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公安四課  作者: やん
39/52

FILE.38 天秤座の共謀

中央区278-銀座中央通り。


規制線ホログラムが張り(めぐ)らされたテロ現場。

情報を()ようとするマスコミと野次馬(やじうま)によって、(あた)りは()()ないフラッシュが()かれていた。


人の波でごった返す現場で、1人の男は通話し始める。

「もしもし、成功だ。(てつ)さんと雄太(ゆうた)くんにも伝えておいてくれ。ああ。大丈夫。すぐそっちに合流するから。じゃあまた後で」

通話を終えた男は、デバイスを()けた左手を高く()げ、現場の写真を数枚()ると、足早にその場を(あと)にした。



───1時間後。

目黒区543-白金台。


白金台(しろがねだい)は、100年前から変わることの無いセレブ街である。高級レストランが()ち並ぶプラチナ通りを中心に、東側には高級住宅、西側には研究施設が()つ、調和の取れた街。


往来(おうらい)活気(かっき)付くプラチナ通りとは対象的に、住宅街の人影は(まば)らな休日の夕方。


ベースボールキャップを(かぶ)った男は、両手をポケットに入れ、やや(うつむ)加減(かげん)に歩いていた。

男がふとしたきっかけで正面を見ると、前方から早歩きでやって来る、上下黒のスーツに身を包んだ男と目が合い、(あわ)てて目を(そら)す。そのまますれ違うだろう、そう考えていた時、スーツ姿の男は5メートル手前でピタッと止まり、話し掛けてきた。


御代地健介(みよちけんすけ)さん…ですね?」

急な声掛(こえが)けに(おどろ)いた御代地(みよち)は、思わず足を止めてしまった。(よぎ)る疑問に息を()む。何故(なぜ)、名前を知っているのか。いや、その疑問は、相手の姿を前に無意味な事だ。それよりも、何故(なぜ)、居場所が分かったのかという事の方が重要であった。


王手を宣言されたかのように、御代地(みよち)の身動きは(ふう)じられ、冷や汗が(ひたい)(つた)った。


公安庁刑事課こうあんちょうけいじか第四課(だいよんか)井川空(いがわそら)です。3時間前に起きた地下鉄でのテロ事件、ご存知ですよね?」

空の質問に答える余裕すら無く、御代地(みよち)心臓(しんぞう)の音は秒単位で高鳴(たかな)っていく。

その焦りにさらなる追い打ちを掛けるかのように、背後(はいご)からスーツ姿の女性2人が(せま)っている事にも気付く。完全に(はさ)()ちにされ、逃げ時は失っていた。


「発生したテロに関して、あなたに重要な嫌疑(けんぎ)()かっています。同行願います」

空の右足が一歩前へと出たのを見て、御代地(みよち)身体(からだ)は180度向きを変えた。背後(はいご)から(せま)っているのは、2人組とはいえ女性。しかも、内1人は見る限り150cmも無いように見える。力で圧倒すれば逃走できると本能的に確信したのだ。


いざという時の為に(しの)ばせていたナイフを取り出し、雄叫(おたけ)びを(はっ)しながら、2人へと(きば)を向けた。


しかし、その判断は大いに間違いであった。


御代地(みよち)が気付いた時、小柄(こがら)(ほう)は視界から消えていた。起こった事を理解できず、必死にその行方(ゆくえ)を目で()うが、見つけた時にはもう遅かった。

(ふところ)から入る()きが、御代地(みよち)の右手にクリーンヒットし、命綱(いのちづな)とも言うべきナイフは弾き飛ばされていた。その際、人差し指と中指の骨が折れたのか、突き指なのか、最早(もはや)(さだ)かではないが、負傷した痛みを感じていた"はず"だ。

"はず"という曖昧(あいまい)な感想に(いた)ったのは、それが事後(じご)に感じた感想(かんそう)だったからだ。

痛みの情報が脳へと伝わるよりも(はる)かに早く、左膝(ひだりひざ)への衝撃(しょうげき)浮遊感(ふゆうかん)(おそ)われ、気が付いた時には地面にうつ伏せになっていた。

こうして一つ一つの出来事を説明すれば、今の状況に至るまでの行程は長い。しかし、これがまさに"瞬間"の出来事だったのだから、痛みなど感じていられる余裕など無かったのだ。


ようやく痛みを感じた御代地(みよち)だったが、災難は始まったばかりだった。間髪(かんぱつ)無しに、背中に馬乗(うまの)りした小柄な女性は、右手で(にぎ)(じゅう)御代地(みよち)後頭部(こうとうぶ)へと向けた。これで、力強(ちからず)くで起き上がる事すら許されず、道路に()まった泥水(どろみず)に顔を()けたまま、取り押さえられる屈辱(くつじょく)を味わう、御代地(みよち)


「女性、しかもこんなに小柄な人が相手なら、ナイフ1本で逃げられる、そう思ったんですよね? それが今や、見下(みくだ)した人に命を(にぎ)られているなんて。まさに、泥水(どろみず)(すす)るですね」

皮肉と共に(せま)る、空。その足は、御代地(みよち)の前でピタッと止まった。


憎悪(ぞうお)にも()た表情で、(にら)御代地(みよち)。空は、その前でしゃがむと、馬乗(うまの)りの女性が、左手で御代地(みよち)(かみ)鷲掴(わしづか)みにし、無理やり顔を上げさせた。


「納得がいかないみたいですけど、あなたを(おさ)えた河下(かわした)は、対人戦闘(たいじんせんとう)のプロだ。体格差があろうともあなたじゃ勝てない。かと言って、もう1人に(おそ)()かっていたとしても結果は同じだったでしょう。

さて、それより本題だ。地下鉄のテロ(さわ)ぎについて話せ」

本題を切込むや(いな)や、(するど)目付(めつ)きに変わる、空。


別人のように冷めきった(ひとみ)。目を合わせているのに、まるで自分の事など見ていないと感じさせられる、虚無感(きょむかん)気圧(けお)された御代地(みよち)は、(へび)(にら)まれた(かえる)のように、視線すら(そら)らせずに固まった。


(にじ)み出た冷汗(ひやあせ)は、顔に付いた泥水(どろみず)と混じり合い、アスファルトで()ね返る。その刹那(せつな)でさえ、御代地(みよち)には長く、永久のように感じた。


黙秘(もくひ)(つらぬ)かれれば、不利になるのは公安だった。そこで、空は180度アプローチを変えた。

「お互い、このままっていう訳にはいきませんよね。あなたが(しゃべ)らないというなら、"あなたをよく知る人"に聞くしかない」


空のアイコンタクトで、陽菜(ひな)がデバイスを操作(そうさ)し始めた。直後、御代地(みよち)の目の前には、小さなホロモニターが展開され、何かを映した。


それを観た御代地(みよち)は、息を(ふる)わせ、恐る恐る声を出す。

「な、、、何で」


御代地(みよち)(ひとみ)に映る、妻の姿。夫の身に起きている事など(つゆ)知らず、鼻歌()じりに夕食を準備していた。


「言ったろ? "あなたの事をよく知る人"に聞くしかないって。あなたから情報を()られないなら、あなたの奥さんに聞くしかない。

俺達四課は、各自の判断で即時執行(そくじしっこう)、つまり法的な殺害(さつがい)が認められている。あなたの後頭部(こうとうぶ)に突き付けられたそのエンフォーサーでね。意味、分かりますよね?」

冷酷無慈悲(れいこくむじひ)に、淡々(たんたん)(たたみ)()ける、空。

恐怖に(おび)える御代地(みよち)は、奥歯をカチカチと(ふる)わせた。


()めど無く噴出(ふきだ)冷汗(ひやあせ)に、(さだ)まらない視点。明らかな動揺(どうよう)だ。それも、"背徳感(はいとくかん)"による動揺(どうよう)


御代地(みよち)は、自身の行いを理解している。(ゆえ)に、最愛(さいあい)(つま)には、自身の立場と行いを(かく)していたのだろう。理由は、(つま)との関係性を(たも)つためか、(つま)を巻き込まないためか。

しかし、捜査(そうさ)の目が(つま)へと向けられた事で、守ってきたものが一瞬(いっしゅん)(くず)れ去ったのだ。


御代地(みよち)が自供に落ちるのも時間の問題だが、悠長(ゆうちょう)にしていられる程の余裕が公安には無い。空は、更なる追討ちを掛けた。

「そういえば、もうすぐ2歳になるお子さんがいますよね?」


空の一言で、妻を映していた映像は90度左に回り、別の部屋へと進み出す。


御代地(みよち)の思考はとうに限界を超え、(まぶた)(せき)を崩そうと涙が(あふ)れていた。


そして…。

「お…お願い、、、ます。どうか、家族にだけは…」


深月(みづき)(つか)んでいた(かみ)(はな)すと、御代地(みよち)(くず)れるように項垂(うなだ)れた。



目黒区559-白金プラウド502号室。


「時間よ」

ポニーテールを三つ編みにした女は、右手首に()けたデバイスを見て、一言()げた。鏡面(きょうめん)卓上(たくじょう)には、眉間(みけん)にシワを()せた、悲しみの表情が(うつ)る。


漆黒(しっこく)のダイニングテーブルを中心に、時間を()げた女を含めた、男女7人が席に()いていた。部屋中に充満したフレグランスの香りが錯覚であるかのように、部屋の空気は(よど)んでいた。


誰しもが次の言葉を(はっ)しない中、沈黙(ちんもく)(やぶ)るかのように、1人が口を開く。

「しょうがない…。各自(かくじ)、計画通りに動いてくれ」


(うら)みを買う一言であるのは承知の上で、リーダーである浅沼雄太(あさぬまゆうた)は発言する。


その覚悟を知ってか知らずか、1人が待ったを掛けた。

雄太(ゆうた)くん、待ってくれ。さっき、美菜子(みなこ)の所に連絡が来てたじゃないか。もう少しだけ…もう少しだけ健介(けんすけ)を待ってやってくれよ…」

荻野拓真(おぎのたくま)は必死だった。


御代地健介(みよちけんすけ)の帰りを待たずに、次の行動に移すという事は、組織として、御代地健介(みよちけんすけ)を死んだものとして認識するという事であった。すなわち、安否確認もしなければ、仮に公安の手に()ちたとしても助けないという事。

知り合ってから9年間、御代地健介(みよちけんすけ)を兄のように(した)ってきた、荻野拓真(おぎのたくま)にとって、それは到底受入れ難い事だった。


しかし、その場にいる他6名が、荻野(おぎの)に賛同の声を上げることは無かった。


「いや、もう時間切れだ。たぶん、どれだけ待っても健介(けんすけ)は来ない。もし、遅れているだけなら連絡を寄越(よこ)すはずだ。それが無いってことは、健介(けんすけ)の身に何かがあったって事だ……」

浅沼(あさぬま)は、荻野(おぎの)の希望を静かに(くだ)く。


「でもッ!!!」

諦め切れない荻野(おぎの)は、思わず机を叩き、立ち上がる。


それを制止するように、1人が怒号にも似た大声を上げた。

「やめろ! 拓真(たくま)! できる事なら、ここにいる皆が健介(けんすけ)の戻りを待っていたいと思っているさ。だけど、ここで俺達が二の足踏んで、タイミングを(のが)せば、計画自体が破綻(はたん)する。それを健介(けんすけ)が望んでいると思ってるのか?」


「それは…」

千場泰明(せんばやすあき)の指摘に言葉が詰まる、荻野(おぎの)


腕を組み、背凭(せもた)れに深く身体(からだ)を預け、論議を見守っていた池田正臣(いけだまさおみ)は、ふと身体(からだ)を起こすと、口を(はさ)むように発言する。

「この際、感情論(かんじょうろん)は捨てたとして、健介(けんすけ)からの連絡も無いまま、戻りを待ち続けている状況だ。健介(けんすけ)の身に何かが起こったとして、その原因を考えた時、"あの男"が言っていた"公安四課"によるものなら、俺達も危ない。今すぐプランを変えないと」


「哲さん。」

浅沼(あさぬま)が視線を送ったのは、テーブルのエンド部、所謂(いわゆる)お誕生日席と言われる場所に座っている男だった。

"哲さん"と呼ばれるその男。黒シャツの上からでも一目瞭然(いちもくりょうぜん)な筋肉は、肩や上腕(じょうわん)だけでなく、テーブルに付いた(ひじ)から手首にかけてびっしりと敷詰まっていた。


終始、顔の前で手を組み口を閉していた男は、ゆっくりと口を開く。

(おみ)の言う通りだな。拓真(たくま)の気持ちはよく分かるが、ここで計画が頓挫(とんざ)すれば元も子もない。たぶん公安は、ここももう突き止めているだろう。猶予(ゆうよ)は無い…」


野崎哲也(のざきてつや)は、数秒口を閉した。そして、溜息(ためいき)混じりに決断を下した。


「この中で、誰かが(おとり)になるしかないな」


その言葉に場は凍り付く。たった数秒間の沈黙(ちんもく)が、重力の奔流(ほんりゅう)の如く重苦(おもくる)しい。誰もが口を(つぐ)み、時計の秒針や心臓(しんぞう)鼓動(こどう)でさえも次の動きを躊躇(ためら)っていた。


しかし、そんな沈黙(ちんもく)は、インターホンの音で突如として終わる。


「来たか」

誰しもがインターホンに意表を()かれる中、野崎哲也(のざきてつや)だけは冷静に(つぶや)いた。



目黒区559-白金プラウド 5階エレベーター前。


到着音と共に開く扉。エレベーターから出てきた愛華(あいか)(しずく)は、真っ先に突き当たりの角部屋へと足を向けた。


『502号室』


5つ星ホテルを思わせるような真っ直ぐに伸びた廊下(ろうか)の先に、その部屋はあった。高級感(あふ)れる重厚なスイング扉。


2人が扉の前に到着すると、人感センサーが反応し、ホログラムによるインターホンが目の前に現れた。


取手(とって)の位置から左開きであろう扉の正面に立つ愛華は、雫の顔を見て(うなず)き、インターホンを押した。


「はい…」

ホログラムで展開したインターホンの隣には、音声波形を表示する箇所(かしょ)があり、"はい"という一言と同時に波形が動く。


室内の人間が応答した事を確認した雫は、扉開閉時にやや死角となる位置、愛華から見ると左斜め後ろにスッと下がり、レッグホルダーにセットしたエンフォーサーにそっと右手を()えた。


「公安庁の柚崎(ゆずさき)と申しますが、野崎哲也(のざきてつや)さんはご在宅でしょうか?」

愛華の問い掛けに、応答は無い。

応答は、声からして女性、20代〜30代といったところだろう。少なくとも1人以上は室内にいる状況で、このまま無言を(つらぬ)かれれば、強制捜査(きょうせいそうさ)も視野に入れなくてはいけなくなる。


30秒程度経ち、愛華の右手がエンフォーサーへと向いたその時、(はず)れそうになる程の勢いで扉が開く。

それに巻き込まれた愛華は、身体ごと壁に強く打ち付け、その場に倒れてしまった。


扉を強く開けたのは、女性。恐らくは、インターホン越しに応答した人だろう。ドアノブを(にぎ)った両手は、小刻みに震えている。自身の行いがどういう事を意味するのかは理解しているのだ。


「公安庁刑事課だ。その場に伏せろ」

死角から出てきた雫は、すかさずエンフォーサーを女に向けるが、消魂(けたたま)しい声に気を取られる。

「るり! しゃがめ!!! 」


廊下(ろうか)の奥から、ガタイの良い男が、砲丸(ほうがん)投げの如く椅子(いす)を投げてくる。まさにレーザービームと言わんばかりの直線軌道で飛んでくる椅子(いす)をさっと(かわ)す、雫。

ただ、(かわ)される事を男は読んでいた。椅子(いす)に気を取られている一瞬の(すき)こそ、男の狙いだった。男は雫へと突進すると、エンフォーサーを持つ雫の右手首を掴み、そのままドア枠に叩き付けた。


「逃げろ! 抑えきれない」

男の言葉に、池田(いけだ)るりは部屋の奥へと走っていく。


オォォォォという雄叫びを上げ、何度も何度も雫の右手首を叩きつけようとするが、雫の腕力の前に思うようにいかない。

男は一度目を閉じ、何かを決心すると、目を開くと同時に、握り締めた右手の(こぶし)を雫に向かって振り下ろす。


雫との身長差は15cm。振り下ろされた(こぶし)が当たれば、雫へのダメージは相当なものだろう。そうなれば、流石(さすが)の雫とて、無事では済まない。


狂乱(きょうらん)の叫びと(こぶし)が、雫を強襲(きょうしゅう)する。


しかし、その(こぶし)は、雫には届かない。振り下ろされる(こぶし)が十分な加速度を得る前に、雫の左手が男の右手首を(つか)んでいたのだ。


右手首を(つか)み合った状況下、軍配(ぐんばい)は集中力が続いた方に上がる状況だった。

拮抗(きっこう)した力の攻防(こうぼう)と無言の(にら)み合いが始まってから5分。緊張感が互いの精神を侵食(しんしょく)し始めていた。


だが、そんな膠着状態(こうちゃくじょうたい)突如(とつじょ)として終わる。


(おみ)くん!」


その声は、部屋の奥へと逃げたはずの池田(いけだ)るりだった。震えた手で、精一杯に拳銃(けんじゅう)を向けていた。その距離、1メートル。素人(しろうと)でも十分目標に弾を当てられる距離だ。


「どうして戻って来た。ベランダの避難ハシゴから逃げられただろ」

振り向く余裕のない池田正臣(いけだまさおみ)は、精一杯の声で問い掛ける。


「無理だよ。私、(おみ)くんを置いていけない…」

涙ながらに答える、池田(いけだ)るり。彼女の人差し指は引き金に掛かっている。あとは引くだけ。それなのに、手の震えで力が入らない。


()めておけ。お前には人を殺す覚悟もなければ、殺した相手の十字架を背負う覚悟が無い。だが、それで良い。そこが一線なんだ。踏み越えるな」

雫は、チラッと池田(いけだ)るりを見ては(さと)す。


逃げろと言う夫。

一線を超えるなと言う敵。

しかし、ここで引き金を引かなければ、夫は公安の手により殺されてしまうかもしれない。

池田(いけだ)るりに、最早(もはや)冷静な思考と判断力は無かった。


荒くなる呼吸は、まるで波に飲まれたかのように苦しく、意識が遠のぶようだった。


パンッ。


発砲音(はっぽうおん)により、池田(いけだ)るりは我に返る。そして、冷静に何が起こったのかを目で見て確認し、さっきまで"あった"ものが"無くなっている"事に気付く。


「え?」

サーっと血の気が引くのを感じたと思えば、激痛が池田(いけだ)るりを(おそ)う。

「手。手がぁぁぁああ」


その場で(うずくま)る妻の姿に、起こった状況を理解できず、目を()絶句(ぜっく)する、池田正臣(いけだまさおみ)。それが自身にとっても命取りになるという事を忘れる程、衝撃的な光景だった。


当然、雫がそのチャンスを見逃すはずが無い。池田正臣(いけだまさおみ)に抑えられていた自身の右手首をくるっと内側に回して拘束を()くと、(ふところ)から(あご)に向ってその手を突き上げた。その際、舌を強く()んだのだろう。口から(あふ)れる血がシャワーのように降り(そそ)いだ。

雫の猛攻(もうこう)は止まらず、(つか)んでいた池田正臣(いけだまさおみ)の右手首を自身の方へ引き、小内刈りのように足を掛けて刈り倒す。


「ナイスタイミングだ。愛華」

(あば)れる池田正臣(いけだまさおみ)()め技で拘束(こうそく)する、雫。



数分前───。


池田(いけだ)るりによって(かべ)に叩きつけられていた愛華は、数分間気を失っていた。目を覚した時、目に入ってきたのは、()み合う雫と池田正臣(いけだまさおみ)。さらに、その奥から、池田(いけだ)るりが拳銃(けんじゅう)を持って差し迫る光景だった。


脇腹の痛み感じた愛華は、ゆっくり触診(しょくしん)し、骨が折れていない事を確かめると、乗り出すように()いながら前へと身体(からだ)を出した。


池田(いけだ)るりの精神は限界かもしれない…。

愛華はそっとエンフォーサーを向けると、池田(いけだ)るりの右手ごと拳銃(けんじゅう)(うち)ち抜いた───。



───現時刻。


室内を一通り確認した愛華は、拘束(こうそく)した池田夫妻(いけだふさい)をドローンに引き渡していた雫に、首を横に振る。


「一足遅かったか」

雫は舌打ちした。


****



港区492- 汐留環状首都高入口。


ピピピピッ………。

ワンボックス型の車内に響く通知音。


(てつ)さん。奴ら、(おとり)に掛かりました」

浅沼雄太(あさぬまゆうた)は、玄関先の映像を野崎哲也(のざきてつや)に見せた。


血の海と呼ぶに相応(ふさわ)しい光景が、映し出されていた。


誰一人として言葉が(はっ)せない程の喪失感(そうしつかん)を覚える中、運転席に座る荻野拓真(おぎのたくま)は、感情を抑えきれずに眉間(みけん)にシワを寄せ、苦悶(くもん)な表情で涙を流していた。


「いいか。俺達が公安に捕まっていないのも、計画を実行できるのも、残ってくれた2人と千波(ちなみ)のおかげだ。死んだ(おみ)とるり、それに健介(けんすけ)の為にも必ず成功させなきゃならねぇ」

鋭い目つきで鼓舞(こぶ)する野崎(のざき)に賛同するように、全員が(うなず)く。


「それにしても、千波(ちなみ)の連絡が一歩遅かったら、俺達もどうなってたか…」

千場(せんば)回顧(かいこ)する───。



───1時間前。

目黒区559-白金プラウド502号室。


「来たか」

インターホンの音に野崎哲也(のざきてつや)は反応した。


扉の前に設置された防犯ドローンの映像は、登録された人であれば、誰しもが身に着けたデバイスで確認できるようになっている。高田美菜子(たかだみなこ)(つぶや)く。

千波(ちなみ)よ。」

そして、玄関まで出迎えに席を立った。


3分も()たない内に、高田(たかだ)(まね)かれた岡千波(おかちなみ)は、席に座る()もなく、公安に抑えられた御代地健介(みよちけんすけ)の事と、別動隊の2人組みが迫っている事を興奮気味に話した。


「以上です! もうここも知られてしまっています。早く出ないと!」

息継ぎ無しに説明した(おか)は、酸欠になっていた。それを見兼ねた浅沼(あさぬま)は、「まずは座れ」と指示した。


「奴ら、予想以上に早かったな。(あせ)りは禁物(きんもつ)だが、早めに出ないと。どうする?」

千場(せんば)に問い掛けられた浅沼(あさぬま)は、数秒間考え、重たそうな口を開いた。

「たしかにそうだが、このまま全員で行けば、公安はそれを察知して追ってくる。公安四課…。正直、(あなど)っていた」

悔しそうに(くちびる)()むと、言葉を続けた。

(てつ)さんが言ったように、(おとり)を決め…」


「俺"達"が引き受ける」

浅沼(あさぬま)の発言を(さえぎ)るように、池田正臣(いけだまさおみ)は発した。そして、(となり)に座る、妻・るりも覚悟を決めた眼差(まなざ)しをしていた。


「このまま愚図(ぐだ)ついていても(らち)があかない。そうこうしている(あいだ)にも、公安は差し迫っ出るんだろう? 誰かがやらなきゃいけないんだ。なら、俺達でやるよ」

机に手を付くようにして立ち上がる、池田正臣(いけだまさおみ)


(おみ)、ありがとう」

浅沼(あさぬま)の一言に、笑顔を見せた池田正臣(いけだまさおみ)。そして、全員が席を立ち、その場から立ち去る準備を始めた。


2人以外の全員が(あわ)ただしく準備する中、池田正臣(いけだまさおみ)は妻に()う。

「るり。良かったのか? 」


(おみ)くん残して行けないよ。私はずっと一緒だから」

不安はあるはずだ。もしかすると、数時間後にはこの世にいないかもしれない。だが、そんな不安を感じていないかのような笑顔で、池田(いけだ)るりは答える。


そして、部屋の扉は閉まる。

2人を残して…。



───現時刻。

ワンボックス車内。


「見えたわ」

助手席に座る高田(たかだ)は指を差す。


滑走路(かっそうろ)のように開けた道路の中央を、6人を乗せたワンボックスが走る。警備用ドローンは、まるでワンボックスが見えていないかのように不自然に道を開けていた。


「10年越しの復讐(ふくしゅう)はようやく成就(じょうじゅ)する…」

野崎哲也(のざきてつや)は、憎悪(ぞうお)の表情で静かに(つぶや)いた。



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