FILE.41 楽園の素顔
千代田区永田町171- 国会議事堂前。
「虐殺反対! 尊厳守れ!」
1000人を超えるデモ参加者が隊列を成し、国会議事堂前に集結していた。議事堂前にはバリケードが敷かれ、武装した国防軍と警務ドローンとの間で、暴動寸前の鬩ぎ合いが繰り広げられていた。
「我々は、国家と国民管理システムによる、強制管理と独裁に断固として反対する! 国家は我々国民を開放しろー!! 人間選別反対!」
スピーカーを持った男に続くように、参加者達は声を上げる。
国民の怒りと不信感が膨大なエネルギーとなって膨れ上がり、もはや国防軍が"警備"で抑えていられる状態をとうに超えていた。未だに一触即発を回避できているのは、デモ隊と国防軍の双方に理性が働いていたからである。
「自由を───」
デモ隊の1人が掛け声と共に振り上げた拳が、偶然、国防軍隊員の左頬を直撃する。デモ隊の男は驚き、思わず後退りした。
「公務執行妨害! 確保ーーー!」
国防軍隊員4、5人が、覆い被さるように、男の確保に動く。殴る蹴るの応酬により、男は瞬く間に取り押さえられた。
その周辺はぽっかりと穴が空き、中心には男の姿が見えない程、折り重なる国防軍隊員4、5人がいる。
取り押さえられてから3分程度経った頃、男は両脇を抱えられながら立たされる。しかし、明らかに様子がおかしい。自分の足で立つどころか、ぐったりと項垂れている。そして、口からシロップのように瀞みのある血が、静かに垂れた。
「し、死んでる!?」
男の様子を見た、デモ参加者が悲鳴を上げる。
「人殺し!!!」
ついに怒りのエネルギーが堰を切り、塊となって国防軍に牙を向く。
国防軍も押し返しを試みるが、津波のようなエネルギーに為す術無く、呑まれていく。
そして、惨劇の鐘は響く。
パンッ───。
千代田区永田町231- 首相官邸 記者会見室。
記者団が集まる中、前方左の扉から足早に入室する、小村孝 官房長官。国旗に一礼した後、演台の前に着く。
静寂は、秒針の音さえ響く。
「昨日、伊達幹也 幹事長が、テロリストの卑劣極まりない暴力によって、お亡くなりになられました。
そして、同時に国民5名の尊い命が、巻き込まれる形で無慈悲に奪われました。
ご家族ならびに親近の方々には、深い哀悼を申し上げます。また、お怪我をされた方々も大勢いらっしゃいます。一刻も早い回復をお祈り致します。
さて、この度のテロリストによる蛮行は、断じて許される事ではありません。テロ行為は、先進国家である我が国に対する挑戦であります。政府としましては、このような暴力による主張に対し、断固非難し、テロの脅威に屈しない姿勢で対応をしていく所存でございます」
小村の説明は淡々としていた。死んだのは、同じ党、同じ内閣の人間にもかかわらず、顔色一つ変えない。政治家たる者、公の場、ましてや国民の目である記者会見の場で、万が一にも取り乱す事があってはならないのかもしれない。しかし、その表情は、まるで機械のようだった。
説明が終わり、質疑応答の時間になった所で、1人の女性が真っ先に手を挙げた。
小村は、無言で手を差す。
「日本テレビの森谷です。事件の原因について伺いたいのですが、テロ組織の前身は、カルト教団の明幸生教であったと言われています。当時、政府の発表では、行政処分と解散命令によって壊滅したとされています。しかし、電波ジャックによって放映された映像で犯人は、国による虐殺を主張していました。事実でしょうか?」
「全くの事実無根でございます。我が国において、無秩序且つ、違法な虐殺行為が、国家および政府主導で行われた事実は無く、これからも行われる事はございません」
小村は、疑惑を否定した。
違和感───。小村の説明には明確な違和感がある。そう。"違法な虐殺行為は行われていない"という点。揚げ足を取るようだが、わざわざ"違法な"という言葉を付ける必要はあるだろうか? 森谷佳奈は、質問の方向性を変えて追求する。
「一方で、公安による"執行"は、虐殺に当たるのではないかという見方もありますが、いかがお考えでしょうか?」
「公安による"執行"は、裁判制度を廃止した今日における、重要な治安維持システムです。捜査官の恣意的判断が介在する余地はなく、国民管理システムによる厳正なる判断に基づき行われています。その為、執行は犯罪抑止に不可欠であり、虐殺とは異なるという認識です」
小村の回答、内容としては申し分無いだろうが、まるで台本のまま読み上げられているような、真意こそ他にあるかのような説明に違和を感じる、森谷。
これ以上、記者会見という場での追求は難しいだろう。早々に見切りを付けた森谷は、質問を変えた。
「政府の見解は分かりました。では、もう1つ。流れた映像によると、一昨日の暴動が国家による人間選別のために行われた、いわゆるマッチポンプであったと、犯人が主張していました。事実でしょうか?」
「私も映像を拝見しましたが、テロリストの主張は、妄言の羅列で、事実ではありません。あの暴動で、多くの国民の命が脅かされました。当時、我が国の治安維持能力を総動員し、鎮圧に最大限努めましたが、残念ながら多大な犠牲を伴いました。国家の財産である国民の命を天秤に掛けてまで、国家が得られるものなどありますでしょうか?
どうか、国民の皆様には、テロリストの吹聴するデマ情報を事実と誤認されませんよう、お願い申し上げます」
「今のご説明だと、一昨日の暴動は、我が国の治安維持能力を超えていたと捉える事ができます。
あの暴動では、丸山元也 前官房長官が、暴動の元凶となった仮面を付けたテロリスト数人に殺害されています。要人でさえ命を落とす状況で、先ほど説明された治安維持能力の要でもある、公安庁の捜査官は、度々人手不足が指摘されています。
再び暴動が発生した際、この国の治安と秩序、そして国民の命は守られるのでしょうか?」
四課オフィス。
どの局も、ワイドショーは記者会見で持ちきりだった。愛華は、大型モニターを切ると、深い溜息を吐いた。
賑やかなはずのオフィスは、通夜のように空気が淀んでいる。
天ノ智慧研究会によるテロ。死者を出した上、首謀者死亡に加え、デマ情報の流布。そして重要人物を取り逃がした失態。これらは、特課・第四課の存続さえ議論しなくてはならない程の大きな問題となっていた。
四課メンバーの帰宅は許されず、別命あるまでオフィスでの謹慎を言い渡されていた。
螺旋階段を重い足取りで下りる、遼子。その表情は曇っていた。
「どう…だった?」
ソファーから跳ねるように立つ、深月。遼子は、深月の問に無言で首を横に振った。
「ったく、あいつはいつまでもグジグジと」
立ち上がる、雫。両手で膝を強く叩いた音が、辛気臭い室内に響いた。
ズカズカと足音を立てながら階段の方へと向かう、雫。勢いそのままに階段の一段目に足を乗せた時、腕が後ろに引っ張られる。思わず振り向く雫の目に、愛華の姿が映った。
「今は…今はそっとしておきましょう」
愛華の表情に強い意思を感じた、雫。
「分かったよ…」
雫は呟くように言うと、
「お前だけが辛いんじゃねぇ! 遼子も、深月も、愛華も、お前の代わりに報告に行った陽菜も! 全員が空の無事を願ってる! お前はリーダーだろう? いつまでも不貞腐れてないで、空を救出する作戦でも立てろ!」
続け様に、寂しそうな表情で怒号を飛ばした。そして、手摺りから手を離すと、「クソッ」と一言呟き、ソファーに戻った。
全員が俯き、やり場の無い気持ちに疲弊していた。
その時、出入り口の扉が開く。
陰鬱な表情で入ってくる、陽菜。深月は駆け寄り、「どうだった?」と声を掛けようとしたが、後ろから現れた影を見て、言葉を失った。
「きょ…局長? 」
公安庁のトップである天宮碧葵の登場に、遼子は思わず呟き、愛華は起立し敬礼した。
扉の開く音を察知したのか、それとも不穏な空気を察したのか、自室から出た梓は、2階から顔を覗かせた。目の周りは赤く腫れ、美人に似つかわしくない隈を作っている。
「全員揃っているね。結構。さて、君達、第四課の処分だが、無期限活動休止および、別命あるまでこちらで用意した個室にそれぞれ移ってもらう。異論は無しだ」
局長自らがオフィスに出向き、処分を言い渡すなど異例にも程がある。冷めた表情の下で、天宮の考えが読めない一同。
梓は、天宮を睨むような視線を向けながら、階段を下りる。
「待ってください! テロリストに拉致された空……井川の事はどうなるんです? 私達が救出に行かないと」
遼子は咄嗟に質問する。それに対し、真っ先に帰ってきたのは回答ではなく、凍てつくような視線だった。
「テロリストではなく、最重要人物だよ。森原 警視正。井川 警視正の事は残念だった。だが、殉職した人物をどう救出するというのかね?」
殉職などという綺麗な言葉で取り繕っているが、要は切捨てだ。動揺する一同を押し退けるように、梓は天宮に詰め寄った。
「空が殉職ってどういう事よ」
怒りのままに、その手で局長を掴み掛けたところで、雫が梓の両脇を抱えるように抑えた。
「離して!」
怒りの矛先が雫へと変わる。明らかに普段の梓ではない。今最も危険な人物に最愛の人が拉致されたという事実が、梓のメンタルを蝕み、判断と行動を誤らせていた。それでなければ、局長に掴み掛かるなど有り得ない。
「馬鹿が! 落ち着けよ。自分が何をしたのか分かっているのか?」
雫は、梓を抱えたまま引き摺るように後ろへと下がる。
ハァァァという溜息と共に、天宮は口を開いた。
「分からないかね? 拉致された井川空 警視正は、以後死亡扱いとし、捜索および救助の一切を行わない。最優秀事項は、新宮那岐の確保だ。当然、君達第四課が先頭に立って対応に当たる。
本来なら、特課権限の剥奪に留まらず、解散も有り得る失態を君達は犯した。それをこの程度の処分で済んだのは、これまでの功績を評価した、私なりの親心だ。そこの所、理解してもらいたいものだね」
「そんな親心は有難迷惑なのよ。捜査官でいる事が、救出の妨げになるのなら、捜査官なんて辞めてやるわ」
梓は、腕に着けたデバイスを外し、天宮の前に叩き付けた。直後、視線のみデバイスへと向けた天宮。1、2秒デバイスを見つめ小さな溜息を吐くと、再び梓へと向けた。その視線は、狂気よりも遥かに暗く、冷たい深淵のようだった。
「それなら致し方ない」
天宮がスッと右手を挙げると、外から武装した特殊部隊がぞろぞろと入り、四課全員に銃を向けた。
「え?」
思わず声が出る、陽菜。理由は誰しもが瞭然だった。
特殊部隊が向ける銃。それは、特課にのみ許された、"殺害"を目的に作られた銃。一同はそれをよく知っている。
その銃の名は、エンフォーサー。
都内某所 廃マンション。
開いた目に映る、暈けた視界。
脱力感は、今が何時で、ここは何処で、自分は何をしているのか?といった、5W1Hの思考すら苦痛に感じる。人間は五感を器用に感知し、数多の環境に適応するとされるが、五感全てが阻害されると、残るのは恐怖のみだと何かの書物に書いていた。まさか、自身がそれを体験する日が来るとは夢にも思っていなかった。
真っ白な和紙に墨汁を1滴落とすと、次第に滲みながら広がる。まさに、同じ様にじわじわと蝕み広がる、その感覚の正体を知っている。その正体は恐怖だ。生物が持つ、根源的な恐怖。乃ち、"死"由来の恐怖。
そして、その恐怖にブーストを掛けるのは、生物的な"生"への執着と、人間的な感情だ。"死"を意識した人間は、"生"へと執着し、"死"から逃れるための抵抗をする。それが更なる恐怖へと繋がるとも知らずに。
「気が付いたようだね。井川空」
まるで水中に耳を浸けた時のように、聴覚は阻害されているが、その聞き覚えのある声は間違いなく、自身の名前を呼んだ。
徐々に戻る五感を頼りに、置かれた状況を確認する、空。両袖口が繋がった衣類を着させられ、被検体を拘束するような縦に設置されたベッドに、全身をベルトで固定されていた。
大抵、五感が戻れば、"現実"という絶望に苛まれる。それは、空も例外ではなかった。
戻った感覚により、身体的拘束の不自由を知り絶望し、戻った視覚により、見覚えのない場所に混乱し、戻った聴覚により、無音に恐怖する。自身の心臓の鼓動さえ、恐怖を煽り、洗息が立つ。
その状況下で、声の主が誰なのかを認識し、空は言葉を失った。
声の主は椅子を持ち寄り、空の目の前に置くと、両手を組み、前屈みに座った。
男の不敵な笑みに、空は睥睨した。
「お前は…新宮那岐……。」
空の思考は一瞬止まったが、我に返ると身体を動かし、拘束を解こうと抵抗する。
「止しておいたほうが良い。手も足も使えない状態で、その拘束は解けない。体力を使うだけだ。本当は、拘束など本意では無いだ。僕は君と話がしたいだけだからね」
笑顔を見せた、新宮。敵意はまるで感じられない。
対して、敵意剥き出しの空。狂犬のように牙を向けた。
「知ったことか! 今すぐお前を殺してやる」
「刑事の言葉とは思えない。いや、"元"刑事か」
新宮の嘲笑混じりの発言に、それまでの鋭い目付きが緩む、空。
「何?」
「今や君は刑事ではない。それどころか、君は死亡扱いだ」
新宮の発言に、言葉を失い、目を剥く、空。
「あれから3日間。昏睡状態だった君が知らないのも無理はない。
公安庁は、地下鉄における騒動と江ノ島シーサイドフロンティアのオープンセレモニー襲撃を天ノ智慧研究会によるテロと断定し、重軽傷者17万2千人、死者21人と発表した。死者については、内訳も公表していてね。一般人5名、厚生省の特殊部隊15名、公安庁捜査官1名だそうだ。
察しは付いているだろうが、死亡した捜査官というのが君だ。井川空。当然、公安庁に君の死を断定できる情報も証拠も無い。つまり最初から、公安庁には君を救出するつもりが無い。君は見捨てられたんだ」
新宮から齎された情報は、確かに衝撃的なものであったが、不思議と悲観する事はなかった。瞬く間に緊張が解けるように、顔に入れた力も緩む。多分、安心したのだ。自分の意識が途絶えた後、仲間がどうなったのかを自身で知る由はない。只でさえ、特殊部隊の強襲があったりとイレギュラーな事態に陥った現場で、仲間が命を落とす事だって十分に有り得た。だが、今の話が正しければ、少なくとも仲間が死ぬような事態には陥っていない。それだけが、空にとって心の支えであった。
「意外だな。てっきり、嘘だと反論すると思っていたが…。君の表情を見れば、察しが付く。仲間が無事だった事に、ほっとしているんだろう? 確かに命を落とした者は誰一人としていないが、今後もそうとは限らない」
新宮の意味深な発言に、眉間に皺が寄る、空。
「第四課は、無期限の活動停止と権限剥奪。そして、個別収容されている」
新宮は、再び笑みを浮かべた。
「個別収容…だと?」
驚きを隠せない、空。処分として、無期限の活動停止と権限剥奪は分かる。ただ、犯罪者で無い彼女達が、収容、それも別々に拘束される意味が分からなかった。
「そうだ。表向きは特課としての責務を果たせなかった事に対する処分だが、本質は違う。君達は、この国の深淵にして、本質に近付き過ぎた。君も引っ掛かっているだろう? 野崎哲也が言った言葉を」
確かに新宮の言う通り、野崎哲也による数ある暴露の中でも、"あの"ワードだけが耳に残り、疑問に感じていた。
『国民管理システムの正体を"知っている"』
国民管理システムとは、量子コンピュータによる並列演算で齎される、国民一人一人の生体情報と精神情報を数値で管理するシステム、即ち機械だと、そう思っていた。
だが、機械に正体などという言葉を使うだろうか? 100歩譲って、機械に対して正体という言葉を使ったとしても、"知っている"という、別の何かを示唆するような表現は使わないはずだ。使うとするならば、公表されているものとは異なる、別の実体がある時だろう。
「何を知っている?」
空は、キッと新宮を睨み、問い掛けた。
「ようやく、君と話ができそうだ」
悪魔のような笑みを浮かべる、新宮。パンドラの匣とも言える国家の真実を開いた時、厄災の果に残るのは希望か絶望か。