FILE.35 代償
どれほどの時間が経っただろうか。被害者21人と、首謀者・橋本望の遺体は、梓の指揮下でドローンによって運び出されていた。
「そういや、他の者はどこに行ったんだ?」
項垂れていた安浦は、思い付いたかのように顔を上げると、辺りを見渡した。
「他メンバーには、マスコミを撹乱してもらっています」
空の応えに、眉間にシワが寄る、安浦。
「どういう事だ?」
「この事件は終わっていません。もう1人、罪を犯した者がいます」
空は静かに告げた。
「もう1人だと……」
刑事になって以来、様々な現場に足を踏み入れてきたが、今回の事件は類を見ないほど、心的負荷のある事件だった。最悪の結果とはいえ、幕は閉じたと思っていただけに、安浦にとっては地獄に突き堕とされた気分だった。
「こ、これ以上、誰がいると言うんだ。橋本望に"先生"と呼ばれていた男の事か? もうたくさんだ。これ以上…これ…以上はッ」
当たるように怒鳴る、安浦。メンタル汚染は免れない状況下で、安浦は限界に達していた。
それでも空は、安浦を諭した。
「落ち着いて下さい。らしくない」
「お前達が"らしさ"を口にするのか? らしくないのはお前達だろう。俺が捜査に加わってから、お前達の判断も行動も違和感だらけだ。
何故、状況証拠でしかない時点で、犯人では無い三島剛士朗を容疑者と断定した?
何故、3階では無く、体育館に被害者と橋本望がいると分かった?
一体何時から、橋本望が犯人だと目星を付けていた?」
吐き出すような興奮状態で、これまでの違和感を口にする、安浦。荒息に潜むのは、怯えだった。
「不信感を持たせてしまった事は謝ります。ですが、今回の事件、操作妨害になり得る、内通者の存在があった。その内通者によって、捜査官しか知り得ない情報がマスコミに流布され、拡散した。SSレート認定される程の事件で、これ以上の障害は排除しなくてはいけない。だから、既に死亡していた、三島剛士朗を容疑者に仕立てた。
今頃、マスコミ各社のニュースは、土田真央殺しの容疑者として、三島剛士朗の名が報道されている事でしょう」
空はデバイスを操作すると、各社の報道をホログラムで展開した。
捜査とはいえ、倫理観すら無視した四課の行為に恐怖を感じる、安浦。
「自分達が何をしたのか分かっているのか? 哀れむべき被害者に汚名を着せたんだぞ! 到底、許される事では無い!!!」
安浦は、怒りを露わにし、空の胸倉を強く掴む。
その勢いに、2、3歩後ろに動かされる、空。ベテラン刑事の怒りと向き合うかのように、数秒間、無言で目を見つめ続けた。
「承知しています。ですが、彼も犯罪者である事に変わりはありません。5人を自殺に追込んでいる。自殺にまで至らなくても、暴行被害を受け、心に傷を負った人は数多に上ります。殺されたからといって、その罪が消える訳では無い。彼自身、死んでも尚、償わなくてはいけないんです。社会に裁かれなくてはいけないんです」
空の強い想いが、安浦に通じたかは分からないが、胸倉から手は離れていく。
「ですが、これはきっかけに過ぎません。彼の罪を白日の下に晒したのは、他でも無い、この事件で暗躍していた、もう1人の"犯罪者"です。
捜査官でありながら、情報をマスコミにリークした人物……」
足から伸びる影が、辿々しく引いていく。
「そうですよね? 安浦長八さん」
空の表情には、切なさが滲んでいた。
「動機は、歪んでしまったあなたの正義感。目的は、事件を公にし、国民の目を事件に向けさせる事で、犯人の動きを止めようとした… 」
「何の根拠があって言ってんだ?」
普段は余裕のあるゆっくりとした喋り方をする安浦が、初めて捲し立てるような口調を見せた。
「根拠はあります…が、あなたの刑事としての真念に問いたいんです。安浦 "刑事"…」
空の問い掛けに、安浦の力みは抜けていくように、腕は宙に浮いた。
「お前は、俺が教えた者の中でも、ダントツだった…。俺なんかをとんでもないスピードで追い越して行ったと思っていたが、いつの間にか背中も見えないくらい先へ行っちまっていたんだなぁ」
安浦は寂しそうに言った。諦の表情は、犯行の自供に他ならない。空は、心に悔しさが込み上げ、強く目を閉じた。
「いつから気づいていた?」
溜息の後に問う、安浦。
「それはどっちの質問ですか?」
空の言う"どっち"という問いに、ピクリの反応した後、穏やかに笑む、安浦。
「どっちもだよ。だが、、、まぁまずは、橋本望が首謀者だと確信した根拠を教えてくれないか?」
「最初に川東を取調べた時です。川東には、双極と言える程の二面性が見られました。まずは、これを観てください」
空は、取調べの映像をホロ展開した。
「川東が橋本望への想いを話している時です。観ての通り、とにかく饒舌なんです。それに、姿勢。俺から視線を一度も外す事無く、前のめりで話していた…」
「なのに、この部分、、、」
川東が『だから彼女のために…』と口にしたところで再生を止めた、空。
「言いかけた言葉を飲み込むように、言葉を変えた。それまでは、橋本望への昂ぶる"想い"や"感情"を語っていたのに、一転して、彼女に対する"行動"と"欲"を淡々と語るようになったんです。この変化の刹那、一度視線を落とし、座り直しています。恐らくは、自身と橋本望の関係性を口走りかけたのに気付き、焦って言葉を上塗りしたんだと思います。
では、川東が言いかけた、"彼女のため"という言葉にどういう意味が含まれているのか、という事ですが…。
そもそも、川東が抱く感情は、崇拝に近い。"自分の行動によって彼女を喜ばせる"事を最優先事項としている。それは、橋本望にとっても、一声で思い通りに動くのだから、都合が良かったでしょう。お互いの需要を理解しつつ、利用し合った。
だから、川東は、橋本望が首謀者である事実をうっかり喋りかけ、焦ったんです。"その事実が公になる事を望んでいない"事を十分理解していたし、自身の不注意によってgive & takeのバランスが崩れてしまう恐怖感に苛まれた」
空がデバイスを人指し指で突くと、ホロ表示していた取調べ映像はプツリと切れた。
「ですが、それだけでは橋本望を首謀者と決定付けるには弱い。だから、橋本望視点で事件を見てみたんです。すると、橋本望と他被害者で明確に異なる点あったんです。
それが、23人全員がアクセスしたサイトページ」
空が次にホロ展開したのは、被害者23人がアクセスしたサイトだった。
「一見、違いは見られませんが…」
そう言うと、ホロキーボードを出し、何やらカタカタと打ち始めた、空。
「こうすると、ページを形作るプログラムが表示されます。すると、見た目は同じ23サイトで、プログラム構成がかなり違うサイトが1つあります。つまり、このサイトが親サイト、admin権限を持つマスターなんです。そして、このマスターサイトにアクセスしていたのが、橋本望だった」
分かりやすくカラー化された差違部をよく見ると、素人でも分かる程、別の文字列が並んでいた。
「待ってくれ。サイト作成者は三島剛士朗じゃなかったのか? ユニークIDがどうとかって…。まさか、それも俺やマスコミを誤認させる為の───」
疑問に対して、行き着く疑念を確認した、安浦。自身の行いを鑑みれば、情報規制の対象となるのも当然ではあるが、寂しさが声から漏れる。
「いえ、それは本当に三島のIDです。ただし、三島のデバイスはウィルス感染によって踏台となっていました。つまり、敢えてIDが残るよう細工が施されていた。恐らく、捜査の過程で、被害者の共通点であるサイトに行き着く事を見越した、"何者か"の誘導でしょう。これも全て、橋本望の計画であったのか、については疑問ですけどね」
安浦の疑問を一蹴するように、空は言葉を被せる。
「話が逸れたので戻しますが、もう1つの疑問にもお答えします。やっさんは、"何故3階を確認しなかったのか"と言いましたよね?」
「あぁ」
「それは突入前に状況が分かっていたからなんです」
空のカミングアウトに、理解が追いつかず言葉が出ない、安浦。
「実は、この小型ミツバチドローン達が先行潜入していました。この子達の情報は、リアルタイムで送られ、俺達は警務車にいながら、電脳ワールドで作戦を立てていたんです」
空が右手を上に向けると、小型ミツバチドローンが何処からとも無く現れる。
「なので、橋本望と被害者達が体育館にいる事は分かっていましたし、被害者の"展示"や、自らを薬液装置に繋ぐ偽装工作の一部始終も、この子達を通じて現認していました」
空の周りを飛び回るミツバチドローンは、動きを止めると、目から潜入時に録画した映像をホログラム展開した。
その映像を只々無言で観る、安浦。
「ただ、最初にも言ったように、やっさんの目とマスコミを欺く必要がありました。なので、、、」
悟ったかのように、空の説明を遮って答えを言う、安浦。
「体育館には直行せず、わざわざ1階と2階を捜索した…。そういう事か」
空は、一言「はい」と答えた。
「橋本望の動機は何だ? "物心付き始めた時から、周りとの違いに気がついていた"と言っていたが…」
溜息と共に問う、安浦。
今更、橋本望が犯行に至った動機を知った所で、事実も結果も変わりはしないが、安浦なりに納得したかったのだ。
「橋本望は、家族や周囲から受ける印象や高評価にうんざりしていたんだと思います。彼女自身、"周囲が持つイメージ"と"本当の自分"が乖離している事に、幼い頃から気づいていたはずです。そして、成長に伴いそれは大きくなり、矛盾の中で、孤独とさえ感じる事もあったでしょう。
しかし、彼女の想いとは裏腹に、環境がイメージ通りの偶像を演じさせた。そして、演じ続けるうちに何が演技で、何が本当なのか、自分ですら分からなくなっていった。結果的に、イメージの乖離を作っていたのが、自分自身である事に気付いた時、橋本望の枷は外れ、犯行に駆り立ててしまった。
また、両親の話によると、医学分野に興味があり、医学誌や学術論文をよく調べていたといいます。秀才ゆえに、無際限に蓄積された知識が、皮肉にも犯行を後押ししたのかも知れません。
本人が死んだ以上、真相を確かめる術はありませんが、この事件は、社会によって創り上げられたとも言えるんじゃないでしょうか?」
空の推理に、安浦は切なくならざる得なかった。何故なら、社会有る限り、"社会悪"によって生まれる狂気は、一定数発生し得る事になるからだ。橋本望は一端でしか無いのだ。
「そうだな…」
安浦の呟きは、双者に無言の時間を与えた。
重苦しい空気を吹き消すような深呼吸の後、口を開く、安浦。
「それじゃあ、次。情報を洩らしたのが俺だと分かったのはいつだ?」
「最初からです。俺が最初、一課に出向いた時から。あの時、いや、今も左腕にデバイスを付けている。時代に逆行してでも、デバイスを毛嫌いしていたのに…」
空の指摘で、気付かされたかのように右手で左腕を取る、安浦。
「まぁ、その程度であれば、時計の代わりだとか、気分だとか、いくらでも言い訳が立ちますし、本当に気分で身に着けているって事だって有り得る。だから、取調べの直前、四課の立華に室内通信網を調べさせたんです。その結果、案の定、あなたのデバイスから捜査情報を流した痕跡が見つかった。それも、ウィルス感染などでは無く、意図的に。流出先は、週刊日報のジャーナリスト・牧田慎吾。やっさんが飼っていた情報屋の1人だ…。どうしてですか?」
眉間にシワを寄せ、懊悩の表情で問う、空。
「流石だよ…。そこまで完璧に抑えられてりゃ、弁明の余地すら無いな」
俯き、溜息にも近しい息を吐く、安浦。しかし、その意味は窮途末路によるものでは無く、むしろ開放感によるものだった。
「652件。俺が刑事になってからというもの、対処してきた事件の数だ。どれ1つ、忘れた事は無ぇ。事件の数だけ罪を犯す者がいて、それ以上に悲しむ者がいる。とれだけ社会システムが変わろうとも、この"負"が無くなることはない。36年間、何故無くならないかをずっと考えてきた。で、ある時思ったんだよ。未然に防げないのは、国民が事実を知らないからだって。朝起きて、飯食って、仕事や学校に出掛けて、帰ったらまた飯食って、風呂に入って、寝る。そんな当たり前だと思い込んでる日常のすぐ背合わせで、命を刈取るか刈取られるかの理不尽が存在しているとも気付かずに。事実を知るべきだ。そして、心に刻み、どうあるべきかを考えて生きるべきなんだ。いつだって自分が理不尽の当事者に成り得るんだから。
今回の事件だってそうだ。行方不明になったのは未成年だってのに、誰しもが他人事だと思っている。自分の娘が被害者になる可能性だって0じゃ無いっていうのによ。
だから、マスコミにリークしたんだ。国民にその目で、その感覚で事実を認識させるために」
犯行理由を話す安浦の目には、強い覚悟と意志が映っていた。空に暴かれて尚、自身の行いは正しいと信じているのだ。
「それでも、法を守り、法で裁く立場のやっさんが、法を犯してしまっては本末転倒ではないですか? やっさん、さっき言ったじゃないですか。"事件の数だけ悲しむ者がいる"って。やっさんの行いで悲しむ人の事を何故考えなかったんです!
マスコミによって晒し者にされた被害者と家族は、今や憶測報道のネタになっている。どれだけの綺麗事で取り繕っても、あなたの浅はかな行いは許されない」
咆哮の如し糾弾で、訴え掛ける、空。しかし、その想いが安浦に届くことはない。
「そうだな。お前が正しい。だがな、それは理想論だよ。今回の報道で、悪影響を受けた人達には同情するよ。だが、その反面、救われた人達がどれだけいると思う? 法に従っていては救えなかった人達だ。この世界では誰かが必ず傷付く。多いか少ないかだ。多少の犠牲で最悪を避けられるのなら、そうすべきなんだ」
諭す安浦。
「お前さんにも、今に分かる時が来る」
哀愁の笑みを向ける安浦に、首を横に振る、空。
「残念だよ」
安浦は吐き捨てるように言うと、胸ポケットから拳銃を取り出し、銃口を空に向ける。
空は微動だにせず、静かに目を閉じた。
「どうしてだ。お前なら俺が構えるより早くエンフォーサーを向けられたはずだ」
未だにエンフォーサーを抜かない空に、安浦は怒号を飛ばす。
「やっさんは、俺を撃てないからです」
ゆっくり目を開く、空。
「馬鹿言うな。これはアネスシーザーじゃ無く、ホンモノのリボルバーだ。引金さえ引けば、お前を殺せる」
人指し指に入る余計な力のせいで、手が震えていた。その事に、安浦は気づいていない。
「殺せませんよ。教え子を二度と失いたくないと思っているあなたには、到底できないはずだ。
それに殺すつもりなら、ハンマーはもう引いているはず。それじゃあ、どれだけ力を込めても引金は引けない。もう、止めにしましょう。やっさん…」
空は、一歩、また一歩と前へ進み、手を差し伸ばす。
安浦は、慌ててハンマーを引くが、銃口はブレて定まらない。
「く、来るな!」
銃口を自身の顳顬に当てる、安浦。息は荒く、過呼吸寸前だった。
「お前の言う通りだ。俺にはお前を殺せない。こうするしか無いんだ」
安浦は目を瞑り、人指し指を力強く引く。空は、手を伸ばし、声を上げた。刹那、まるで時間の流れが遅くなり、無音となる空間で、一発の銃声だけが響く。
時間が動きを取り戻し、音は振動し始める。最初に認識した音は、拳銃が地面を打ち付ける音だった。
「ァァァアアアア"」
声にもならない呻きを上げ、右手を庇うように蹲る、安浦。真っ赤に濡れた拳銃には、人指し指だけが掛かり、地面に落ちている。
空は、視線を約20メートル後ろのギャラリーに移す。そこにいたのは、エンフォーサーを構えた、梓だった。完璧且つ的確な狙撃だ。
空の視線に気付き、手を振る梓。今回ばかりは梓に助けてもらいっぱなしだっただけに、感謝も込めて小さく手を振り返す、空。
梓は満足そうな顔で、その場を後にした。
空は、蹲る安浦の前でしゃがみ、口を開いた。
「あなたを逮捕します」
「逮捕? 執行しないのか」
顔を上げる安浦に、空は強い目で応える。
「あなたは生きて罪を償うべきだ。生き恥を晒す事になったとしても、あなたは向き合うべきなんです」
空が手錠を取り出した、その時。安浦のデバイスからコールが鳴り響く。デバイスには、Unknownと表示されていた。
「やっさん…?」
空は安浦の異変に気付く。明らかに"何か"に怯えていたのだ。
空はデバイスを連動させ、録音ができる状態にすると、安浦のデバイスを勝手に操作し、応答した。
「誰だ?」
「こうして直接話すのは初めてだったかな? 井川空 刑事」
落ち着きがあり、安心感を錯覚させるような声色。初めて聞く声ではあるけれど、察しはついていた。
「お前は新宮那岐だ」
感情を押し殺すような声で名前を呼ぶ、空。
「ずっと"見ていた"。見事だったよ。相変わらず、君達四課とのゲームは楽しいよ。それに比べ、安浦長八さん、あなたには失望した。与えた道具はろくに使いこなせず、無様に逮捕され、生き死にすらも自分で決められないとは」
賞賛する四課に対し、安浦を冷めた声で蔑視した、新宮。明白な変化は、同一人物かを疑う程だった。
「お前にやっさんの何が分かる。他人に犯罪行為を唆すだけの三下が、偉そうにするなよ。何かを語りたきゃ、誰かを踊らせるんじゃなくて、お前が舞台に降りてこいよ」
珍しく感情をコントロールできず、苛立ちを見せる、空。
「フフッ。その通りだよ。だがね。着眼点が違うよ。井川空 刑事。その男は、唆されて犯罪に手を染めた訳では無い。最初から持ち合わせていたんだよ。僕は、きっかけを与えたに過ぎない。まぁ、徒労だった訳だが、"最期"はせめても華々しく有るよう期待しているよ。
井川空 刑事。君とはもっと語り明かしたいが、それは君が生きていた時に取っておこう。楽しみにしているよ」
一方的に切られた通話。冷静さを取り戻す中で、空は異変に気付くが、もう遅かった。
体育館を含む、廃校舎に仕掛けられた爆弾が一斉に爆発する。一瞬で瓦礫の山と化した廃校。真っ赤な炎と真っ黒な煙は、天空を焦がした。