FILE.40 貧しきリチャードの暦
『こちらは、公安庁 刑事課です。現在、国家公安法第14条に基づく放送統制が適応中です。ご視聴中の方は、速やかに電源を落とし、識別スキャナーによる心理診断を受けてください。尚、履行が認められない場合は───』
藤沢鎌倉区228- 江ノ島シーサイドフロンティア。
「馬鹿な!? 公安だと? 何故、ここに入れた」
野崎哲也は、骨組みに銃を向けると、数発の銃弾を撃つ。空を切って進む銃弾の先には、梓とエンフォーサーを構えた遼子の姿があった。
銃弾は逸れることなく目標へと進むが、全て鉄骨に当たり、散るように弾け飛ぶ。
梓がゴムボールのようなものを投げると、破裂と同時に白煙を巻き上げ、一瞬にしてステージ全体を包み込んだ。
直後、会場の出入口側から数匹の小型ミツバチドローンが、ブルーインパルスのような飛行機雲の尾を引いて飛ぶ。ミツバチ達は、梓が投げたものと同じゴムボールを2匹で1つ持ち、一般客の頭上で投下。忽ち、会場全体が白煙に包まれ、一般客はパニックに陥った。
煙による視覚だけでなく、10万人の阿鼻叫喚が轟音となって聴覚までも阻害する中、天ノ智慧研究会の面々も混乱状態にあった。
目を凝らしても、50センチ先が見えない状況下で、野崎にできる事は、四方八方に銃を向ける事だけだった。
白煙が会場全体を包んで5分。視界が鮮明になったことで目に入ってきた光景に、野崎は愕然とした。
天ノ智慧研究会のメンバー全員に、エンフォーサーが向けられ拘束されていた。
構図としては、空が浅沼雄太、愛華が千場泰明、遼子が高田美菜子、深月が岡千波、そして雫が手負いの荻野拓真を抑える形だ。
尚、一般客はというと、10万人全員が折り重なるように、その場で眠らされていた。理由は、ミツバチが投下したガスに睡眠誘発成分が含まれていたからだ。
そのような状況に、野崎が抱く疑問は大きくなる。それは、"何故、この会場に外部から入ってこられたのか"という事だ。
野崎は、混乱する思考を必死に整理する最中、ハッと我に帰った。公安が侵入するまで、確かに銃口を突き付けていたはずの伊達が、姿を消していた。慌てて探す野崎に対し、チャンスとばかりに雫の下へと四つん這い気味に駆け寄る、伊達。
「お、遅いじゃないか」
伊達は声を荒げ、続け様に「私の事を命がけで守れ」なんて言うものだから、余程雫の勘に障ったのだろう。鬼の形相で睨み付けた後、荻野に向けたエンフォーサーを逸らす事なく、鞭のような撓りの効いた右足で伊達を蹴り飛ばす。
伊達の身体が宙に浮く程の威力。一撃でノックダウンした伊達に、雫は「クソが」と一言吐き捨てた。
「蹴られて当然ね。あの男も言っていたでしょう? あなたに価値なんてないわ。第四課は、あなたを助けに来たわけじゃない」
伊達に一切の視線を向ける事なく、2メートル手前で野崎にエンフォーサーを向けた、梓。
「何故だ?」
諦めるように、銃を持つ手をだらりと下ろす、野崎。
「何故って? もしかして、"どうやってこの会場に入ったのかという事かしら?」
梓は、見透かしたような笑みを浮かべる。
「後者の方だ。奴のシステム掌握は完璧だったはずだ!」
間髪無く答えを求める、野崎。
彼の計画にとって、要は最後まで公安に邪魔されない事にあった。最後というのは、12年前の教団壊滅が、国家の違法な襲撃によるもので、国家の都合で引き起こされた虐殺という事実を、伊達の口から世間に公表させる事、そして、全国中継の場で伊達を公開処刑する事、その2つだった。
「奴っていうのは、スマイルマンと呼ばれるハッカーの事ね?」
腕のデバイスから展開したホログラムを弄りながら、舞台袖から出てくる、陽菜。
「それは、ミツバチのおかげよ」
陽菜の人差し指に止まる、ミツバチ型小型ドローン。
「中継ドローンに搭載された人感センサーを、侵入者探知にも利用する発想は見事だったわ。
会場を飛行する5機のドローン。その役割は2つ。
1つは、会場を五分割に区切り、人々が発する放射熱を感知して、より熱量の高い場所を盛り上がりの高い場所と定義して撮影すること。それにより、ライブのような臨場感ある映像を生中継していた。
そしてもう1つは、入場時にスキャンした簡易情報とリンクして、不正入場を防ぐ役割。人が発する放射熱は、指紋と同じで双子じゃない限り同一なものは無いからね。
スマイルマンは、その人感センサーに使われる赤外線に目を付けた。不正に得た私達四課の情報を基に、ドローンをシステムごとハッキングして検知感度を高めるようにプログラムしたのよ。そして見つけ次第、一般客を殺した赤い光で殺害する予定だった」
陽菜の説明に、ぐうの音も出ず言葉が無い、野崎。
そして、陽菜は思い出したかのように話を続けた。
「あっ、そうそう! 赤い光も赤外線の応用よね?
一般的に、赤外線は700nmから1000μmの波長を持つ電磁波、つまり電波の事を言うわ。そして、光も電波の一種。
赤外線の指向性を限りなく高めれば、赤外線由来のレーザー光が作り出せる。高出力になればなるほど、威力を増すのがレーザー光よ。クラス4ともなれば、殺人兵器にだって転用できるわ。
ただ、ハッキングだけで、高出力転用は不可能。物理的な改良が必要なはず。それは、天ノ智慧研究会がやったのかしら? それとも…。
まぁ、それは今後の捜査で明らかになるわよね。それより、あなたの気になっている、"何故、人感センサーを潜り抜けられたのか"なんだけど、最初に言ったようにミツバチのおかげなの」
陽菜の周りにはいつの間にか、無数の黒くて小さな影が羽音を鳴らし纏わりついていた。
「小型ドローン? そんなものが一体なんだってんだ」
いきり立つ野崎に対し、冷静な陽菜。ポケットからフィルムキャスターを取り出すと、蓋を開け、口を下にした。
中から粉末状の銀粉が風に流れていく。野崎は目を剥いた。
「チャフを撒いたのよ。電波欺瞞紙とも呼ばれるこの銀粉は、空気中に撒かれた時、電波を反射する性質があるの。さっきも言ったように、人感センサーは赤外線を使っている。それなら、感知精度を著しく落とせばいい。わりと古典的な方法だけど、今でも使われる立派な軍事技術よ」
「それでこの会場に入れたとしてもだ。今みたいに風で流れる。その場しのぎにしかならないだろう」
納得のいかない野崎。公安の介入まで計算に入れた計画は順調だった。特課の存在も"聞いていた"し、対第四課に特化した作戦でもあった。なのに、破綻したのだ。
野崎の脳裏に裏切り者の影が過ぎり、エンフォーサーを突き付けられたメンバーを見る。
「頭が悪いわね。あなた。リーダーがその程度だと、部下が可哀想よ?」
口を挟んだ梓は、嘲弄した。
「その間に陽菜が逆ハッキングしたに決まっているじゃない」
「馬鹿な。短時間でそんな事…」
システム制御を行っているのは、ウィザード級ハッカーであるスマイルマンだ。それもただのウィザード級ではなく、四課のウィザード級にサイバー戦で何度も勝っているという、話を"聞いていた"。それだけに、短時間でサイバー戦が終わり、しかも負けるなど考えてもいなかった野崎は、現実を受け入れるのに時間がかかっていた。
「できるから私達がここにいるのよ…って言いたいところだけど、陽菜もそこに関しては引っかかっていたわね」
陽菜のハッカーとしての実力を理解し、そこに疑いは無い梓も、ハッキングがあまりにもスムーズだった事には疑問を感じていた。
その疑問は、当然ハッキングをした当人も感じていた。
「うん。システムを乗っ取ると同時に解析もしたんだけど、防御プログラムが笊だったの。私達公安を会場に入れない事が作戦の要だった訳でしょう? 天ノ智慧研究会の計画を本気でサポートする気なら、システムへの侵入は許さないはず。スマイルマンらしさが無い…」
「いや、これこそ奴の目的だとしたら?」
空の呟きに、愛華が答える。
「新宮那岐ですね?」
「あぁ。新宮はどんな犯罪においても、ワンサイドゲームにならないような仕掛けを仕込んでいた。実行犯が予期しない仕掛けを。この事件の背景に新宮がいると仮定すれば、スマイルマンが協力しているのは天ノ智慧研究会ではなく、新宮那岐。その前提であれば、ひーちゃんがシステムにハッキングする事も想定内だった。だから、敢えて脆弱なシステムを作った…」
空は、新宮那岐の思考に同調するかのように推理し、次の行動予測を頭の中で整理していた。
「な、何を言っているんだ……。有り得ない。だって新宮は、天ノ智慧研究会の目的や考えに賛同してくれていたはずだ。だから、薫さんが殺された理由を教えてくれたし、改革にも力を貸してくれていた!
そ、そうだ。あの人だって国家を憎んでいた。だから、1年半前に起きた暴動の真実を、あの人は独自に調べ、それを教えてくれたんだ。国家による国民への裏切り行為を全国民に知らしめるために!!!」
命を賭けた革命行為が、新宮にとっては只のゲーム。それが、どうしても認められずにいる、野崎。
パンク状態の思考では自制が利かず、話す予定になかった"暴動"についても口走る。
「暴動の真実? どういう事? 答えなさい」
梓は目を細める。
エンフォーサーを向けたまま、1歩、2歩、3歩と足を進め、ついに野崎との距離は50センチまで近づいた。
腕を伸びせば、エンフォーサーの銃口は野崎の眉間に当たる。
逃げられない状況、いや、逃げる気など無い野崎は、小さく短い溜息を吐き、真実を語りだす。
「1年半前の暴動。あれは、国家が仕組んだ暴動だと彼は言った。国内には未だ、国民管理システムに懐疑的な者や、順応できない者が多くいる。そいつらは不穏分子の種だ。だから国家は、種が芽吹く前に摘み取るため、識別スキャンを阻害する仮面を敢えて流通させた。そもそもよく考えれば分かる事だよな。この社会で、識別スキャンを阻害するという事は、管理できない人物を作り出すという事。それを考えた時点で、反国家思想を持つ人物として、識別スキャンに裁かれる。作るなんて以ての外だ。だが、管理する側なら別だ。反国家思想だろうが何だろうが、国家が是なら、社会悪すら是になる。都合の良い言い訳か、誰かに罪を擦り付けてな。
結果は、国家の目論見通り、仮面を手にした潜在的テロリスト達は暴走。狂気は一般人に伝染し、炙り出された不穏分子は、次々と公安の手によって執行された。
つまり、国家による人間選別なんだよ。あの暴動は!」
怒りのままに吐き捨てる野崎に対し、梓は否定する。
「それは違う! あの暴動は、新宮那岐によるテロ行為の結果よ。人の狂気に付け入り、人に罪を犯させる。それが新宮という男の常套手段なの。
あなた達も同じよ。かつての遺恨を利用されているだけなのよ」
「違う! 俺達は、俺達自身の意思で国家に抗ってきた。あの人とは目的が合致しただけだ。
この腐りきった独裁社会では、不要な人間は、徹底的に排除される。これまでそうやってどれだけの人間が命を失い、権利を封殺されてきた? かつて、天ノ智慧研究会に向けられた国家の虐政は、今や全国民に向けられているんだ。最大多数の最大幸福? 嗤わせるな。そんな押し付けられた幸福に何の意味がある? 国家にとって国民は、都合の良い奴隷でしかないんだよ」
咆哮のように吐き切る、野崎。憤懣に応えるかのように、陽菜によって制圧されたはずのシステムにノイズが走り、左右の大型ホロモニターの画面は切り替わる。
映し出されたのは、忌々しい笑顔のマーク。
「やられた」
陽菜は歯軋した。
****
『繰り返し…m…す。こ、、、は、公安ちょu...dす』
家庭用ホロディスプレイから街頭モニターに至る全てで、映されていた公安庁のアナウンスに、突然ノイズが走るとプツンという音と同時に画面が真っ暗になる。直後、ものの4、5秒でモニターは復旧したが、映されたのは、野崎による暴露の一部始終。
その映像は、多くの国民の目に焼き付いた。
****
「ねぇ。ちょっとまずいかも…。この映像、ネットに上がってるよ?」
暴露が映る大型ホロモニターの真下で、時を同じくして動画配信サイトにも同じ映像がアップロードされている事に気付く、深月。
再生数は鼠算式に増え、あっという間に10万回を超えていた。
「まずいわね。国民にとってあの暴動はアレルギーよ。真偽よりも、被害者であり続ける理由として、インパクトの強い情報に魅了されてしまう」
偽情報が流布されている状況下、国民への対処で公安にできる事は無い。遼子は下唇を噛んだ。
その間もシステム奪還のため、ホロキーボード叩く、陽菜。スマイルマンとのサイバー戦が、如何に熾烈なのかを表すかのように、巨大モニターの映像は乱れ、暴露映像→公安庁アナウンス→スマイルマン→暴露映像というようにランダムで入れ替わり映る。
重大な暴露は放送されてしまっている。つまり、国民は見聞きしたのだ。
その状況に、エンフォーサーを突き付けられている高田は、不敵に笑む。
「形勢は逆転ね。刑事さん。良いのよ? このまま執行しても。私達、天ノ智慧研究会の最低目標は達したわ」
「この場で執行すれば、その映像も流すんだろ? それを観た国民に、暴露は事実で、公安が口封じの為に殺したと思わせられる。見え透いてるよ」
空は、高田の挑発を一蹴した。
「あなた達の最大目標は、かつて教団を滅ぼし、教祖、信者の殺害命令を下した幹事長、伊達幹也の自白と処刑のはず。こんなデマ情報まで拡散して、何のつもり?」
梓の訊問に対し、野崎は突き付けられたエンフォーサーを左腕で撥ね退ける。
予想だにしない大胆な抵抗に、意表を突かれ、向けたエンフォーサーが逸らされる。
「デマじゃない。事実だ。国民には今こそ立ち上がってもらう。腐り切った国家の真の姿を知り、本来有るべき正しい姿を取り戻すための行動を、我々とともに行うために。これはクーデターではない。独裁社会を根絶するための革命、いや聖戦なのだ」
自由になった野崎は、演説の如く、身振り手振りを混じえ、国民へと訴えかけた。
「私は国民管理システムの正体を"知っている" 」
野崎の発言に、四課全員の意識が向く。何故なら野崎は、"国民管理システムの正体"と発言したのだ。つまり、開示されている、"量子コンピュータを利用した、生体情報を始めとする国民のデータを管理し、一人一人に見合った生き方を指し示すシステム"ではないという事だ。そして、四課メンバーでさえ、それ以外の本質を知らない。
野崎は、数秒の間を空け、口を開いた。
「国民管理システムとは───」
その後の言葉が、何かに掻き消される。何かというのは、別の音でもあり、物理的要因でもある。
梓の目の前で悲劇は起こる。野崎の頭蓋は一方向に弾け飛び、肉片が散らばった。
「狙撃!?」
梓は、弾丸の入射角から軌道方向を見るが、狙撃手を見つけることはできない。狙撃手の位置が特定できない以上、不用意に"伏せろ"とも言えない。仲間の命が危険に晒される中、悪夢は起こる。
パンパンパン…。
十数発の銃声。
空、遼子、愛華の目の前で、拘束されていた浅沼、高田、千場の頭が弾け飛ぶ。頭だけでなく、左頸部や左脇、左腹にも銃弾を受け、その衝撃で僅かに身体ごと飛ばされる。目の前で起こる突然の状況に、目を剥く、空、遼子、愛華。
「オブジェクト破壊。送れ」
ヘリから3人、両舞台袖から6人ずつ、計15人の特殊部隊に囲まれる、第四課。
「どういうつもり?」
睨みながら問う、梓。
「厚生大臣の勅命だ。以降は我々が引き継ぐ」
部隊長らしき男は、一言告げる。本来、こうした引継ぎ時は、構えた武器を下ろす。これは敵対の意思が無いことを表すものだ。しかし、部隊長を含めた全員が構えを崩さない。暗黙に"邪魔をすれば撃つ"と言っているのだ。
四課と特殊部隊の睨み合いで、場は異様な空気に包まれる。
深月にエンフォーサーを突き付けられていた岡は、双方が睨み合っている僅かな隙こそ、逃亡のチャンスと確信した。深月の視線が逸れた一瞬、軽やかな身のこなしで前転し、頭の無い遺体となった千場の足元に飛び込むと、落ちていた拳銃を取る。そして、拳銃を向け、舞台袖へと走り出したが、四方八方からの銃弾に、文字通り蜂の巣となる。意識などとうに消えているが、まるで生きる為に足掻くかのように、一歩一歩、足だけが舞台袖へと進む。しかし、舞台袖の手前で力尽き、そのままドシャという音を立てて倒れた。
「ひっ…うぁぁぁぁあああああ」
その光景を見た荻野も逃げ出すが、背中が穴ボコになるほどの銃弾を受け、倒れる。死して尚、荻野の目から涙が流れ出ていた。
「酷い…」
無慈悲、無意味な殺戮を前に、言葉が詰まる、愛華。
「パッケージをこちらへ」
部隊長の男は、雫の後ろで気を失っている伊達の身柄を要求した。それに対し、雫は不本意ながらも下衆男を守るように、右手を広げ、渡す意志がないことを示した。
そのタイミングで目を覚ます、伊達。周囲を見渡すと強襲してきたテロリストが全員肉塊になっている。伊達にとって、寝ている間に脅威が死滅し、自身の安全は確保されていた状況は、嗤い話だった。下衆嗤いが口から漏れ出し、堰を切ったかのように吐き出す。
「馬鹿め! 何が『国家に助けてもらえると思うな』だ。私は、お前達と違って、国家に必要な存在なんだよ。せいぜい地獄で羨み、後悔しながら、絶望の汁でも啜っとけよ。ばーか」
有頂天に嘲嗤う姿は、狂気の化身そのものだった。
「さてと。お前達が迎えか?」
一通り嗤い終えた伊達は、部隊長に問い掛けた。
「はい。先生をお迎えに上がりました」
その一言に、にやけ顔を見せると、ゆっくり立ち上がり、「どけ。役立たずが」と雫を撥ね退けた。
「お前ら公安の第四課だったか? 覚えていろよ」
捨て台詞を残し、特殊部隊の方に足を進めた、伊達。部隊長は、退路へ案内するかのように、手を差す。
「伊達先生。お疲れ様でした───」
部隊長の一言は、労いの言葉ではなかった。ドサっという音を立て倒れる、伊達。不意討ちにも等しい殺害。殺される事など考えてもいなかっただろう。死相は、狂気に満ちた笑みを浮かべていた。
四課一同が、その有り得ない状況に言葉を失う。
「状況完了。これより帰投しますが、公安はいかがしますか?」
誰かと通信する部隊長。質問の意味は聞くまでも無い。梓は太腿を指で2度叩いた。
「宜しいのですね? かしこまりました…」
部隊長の男はニヤリと微笑むと、梓に向けて発砲する。
だが、そこに梓の姿は無い。梓の姿を目視で探しながら、周囲を確認する部隊長の男。その時間、僅か1秒にも満たない刹那。しかし、その一瞬が、超大作映画のように長く、光景が脳へと焼き付く。
アサルトライフルによる連続した爆撃音が、周囲の音を掻き消す中、四課の中でも一際小さい女性捜査官がコンバットナイフ片手に乱舞する。一人、また一人と確実に切り崩されていく。
非常識過ぎる光景に呑まれ掛けたとき、無理やり現実へと意識を戻らされる。
右頸部に加わる強い衝撃。竹内梓による突きが直撃していた。いつの間に、突きが届く程、間合いを詰めたのか、考えても答えは出ない。
衝撃に耐え切れず、突きのままに身体が飛ばされる。いや、突きの衝撃に逆らっては首が折れる。飛ばされたのは正しかったのかもしれない。
部隊長の男は左手で床に手を付くと、受身を取り立ち上がる。そして、勢いそのままに、梓へ向かって右、左とパンチを繰り出すが、シラットを極めた梓の防術に決定的な打撃を加え切れずにいる。それどころか、カウンターを仕掛けてくる梓の反撃に、手数も体力も無くなっていた。
そんな好機を、梓が見逃す訳がない。部隊長の男が放つパンチの芯がブレた瞬間を見切り、一気に畳み掛ける。
右手で部隊長の男の左腕を払うと、突き落とした左肘で男の肘窩を打つ。男の上半身が左下へと崩れたことで、全てのバランスは左足に集中した。この刹那、男にできる事は倒れないよう、左足で平衡を保つに徹する事だけだったが、梓がその左足を思い切り踏み付けたことで、重量のまま倒れる。
梓は男の右手首を掴み押さえ込むと、即座にエンフォーサーを突き付けた。
隊員達も四課によって取り押さえられるか、息絶えていた。精鋭部隊、それも数では勝っていただけに屈辱を覚え、部隊長の男は歯軋り立てた。
「そこまでよ。誰の命令?」
梓の問い掛けに、男は唾を吐き捨て、睨む。
訓練を受けた特殊部隊だ。拷問を受けたとしても簡単に口を割らないだろう。梓は、尋問が難航する事を予見し、溜息を吐いた。
テロの首謀、実行犯が全員死亡するという後味の悪い結果。特殊部隊の生残りが事の究明に繋がるとは思えないが、手掛かりにはなるだろう。
連行の為、手錠を掛けようとしたその時、割込み通信特有のノイズが走る。
「旧アメリカにおいて建国の父として知られる、ベンジャミン・フランクリンは曰く、"怒りと愚行は相並んで歩み、悔恨が両者の踵を踏む"と自身の著書に残した」
聞き覚えのある声に、梓と空は"誰なのか"を直感で理解した。
第四課の通信網は陽菜が構築している。当然、割込む事などそう簡単では無いが、スマイルマンの出現以降、外部侵入に対するセキュリティーを一層強化をしていた。
「オフラインに割込むなんて…。まさか!」
デバイスで原因を探り始める、陽菜。数十秒と経たず、予想通りの結果が出る。
「近くにいるわ」
陽菜の報告に、メンバー全員が辺りを見渡す。
第四課の通信網は、プロトコルとアクセスキー、そして所属コードの3つが全て揃う事で確立される、完全なオフライン通信だ。
しかし、通信時の電波は送受間の空間を飛ぶ為、半径5メートル圏内且つ、特定の機器であれば傍受する事は可能だ。本来は、傍受できたとしても、プロトコル、アクセスキー、所属コードが揃わない事には、割込みができない仕組みだが、スマイルマンは特殊部隊の所属コードに目を付けた。所属コードとは、個人で作るものでは無く、総務省が発行するもので、第四課も特殊部隊も所属が厚生省なだけにコードも共有していた。
スマイルマンは、傍受した電波を基に、特殊部隊の所属コードを使い、通信環境に侵入。侵入さえすれば、プロトコルをウィルスで改変し、数多の通りからアクセスキーを照合する事は不可能では無い。
もちろん、時間と技術があってこそ成せる技ではある。
特殊部隊の強襲から、拘束に至るまでの過程で、"何か"が確実に変わっている。その"何か"を必死に探す、梓。そして、違和に気付く。
1人多い…。
急襲して来た人数は15人だった。しかし、目の前の人数は部隊長含め16人。
梓は再び見渡し、その1人を見つけ声を上げる。
「空!!!」
空の背後から人の形をしたノイズが立ち上がる。梓の声に、空は振り向くが間に合わず、ノイズに左腕を取られると、そのまま倒される。空は抵抗を試みるが、完全に抑え込まれ、為す術が無い。
ノイズの鎧は崩れ落ち、次第にその姿を見せる。
「新宮那岐…」
抑え込まれた状況で絞り出すように名前を口にする、空。
「やぁ、四課の諸君。余計な横槍はあったが、君達の動きは見事だった。久しぶりの再開だ。語り明かしたいのだが、生憎と用事があってね」
新宮は不敵に微笑むと、手に収まる程の筒状の物を取り出し、空の首へと突き立てた。
「なっ…」
何かしらの薬が注入されたのか、度の合わない眼鏡を掛けた時のように視界が暈ける。遠のく意識。視界が失われる中、瞳に映ったのは、梓が手を伸ばし走ってくる姿だった。
「貴様ぁぁぁぁ!!!!」
コンバットナイフを抜き、新宮へと牙を向く。
あと数歩の所まで差し迫った直後、地面から大量の樹木が生え、波打つように地面が液状化する。木々が行く手を阻み、空の姿を消す。
まるで幻覚。
「空ぁぁぁぁぁ」
名前を叫ぶ以外、梓に為す術は無い。
幻覚が消えた時、空は新宮と共に姿を消していた。呆然とする、梓。崩れるようにその場に座り込んだ。