FILE.39 応報
2110年9月───。
京阪都管轄四国地区( 旧愛媛県松山市 )某所。
新都市改革*¹により、各都が抱える整備の行き届かない特別管理地区*²が問題となっていた。この四方を森で囲んだ荒廃農地もその1つ。広さにして約7ヘクタールの敷地中央に、野崎哲也は立っていた。
「ここに我らが宮殿は造られ、ここから薫さんを中心とした新しい社会が創られるのだ」
野崎は、両手をいっぱいに広げ、野望を口にする。感慨に浸る、浅沼雄太と高田美菜子は、無言ながらも小さく頷き、賛同した。
3人が思い描く未来を写すかのように、沈み行く太陽は真っ赤な光で煌々と空を照らす。
そんなエモーショナルな雰囲気に水差すように聞こえる声。近づくにつれ、声から伝わる緊迫感が徐々に増す。
「大変だ!!!!!」
3人の下に到着した千場泰明は、両膝に手を付き、上がる息を押し殺すように、言葉を絞り出した。
「大変だ…。生教堂が、、、生教堂が!!!」
パニック状態も相まって、内容を全て話し切るまで息が続かない。
「とにかく落ち着け。生教堂がどうした? 」
浅沼が渡した水筒を、一気に飲みあげる千場。あまりの勢いに今度は咽返ったが、高田が背中を擦ったことで何とか落ち着きを取り戻した。
「哲さん、生教堂が襲撃された…」
あまりの突飛報告に、野崎哲也は言葉を失う。
「泰明、どういう事だ?」
浅沼は、千場の右肩に手を置くと、顔を覗き込むように問い掛けた。
「詳しくは分からない。でも、本堂は壊滅状態だって……」
悔しさと怒りを滲ませ、声を振り絞る、千場。そのまま崩れ落ちるように、跪いた。
「一体誰が、、、。いや、そんな事より、薫さんは無事なの?」
野崎哲也も動揺を隠し切れずにいた。だが、その状況下で真っ先に過ぎったのは、"薫"という男の事だった。
「安否は分かりません…。ただ、臣の連絡では、中にいた信者は皆殺しにされたって───」
同日、野崎哲也ら4人は帰京。生き残った数名の信者から、明幸生教の壊滅、そして、教祖・中島薫の死亡を知る。
数日後、野崎哲也を中心に、反国家・反政府組織である、天ノ智慧研究会を設立。反国家、反国民管理システムを掲げたデモ活動を行うが、厚生省によりカルト団体として弾圧され、徐々に縮小。
しかし2120年、新宮那岐による一連の事件と暴動をきっかけに、活動を再活発化。
そして───。
───2122年。現在。
藤沢鎌倉区228- 江ノ島シーサイドフロンティア。
「江ノ島は、再開発によって国内最大級、世界でも類を見ないリゾート地として生まれ変わりました。本日はこのような素晴らしいオープニングセレモニーにお招き頂き、大変光栄であります。さて───」
登壇した政治家の演説に、拍手が巻き起こる。
まるで音楽フェスのような巨大な野外ステージが建設され、オープニングセレモニーを祝う関係者、一般人合わせて10万人が集結していた。ステージの両サイドには、会場上空を飛行するドローンによって映された映像が、ホログラム展開された巨大モニターにライブ中継されている。
当然、警備体制も万全を期している。公安庁からは、警務ドローン1万機、簡易識別スキャナー3万台の配置、民間警備会社もドローンを数千台投入している。まさに、死角は無い。
「それでは、伊達幹也 幹事長、テープカットのご準備をお願いします」
伊達は、ご満悦な笑みを浮かべ、ホログラムで展開されたテープの前に立つ。進行役の女性からハサミを受け取ると、会場は一斉に静まり返った。
「私の"どうぞ"という言葉の後にハサミをお入れ下さい。それでは参りましょう。江ノ島シーサイドフロンティア、オープンを記念してのテープカットです。どうぞ!」
進行の合図で、ハサミがテープに差し掛かった瞬間、事態は一変する。
響き渡るサイレン音が、会場全体の聴力を奪い、展開された全てのホログラムは狂気の笑顔に統一された。笑顔はもちろん見覚えのある、"あの"マークだ。
突然の事態に思考が止まる伊達幹也。尻餅状態で、できる事は逃げ場を探す事だった。だが本来、自らで逃げ場を探す必要など無い事に気付く。
与党幹事長たる伊達には、厚生省の護衛官がその任に就いていたはずだ。
「誰か! 誰かいないのか? 早く私を助けろ!」
サイレン音に掻き消されながらも、必死に声を上げる、伊達。
それが功を奏したのか。進行役の女性が小走りで向かって来きた。
「助かった」
安堵しきった伊達は、思わず声を漏らした。しかし、いつまで経っても差し伸べられるはずの手が無い。
「君!」
痺れを切らした伊達が、語気を強めて女性を呼んだ、その時、"カチャ"っという聞き慣れない音とともに、顳顬に"筒状の何か"が突き付けられる感覚を覚える。
「ど、どういうつもりだ」
問いに対し、女性の回答は無い。只々、下等生物を見るかのような蔑んだ視線だけが返ってくる。
伊達は、動けないながらも必死で自身の護衛官を探していた。銃を突き付けられ、逃げる事すらままならない状況下、頼みの綱は護衛官が女を射殺する事だった。
だが、どれだけ待っても護衛官が助けに来る事は無く、代わりに出てきた男2人組が、エリアストレスを増長させる。
男2人が引き摺って来た、"黒い何か"を重い荷物を下ろすかのように、伊達の目の前で投げ棄てる。ドサッという鈍い音が重なり、"黒い何か"はステージ上に横たわる。忽ち、"ソレ"から広がる真っ赤で粘り気のある液体は、円状に広がり、ステージを染め上げた。
"黒い何か"の正体は、伊達の護衛に就いていたはずの護衛官達だった。
会場全体から轟く、夥しい悲鳴。我先にと、出入口へと押し流れる10万人の塊は津波に等しい。転倒者が出ようと、その頭蓋を踏み付けては、"自分だけは"と助かろうとする様。まさに、鬼才として名高い、芥川龍之介の著書、『蜘蛛の糸』のラストシーンだった。人々の心の奥に眠る狂気が、恐怖によって無理やり引き摺り出され、罵詈雑言、乱暴狼藉の嵐が巻き起こる。もはや、そこに秩序など無かった。
しかし、これは序章に過ぎない。混沌の中、更なる絶望が会場を襲う。
「えー…マイクテストぉ〜…マイクテスト」
突如、サイレン音が止まったかと思えば、スピーカーから音声テストが流れる。
無秩序に逃げ惑う一般客達も、突然の変化に逃げる事さえ忘れ、呆然とステージに目を奪われる。
10万人の視線を集めたステージ上に、男女2人を引き連れ、筋肉質の男がステージへと出てくる。そして、ステージ中央に到着するや否や、両手を前に、片足を上げると、舌を出して戯けた表情を見せた。
「なんだよ。全員反応無しか。俺がスベってるみたいじゃねぇか」
溜息を吐きながら、横たわる護衛官の襟を掴むと、伊達の方へ放り投げた。
「ひぃっ」
変り果てた姿の遺体と目が合い、思わず声を上げる、伊達。
「今までお前を護ってきたやつに対して、その反応は失礼だろ? こいつはお前のせいでこうなったんだからさ」
男は亡骸の後頭部に銃口を押し付け、ゼロ距離で数発撃つ。抉れるように飛び散る肉片が、伊達にべっとりと垂れ付いた。
その異常な光景に、一般客は思い出すかのように逃げ惑う。
「はいはい、全員静かに!」
筋肉質の男の声がスピーカーから発せられるが、怒号の中に掻き消される。
死を恐れ、恐怖を畏れ、生への固執が狂気を育てる。これが人間の本質。これが日本人。そして、自らもまた、そんな身勝手な人種で、"悪"そのものである事に甚だ怨悪する、男。
「雄太…」
男は、浅沼の名前を呼ぶと、首を小さく縦に振り、合図した…。
直後、出入口上空を飛んでいた5機のドローンから真っ赤な閃光が一直線に落ちる。
直下にいた一般客5人の足下には、直径3cm程の焦げ付きが見える。
そして、5人とも声にすらならない「アァァ…」と短い呻きを発したかと思えば、瞳孔が霞み、虹彩ごと上へと動く。
タイミングを図ったかのように、一般客5人は、目や口、耳、鼻の穴という穴から血を流し、倒れてしまった。
数秒前まで止むことの無かった怒号が、嘘のように静まり返る。
逃げる事ばかりに思考の全てを使っていた数分前までは、考えずに済んでいた"死"という事実。場が静まる事でじわじわと自身が置かれた状況を理解し、身が竦む。
「皆さんにようやく挨拶できる。はじめまして。国民の皆々様、そして会場に集まった皆さん。私は国家の不正を暴き、腐敗を正す者。天ノ智慧研究会代表の野崎哲也と申します。以後、お見知りおきを」
会場の誰もが生死の狭間で逃げる事さえままならない中、野崎は30秒間のお辞儀を深々とする。
その様子は、会場を飛ぶドローンによって映され、日本全国に生中継されている。全国民が国内テロの目撃者となっている状況で、心身に掛かるストレスはエリア単位で上昇していた。
「ご清聴下さり、大変嬉しいです。これでお亡くなりになられた5名の方も浮かばれるというもの。
さて、私共、天ノ智慧研究会は、国民の皆さんに事実をお話し、是非を問わなくてはならない」
野崎は、伊達の左肩を掴むと舞台花へと投げるように引っ張った。伊達は、「うっ」という詰まる声と共に、ステージギリギリの位置に倒れ込んだ。
上半身を起こす伊達に、野崎は銃を突き付けると質問した。
「伊達幹也 与党幹事長に問う。12年前、壊滅した宗教団体、明幸生教について知ってるな?」
伊達は目を剥く。
「答えろ!」
野崎は、伊達の左の顳顬に銃口を押し付けると、ハンマーを下ろした。
「し、し、知っている…」
震わせた声は、長らく"先生"と呼ばれてきた権力者のイメージとは掛け離れたものだった。
「12年前のあの日、教団に特殊部隊を送り付け、幹部だけでなく、何も知らない女子どもまで虐殺するよう命令したのは、当時の厚生大臣であるお前だな?」
瞳すら動かせない状況下、額から冷汗が伝う、伊達。
伊達幹也の口は重い。何故なら、教団員の全執行が当時も今も、違法に推し進めた非人道的な執行だったからだ。そして、何より教団に対する国家による強制執行について、真実を国民には開示していない。飽く迄で、立入り捜査による解散命令という名目を報道させたのだ。
それ故に、国家が国民を虐殺した事実を認めれば、自身へのバッシングだけでは済まされない。国民への裏切り行為の末路は、国家崩壊に繋がりかねない。
伊達は、喉元まで出ている真実を、必死に噛み殺した。黙秘を貫き、公安を待つ事だけが、伊達にできる命懸けの抵抗だった。
武力テロ。その緊急性は最高レートSSSだろう。そうなれば、特課が来る。その目算で待つが、状況は進展せず、徐々に苛立ちと焦りを覚える。
「ハァァァァ…」
同じく野崎も苛立つ。深い溜息は、声まで漏れ出ていた。
そして、引金に掛かる人差し指に力が入る…。
パンッ。
会場に轟響した銃声は、一般客の精神を追い詰め、中には泣き出す者や、過呼吸により膝を付く者まで出始める。
「あぁぁぁぁぁぁああああ"」
左耳を押えて蹲る、伊達。手では堰き止められない量の血が溢れ出る。
「騒ぐな。すぐには殺さん。だが、勘違いするなよ? 大方、時間を稼いで公安が来るのを待つ算段なんだろうけど、奴らは来ない。いや、この会場には入れない」
ニヤつく野崎。深淵の如く、狂気が瞳に映る。
「それに、国家にとってはお前など駒に過ぎない。お前1人の命など、有象無象と同価値だ。国家が助けてくれると思うな? 」
「嘘だ……。そんなはずは無い。私は、国家にとって有益な…」
声を震わせて呟く、伊達。その震えは恐怖によるものなのか、出血によるものなのか、いずれにせよ、次第に大きくなる震えを自身では御し切れなくなっていた。
「おめでたい男だ。お前が国家にとって必要な人間なら、もう助けられている。これが現実だ。国家にとって都合の悪い人間は、消されるんだ。かつて、厚生省が明幸生教を虫螻のように踏み殺したようにな。さぁ、楽になれ。お前は役目を終えた」
呆然と蹲る、伊達。野崎の言葉が心に響き、波紋のように国家への疑心が忠誠心を掻き乱す。
国家の意にそぐわない者が消えゆく様を、政治家になって約30年、嫌という程に見てきた。伊達自身、その都度、弱者を切り捨ててきた。
だから、今回その矛先が自身に向いている事は、言われる迄もなく理解していた。当然、その理由に覚えがあった───。
1ヶ月前───。
「呼び立てて悪かったね。さぁ。座りたまえ」
料亭の一室。上座に座る男は手を指した。
「失礼します」
伊達は一礼し、恐縮しながら下座に腰を下ろした。分厚く切った鯛の身が、光を反射して輝いている。一目で分かる高級食材に目を向けることなく、単刀直入に質問した。
「石川先生。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「そう慌てるな。君は政治家になって何年だ?」
石川は、お猪口を取るよう、徳利を向けた。
本来、目上の人間に対しては先に注ぐべきだろう。しかし、先に待っていた石川のお猪口は、酒で満たされていた。どのくらい待たせていたのかは分からないが、一口も付けていない事などあるのか。多少、疑問に思いながらも、伊達は小さな会釈を重ね、手を添えたお猪口を向ける。
「都議時代も含めると34年でございます」
「そうか。君との付き合いも長い訳か…」
石川は、思い出に耽るような溜息を吐いた。
「はい。石川先生に政治家のいろはを叩き込んで頂きました。四方八方敵だらけの世界ですが、先生だけは父のように思っております」
伊達は、恩人にして恩師である石川と話すうちに、"何故、わざわざ呼んだのか"という些細な疑問など、すっかり忘れていた。
「ハハハ。そうか。君を呼んで良かった。今日はとっておきの話があってね」
豪快な笑いの後に見せる、石川の微笑み。伊達は、その笑みが苦手だった。人間味の無い、作られた表情。笑みという形を保った、国家の闇そのものを見ているようにさえ感じていた。
そして、向けられた笑みに底知れぬ恐怖を感じたのは、あの時以来だった。そう、明幸生教の抹殺を命令されたあの日。命令と言っても、言葉で指示を受けたわけではない。今回と同じく料亭に呼び出され、ただ一言、「分かっているね?」と言われたに過ぎない。限られた時間、限られた空間で、記憶以外のエビデンスは存在しない。
したがって、表も裏もなく、明幸生教を抹殺したのは、当時の厚生大臣たる伊達である事以外に事実は無い。
「なに、難しい話じゃ無いんだ。伊達幹也という存在を昇華させないか?といった提案だ」
「昇華……ですか?」
石川が何を言っているのか、理解できない、伊達は思わず聞き返す。この行為が数分後には後悔へと繋がる事など、知る由もなかった。
「そうだ。伊達幹也という存在を国会議員として永久に残し続けるのだよ。君はこの先においても、我が党、そして国家の中心として有り続ける。いかがかな?」
笑みを崩さない、石川。
話の内容としては荒唐無稽さも否めないが、権力の甘汁を啜ってきた伊達にとって、これからも権力の座に居座り続けられる事は魅力だった。
「そ、それは素晴らしいお話です。私の意思がこの先も続くとは夢のようなお話です。それで、私は何をすれば良いのですか?」
伊達の前向きな意思を確認した、石川の口角はさらに上がる。
しかしこの時、"永久に存在を残し続ける"という意味を十分に理解していなかった。
「君が特別な何かをする事は無いよ。外科的な手術はすぐに終わる。この後にでもね」
まるでノイズに阻害されたかのように、重要なワードを聞き漏らし、恐る恐る確認し直す、伊達。
「え、えっと…。外科的…? 手術…? 私の理解が追いついておらず申し訳ありません。身体にメスを入れるということでしょうか?」
的外れな質問に溜息を漏らす、石川。
「何を言っている? 不死にでもなれると思っていたのかね? 存在を永久的に残す。これ即ち、伊達幹也の記憶をデータ化する事だよ。肉体と意識は消失するがね。だが、君は国民から広く認知された存在だ。だから、伊達幹也という"存在"を今後も国民の目に映るよう、アンドロイドと入れ替わるという事だよ」
数分前までの微笑みが嘘のように、冷たい表情に変わっている事に気付く。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください。私の意思がこの先も続くと、そう仰ったではありませんか!」
机に両手を付き、身を乗り出して訴える伊達に対し、再び笑みを浮かべた石川。それを見て、ハッとする。
「そう。私は君の意思が永劫有り続けるとは言っていない。国家にとって必要なのは、君という"存在"と"記憶"だけだ」
狂気に満ちた笑みは、伊達の知る"父"ではなかった。
「あなたは…一体誰ですか…? 」
思わず漏れた問い。だが、直後に愚問だということに気付く。何故なら、そもそも最初から石川憲一という人物は存在しないのだから。目の前にいる人物も、出会ってから政治家としての指導をしてくれた人物も、石川憲一の記憶をデータとして受け継いだ存在なのだ。
腹の底から湧き上がる恐怖は、毒のように全身に回る。気が付けば、その部屋から逃げ出すように出ていた。
───現在。
「わ…わ……私が………私が明幸生教の教祖および信者の虐殺を命じた」
荒い息と共に自供する、伊達。
国家への叛逆。しかし、心は不思議と軽かった。ずっと背負い続けた重荷を下ろした気分だった。そして、いつの間にか震えが止まっていることにも気付く。
正面を見れば、人質状態にある一般客が見える。自己の事ばかりを考えていた先程までとは違い、一人一人の表情までもがよく分かる。
軽蔑。厭悪。怨嗟。怒り。その場全ての人の負が伊達に向けられる。当然だ。人質となった一般客らは、伊達の下した命令が元凶で、命を脅かされるに至ったのだから。それでも尚、伊達の心は清々しく、晴れやかだった。
「理由を聞こうか」
野崎は、再び銃口を押し付けた。
「当時、明幸生教は、新興宗教としては異例なスピードで組織を拡大していた。教団が掲げた、"精神の救済処"というキャッチコピーは、国民管理システムによって居場所を失った人々にとって魅力だったのだろう。だが、"反国民管理システム"思想を持つ教団の拡大は、国家にとって脅威でしかなかった。だから、国家は明幸生教をカルト教および反社会的勢力として指定し、徹底的に弾圧する事にした。
その一つがマスコミを使った情報操作だった。教祖の独裁運営、精神洗脳、社会からの断絶、反社会的言説、身体保全の損傷、法外な金銭要求など、教団に不利な情報を流し、社会的に排除していった。
当初は反論するに留めていた教団も、苛烈を極める弾圧に耐え兼ね、過激な抵抗を見せるようになった。そして、八王子で発生した異臭騒ぎを皮切りに、政務官の襲撃や大臣主催の講演会場爆破、ついには、「被害者の会副会長殺人事件」を起こしてしまった。
そして、大規模テロの可能性が浮上する事になる。潜入捜査していた公安の女性刑事からの角度の高い情報だった。私は教団の抹殺命令を下し、そして後は君たちの知る通りだ…」
自供を聞き、襲撃時の記憶がフラッシュバックする、野崎を始めとした天ノ智慧研究会メンバー一同。荻野に至っては、怒りから伊達に視線を向ける事すらできずにいた。
「表向きはな」
突如、伊達が付け加えるように発した言葉に一同は驚く。
「どういう事?」
高田は聞き返した。
「言葉の通りだ。今話した教団壊滅の経緯全てが、閲覧規制の掛かる記録だ。だが、事実であって真実ではない。真実というのは記録にすら残らない。関わった者の記憶にのみ残っている」
1ヶ月前の提案こそが、記録に残らない真実=情報の抽出だったのだとようやく気付く、伊達。同時に自身の価値がその程度しか無いことに諦観した。
「君たちは国民管理システムが齎す、"最大多数の最大幸福"の本質を考えた事はあるかね? あれは国民管理システムの独裁世界で、人々をプログラム通りに強制させるものだよ。個々の思考や意思などは不要。つまり、明幸生教などという教団が発生すること自体、国民管理システムからすればバグなんだよ。国家にとって不利益な芽は摘み取る。"君たち"は不利益な存在だったんだ」
ニヤリと笑みを浮かべる、伊達。"君たち"の中には自身も入っている自覚からか、目から一粒の涙が伝う。
異様な空気が流れる中、荻野は早歩きで伊達の方へ歩を進めると、拳銃を向けた。
「お前のせいだ。お前がいなければこんな事にならなかったんだ!!!」
止めどなく大粒の涙を流し、荻野は一気にトリガーを引いた。
パンッという銃声が会場に轟く。
直後、業魔のような呻き声が響いた。
撃ち抜かれた右手を押え、藻掻き苦しんでいたのは、荻野だった。
「クリア」
弾丸軌道上、ステージ左の骨組みから狙撃したのは、遼子だった。
「各員、状況開始」
梓の号令は、猟犬による狩りを知らせる警笛となった。
*¹ 新都市改革:1074年から始まった都道府県制度を廃止し、5つの自治都市を形成した都市改革。
・関東地区改革:東京、神奈川、千葉、埼玉→新東京都。
・関西地区改革:大阪、京都、兵庫、奈良、滋賀、和歌山、三重→京阪都。
・中部地区改革:愛知、静岡、岐阜→東海都。
・九州地区改革:福岡、熊本、鹿児島、宮崎、長崎→九州都。
・北陸地区改革:仙台、福島、山形、秋田→東北都。
*² 特別管理地区:日本を形成する五大都市が管轄する地区。一部を除き、基本的に一般人の居住はなく、研究施設や行政施設が設置されている。
・新東京都管理:島根県
・京阪都管理:中国地区(鳥取、広島、岡山)、四国地区(愛媛、高知、香川、高松)
・東海都管理:北陸地区(石川、富山、福井、新潟)、北関東地区(長野、群馬、山梨)
・九州都管理:山口、沖縄
・東北都管理:栃木、岩手、青森、北海道