FILE.38 天秤座の共謀
中央区278-銀座中央通り。
規制線ホログラムが張り巡らされたテロ現場。
情報を得ようとするマスコミと野次馬によって、辺りは絶え間ないフラッシュが焚かれていた。
人の波でごった返す現場で、1人の男は通話し始める。
「もしもし、成功だ。哲さんと雄太くんにも伝えておいてくれ。ああ。大丈夫。すぐそっちに合流するから。じゃあまた後で」
通話を終えた男は、デバイスを着けた左手を高く上げ、現場の写真を数枚撮ると、足早にその場を後にした。
───1時間後。
目黒区543-白金台。
白金台は、100年前から変わることの無いセレブ街である。高級レストランが建ち並ぶプラチナ通りを中心に、東側には高級住宅、西側には研究施設が建つ、調和の取れた街。
往来で活気付くプラチナ通りとは対象的に、住宅街の人影は疎らな休日の夕方。
ベースボールキャップを被った男は、両手をポケットに入れ、やや俯き加減に歩いていた。
男がふとしたきっかけで正面を見ると、前方から早歩きでやって来る、上下黒のスーツに身を包んだ男と目が合い、慌てて目を逸す。そのまますれ違うだろう、そう考えていた時、スーツ姿の男は5メートル手前でピタッと止まり、話し掛けてきた。
「御代地健介さん…ですね?」
急な声掛けに驚いた御代地は、思わず足を止めてしまった。過る疑問に息を呑む。何故、名前を知っているのか。いや、その疑問は、相手の姿を前に無意味な事だ。それよりも、何故、居場所が分かったのかという事の方が重要であった。
王手を宣言されたかのように、御代地の身動きは封じられ、冷や汗が額を伝った。
「公安庁刑事課第四課の井川空です。3時間前に起きた地下鉄でのテロ事件、ご存知ですよね?」
空の質問に答える余裕すら無く、御代地の心臓の音は秒単位で高鳴っていく。
その焦りにさらなる追い打ちを掛けるかのように、背後からスーツ姿の女性2人が迫っている事にも気付く。完全に挟み撃ちにされ、逃げ時は失っていた。
「発生したテロに関して、あなたに重要な嫌疑が掛かっています。同行願います」
空の右足が一歩前へと出たのを見て、御代地の身体は180度向きを変えた。背後から迫っているのは、2人組とはいえ女性。しかも、内1人は見る限り150cmも無いように見える。力で圧倒すれば逃走できると本能的に確信したのだ。
いざという時の為に忍ばせていたナイフを取り出し、雄叫びを発しながら、2人へと牙を向けた。
しかし、その判断は大いに間違いであった。
御代地が気付いた時、小柄な方は視界から消えていた。起こった事を理解できず、必死にその行方を目で追うが、見つけた時にはもう遅かった。
懐から入る突きが、御代地の右手にクリーンヒットし、命綱とも言うべきナイフは弾き飛ばされていた。その際、人差し指と中指の骨が折れたのか、突き指なのか、最早定かではないが、負傷した痛みを感じていた"はず"だ。
"はず"という曖昧な感想に至ったのは、それが事後に感じた感想だったからだ。
痛みの情報が脳へと伝わるよりも遥かに早く、左膝への衝撃と浮遊感に襲われ、気が付いた時には地面にうつ伏せになっていた。
こうして一つ一つの出来事を説明すれば、今の状況に至るまでの行程は長い。しかし、これがまさに"瞬間"の出来事だったのだから、痛みなど感じていられる余裕など無かったのだ。
ようやく痛みを感じた御代地だったが、災難は始まったばかりだった。間髪無しに、背中に馬乗りした小柄な女性は、右手で握る銃を御代地の後頭部へと向けた。これで、力強くで起き上がる事すら許されず、道路に溜まった泥水に顔を浸けたまま、取り押さえられる屈辱を味わう、御代地。
「女性、しかもこんなに小柄な人が相手なら、ナイフ1本で逃げられる、そう思ったんですよね? それが今や、見下した人に命を握られているなんて。まさに、泥水を啜るですね」
皮肉と共に迫る、空。その足は、御代地の前でピタッと止まった。
憎悪にも似た表情で、睨む御代地。空は、その前でしゃがむと、馬乗りの女性が、左手で御代地の髪を鷲掴みにし、無理やり顔を上げさせた。
「納得がいかないみたいですけど、あなたを抑えた河下は、対人戦闘のプロだ。体格差があろうともあなたじゃ勝てない。かと言って、もう1人に襲い掛かっていたとしても結果は同じだったでしょう。
さて、それより本題だ。地下鉄のテロ騒ぎについて話せ」
本題を切込むや否や、鋭い目付きに変わる、空。
別人のように冷めきった瞳。目を合わせているのに、まるで自分の事など見ていないと感じさせられる、虚無感。気圧された御代地は、蛇に睨まれた蛙のように、視線すら逸らせずに固まった。
滲み出た冷汗は、顔に付いた泥水と混じり合い、アスファルトで跳ね返る。その刹那でさえ、御代地には長く、永久のように感じた。
黙秘を貫かれれば、不利になるのは公安だった。そこで、空は180度アプローチを変えた。
「お互い、このままっていう訳にはいきませんよね。あなたが喋らないというなら、"あなたをよく知る人"に聞くしかない」
空のアイコンタクトで、陽菜がデバイスを操作し始めた。直後、御代地の目の前には、小さなホロモニターが展開され、何かを映した。
それを観た御代地は、息を震わせ、恐る恐る声を出す。
「な、、、何で」
御代地の瞳に映る、妻の姿。夫の身に起きている事など露知らず、鼻歌交じりに夕食を準備していた。
「言ったろ? "あなたの事をよく知る人"に聞くしかないって。あなたから情報を得られないなら、あなたの奥さんに聞くしかない。
俺達四課は、各自の判断で即時執行、つまり法的な殺害が認められている。あなたの後頭部に突き付けられたそのエンフォーサーでね。意味、分かりますよね?」
冷酷無慈悲に、淡々と畳み掛ける、空。
恐怖に怯える御代地は、奥歯をカチカチと震わせた。
止めど無く噴出す冷汗に、定まらない視点。明らかな動揺だ。それも、"背徳感"による動揺。
御代地は、自身の行いを理解している。故に、最愛の妻には、自身の立場と行いを隠していたのだろう。理由は、妻との関係性を保つためか、妻を巻き込まないためか。
しかし、捜査の目が妻へと向けられた事で、守ってきたものが一瞬で崩れ去ったのだ。
御代地が自供に落ちるのも時間の問題だが、悠長にしていられる程の余裕が公安には無い。空は、更なる追討ちを掛けた。
「そういえば、もうすぐ2歳になるお子さんがいますよね?」
空の一言で、妻を映していた映像は90度左に回り、別の部屋へと進み出す。
御代地の思考はとうに限界を超え、瞼の堰を崩そうと涙が溢れていた。
そして…。
「お…お願い、、、ます。どうか、家族にだけは…」
深月が掴んでいた髪を放すと、御代地は崩れるように項垂れた。
目黒区559-白金プラウド502号室。
「時間よ」
ポニーテールを三つ編みにした女は、右手首に着けたデバイスを見て、一言告げた。鏡面の卓上には、眉間にシワを寄せた、悲しみの表情が映る。
漆黒のダイニングテーブルを中心に、時間を告げた女を含めた、男女7人が席に着いていた。部屋中に充満したフレグランスの香りが錯覚であるかのように、部屋の空気は淀んでいた。
誰しもが次の言葉を発しない中、沈黙を破るかのように、1人が口を開く。
「しょうがない…。各自、計画通りに動いてくれ」
恨みを買う一言であるのは承知の上で、リーダーである浅沼雄太は発言する。
その覚悟を知ってか知らずか、1人が待ったを掛けた。
「雄太くん、待ってくれ。さっき、美菜子の所に連絡が来てたじゃないか。もう少しだけ…もう少しだけ健介を待ってやってくれよ…」
荻野拓真は必死だった。
御代地健介の帰りを待たずに、次の行動に移すという事は、組織として、御代地健介を死んだものとして認識するという事であった。すなわち、安否確認もしなければ、仮に公安の手に堕ちたとしても助けないという事。
知り合ってから9年間、御代地健介を兄のように慕ってきた、荻野拓真にとって、それは到底受入れ難い事だった。
しかし、その場にいる他6名が、荻野に賛同の声を上げることは無かった。
「いや、もう時間切れだ。たぶん、どれだけ待っても健介は来ない。もし、遅れているだけなら連絡を寄越すはずだ。それが無いってことは、健介の身に何かがあったって事だ……」
浅沼は、荻野の希望を静かに砕く。
「でもッ!!!」
諦め切れない荻野は、思わず机を叩き、立ち上がる。
それを制止するように、1人が怒号にも似た大声を上げた。
「やめろ! 拓真! できる事なら、ここにいる皆が健介の戻りを待っていたいと思っているさ。だけど、ここで俺達が二の足踏んで、タイミングを逃せば、計画自体が破綻する。それを健介が望んでいると思ってるのか?」
「それは…」
千場泰明の指摘に言葉が詰まる、荻野。
腕を組み、背凭れに深く身体を預け、論議を見守っていた池田正臣は、ふと身体を起こすと、口を挟むように発言する。
「この際、感情論は捨てたとして、健介からの連絡も無いまま、戻りを待ち続けている状況だ。健介の身に何かが起こったとして、その原因を考えた時、"あの男"が言っていた"公安四課"によるものなら、俺達も危ない。今すぐプランを変えないと」
「哲さん。」
浅沼が視線を送ったのは、テーブルのエンド部、所謂お誕生日席と言われる場所に座っている男だった。
"哲さん"と呼ばれるその男。黒シャツの上からでも一目瞭然な筋肉は、肩や上腕だけでなく、テーブルに付いた肘から手首にかけてびっしりと敷詰まっていた。
終始、顔の前で手を組み口を閉していた男は、ゆっくりと口を開く。
「臣の言う通りだな。拓真の気持ちはよく分かるが、ここで計画が頓挫すれば元も子もない。たぶん公安は、ここももう突き止めているだろう。猶予は無い…」
野崎哲也は、数秒口を閉した。そして、溜息混じりに決断を下した。
「この中で、誰かが囮になるしかないな」
その言葉に場は凍り付く。たった数秒間の沈黙が、重力の奔流の如く重苦しい。誰もが口を噤み、時計の秒針や心臓の鼓動でさえも次の動きを躊躇っていた。
しかし、そんな沈黙は、インターホンの音で突如として終わる。
「来たか」
誰しもがインターホンに意表を突かれる中、野崎哲也だけは冷静に呟いた。
目黒区559-白金プラウド 5階エレベーター前。
到着音と共に開く扉。エレベーターから出てきた愛華と雫は、真っ先に突き当たりの角部屋へと足を向けた。
『502号室』
5つ星ホテルを思わせるような真っ直ぐに伸びた廊下の先に、その部屋はあった。高級感溢れる重厚なスイング扉。
2人が扉の前に到着すると、人感センサーが反応し、ホログラムによるインターホンが目の前に現れた。
取手の位置から左開きであろう扉の正面に立つ愛華は、雫の顔を見て頷き、インターホンを押した。
「はい…」
ホログラムで展開したインターホンの隣には、音声波形を表示する箇所があり、"はい"という一言と同時に波形が動く。
室内の人間が応答した事を確認した雫は、扉開閉時にやや死角となる位置、愛華から見ると左斜め後ろにスッと下がり、レッグホルダーにセットしたエンフォーサーにそっと右手を添えた。
「公安庁の柚崎と申しますが、野崎哲也さんはご在宅でしょうか?」
愛華の問い掛けに、応答は無い。
応答は、声からして女性、20代〜30代といったところだろう。少なくとも1人以上は室内にいる状況で、このまま無言を貫かれれば、強制捜査も視野に入れなくてはいけなくなる。
30秒程度経ち、愛華の右手がエンフォーサーへと向いたその時、外れそうになる程の勢いで扉が開く。
それに巻き込まれた愛華は、身体ごと壁に強く打ち付け、その場に倒れてしまった。
扉を強く開けたのは、女性。恐らくは、インターホン越しに応答した人だろう。ドアノブを握った両手は、小刻みに震えている。自身の行いがどういう事を意味するのかは理解しているのだ。
「公安庁刑事課だ。その場に伏せろ」
死角から出てきた雫は、すかさずエンフォーサーを女に向けるが、消魂しい声に気を取られる。
「るり! しゃがめ!!! 」
廊下の奥から、ガタイの良い男が、砲丸投げの如く椅子を投げてくる。まさにレーザービームと言わんばかりの直線軌道で飛んでくる椅子をさっと躱す、雫。
ただ、躱される事を男は読んでいた。椅子に気を取られている一瞬の隙こそ、男の狙いだった。男は雫へと突進すると、エンフォーサーを持つ雫の右手首を掴み、そのままドア枠に叩き付けた。
「逃げろ! 抑えきれない」
男の言葉に、池田るりは部屋の奥へと走っていく。
オォォォォという雄叫びを上げ、何度も何度も雫の右手首を叩きつけようとするが、雫の腕力の前に思うようにいかない。
男は一度目を閉じ、何かを決心すると、目を開くと同時に、握り締めた右手の拳を雫に向かって振り下ろす。
雫との身長差は15cm。振り下ろされた拳が当たれば、雫へのダメージは相当なものだろう。そうなれば、流石の雫とて、無事では済まない。
狂乱の叫びと拳が、雫を強襲する。
しかし、その拳は、雫には届かない。振り下ろされる拳が十分な加速度を得る前に、雫の左手が男の右手首を掴んでいたのだ。
右手首を掴み合った状況下、軍配は集中力が続いた方に上がる状況だった。
拮抗した力の攻防と無言の睨み合いが始まってから5分。緊張感が互いの精神を侵食し始めていた。
だが、そんな膠着状態は突如として終わる。
「臣くん!」
その声は、部屋の奥へと逃げたはずの池田るりだった。震えた手で、精一杯に拳銃を向けていた。その距離、1メートル。素人でも十分目標に弾を当てられる距離だ。
「どうして戻って来た。ベランダの避難ハシゴから逃げられただろ」
振り向く余裕のない池田正臣は、精一杯の声で問い掛ける。
「無理だよ。私、臣くんを置いていけない…」
涙ながらに答える、池田るり。彼女の人差し指は引き金に掛かっている。あとは引くだけ。それなのに、手の震えで力が入らない。
「止めておけ。お前には人を殺す覚悟もなければ、殺した相手の十字架を背負う覚悟が無い。だが、それで良い。そこが一線なんだ。踏み越えるな」
雫は、チラッと池田るりを見ては諭す。
逃げろと言う夫。
一線を超えるなと言う敵。
しかし、ここで引き金を引かなければ、夫は公安の手により殺されてしまうかもしれない。
池田るりに、最早冷静な思考と判断力は無かった。
荒くなる呼吸は、まるで波に飲まれたかのように苦しく、意識が遠のぶようだった。
パンッ。
発砲音により、池田るりは我に返る。そして、冷静に何が起こったのかを目で見て確認し、さっきまで"あった"ものが"無くなっている"事に気付く。
「え?」
サーっと血の気が引くのを感じたと思えば、激痛が池田るりを襲う。
「手。手がぁぁぁああ」
その場で蹲る妻の姿に、起こった状況を理解できず、目を剥き絶句する、池田正臣。それが自身にとっても命取りになるという事を忘れる程、衝撃的な光景だった。
当然、雫がそのチャンスを見逃すはずが無い。池田正臣に抑えられていた自身の右手首をくるっと内側に回して拘束を解くと、懐から顎に向ってその手を突き上げた。その際、舌を強く噛んだのだろう。口から溢れる血がシャワーのように降り注いだ。
雫の猛攻は止まらず、掴んでいた池田正臣の右手首を自身の方へ引き、小内刈りのように足を掛けて刈り倒す。
「ナイスタイミングだ。愛華」
暴れる池田正臣を絞め技で拘束する、雫。
数分前───。
池田るりによって壁に叩きつけられていた愛華は、数分間気を失っていた。目を覚した時、目に入ってきたのは、揉み合う雫と池田正臣。さらに、その奥から、池田るりが拳銃を持って差し迫る光景だった。
脇腹の痛み感じた愛華は、ゆっくり触診し、骨が折れていない事を確かめると、乗り出すように這いながら前へと身体を出した。
池田るりの精神は限界かもしれない…。
愛華はそっとエンフォーサーを向けると、池田るりの右手ごと拳銃を撃ち抜いた───。
───現時刻。
室内を一通り確認した愛華は、拘束した池田夫妻をドローンに引き渡していた雫に、首を横に振る。
「一足遅かったか」
雫は舌打ちした。
****
港区492- 汐留環状首都高入口。
ピピピピッ………。
ワンボックス型の車内に響く通知音。
「哲さん。奴ら、囮に掛かりました」
浅沼雄太は、玄関先の映像を野崎哲也に見せた。
血の海と呼ぶに相応しい光景が、映し出されていた。
誰一人として言葉が発せない程の喪失感を覚える中、運転席に座る荻野拓真は、感情を抑えきれずに眉間にシワを寄せ、苦悶な表情で涙を流していた。
「いいか。俺達が公安に捕まっていないのも、計画を実行できるのも、残ってくれた2人と千波のおかげだ。死んだ臣とるり、それに健介の為にも必ず成功させなきゃならねぇ」
鋭い目つきで鼓舞する野崎に賛同するように、全員が頷く。
「それにしても、千波の連絡が一歩遅かったら、俺達もどうなってたか…」
千場は回顧する───。
───1時間前。
目黒区559-白金プラウド502号室。
「来たか」
インターホンの音に野崎哲也は反応した。
扉の前に設置された防犯ドローンの映像は、登録された人であれば、誰しもが身に着けたデバイスで確認できるようになっている。高田美菜子は呟く。
「千波よ。」
そして、玄関まで出迎えに席を立った。
3分も経たない内に、高田に招かれた岡千波は、席に座る間もなく、公安に抑えられた御代地健介の事と、別動隊の2人組みが迫っている事を興奮気味に話した。
「以上です! もうここも知られてしまっています。早く出ないと!」
息継ぎ無しに説明した岡は、酸欠になっていた。それを見兼ねた浅沼は、「まずは座れ」と指示した。
「奴ら、予想以上に早かったな。焦りは禁物だが、早めに出ないと。どうする?」
千場に問い掛けられた浅沼は、数秒間考え、重たそうな口を開いた。
「たしかにそうだが、このまま全員で行けば、公安はそれを察知して追ってくる。公安四課…。正直、侮っていた」
悔しそうに唇を噛むと、言葉を続けた。
「哲さんが言ったように、囮を決め…」
「俺"達"が引き受ける」
浅沼の発言を遮るように、池田正臣は発した。そして、隣に座る、妻・るりも覚悟を決めた眼差しをしていた。
「このまま愚図ついていても埒があかない。そうこうしている間にも、公安は差し迫っ出るんだろう? 誰かがやらなきゃいけないんだ。なら、俺達でやるよ」
机に手を付くようにして立ち上がる、池田正臣。
「臣、ありがとう」
浅沼の一言に、笑顔を見せた池田正臣。そして、全員が席を立ち、その場から立ち去る準備を始めた。
2人以外の全員が慌ただしく準備する中、池田正臣は妻に問う。
「るり。良かったのか? 」
「臣くん残して行けないよ。私はずっと一緒だから」
不安はあるはずだ。もしかすると、数時間後にはこの世にいないかもしれない。だが、そんな不安を感じていないかのような笑顔で、池田るりは答える。
そして、部屋の扉は閉まる。
2人を残して…。
───現時刻。
ワンボックス車内。
「見えたわ」
助手席に座る高田は指を差す。
滑走路のように開けた道路の中央を、6人を乗せたワンボックスが走る。警備用ドローンは、まるでワンボックスが見えていないかのように不自然に道を開けていた。
「10年越しの復讐はようやく成就する…」
野崎哲也は、憎悪の表情で静かに呟いた。