事実でさえ信じられなくなっていた、空。かつて大信頼していた先輩に向けたのは、疑心からくる愁嘆(しゅうたん)だった。


宮下(みやした)だ。あいつは確かに、あの日あの場所で結城(ゆうき)にエンフォーサーで殺された。残念だったよ。できれば、助けてやりたいとさえ思っていた。

まぁ、思いと行動は結び付かない。(たと)え、どれだけ助けてやりたいと思っていたとしても、結局は見殺しにしただろうがな」

未だかつて、これ程までに冷酷な表情をした木嶋(きじま)を見た記憶は無い。(はら)を割って話すという言葉があるが、木嶋(きじま)(はら)には漆黒(しっこく)と呼べる程の狂気が渦巻いていたのだ。


空は冷静さを欠いていた訳では無い。しかし、気付いた時には、既に木嶋(きじま)胸倉(むなぐら)を掴んでいた。


「暴力か? それも良いだろう。だが、肝心な事を忘れてるぞ、井川。俺を殺しても、宮下(みやした)は生き返らない」

ニヤリと()木嶋(きじま)に、空の(こぶし)(くう)を切る。


立てた鼻息がその場の空気を震わせる。(こぶし)を突き立てた壁は、ボロボロと崩れ落ちる。その様子を目で追う木嶋(きじま)は、再び空に視線を戻した。

怒りを押し殺すかのように何度か深呼吸をした(あと)、壁から手を引いた、空。血(まみ)れた(こぶし)からポタポタと血が落ちる。


憎悪の視線を木嶋(きじま)に向けたまま、掴んだ胸倉から手を(ほど)くと、ゆっくりと一歩ずつ下がる、空。

木嶋(きじま)は崩れた(えり)を直し、空が落ち着きを取り戻したのを確認した所で、口を開いた。

「お前さんの聞きてぇ事は分かってるつもりだ。まずは、"いつから新宮(こっち)側かって事だよな?」

(うなず)く事もなく、ただ睨み続ける、空。


木嶋(きじま)は、やれやれという思いからフッと()みを浮かべると、経緯(いきさつ)を話し始めた。


「俺が新宮(しんぐう)と出会ったのは、6年前の事だ。

その頃の俺は、刑事(デカ)としてのキャリアも20年が過ぎ、所謂(いわゆる)、ベテラン刑事として、第一線に立っていた。その年の4月、第一課班長を拝命し、着実なキャリアを積んでいた。

プライベートでは、(つま)を亡くしてからというもの、男手(おとこで)ひとつで育てた(むすめ)が18を迎えようとしていた。これまで、贅沢(ぜいたく)な生活はさせてやれなかったし、刑事という職業柄、不便(ふべん)な想いをさせていたかもしれない。だが、反抗期らしい反抗期も無く、素直で良い子に育ってくれたよ。俺は、公私共々(こうしともども)順調だった。それはこれからも当然のように続くと思っていた。あの事件までは───」



2116年7月───。


府中区武蔵野町668- 武蔵野公園。


「これで7件目か…」

遺体(いたい)を前に手を合わせる、木嶋(きじま)眉間(みけん)にシワを寄せ、深い溜息(ためいき)()いた。


時計塔に(はりつけ)られた遺体(いたい)は、両腕をTの字に広げ、両足は閉じていた。まるで伝承において伝わる、十字架に(はりつけ)られ処刑されたというイエス・キリストを思わせる姿。しかし、印象的なのはその姿ではなく、表情のほうだ。これまでに発見された6人同様、笑顔だったのだ。それも自然な()みではなく、糸か何かで()ったような、無理矢理(つく)られた表情が不気味という他無い。


7人全員が同じ方法で殺害され、遺棄(いき)されている状況に、カルト的な意味合いを連想させる。しかし、その共通点に違和感を覚える、木嶋(きじま)何故(なぜ)なら、一連の事件にあまりにもメッセージ性が(とぼ)しいからだ。

宗教的犯罪であれば、信仰の象徴を表す為に、思想を全面的に訴えるようなメッセージ性を遺体(いたい)に付加するのが普通だ。逆に個人信仰、言い換えれば妄想という事になるが、そういった自己完結で終わる犯罪であれば、自身の世界観を周囲に認識、承認させたい欲求を残す。

いずれも、キリストの処刑を模倣した殺害及び遺棄(いき)の様子、そして狂気の笑顔という共通点が、犯人からのメッセージであるようにも思えるが、7人全て同じでオリジナリティーが無い。さらには、現場もばらつきがあり、場所と遺体(いたい)の格好を結び付けるものが何1つとしてない。

これらの事例から考えられるのは、犯人はシリアルキラーの要素を兼ね備え、捜査の撹乱(かくらん)を楽しんでいる人格破綻者(サイコパス)だ。


だが、犯罪心理学を(かじ)ってすらいない木嶋(きじま)の推理は、言わば経験則だ。これを(もと)に、犯人の次の行動が分かるわけではない。それどころか、識別スキャナーや防犯ドローンにも決定的な証拠を残す事なく、犯行が繰り返されている現状。とどのつまり、お手上げ状態に深い溜息(ためいき)すら漏れる。


()(すべ)無い無力感と進展しない焦りが、歯痒(はがゆ)い想いとなって、木嶋(きじま)は握った(こぶし)(ふる)わせた。



───10日後───

公安庁 大ホール。


局長勅命(ちょくめい)の緊急招集。第一課から第五課、全ての非番、休暇()わない招集は、公安庁発足後(ほっそくご)47年で初めての事だった。

それ(ゆえ)、第四課だけ誰1人として出席していない事に、全員が違和感を覚えただろう。第四課への疑念にも似た(ささや)きが、ピリついた空気の中、耳障(みみざわ)りな雑音となっていた。


そんな(どよめ)きは、公安庁局長・天宮碧葵(あまみやみき)の入室で消散(しょうさん)する。捜査官達は慌てて起立し、天宮(あまみや)に敬礼した。


「掛かけたまえ」

天宮(あまみや)の一声で、捜査官達は一斉(いっせい)に着席する。


「さて、第四課がこの場にいない違和感を諸君らも(すで)に感じているだろうが、今朝方、匿名(とくめい)の通報により、班長・釣谷環(つりやたまき) 警部(けいぶ)以下8名が遺体となって発見された」

班の全滅。天宮(あまみや)によって()げられた悲報は、その場に(つど)った捜査官達を凍り付かせた。


遺体(いたい)は、十字架を連想させる姿でフェンスに縛り上げられ、顔面は糸で()みを浮かべるように()るされていた。状況的には、諸君ら現場ベースで呼んでいる、"十字架事件"と酷似している」

天宮(あまみや)の背後に展開された巨大なホロモニターに、凄惨(せいさん)な事件現場が映された。

横長のフェンスに、9人の遺体(いたい)が横並びに()るされ、表情は狂気じみた()みを浮かべていた。その様子に、百戦錬磨の捜査官達も言葉を失い、息を()む。中には、手で口を(おお)う、女性捜査官までいた。


そして、木嶋(きじま)も動揺を隠せずにいた。広域重要指定事件165号。通称:十字架事件。それを追っていたのが、猟奇(りょうき)事件を専門とする第四課と殺人を専門とする自分達第一課だったからだ。犯人の思想は(おろ)か、行動パターンすら読めず、捜査が難航していた最中(さなか)に起きた捜査官殺し。狩る側の仲間達が犠牲となり、1つの課が壊滅した。

ボタン1つの掛け違いで、死んでいたのは自分だったかもしれない。そう考えるだけで、全身を(むし)()い回るような感覚さえ覚え、冷汗は止まらない。


「現場検証は、エリアストレスの上昇の観点から、厚生省直轄チームによって秘密裏に行われた。発見者はメンタルケア施設へと移送。報道規制を()き、現場には一切の立入りを禁じている。

現在、現場に設置されている識別スキャナーおよび防犯ドローンを解析中だが、確証たる証拠は期待できない。

ただし、9名の捜査官が犠牲になった由々(ゆゆ)しき事態を悠長(ゆうちょう)に構えているつもりは無い。社会の平和と安寧(あんねい)の為、今回のみ特例として全捜査官にエンフォーサーを貸与(たいよ)する。使用方法はアネスシーザーと変わらない。

諸君らには1分1秒でも早い、異端の執行を願う」

天宮(あまみや)の退室と同時に、捜査官達は一斉(いっせい)に立上り、動き出す。


他全員が退室した大ホールの真ん中に1人(たたず)み考え込む、木嶋(きじま)


捜査官皆殺しの現場検証に、公安庁の捜査官ではなく、厚生省直轄とされる組織の投入。全捜査官にエンフォーサーの貸与(たいよ)と、犯人逮捕ではなく法的殺害の命令。全てが異例だ。

まるで何かを封殺(ふうさつ)しようと大きな力が働いているような、底知れぬ闇沼に両足から()まれていく恐怖心が、木嶋(きじま)の足を止めていた。



───現在。


「後にも先にも、文字通り胸糞悪い事件だった…」

溜息(ためいき)混じりに回顧(かいこ)する、木嶋(きじま)


「お前達の前任とも言える旧四課の全滅は、捜査体制の抜本的な見直しに繋がった。あの事件があったからこそ、難解()つ危険度の高い事件を受け持つ、准軍事部隊の必要性が論じられたし、即時執行権を有する"特課(とっか)"が構想された。(あと)はお前達の知る通りだ」

多少疲れたような表情で、椅子(いす)に腰掛けた、木嶋(きじま)。空にも座るよう促すように、首を小さく上に振る。


それに応じるように、対面する形で椅子(いす)に掛けた、空。(いま)眉間(みけん)にシワを寄せ、鋭い視線を木嶋(きじま)に向けていた。


ここまでの話、空は納得していない。凄惨(せいさん)な過去の思い出話を聞いたところで、お涙頂戴程度にしかならないからだ。まだ、2つの肝心な話が聞けていない。


「旧四課の経緯(いきさつ)は、事件資料を読んで知っている」

空の一言に、驚きの表情を見せた、木嶋(きじま)

「秘匿されていたはずだろう?」


「あぁ、だから四課(うち)の立華がデータベースをハックした時に、プロテクターの掛かった不自然な情報を見つけて、解除したんだ。犯人は第一課(あんた達)が執行した事も知っている」

空の説明に、「なるほど」という表情で苦笑いする、木嶋(きじま)


「そうか…。だが、"犯人"について詳しく知らないだろう?」

木嶋(きじま)の一言に、驚く表情を見せた、空。知らないも何も無い。データには、『2116年7月24日午前2時43分。天王州アイル埠頭(ふとう)コンテナにおいて、第一課・木嶋丈太郎(きじまじょうたろう) 警部(けいぶ)によるエンフォーサーの使用にて、無職・松川裕也(まつかわゆうや)を執行。』と確かに、明記されていた。


「お前達が見たデータは半分事実、半分が虚偽(きょぎ)だろうからな。いや、虚偽(きょぎ)というより改竄(かいざん)した記録と言うべきか。犯罪心理学に精通(せいつう)したお前なら、今までの話だけでも()に落ち無い点があるだろう? それに俺が刑事の身分を捨ててまで、テロリスト(こっち)側へ身を()とした理由も気になっているんだろう? 」

木嶋(きじま)の指摘通りだ。データを見た当時ですら、その内容に矛盾点が多く違和感を覚えていた。そして、今しがた木嶋(きじま)から聞いた体験談。事件に共通点は有りながらも、犯人からのメッセージに独自性が希薄な点、全捜査官によるエンフォーサー所持、旧四課殺害に対して公安捜査官の捜査権がなかった点など、数え始めればキリが無いくらいに疑問点が湧く。

そして何より肝心な、木嶋(きじま)がテロリストに転身した理由だ。


空にとって第一優先なのは仲間の救出であり、全ての真実など二の次だ。しかし、真実を知らねばならないのだろう。これまでの全てが線として繋がり、引いては仲間の救出に繋がっている、そんな予感が()ぎった。


「あんたを軽蔑(けいべつ)している事には変わりない。だが、あんたの握る真実を知る事が、仲間を助ける手掛かりになっている気がする…。全て話してくれ」

空の目が変わり、安堵(あんど)の息を()く、木嶋(きじま)


両膝(りょうひざ)(ひじ)を付き、顔の前で手を組むと、木嶋(きじま)は重い口を開き、冷めた目で話し始めた。

「局長による緊急招集から1週間。公安庁の威信(いしん)()けた捜査も(むな)しく進展の無かった状況に光明が()した。公安にとっては光明だったに違いない。だが、俺にとっては人生が180度変わるような悪夢だった───」



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