FILE.36 答え合わせ
喪服に身を包んだ参列者達が、曇天の下、左右に列を成す。
哀しみを余さず吸い上げた真っ黒な雲が、その重みに耐え切れなくなるのも時間の問題だった。
鈴を鳴らす僧侶を先頭に、数人の男達が大きな箱を運び出す。箱は参列者達で作られた道を通り、霊柩車へと入った。
「それでは、出棺致します」
僧侶の鳴らす鈴の音が曇天を刺激し、ついに驟雨となって落ちてくる。
傘を差す親族とは対象的に、公安関係者達はずぶ濡れになりながら敬礼する。握り締めた拳から、雨粒が絶間なく滴り落ちていた。
───同時刻。公安庁局長室。
「報告には目を通したよ。立華 警視長は下がりたまえ」
天宮碧葵は、目の前の2人と視線を合わせる事無く、冷たく言い放つ。
「ですが、、、」
言葉を遮るように、陽菜の肩に手を置くと、首を小さく横に振る、梓。
数秒間、梓に心配そうな視線を向けるが、自分には何もできない事を悟り、視線を落とす、陽菜。そのまま、部屋を後にした。
扉が閉まるのを確認し、口を開く、梓。
「どういう事ですか? まさか、この期に及んで"知らない"で通すつもりじゃないですよね?」
冷めた目で詰問する梓に対し、天宮は目を合わせる事無く他人事のように口を開いた。
「君達が報告に上げた、新宮那岐の生存についてかね?」
「……。」
"白々しい" と出かけた言葉を呑み込み、歯を食い縛る、梓。
「神宮那岐は、厚生大臣の指揮下、特捜チームとやらが、『アメノヌボコ計画』の最重要検体として処分したんじゃないんですか? 局長、あなたが "二度と社会に出る事は無い" と言ったから四課は引いたんです。まさか、足元を掬われて逃した、なんて事はないですよね? 」
怒りを抑えようと拳に力が入る。
「口を慎みたまえ。竹内梓 警視監。言ったはずだ。公安庁は神宮那岐に関する一切の捜査権を失ったと。君達も知っての通り、"神宮那岐は社会から消えた"。それが無二の事実だ」
梓とは対象的に、感情の起伏を見せない天宮は、相変わらず視線を合わせず淡々と言い放つ。
「では何故、消えたはずの神宮那岐が、事件に関与しているんです?」
梓の確信を突く一言で、ようやく梓へと目を向ける、天宮。
「それを調べるのが君達の仕事だろう? 」
天宮の責任転嫁にも等しい言葉が、梓の感情を逆撫する。
眉間にシワを寄せながら、目を閉じ、静かに深呼吸をする、梓。怒りを何とか抑えつけ、口を開く。
「それでは、神宮那岐を『国家特別指名手配』に指定し、捜査します。当然、発見次第、即時執行となりますが問題ありませんね?」
「"執行"というのは、エンフォーサーによる生体識別あってだ。識別スキャンの通用しない相手に対してはトリガーがロックされる。君達はそれを前回の暴動で学んでいると思っていたが?」
天宮の発言が、四課を案じたものでない事は明白だった。遠回しの牽制。
だからこそ、新宮殺害の意志を、梓は明確に発言する。
「ええ。ですからエンフォーサーが使えないのであれば、他の手段で仕留めれば良いだけの話です」
「それは、法で許された領分を超えている。君達はテロリスト1人の為に、"殺人"を犯すと言うのかね? 」
天宮は目を細める。
「殺人を定義付けするのであれば、エンフォーサーでの執行も変わりません。アレも個々の判断で引金を引いている。その時点で、"殺人"に変わりない。そんな事、初めてエンフォーサーを手にした時から、自覚はできています。今さらですよ」
鼻で笑う、梓。
「ほう。君達四課の自覚は実に立派なものだ。しかし、勘違いをしているようだから"敢えて"言葉にしておくが、神宮那岐の執行は認めない。彼は国家の計画が齎した副産物だ。一組織や個人の意向は許されないのだよ」
天宮は断言する。
それは、"神宮那岐を処分するつもりが無い" という、国家の意思表示そのものであった。国家は、何らかの形で神宮を利用するつもりなのだろう。それを本来であれば、前回の逮捕時に成し得るはずだった。しかし、新宮は拒否し、逃亡した。
それでも尚、国家は新宮を欲し、存在に執着した。だからこそ、生存を認知した上で、暗躍を黙認し、存在が浮上した段階で"生きたまま確保"等という判断をしたのだ。
天宮は、国家の思惑を現実にする為、四課を駒として選んだのだ。
梓は、国家の陰謀に利用されている事実に憤り、不信感を覚える。
「つまり、"また"逮捕しろと?」
「それ以外の意味に聞こえたかね?」
天宮の見え透いた回答に、梓の怒りが臨界点を超える。
「ふざけないで! 何が逮捕よ。テロリストの処分すらまともに出来ないくせに」
天宮は、わざとらしく嫌味な溜息を吐く。
「君達、第四課が責務を全うしないというのであれば、致し方無い。四課の特課権限を剥奪し、別動隊に移譲する他ない。そうなれば、君達を従来通りにさせておける保証はなくなる。班の再編も考慮しなくてはならないな。
さて、君は組織のリーダーとして重要な決断を下せるかな? 」
不敵な笑みを浮かべる、天宮。
権限付与権は、公安庁トップである局長に委ねられている。梓に、特課の拘りは無くとも、四課として権限剥奪による弊害は大きい。最悪、局長命令で、四課解体の可能性もあるのだ。誰よりも四課のメンバーを大切に想う梓にとって、それだけは避けなければならない。
梓には、新宮逮捕という国家都合の命令を飲み込むしかなかった。底無しの闇を前に、無力を感じる、梓。
噛んだ、唇の裏側から血が溢れ、口いっぱいに広がった。その味は吐気を催す程、苦かった。
公安庁直轄病院 屋上。
入院服姿の井川空は、街並みを眺めていた。
犯人死亡で幕を閉じた、女子学生連続誘拐事件から3日。未だ連日のように、専門家やコメンテーターによる推測や考察が報道されるが、事実が報道される事は無かった。
額に巻いた包帯は痛々しいが、それ以上に痛む心。記憶に焼き付く、安浦長八の最期が、脳内で繰り返し再生される。
───回想。
ツーという切電音。時間にすればたったの数秒間。その一瞬に、空は"神宮那岐と思わしき男"の言葉を思い返す。
「生きていた時……。」
無意識に呟く、空。その言葉の意味が引っかかる。1秒が何倍にも感じる濃密な刹那で、ループされる毎に形作られていく真意。まるでパズルのピースを組み立てるように、それは鮮明になっていく。
「ま、まさか!? しまッ!!!!」
振り返った瞬間、時は正常に動き出す。スタート音に相応しい、爆音と共に。
爆発は、周囲から中心に向かって起きている。逃げ場を無くし、確実に殺すよう計算されたものだ。
既に、体育館の四方八方を爆炎が包囲している。逃げ場の無い空は、死を覚悟する。自分の命を諦めた途端に心に残ったのは、梓や仲間達の安否だった。心配しようとも、爆炎に飲み込まれれば、安否を確認する方法など無いのだが。
「みんな悲しむ…かな…」
爆音が耳元まで迫る。空は、静かに目を閉じた───。
「!?」
目を閉じた直後だった。左腕から身体全体にかかる衝撃。だが、これは爆発に巻き込まれたものでは無い。
目に映ったのは、安浦長八の姿だった。
安浦は、両手で空の左腕を掴み、力強く振り回す。エンフォーサーで撃ち抜かれた右手は、激痛でまともに力が入らないはずなのに、その痛みを圧してまで、目一杯の力で振り投げたのだ。
その顔はまるで、『諦めるな。生きろ』と言っているような厳しい顔つきだった。
空の身体は宙を浮く。手を安浦へ必死に伸ばすが、届かない。
安浦は、空の安全を確信したのか、笑顔を見せる。そして、最期の教示を告げ、爆炎に姿を消す。
「国家を信用するな」
───現在。
以降、空に記憶は無い。後から聞いた話だが、投げ飛ばされた身体は、フロアーとコンクリート土間の隙間で発見された。
この体育館のフロアーは、組床式という造りで、コンクリート土間から伸びた幾多もの支持脚に、大引と根太を格子状に設置し、その上にフロアーを敷いた構造になっていた。
爆発によってフロアーが抉られ、剥き出しになったコンクリート土間。支持脚や鉄鋼類も爆発によって破壊され、フロアーから見ると、ちょうど支持脚の高さ分、陥没したようになっていた。
また、体育館は高床式で、2階にアリーナのある構造だ。それもあってか、フロアーとコンクリート土間の間の高さは、通常の2倍以上だった。
そのおかげで、瓦礫に埋もれはしたが、爆炎からは逃れたのだ。全くの幸運だった。
「やっさん…あんたは国家の何を知ったんだ」
溜息混じりに呟く、空。
「ここにいたんだ! 探したよ〜」
聞き覚えのある声に振り向く、空。声は深月だった。後ろから、遼子と陽菜も入ってくる。
「病室にいないから心配したんだぞ」
両肘を持つように腕を組む、遼子。奇跡的に目立った外傷も無く済んだのだが、爆発に飲み込まれているのだ。1つ違えば死んでいたかもしれない。心配するのも無理は無い。
「ごめん。考え事していて」
「神宮那岐の事?」
陽菜は問い掛ける。
「それもあるけど…」
空の発言が遮られるように、意識の"二分化"が起こる。空を含めた4人は、その"感覚"を知っている。心が2つに裂かれたかのように、屋上での意識を保ちながら、もう一方の意識が呑まれる感覚。それは、水の上に仰向けで浮かんでいた身体が、ゆっくりと水中へと引き込まれる感覚に近い。
目を開けると、そこには梓、雫、愛華の姿があった───。
───四課電脳ワールド。
「びっくりしたー!!! 急に呼ぶのは心臓に悪いって!!!」
深月はブーブーと不満を垂れる。
「ごめん。でも、事が事だったから緊急で招集したの」
ソファーに座り、足と腕を組む、梓。
「あれ、これってAPIS2091/0524*¹……。」
陽菜は通信規格の違いに気付き、"緊急"と言った梓の言葉の意味を理解する。
「えぇ。使わせてもらっているわ」
「どういう事? ここは、いつもの電脳ワールドじゃないってこと?」
周りを見渡す、空。見た目ではいつもの電脳ワールドとの違いは気付けなかった。
「そう。ここは本庁も知らない、完全秘匿回線なの。知って"いた"のは、私と開発者の陽菜だけ。まぁ、使ったのも初めてだし。誰にも傍受されたくなかったから、みんなを呼んだの。まずは座って」
梓の手招きで、空、遼子、深月もソファーに座る。
「あたしらにも知らせてなかった回線を使うんだ。内容は当然、神宮那岐絡みの事なんだろうけど。梓、、、局長の所で何があった? 」
雫は目を細めて、梓を見る。
「事実から話すわね…。まず前提として、神宮那岐は、この社会で自由の身となっている。そして───」
梓は、局長室での一切を話した───。
「そ、そんな…。国家は、神宮那岐を処分するつもりが無いなんて……。あの時、私がちゃんと…」
口を抑え、涙ぐむ愛華。
あの時、唯一、新宮を殺害できたのは、愛華だった。しかし、殺害しなかった事が、結果的に新宮によるテロの脅威と、国家による陰謀を助長していた事実に、悔悟する、愛華。
「愛華のせいじゃない。全員が本質を見抜けなかったんだ。あの時は、あの判断と結果がベストだった。悪いと言うなら、私達全員の責任だよ」
遼子は、震える愛華の身体を寄せる。
「そうか…。やっさんのあの言葉…」
空の呟きに全員が反応した。
「空、話して」
梓の求めに、空は小さく頷くと、両膝に両肘を立て、組んだ手に顎を乗せた姿勢で話し始める。
「ずっと考えていたんだ。やっさんが最期に言った、『国家を信用するな』という言葉。今の梓姉の話で、ようやく理解したよ。
国家は、社会秩序の根幹に関わる、非人道的または非倫理的な"何か"を秘匿し、運用している。そして、唯一、神宮那岐だけが、その正体を知っている」
空の推察に、1人を除く一同が目を剥く。
国家による国民への背信の可能性も突飛だが、四課ですら知り得ない国家機密をテロリストが知っている可能性はさらに深刻だからだ。
そんな中、局長室でのやり取りをする中、最悪の状況を考えていた梓だけは、動じること無く、脚と腕を組み座っていた。
「それが全て事実だとして、話を進めるにしても、神宮は、いつ、どうやってソレを知り得た?」
溜息の後、雫は問う。
「逮捕後よ」
誰とも視線を合わせることなく、一点を見つめる、梓。
「そう。推測だけど、神宮には国家から何らかの要求があったはずだ。四課ですら知り得ない、国家機密の開示と引き換えに。それ程まで、国家はその存在を欲したんだろう。理由は、『アメノヌボコ計画』の副産物として生み出された神宮那岐は、この社会のパーツと成り得る存在だったから。
ただ、国家にとっての誤算は、神宮の逃亡だ。国家とて馬鹿じゃない。要求を拒まれた時の布石は打っていたはずだ。だけど、それすら出し抜いた神宮那岐に、ますます執着した。だからこそ、逃亡後の暗躍は黙認されたし、四課への命令は身の安全を保証する"逮捕"だった…。」
空が前置きした通り、証拠の無い推測だが、その推測は奇妙な程、辻褄が合っていた。
「つまり、私達は、国家の茶番に付き合わされてるって訳だ。これまでも、これからも…」
ソファーで胡座を掻く、深月。"茶番"という単語1つで、見事に四課が置かれている状況を端的に説明していた。
「それを、安浦 刑事も知ってしまったんですね…。だから…」
涙を堪えようと口を閉ざしていた愛華が、ゆっくりと口を開いた。目は薄っすら腫れていた。
「そうだね…。どういう経緯なのか、今となっては分からないけれど、やっさんは新宮と接触した。そして、聞かされた真相は、30年以上、正義を貫き通した刑事が、国家への信頼を失うのに十分過ぎるインパクトだったんだ」
空は、安浦への同情心を誤魔化すかのように、組んでいた手を解き、右手で髪を掻き上げた。
「だから、『国家を信用するな』か…」
遼子が呟く。
「もちろん、ほとんどが推測の域を出ない以上、妄信すべきではないけれど、国家を信用し続けたまま動くのは危険だと思うんだ…」
確証が無い以上、飼主である国家への猜疑心は、見方を変えれば国家背任と見做されてもおかしくはない。自らの発言がきっかけで、メンバーが不利になる状況だけは避けたいという思いから、言葉尻が小さくなる、空。
その姿を見た、梓は口を開く。
「これより四課は、神宮那岐の執行及び、国家機密の剔抉に動く。当然、公安庁を始めとする、国家に反する行為よ。みんなに危険が及ぶかもしれない…。だから、今ここで決めてほしい。私と一緒に動くか、降りるか。判断はみんな次第…」
「水臭いよ。梓。空。あたしら5人はずっと一緒にやってきたじゃない。どんな事があっても、この先ずっと一緒だ」
梓が言い終える前に割込んだ、遼子。その眼差しはブレる事の無い強さが映っていた。
「そうよ。私にとって、みんなといるココが居場所なの。今さら仲間外れなんて嫌よ。それに、国家を相手にハッカーは必要でしょ? 」
陽菜も、いつものように笑顔で応えた。
「てか、これがあたしらだよね。上等じゃん。あたしらのやり方で、悪者を全員、暴いてやろうよ!」
悪戯っ子のように笑う深月は、グーパンチを前に突き付ける。
梓と空には、遼子、陽菜、深月の意思は聞かずとも分かっていた。それだけ長く、親密な時間を共に過ごしてきたのだ。互いに家族以上の絆が結ばれている。だが、敢えて言葉として聞くことで、安心からか、梓は表情を和らげた。
「お前達だけでどう対処していくって言うんだ」
一瞬の和やかな雰囲気を一蹴するように、雫は水を差す。
「師匠…」
空は思わず、呟いた。
「テロリストに、国家の闇。お前達がそんなもんを相手にするのを余所に、安全地帯でぐっすり寝てられる程、あたしは安眠型じゃ無いんでね」
空と目が合い、照れ隠しするように腕を組み、顔を背ける、雫。
「私も、私だって、四課の一員です。皆さんほど一緒に過ごした時間は長くないですが、時間なんて気にならないくらい、皆さんのことを想っているつもりです。危ない橋なら一緒に渡りたい。私も一緒に行動させてください!」
愛華は立ち上がる。強い信念を秘めた、良い眼をしていた。そこにいるのは、もう新人ではなく、立派な刑事であり、四課メンバーの1人だった。
「ありがとう。みんなの意思は、確認するまでも無く1つだったのね…。
この事は私達だけの極秘事項よ。電脳ワールドを一歩でも外に出れば、表向きはこれまで通り、公安第四課として、命令通り神宮那岐逮捕を前提に動く。良いわね?」
梓の確認に、全員が頷いた。
四課としての方向性が明確になったところで、改めて疑問を投げかける、雫。
「しかし、国家は神宮那岐を使って何をするつもりなんだ」
モヤの中にある答えを、手探りだけで確かめているような感覚だった。解決の糸口さえ見つからず、時間だけが過ぎていく。
しかし、突如として、沈黙は破られる。
「みんなーーー!!! 大変だよ〜」
どこからともなく現れた、AI・ハニー。相当な慌てっぷりで、ブンブンと飛び回る。
「落ち着きなさい。ハニー。どうしたの? 」
陽菜が諌めると、陽菜の前でピタりと止まる、ハニー。
「現在、首都地下環状線で毒ガステロが発生している模様。死傷者多数と報道ありです〜」
ハニーの報告とほぼ同時に、ニュースの速報画面がホロ表示された。航空ドローンによる映像で詳細は分からないが、多くの人と何台もの救急ドローンで一帯を埋め尽くしていた。
「始まったわ」
梓の一言を最後に、電脳ワールドでの意識もプツリと切れた。
*¹ APIS2091/0524:陽菜の独自開発による通信規格。完全非公開で、外界通信とは一切が遮断されている為、量子コンピュータを用いたとしても外部からのアクセスは不可である。開発者の陽菜、梓以外、存在を知る者はいなかった。