FILE.43 悍ましき笑顔
眉間にシワを寄せた険しい表情で、足早に廊下を歩く、愛華。四課オフィスの扉を前に足を止め、認証システムにデバイスを向ける。
『認証中───』
システムの応答音声に、咄嗟にデバイスを引く。認証されれば扉は開く。これまでと何一つ変わらない。しかし、開いた扉の先に"彼・彼女ら"はもういないのだ。
様々な感情が腸で渦巻き、扉を開くだけの行為が億劫になる。
愛華は目を瞑り、深呼吸をした。気持ちに整理は付かない。だが、前に進まなくてはならないという、刑事としての責務だけが彼女の背中を押した。
『ユーザー認証、第四課 柚崎愛華 警視。入室承認が得られました。お入りください。」
応答音声と共に、扉は開く。
「愛華!」
"彼・彼女ら"の声が脳内で響き、そこに居るはずのない記憶が、視覚情報としてのイメージとなって誤認する。頭では分かっているのに、脳が錯覚しているのだ。
「どうして私を…」
目の奥から滲む涙に、言葉が詰まる。
「愛華!!!」
再び呼ばれた自身の名を聞き、我に帰る、愛華。そう、これが現実だ。こんなにも広いオフィスの中で、今やたった2人しかいないのだ。
愛華は、思い出を心の奥に蔵うかのように、数秒間、静かに目を閉じた。そして、再び目を開けると、作った笑みで室内へと一歩踏み出した。
「雫…さん、、、お待たせしました」
都内某所 廃マンション。
何も無いと言えばそれまでだが、掃除の行き届いた一室は、一見、廃マンションだという事を忘れるぐらい綺麗だった。
オフィス用のタイルカーペットが敷かれた床を両足で踏む、空。拘束されていた身体に異変が無いか、チェックするように左手で掴んだ右手首を回す。
「何故、拘束を解いた?」
拉致、監禁した相手に信用など無い。元より、2人は刑事とテロリスト。水と油。N極とS極。お互いに反発し合い、殺し殺される事はあるとしても、拘束を解き、自由にすることなど有り得ない。その気になれば、寝首を掻く可能性だって有り得る。そんな常識を理解していない男では無いはずだが、新宮は現に空を自由の身にした。
その意図を理解する事ができず、疑いの眼差しを向ける、空。
「僕らは互いの目的の為、協力し合えると思ったんだ。
今や殉職者認定された君が、不名誉な理由で拘束された仲間を助ける為には、僕を利用しなくてはいけないし、僕としても計画を成就する為に君の戦力を利用したい。お互いにwin-winだろう?」
新宮は、空の目の前にスーツ一式を置くと、一歩下がり笑顔を見せる。
「計画?」
空の疑問に、新宮は笑みを浮かべた。
「僕はね。この社会の根幹たる、国民管理システムの機能を停止させ、再び国民一人一人が、自らの考えで行動する社会を取り戻したいんだ」
新宮は、掌に国民管理システムを模した立方体のホログラムを展開すると、破壊するかのように握り潰した。
立方体は細かなピクセルになり、砂のように拳から流れ落ちる。
「クーデター…いや、革命でも起こすつもりか?」
空は問う。砂のように崩れ落ちるのは、機械だけではない。危惧すべきは、機械に依存した、社会そのもの、引いては国家が崩れる可能性すらあるのだ。
「大袈裟だな。言ったはずだよ。取り戻すと。
国民管理システムなどが基準で無かった頃、人々は個々の理性と本能を天秤に掛け、自らの尺度でバランスを保ち、総意によって作られたルールの中で生きてきた。
だが、便利さを勘違いした人々は、いつの間にか自身で創り上げた機械に洗脳され、強制された日常を基準として享受するようになった。
果たして、機械による支配と独裁が個人の価値を抑圧した社会で、奴隷と成り下がった国民に、人間らしい価値を見出す事などできるのだろうか?
今の国民は、管理される事に慣れきってしまった。それは、依存と言うべきかもしれない。
僕は、そんな気持ち悪い社会にうんざりしている。当たり前の事が当たり前に行われる社会。僕はそういうのが好きなだけなんだ」
新宮の言葉には、管理・独裁社会に対する強い嫌悪と、それに依存する国民への軽蔑が表れていた。
「だから、国民管理システム導入以前の社会に戻すと?」
目を細めて問いただす、空。
「そうだ。これまでの全てが、その為の準備だった」
「これまでだと? 他者の犯罪を助長する行為が、より良い社会の為だって言うのか? 綺麗事を抜かすな。貴様のくだらない理想の為に、何人が犠牲になっていると思っている?」
声を荒げて否定する、空。新宮の主張を認めてしまえば、正義と犯罪の狭間で苦しんだ、安浦長八を否定する事になるからだ。空にとって、それだけは絶対に認められなかった。
「見解の相違だね。彼らは、抑圧された社会に鬱憤しながらも、無意識に本能に枷を掛けていた。自身の本質を見て見ぬふりをし、自分は社会に従順なんだと無理に尻尾を振ってね。だが、偽りの自己を保って見せたところで、永遠には続かない。彼らは僕に出会ったから鋳型を外れたんじゃない。遅かれ早かれ、いずれは偽る事に限界を迎えていた。そして彼らが行き逢った自身の本質、アイデンティティと言うべきものが、この国においては犯罪と定義されるものだったに過ぎない」
新宮は、この自己責任論が国民管理システムに管理された社会においては理解されない事を理解していた。それでも、論じたのは、全く真逆の意見を持つ、空のと討論に意義を感じていたからだった。管理社会で生まれ育ち、思考は完全に国民管理システムの意に染まっているにもかかわらず、無意識にも自身の意見を口にする空に、自らに近しいものを感じていた、新宮。
新宮は笑みを浮かべた。
「違う! この社会で生まれ育った彼らにとっての生きる指標がこの社会であり、法律だ。偽りなんかじゃなく、時には葛藤を抱えながら、善悪や罪を意識して自分らしく生きていた。お前が介入しなければ、今頃、彼らには別の道もあった」
一歩も引かない空に、新宮は鼻で笑う。
「どうだかね? そこまで言うのなら君に問うが、何を以て犯罪は定義される? 誰が決めた?」
新宮の追求に言葉が出ない、空。"誰"という問いの答えは、国民管理システムの真実を知った今、明白だったからだ。
「国民管理システムだろう? 暴力も強奪も、嘘も過ぎた欲も、人間として本来持ち合わせているものだ。それら本能と理性を天秤に掛け、個々人が自らで判断するから、そこに価値が生まれるんだ。
君だってそうだ。今や、国民管理システムの基準から外れた君が、成そうとする仲間の救出は、国民管理システムから見れば叛逆行為だ。この国で国民管理システムへの叛逆は、即ち犯罪と規定されている。
だが、それを理解した上で、君は犯罪に手を染めてでも意思を貫くのだろう? 国家よりも仲間を選ぶのだろう? それによって、仲間以外の誰かが命を落としたとしても」
「お前に何が分かる」
正論に対し反論できず睨む、空。
「分かるさ。責めているわけではない。むしろ、その判断価値を評価する。
だから、僕は君に協力するんだ。君に価値を発揮してもらう為にね。
君は僕に対し、厭悪し、感情的に憎悪している。それでも、仲間の救出という観点から、協力する事の優位性と必要性を否定できていない。そして、国民管理システムの真実を知った今、国民管理システムがこの社会の癌として巣食っている認識を大前提として弁えている。
さて、君と僕は共通の目的意識を備えている訳だが、再確認しようか。僕の計画に協力してくれるかい?」
笑みを浮かべて確認する、新宮。
「お前のテロに加担するつもりはない。俺は、俺の目的の為にお前を利用する。その過程で、お前が邪魔になれば、まず一番最初にお前を殺す」
予測通りの答えに鼻で笑う、新宮。
「良いだろう。君とは良い関係が築けそうだ」
「さて、話も纏まったところで、別の議題についても語り尽したいところだが、紹介したい人を待たせていてね。察しは付いているだろうが、彼もまた僕の計画に協力してくれている」
ドアノブが動き、開く扉。部屋に入ってきたのは、背丈が170センチ前後で細身の男。雰囲気からして20代前半ってところか。顔には、スマイリーマークのホログラムが展開されている。
間違いない。juːˈtoʊpiə事件の首謀者にして実行犯。そして、数々の事件の裏で暗躍したハッカー。一度対峙した陽菜、遼子、深月、雫、愛華の報告通りの風貌。正体は───。
「スマイルマン…」
空は呟いた。
「まさか、こうして顔を合わせる事になるなんて思わなかったよ。井川空 刑事。いや、"元"刑事だったね。早速、計画を話していこうと思うんだけど」
スマイルマンが計画について話し始めたところで、空は話を遮った。
「待て。俺はあんたらを信用した訳じゃない。いや、今後も信用するつもりなんて無い。利用するだけだ。ただ、お前のような顔も偽装するようなやつを利用すらできない」
「それもそうか…。俺もお前相手にこの口調だと疲れるんだ。まずはこのホログラムを解くとするよ」
スマイルマン特有のスマイリーマークにノイズが走り、展開していたホログラムが解除されていく。いや、顔にばかり注目していたが、よく見れば全身を包んでいたホログラムが解除され、同時に声質が20代から50代のそれへと変わっていく。
「あ、あんたは!?」
そして、顕れたスマイルマンの姿に、空は驚きが隠せず、目を剥いた。
「久しぶりじゃねぇか。井川」
聞き覚えのある、乱暴ながらも安心する声色。その主は"姿"を現した。
「木嶋…さん……?」
幽霊を見るかの如く驚駭する、空。当然だ。数時間前、新宮那岐は確かに、新東京庁舎タワーの地下へと向かった刑事のうち2人は死亡したと言っていた。
「な、何で…あんたが…」
言葉が出ない空に対し、鼻で嗤う、木嶋丈太郎。
「何でって事はねぇだろうよ。生きてちゃ問題か? そいつは、ご挨拶ってもんよ」
カッカッカッと笑い飛ばす、木嶋。かつての彼と存分も違わない態度を前に、疑念は否定される。
「まずお前の勘違いを正すと、木嶋丈太郎は死んじゃいねぇ。言っとくが、AIだの全身義体だのじゃなく、生身の人間だ」
木嶋は、拳で数回、頭を小突いて見せた。
「思い返してみろ? 新宮は一度だって"死んだ"とは言っていない」
木嶋の発言に目が泳ぐ、空。たしかに、言われてみればそうだ。新宮那岐は、地下へと向かった仲間の所在を聞かれ、"殺された"とは答えた。しかし、その仲間を追った刑事2人については"殺された"と名言していない。
監禁されていた状況下で、早とちりしたのだ。だが、腑に落ち無い点もある。勘違いとはいえ、木嶋と宮下を殺害した人物についての質問に、新宮は結城巧、即ち、国民管理システムの管理者たる【SHINGU】シリーズの1人、"宿那"だと答えた。では、結城巧=宿那は、一体誰を殺したのか?
「じゃあ、死んだのは誰です…」
これまでの何が事実で、何が嘘だったのか。目の前の事実でさえ信じられなくなっていた、空。かつて大信頼していた先輩に向けたのは、疑心からくる愁嘆だった。
「宮下だ。あいつは確かに、あの日あの場所で結城にエンフォーサーで殺された。残念だったよ。できれば、助けてやりたいとさえ思っていた。
まぁ、思いと行動は結び付かない。喩え、どれだけ助けてやりたいと思っていたとしても、結局は見殺しにしただろうがな」
未だかつて、これ程までに冷酷な表情をした木嶋を見た記憶は無い。腸を割って話すという言葉があるが、木嶋の腸には漆黒と呼べる程の狂気が渦巻いていたのだ。
空は冷静さを欠いていた訳では無い。しかし、気付いた時には、既に木嶋の胸倉を掴んでいた。
「暴力か? それも良いだろう。だが、肝心な事を忘れてるぞ、井川。俺を殺しても、宮下は生き返らない」
ニヤリと笑む木嶋に、空の拳は空を切る。
立てた鼻息がその場の空気を震わせる。拳を突き立てた壁は、ボロボロと崩れ落ちる。その様子を目で追う木嶋は、再び空に視線を戻した。
怒りを押し殺すかのように何度か深呼吸をした後、壁から手を引いた、空。血塗れた拳からポタポタと血が落ちる。
憎悪の視線を木嶋に向けたまま、掴んだ胸倉から手を解くと、ゆっくりと一歩ずつ下がる、空。
木嶋は崩れた襟を直し、空が落ち着きを取り戻したのを確認した所で、口を開いた。
「お前さんの聞きてぇ事は分かってるつもりだ。まずは、"いつから新宮側かって事だよな?」
頷く事もなく、ただ睨み続ける、空。
木嶋は、やれやれという思いからフッと笑みを浮かべると、経緯を話し始めた。
「俺が新宮と出会ったのは、6年前の事だ。
その頃の俺は、刑事としてのキャリアも20年が過ぎ、所謂、ベテラン刑事として、第一線に立っていた。その年の4月、第一課班長を拝命し、着実なキャリアを積んでいた。
プライベートでは、妻を亡くしてからというもの、男手ひとつで育てた娘が18を迎えようとしていた。これまで、贅沢な生活はさせてやれなかったし、刑事という職業柄、不便な想いをさせていたかもしれない。だが、反抗期らしい反抗期も無く、素直で良い子に育ってくれたよ。俺は、公私共々順調だった。それはこれからも当然のように続くと思っていた。あの事件までは───」
2116年7月───。
府中区武蔵野町668- 武蔵野公園。
「これで7件目か…」
遺体を前に手を合わせる、木嶋。眉間にシワを寄せ、深い溜息を吐いた。
時計塔に磔られた遺体は、両腕をTの字に広げ、両足は閉じていた。まるで伝承において伝わる、十字架に磔られ処刑されたというイエス・キリストを思わせる姿。しかし、印象的なのはその姿ではなく、表情のほうだ。これまでに発見された6人同様、笑顔だったのだ。それも自然な笑みではなく、糸か何かで攣ったような、無理矢理造られた表情が不気味という他無い。
7人全員が同じ方法で殺害され、遺棄されている状況に、カルト的な意味合いを連想させる。しかし、その共通点に違和感を覚える、木嶋。何故なら、一連の事件にあまりにもメッセージ性が乏しいからだ。
宗教的犯罪であれば、信仰の象徴を表す為に、思想を全面的に訴えるようなメッセージ性を遺体に付加するのが普通だ。逆に個人信仰、言い換えれば妄想という事になるが、そういった自己完結で終わる犯罪であれば、自身の世界観を周囲に認識、承認させたい欲求を残す。
いずれも、キリストの処刑を模倣した殺害及び遺棄の様子、そして狂気の笑顔という共通点が、犯人からのメッセージであるようにも思えるが、7人全て同じでオリジナリティーが無い。さらには、現場もばらつきがあり、場所と遺体の格好を結び付けるものが何1つとしてない。
これらの事例から考えられるのは、犯人はシリアルキラーの要素を兼ね備え、捜査の撹乱を楽しんでいる人格破綻者だ。
だが、犯罪心理学を噛ってすらいない木嶋の推理は、言わば経験則だ。これを基に、犯人の次の行動が分かるわけではない。それどころか、識別スキャナーや防犯ドローンにも決定的な証拠を残す事なく、犯行が繰り返されている現状。とどのつまり、お手上げ状態に深い溜息すら漏れる。
成す術無い無力感と進展しない焦りが、歯痒い想いとなって、木嶋は握った拳を震わせた。
───10日後───
公安庁 大ホール。
局長勅命の緊急招集。第一課から第五課、全ての非番、休暇問わない招集は、公安庁発足後47年で初めての事だった。
それ故、第四課だけ誰1人として出席していない事に、全員が違和感を覚えただろう。第四課への疑念にも似た囁きが、ピリついた空気の中、耳障りな雑音となっていた。
そんな響きは、公安庁局長・天宮碧葵の入室で消散する。捜査官達は慌てて起立し、天宮に敬礼した。
「掛かけたまえ」
天宮の一声で、捜査官達は一斉に着席する。
「さて、第四課がこの場にいない違和感を諸君らも既に感じているだろうが、今朝方、匿名の通報により、班長・釣谷環 警部以下8名が遺体となって発見された」
班の全滅。天宮によって告げられた悲報は、その場に集った捜査官達を凍り付かせた。
「遺体は、十字架を連想させる姿でフェンスに縛り上げられ、顔面は糸で笑みを浮かべるように攣るされていた。状況的には、諸君ら現場ベースで呼んでいる、"十字架事件"と酷似している」
天宮の背後に展開された巨大なホロモニターに、凄惨な事件現場が映された。
横長のフェンスに、9人の遺体が横並びに吊るされ、表情は狂気じみた笑みを浮かべていた。その様子に、百戦錬磨の捜査官達も言葉を失い、息を呑む。中には、手で口を覆う、女性捜査官までいた。
そして、木嶋も動揺を隠せずにいた。広域重要指定事件165号。通称:十字架事件。それを追っていたのが、猟奇事件を専門とする第四課と殺人を専門とする自分達第一課だったからだ。犯人の思想は疎か、行動パターンすら読めず、捜査が難航していた最中に起きた捜査官殺し。狩る側の仲間達が犠牲となり、1つの課が壊滅した。
ボタン1つの掛け違いで、死んでいたのは自分だったかもしれない。そう考えるだけで、全身を蟲が這い回るような感覚さえ覚え、冷汗は止まらない。
「現場検証は、エリアストレスの上昇の観点から、厚生省直轄チームによって秘密裏に行われた。発見者はメンタルケア施設へと移送。報道規制を敷き、現場には一切の立入りを禁じている。
現在、現場に設置されている識別スキャナーおよび防犯ドローンを解析中だが、確証たる証拠は期待できない。
ただし、9名の捜査官が犠牲になった由々しき事態を悠長に構えているつもりは無い。社会の平和と安寧の為、今回のみ特例として全捜査官にエンフォーサーを貸与する。使用方法はアネスシーザーと変わらない。
諸君らには1分1秒でも早い、異端の執行を願う」
天宮の退室と同時に、捜査官達は一斉に立上り、動き出す。
他全員が退室した大ホールの真ん中に1人佇み考え込む、木嶋。
捜査官皆殺しの現場検証に、公安庁の捜査官ではなく、厚生省直轄とされる組織の投入。全捜査官にエンフォーサーの貸与と、犯人逮捕ではなく法的殺害の命令。全てが異例だ。
まるで何かを封殺しようと大きな力が働いているような、底知れぬ闇沼に両足から呑まれていく恐怖心が、木嶋の足を止めていた。
───現在。
「後にも先にも、文字通り胸糞悪い事件だった…」
溜息混じりに回顧する、木嶋。
「お前達の前任とも言える旧四課の全滅は、捜査体制の抜本的な見直しに繋がった。あの事件があったからこそ、難解且つ危険度の高い事件を受け持つ、准軍事部隊の必要性が論じられたし、即時執行権を有する"特課"が構想された。後はお前達の知る通りだ」
多少疲れたような表情で、椅子に腰掛けた、木嶋。空にも座るよう促すように、首を小さく上に振る。
それに応じるように、対面する形で椅子に掛けた、空。未だ眉間にシワを寄せ、鋭い視線を木嶋に向けていた。
ここまでの話、空は納得していない。凄惨な過去の思い出話を聞いたところで、お涙頂戴程度にしかならないからだ。まだ、2つの肝心な話が聞けていない。
「旧四課の経緯は、事件資料を読んで知っている」
空の一言に、驚きの表情を見せた、木嶋。
「秘匿されていたはずだろう?」
「あぁ、だから四課の立華がデータベースをハックした時に、プロテクターの掛かった不自然な情報を見つけて、解除したんだ。犯人は第一課が執行した事も知っている」
空の説明に、「なるほど」という表情で苦笑いする、木嶋。
「そうか…。だが、"犯人"について詳しく知らないだろう?」
木嶋の一言に、驚く表情を見せた、空。知らないも何も無い。データには、『2116年7月24日午前2時43分。天王州アイル埠頭コンテナにおいて、第一課・木嶋丈太郎 警部によるエンフォーサーの使用にて、無職・松川裕也を執行。』と確かに、明記されていた。
「お前達が見たデータは半分事実、半分が虚偽だろうからな。いや、虚偽というより改竄した記録と言うべきか。犯罪心理学に精通したお前なら、今までの話だけでも腑に落ち無い点があるだろう? それに俺が刑事の身分を捨ててまで、テロリスト側へ身を堕とした理由も気になっているんだろう? 」
木嶋の指摘通りだ。データを見た当時ですら、その内容に矛盾点が多く違和感を覚えていた。そして、今しがた木嶋から聞いた体験談。事件に共通点は有りながらも、犯人からのメッセージに独自性が希薄な点、全捜査官によるエンフォーサー所持、旧四課殺害に対して公安捜査官の捜査権がなかった点など、数え始めればキリが無いくらいに疑問点が湧く。
そして何より肝心な、木嶋がテロリストに転身した理由だ。
空にとって第一優先なのは仲間の救出であり、全ての真実など二の次だ。しかし、真実を知らねばならないのだろう。これまでの全てが線として繋がり、引いては仲間の救出に繋がっている、そんな予感が過ぎった。
「あんたを軽蔑している事には変わりない。だが、あんたの握る真実を知る事が、仲間を助ける手掛かりになっている気がする…。全て話してくれ」
空の目が変わり、安堵の息を吐く、木嶋。
両膝に肘を付き、顔の前で手を組むと、木嶋は重い口を開き、冷めた目で話し始めた。
「局長による緊急招集から1週間。公安庁の威信に懸けた捜査も虚しく進展の無かった状況に光明が射した。公安にとっては光明だったに違いない。だが、俺にとっては人生が180度変わるような悪夢だった───」