FILE.3 メッセージ
───3年前。
都内某所 ホテル一室。
男の荒息が、静まり返った空間に響き渡る。隣には、俯せの女が横たわっていた。
震えた手でデバイスを操作し始めた男は、とある人物へと電話を掛けた。コール音の最中も落ち着きが無い、男。電話相手が応答するや否や、要件を話し始めた。
「助けてくれ…。殺っちまった……」
───2120年10月。
荒川区655- 河川敷。
規制線ホロの外を取り囲むように、何十台もの警務ドローンが立っていた。物々しい雰囲気に加え、通常の事件現場では見ることの無い空間ホロまでもが展開され、まるで隔絶するかのように、一帯全てを外から見ることができないようになっていた。
そこにサイレンを鳴らした1台の警務車が、空間ホロを無視して進入する。
停車した警務車は、背面ドアが機械仕掛けに動き大きく開き、直後、飛び出したランプウェイの上を6人の捜査官がぞろぞろと歩く。
「これで3人目だね」
溜息混じり呟く、深月。
「酷い」
愛華は、思わず口を右手で抑え、目を逸した。
男性と思わしき遺体。顔の皮は剥ぎ取られ、肋骨を無理矢理に抉じ開けられた状態で、顕になった心臓には、"papa"という焼印が付けられていた。
阿鼻叫喚の表情は、生きたまま解体された事を意味していた。そして、大きく開かれ口は、苦痛とは別の意味で何かを示していた。
「鑑識ドローンの調査結果は?」
遺体を前に蹲んだ空は、手を合わせ黙祷した。
「被害者は、岩井健太。25歳。無職…ん? 待って。この人、父親が国会議員で現職大臣の窪田俊光よ? 」
デバイスを遺体に向ける、遼子。被害者情報に目を通し、唖然とした。
「なるほど…。それで"papa" …ね。
3人目の被害者も窪田俊光 大臣に縁があるとなると、きな臭いで終わらせられないわね。私から局長に大臣への聴取を打診するわ」
梓は、足早に警務車に戻った。
公安庁本庁 第四課オフィス。
出入口の扉が開くと共に、室内の照明が一斉に点灯する。6人がソファーに着くと、捜査会議が始まった。
「陽菜、これまでの経緯を出して」
梓の指示で、大型ホロモニターには次々と事件資料が投影される。その中の現場写真は、どれも目を覆いたくなるような悲惨なものばかりだった。
「今回のポイントは、一連の事件全てが、窪田俊光 大臣を中心とした人物が殺害されているという点よ。
まず、第一の被害者、大嶋未紅。34歳。窪田 大臣の公設秘書官よ。
表の情報では、外務省に入庁直後から、秘書官としての責務に従事しているわ。ただし、秘書官としての業務区分、権限を越えて、裏で大臣職の大部分を行っていた。窪田からしてみれば、大臣の椅子に座っているだけで、仕事は終わり、金と名誉が入ってくるんだから、さぞ重宝したでしょうね。
しかも、この2人には男女の関係も噂されていた。火の無い所に煙無し。大嶋が所持していたデバイスには、不倫を裏付ける証拠が大量に保存されていたわ」
珍しく、露骨に軽蔑の表情をした、陽菜。
「よく、20も上のジジイに股広げられるよね」
深月は嘲笑った。
「深月、ちゃちゃ入れないで」
すかさず注意こそしたが、権力を使った不貞行為に対しては、厭悪感を抱いた、梓。
「大嶋未紅の死因は、出血性ショック」
仕切り直した陽菜は、説明を続けた。
「生きたまま麻酔もなく乳房、耳、唇、尻が削ぎ落とされ、陰部には"prostitute"という焼印が刻まれていた」
生々しい猟奇殺人の説明に、愛華は吐気を覚え、口を手で抑えた。
「prostitute…売春婦…か。身体を売って、権力まで自由に使いたい放題だった大嶋には、似合いの蔑称という事なのかもしれないわね…」
同じ女性であるが故に、死後、不名誉な焼印を刻まれるに至った人生に憐れみすら覚える、遼子。特殊な世界で生き残る術だったのかもしれないが、身体を売るやり方には、同情もできない。特に遼子は…。
遼子の思い詰めた表情を察してか、空は次の話題に切り替えた。
「2人目は?」
「第二の事件、被害者は渡辺昭之。56歳。元厚生省参事官で、今は総理補佐官よ。
彼の悪名は参事官時代から絶えないとされているわ。汚職関係の揉み消しは十八番って專らの噂ね。
彼の死因もショック死。生きたまま眼球が刳り抜かれ、その痕に小型望遠レンズが押し込まれた状態で発見された。仰向け状態で、両手を天に人差し指を指すような形で遺棄されていた。焼印同様、意味があると考えるべきね」
陽菜の説明に合わせて、ホロモニターには次々とグロテスクな遺体の写真が映る。こうした猟奇殺人も第四課では日常。感覚が麻痺していると言えばそれまでだが、誰しもが飲み物を口にしながら写真を見ていた。1人を除いては。
「愛華ちゃん、大丈夫?」
青褪めた愛華の様子に気付く、空。
「すみません、あまりにも…その。皆さんは平気なんですか?」
訴えるように尋ねる、愛華。只でさえグロテスクな遺体を写真とはいえ、360度見渡しているのだ。それも1度は現場で生の遺体を目にしているのだから、フラッシュバックして、気分を害さない訳がない。少なくとも愛華には刺激が強過ぎた。
「私達が対処する事件の多くは、常識の範疇を容易く凌駕するものばかりよ。慣れと言えばそれ迄だけど、事実に対して向き合う責任があるの。
だから、今の愛華のように、いちいち被害者に感情移入なんてしていられない。冷たいようだけど、他人事なら気分も害さないでしょ? 」
淡々と応える梓に対し、言い返す言葉が見つからない、愛華。
被害者に寄り添う刑事になりたい…そう思っていた。だけど、今の自分はただ感情移入しているだけなのか、と自問自答してみるも、答えは出なかった。
「すみません。止めてしまって」
申し訳なさそうに口を噤む、愛華。それを見ていた遼子は、梓の言葉に付け加えるように愛華に言葉を掛けた。
「まぁ、私達も経験を積んだ上で、それがベストだったと学んだんだよ。冷酷だろうと客観視する事が、自分自身、引いては仲間も救う事にも繫がるってね。愛華の反応は一般的だし正しい。それは無くしちゃいけないものよ。だけど、刑事として生きていく為に乗り越える壁も存在する。それを少しずつ経験してくと良いわ」
遼子のアドバイスに「はい」と返事をした愛華の表情に、伸び代を感じた、陽菜。手応えを感じたのか、説明を続けた。
「ちなみに渡辺は、舌に"Liar"と刻まれていたわ」
「嘘付き…か」
呟く、空。
「大嶋未紅に刻まれた"売春婦"という烙印は、生前の行いに対する侮蔑だった。一連の事件が怨恨による犯行だとするなら、"売春婦"たらしめる行いに被害を受けた者がいる。
そして、恐らくは同一人物が、渡辺の"嘘"に対しても、何らかの被害を受けたと見るべきだろう」
何に対して"嘘"なのかこそ、真相への糸口になり得る予感を覚える、空。
「そうですね…。その線で考えれば、第三の事件は、岩井健太の父親、窪田 大臣から被害を受けたという事になります。ただ、岩井健太の死が父親のとばっちりというのは考えにくいですが…」
愛華が岩井健太への怨恨の可能性を捨てきれないのには、データベースに記録された内容にあった。
岩井健太。兼てより、親の権力におんぶに抱っこで悪事を働いてきた、俗にいう馬鹿息子だった。窃盗、暴行、強姦と三拍子揃った悪行を積み重ねる度、第五課が捜査をしては権力に阻まれていた。一昔前のように、もし紙媒体で資料化すれば、保存ファイルは分厚くなるだろう。
「細かい事は分かんないけどさ。3人目って窪田大臣の息子なんでしょ? このバカ息子がやらかした揉み消しに、大嶋と渡辺も関わったとかじゃないの? 」
深月の直感は確信を突いていた。
「岩井健太がキーだったという事ね」
納得の表情を浮かべる梓に対し、理解が追い付かない、愛華。
「つまり、事件の発生順と犯人の動機が逆だって事だよ。事件の順から見れば、大嶋未紅の事件が起因して、渡辺昭之、岩井健太へと繋がっているように思えてしまう。だから、個々の事件に繋がりが見出だせない。
でも、岩井の犯した罪を窪田 大臣が揉み消す為に、大嶋と渡辺を利用した…。その事への怨恨であれば、辻褄が合うでしょ? 」
空に、第四課のインスピレーションをチューニングされた愛華は、目を丸くして頷いた。
「そうそう、それ! 事件の原点さえ分かれば、私達のターゲットも見えてくるってね」
自分の直感により解決を見出だせた事で、深月は鼻高々に満足な笑みを浮かべた。
「早速、岩井健太の起こした事件、それも公安に入る前に揉み消された事件が無いか洗いましょう。きっと、大臣への良いお土産になるわね」
梓は、ニヤリと笑みを溢した。
───翌日。
ホロキーボードを叩く音がオフィス中に響く中、陽菜の指が止まり、その場で立ち上がった。
「これって…」
「皆、ちょっと集まって!」
陽菜の呼び掛けに、ソファーへと集まる一同。
「これ…3年前のコールドケースね。第一課が相当煮え湯を飲まされて、第四課に来る直前で、何故か局長判断でお蔵入りになった…」
足を組んだ梓は、目を細めた。
当時、捜査が難航していたが為に、班長・木嶋丈太郎が毎日のように苛ついていたのを思い出していた。犬猿の仲である木嶋の気持ちを察するつもりなど毛頭無いが、常に何かの力に阻まれる歯痒さは、同じ捜査官として同情していた。
「たしか、相模湾内の漁業関係者が発見したのよね? 浮遊物に魚が群がっているのを不審がって、引き上げてみたら腐敗した遺体が釣れたとか」
遼子がソファー前のデスクを指で突くと、モニターには発見当時の写真が投影される。遺体は、腐乱によって原型すら留めていないニューネッシー状態だったが、海洋哺乳類や大型魚類にしては体構造的に不一致な点が多いという漁業関係者の証言により、事件化したのが経緯だ。
「あぁ。発見直後は状態が悪過ぎて、身元の特定には時間がかかる見通しだったんだ。だけど、捜索願を出していた遺族が持ち込んだDNAと照合した結果、都内在住のカフェ店員、長門佳澄さんだと断定されたんだ」
被害者情報を出す、空。
「私、憶えています。この話題が公になった当時、メンタルに悪影響を及ぼすからって、学校でもその話題は禁句になった程でしたから。でも、それが返って噂として広まったんです」
愛華は、3年前の記憶を思い出すように話し始めた。
「噂? 」
深月の問いに、愛華は神妙な面持ちで口を開いた。
「ストーカーに殺された…っていう噂です」
「え? どうしてそんな噂が?? 事件か事故かは公表されなかったはずだけど…」
陽菜が出した当時の事件資料には、AAの閲覧制限が設けられていた。公安庁捜査官も対象となる閲覧制限だ。当然、世間に公表される事は無い。
「実は、同じ高校に通っていた子の中に、被害者と同じカフェで働いていた子が何人かいたんです。
当時、従業員の間では、ストーカー客の存在が問題視されていたようなんです。中でも、被害者女性に対してのアプローチが度を超えていたようで、店舗が公安庁への相談を持ち掛けるに至っていたそうです。でも、その矢先、被害者女性が行方不明になり、その人も来なくなったとか…。だから、根も葉もない噂が広まったんです」
かつて流行った都市伝説のような噂話が、まさか現在進行系の殺人事件へと繫がる事になろうとは思いもよらず、動揺する、愛華。
国民管理システム統治下において、齎された平和な社会は表面的なもので、常に危険に曝されている事に懸念を覚える、愛華。いや、それに気付く事なく、平和な社会を盲信する事に恐怖すら覚えた。
「そのストーカーが誰だか分かる? 」
遼子の問いに、首を横に振る、愛華。
「いえ、私も噂程度でしか…。でも、噂では、ストーカーの父親が顔の効く人で、これまでも息子の犯罪を揉み消してきたとか。その矢先の事件でしたし、報道もパッタリ無くなったので、妙に信憑性が高いって囁かれていました」
国民管理システム統治下でも、一部の権力者による法を無視した行為の横行に落胆し、溜息を吐いた、愛華。
「結果的にその噂はデマじゃ無かったって訳ね。彼女の死因は? 」
梓は、警視長権限でAAの閲覧制限を解除した。
「死因は、薬物による急性中毒死ね。ただ、吉川線*¹が見られた事から、他殺として捜査が進められていたけど、犯人特定の前に、局長命令で打ち切られているわ」
陽菜も捜査経緯を読み上げながら、性急過ぎる事件の幕引きに違和感を覚えた。
「一番怪しいのは、身内って事ね」
決心するかのように髪をかき上げた、梓。数秒の間が空き、発したのは口止めだった。
「これはSSSレート*²。他言無用よ」
「え? 警視長以上でしか閲覧が許されない、超極秘情報を私達が見てもいいんですか? 」
思わず驚きと躊躇の表情を見せた、愛華。
「そこは私達、特課*³だから」
深月はドヤ顔する。
「3年前の事件で、被害者 長門佳澄さんが拉致される防犯ドローンの映像よ。映像解析の結果、拉致したのは、窪田光俊 外務大臣と愛人との間に生まれた、岩井健太だと分かったわ。岩井は、長門佳澄さんを拉致し、都内ホテルで薬漬けにした後、強姦、殺害した。ただ、犯人が大臣の血縁者、且つ、愛人との子という事で、徹底的な箝口令が敷かれたわ」
梓の説明により、事件の全貌が明かされる。
ホロ投影された防犯ドローンの映像には、岩井健太による犯行の一部始終が映されていた。岩井健太は、帰宅中と思われる長門佳澄の背後から駆け足で近付くと、口をハンカチのような物で覆い、直後、首に"何か"を刺した。その数分後には、長門佳澄が痙攣しながら、足元から崩れ落ち、拉致に至るまでが克明に映っていた。
中でも、愛華が絶句したのは、長門佳澄の腹部に気付いた時だった。
「それじゃあ、国家に殺されたようなもんじゃないですか」
醜悪な犯行に、胸糞悪さを覚える愛華は、怒りのままに声を上げた。
「そうね。当時、第四課に捜査権が上がる前だったという事もあって、被害者の無念は結果的に闇へと葬られたの」
当時を振り返る、陽菜。
「木嶋さん、局長にも掛け合ってたよね…。これじゃあ、被害者の無念が晴れない。悪を裁けないで何が公安だって」
空の脳裏には、3年が経った今でも木嶋が苦悩していた姿が鮮明に残っていた。それは空だけでなく、愛華を除く全員だった。
「木嶋のオッサン、悔しそうだったよね」
同情する表情を見せる、深月。
重い空気が漂う中、遼子は話題を変えた。
「ねぇ。陽菜がみんなを集めたのは、これだけじゃ無いわよね? 」
思い出すかのように、映像を切り替えた、陽菜。本命は別にあったのだ。
「そうなの! 今回の事件現場となった河川敷周辺の映像を解析してたんだけど、1人、明らかに挙動不審な人物がいたの。
まるで下見をするかのように、事件発生の2週間前から姿を見せたかと思えば、ほぼ同時刻に現れては、辺をキョロキョロと見渡している」
陽菜によって、2週間分の映像がホロ投影される。一同がそれを観ている中、ただ1人、様子の変化に気付いた、梓。
「空? 」
目を剥き、動揺を隠しきれずにいる、空。
「その人物をデータファイルと照合したら、1名該当したの。陸上自衛隊第105部隊所属 小川裕司 1等陸曹」
陽菜が出した小川裕司に関する情報は、国防省の機密情報も含んでいた。当然、管轄省の異なる公安庁に閲覧権限は無い。通常は、厚生省から国防省への情報開示請求が必要となる。それは、いくら特課が高度な犯罪に対応する為に、超法規的権限が与えられているからと言っても例外ではない。
つまりは、国防省へのハッキングによって入手したものだった。そんな芸当をこなせるのは、第四課でもただ1人だけである。
その技術力を初めて目の当たりにした愛華は、文字通り開いた口が塞がらない。
その隣で別の意味で開いた口が塞がらない者がいた。そして、ゆっくりと立ち上がると、1人の男の名を呟いた。
「裕…司? 」
*¹吉川線:絞殺・扼殺されようとする際に、被害者が紐や犯人の腕を解こうとするなどの抵抗に見られるひっかき傷の跡。
*²SSSレート:事件及び情報で警視長以上の権限を以て行使される事案。
*³特課:特別捜査権保持課の略。課として警視長権限の事案を捜査、介入、行使できる。対象は第四課のみ。