FILE.34 洗脳社会に生まれし癌細胞
公安庁舎の正門前は、多数の報道陣で溢れ返っている。辛うじて、正門警務ドローンが堰き止めているが、いつ突破されてもおかしくない状況であった。
「正面は無理そうね」
遠くから様子を伺う、梓と四課メンバー。
「緊急出入口を使うしか無いね。ハニー!ルート案内お願い」
陽菜の指示に、AI・ハニーは「りょうか〜い☆」と返答すると、四課メンバー全員のデバイスにルートを示したマップを表示した。
7人は顔を見合わせ、小さく頷くと、その場から姿を消した───。
四課オフィス。
「まさかあんな出入口があったなんて」
愛華は驚く。ドローン格納庫に隠し出入口があるなんて思ってもみなかったからだ。
「緊急時の出入口だからね。警視長以上の権限が無いと知り得ないのよ。愛華ちゃんも他言無用だよ?」
陽菜はにこやかにウインクした。
「班を2つに分ける」
梓は唐突に宣言する。それはいつもの事で、班を二分化することに不自然は無いのだが、驚いたのは班分けメンバーだった。
「1班を空と私。2班を陽菜、遼子、深月、雫さん、愛華の5名に分ける」
梓の判断に疑問を持ったのは、雫と愛華だった。
「待て。何故、人数に偏りを作った? 私達は今回の犯人像を掴めていない。複数か単独か、思想や動機も分からない相手だ。班分けは良いとしても、戦力は均等にすべきじゃないのか?」
雫にとって2人は、シラットという武術を通じた弟子だ。当然、2人の戦力を過小評価をしているわけでは無かったが、相手の情報が無さ過ぎる以上、心配でならなかった。
「雫さんはツッコんでくると思ったわ。その様子だと、愛華も疑問に思っているのよね。いいわ。理由を説明しましょう」
2人の疑問には理解を示す、梓。
「その前に、本件の首謀者が誰なのか、という事から話さなきゃね。空。お願い」
これまで、鼻先すら掠らなかった黒幕の存在。だが、梓と空は特定までしている。これに、雫と愛華は驚く。
「黒幕にして首謀者は─────」
公安庁地下駐車場。
光源の乏しい地下駐車場に一筋の光が差す。その光は次第に幅を増し、数名の人影がじわっと現れる。
エレベーターから出てくる、第四課の6人。それを待っていたかのように、現れた人影は、四課の行く手を阻むように目の前に立った。
「やっさん…」
最初に反応したのは空だった。
「無理を承知で頼みに来たんだ。俺を捜査に加えてくれんか? 頼む」
定年間近のベテラン刑事は頭を下げた。
安浦にとって、この事件が最後になるだろう。36年間、葛藤を抱えながら捜査に携わってきた男が最後に願ったのは、この猟奇事件の被害者が1人でも多く救われる事だった。
「残念ですが、その申し出を了解する事は…」
梓は断りを入れかけたが、空は静かに首を横に振って阻んだ。
「顔を上げてくれ、やっさん。この事件は元々、やっさんが追っていた。だから、やっさんにはケジメを付ける権利がある。力を貸してください」
空は手を差し出した。
「ありがとう…ありがとう…」
頭を下げたままの安浦は、声を震わせながら手を取った。
その様子に、空は四課メンバーを見渡し、小さく頷く。
「空…」
少し間を空け、空の真意を理解したかのように、梓もまた小さく頷くいた。
「時間がありません。事件の黒幕と被害者達の居場所を移動しながら話します」
空に先を促された安浦は、突き動かされるように頭を上げると、警務車へと乗り込んだ───。
───警務車内。
「ねねッ、私達、警務車に乗り込んだは良いけど、表ってマスコミだらけじゃ無かったっけ? 」
珍しく、まともな事実を口にする深月。一同は目を丸くする。
深月の言う通り、正面入口に押し掛けていたマスコミは、警務車の姿を見ると、カメラを向け雪崩のように押し寄せる。
「大丈夫よ! AASは解除したから♪ 」
目を光らせた陽菜は、サラッと恐ろしい事を口にした。車を運転すると人が変わるという人はいるものだが、陽菜もそのタイプなのかもしれない。
全自動で動く現代の自動車において、自律自動ブレーキシステム、通称:AASは、事故軽減に大きく左右する。警務車にも当然搭載されており、原則、解除は違法である。
そんな大事なシステムを解除したという事は、目的地まで止まる事なく、突破するという事だ。
「えぇ!? そ、そんな事したら…」
愛華の予想は的中する。
数で押し寄せれば止まると高を括るマスコミだったが、容赦無く突っ込んで来る警務車に、悲鳴と共に道を開ける。無理矢理に開かれた道を堂々と進む警務車は、正門を出てしまう。
「ね! 大丈夫だったでしょ♪」
陽菜は悪魔のような笑顔をしていた。
「愛華、深月が陽菜に頭が上がらない理由が分かったろ?」
引き攣った苦笑いの遼子に、愛華は無言で首を縦に振った。
一方、深月はというと、ジェットコースターにでも乗っているかのようにゲラゲラと笑っていた。
******
「首謀者及び被害者の位置特定に至った経緯は以上です」
空は、安浦に被害者の共通点から割り出した、"居場所"の特定経緯を説明した。
「なるほどな。俺達一課は、事件を一方向でしか見ていなかった。犯人の仕掛けた罠にまんまと引っ掛かっていた訳か…。それで、犯人は一体誰なんだ? 」
犯人の情報開示を急かす、安浦。
「この男です」
車内にホロ情報が展開される。それを前のめりで見る、安浦。
「三島剛士朗。34歳。都内の予備校に勤務する国語教師です。何でも、彼の授業を受けると学力スコアが上がると專らの評判で、そのカリスマ性に加え、爽やかなマスクは、女子学生や母親から圧倒的な支持を集めていたようです。
ただ一方、容姿の良い学生へのセクハラ疑惑も絶えなかったようです。実際、個別指導を受けた一部の女子学生にメンタル汚染が見られ、2年間で5人が自殺しています」
空は、自殺した女子学生の情報と共に、当時のニュース記事もホロ表示した。
『予備校で相次ぐ自殺。学力スコアが及ぼす心的負荷』の見出しで一面を飾っていた。
「明らかに怪しいじゃないか」
前のめりだった身体を起こし、腕を組む、安浦。
「はい。状況的には。実際、自殺者5人の共通点が三島だった事から、当時の二課が捜査対象としてマークしていました。しかし、1ヶ月で証拠不十分になってます」
二課の捜査資料が展開する、空。それを見て、安浦は唸るように考え込む。
「でも、どうしてこの男が本件の犯人になるんだ? 」
「被害者がアクセスしたサイトのスクリプトに残っていたデバイスIDです。逆探したところ、三島のIDである事が判明しました。
通常、プログラムを構築すると自動的に入力端末の製番、つまりデバイスIDが記録されます。ただ、この事を知っている人は意外に少ないんです。それこそ、"立華"レベルのハッカーであれば、構築したプログラムから痕跡を消すのは常識でしょう。しかし、三島は素人だった。気付かず痕跡を残したんだと思います」
空の説明に、安浦は物足りなさを感じていた。確かに、サイトページに残ったユニークIDは証拠にはなり得る。しかし、三島を犯人と断定するのに、それだけでは弱い。刑事であれば誰しもが感じるところだが、まるで決め付けているような動きに、本来の四課らしさを感じ無い、安浦。
釈然としないままではあったが、安浦を乗せた警務車は、現場目前だった。
千葉区 某地区廃校。
廃校というものは、"負"が集まりやすい。幽霊や怪奇現象といった非科学の話では無く、"人"がその地にマイナスな感情を向けるが故に、"負"のエネルギーが溜まるのだ。"人"はそういった"負"に影響を受けやすい。引っ張られると言っても良いだろう。思わぬ思考を巡らせ、思わぬ行動に出てしまうのだ。
校内に侵入後、二手に別れた、四課メンバーと安浦。陽菜、遼子、深月、雫、愛華の5人は、光学迷彩で身を隠し、闇へと姿を消す。
当初の計画と異なる点は、安浦の存在だ。
光学迷彩を四課以外で実戦使用している課は無く、事実上、四課の特権使用となっている。
ゆえに、安浦も使用できないのが現状だ。
また、特権といえば、特課である四課メンバーは、各自の判断で容疑者の即時執行、すなわちエンフォーサーによる法的殺害が認められている。ただし、四課以外の課でのエンフォーサー使用は認められておらず、使用するのは麻酔銃であるアネスシーザーだ。行動を共にする安浦も例外ではない。
以上の事から、梓と空は、作戦の一部を変更し、遂行していた。
先行する梓は、手信号を送る。慣れた動きはまるで、獲物を追う狼のようだった。
各部屋を確認しながら、廊下を進む3人。人気は一向に感じられず、ただ廃墟と化した古びた校内を、鬼ごっこしているようだった。
1階と2階には、犯人はおろか、被害者の姿は無く、残るは3階と体育館だった。階段を正面に、上がれば3階、右に進めば渡り廊下の先に体育館という構造になっている。
二手に別れる事もできるだろうが、犯人側の戦力が分からない以上、2:1に別れるのは得策ではない。
文字通り、別れ道となった階段を前に、安浦は焦っていた。選択次第では、犯人に時間を与える事になる。そうなれば、犯人の逃亡もそうだが、助けられる命が助けられなくなる。
そうした安浦の焦りを知ってか知らずか、梓は、階段の一段目に足を掛けたところで、足を止めた。そして、数秒間上を見つめると、
「校舎にはいないわね」
と呟き足を下ろした。
「じゃあ、やっぱり体育館なんだね」
空は確認するように梓を見て頷く。梓も頷き返し、2人は体育館の方へと走っていった。
その状況が、安浦にとっては不可解であった。2人の考えがまるで分からないのだ。何故、3階は調査せず、犯人と被害者は体育館にいると確信できたのか、そして、空が言った"やっぱり"とはどういう意味なのか。
安浦は、3階を尻目で擦りながらも2人を後を追う。そして、体育館へと足を踏み入れ、絶句する。
「こ、これは……」
目に映る光景は、まさに身の毛がよだつという言葉がふさわしい。足が震え、立っていることさえ困難に感じる、安浦。
「生きています。今はまだ…」
唐突に答える、空。
安浦はハッとする。目の前で起こっている、不可解に対する答えとしては的確であり、残酷な事実だからだ。そう、安浦の目に映っているのは、全身の皮膚が剥がされ、筋肉や臓器が露わになった、人体標本と化した21体だった…。
薬品漬けされた身体は、ワイヤーで固定されている。独特なポージングはまさしく"展示"を意識しているのだろう。
そして、空が言った、"生きている"という意味を理解した時、安浦は自身の感情に恐怖を覚える。
このような醜悪な姿に変えられても、剥き出した心臓は鼓動し、眼球は動いている。まるで、"生"にしがみつくかのように、必死で生きているのだ。
安浦はそれを美しいと思った。だが、同時に"美しい"という感想を抱いたという事は、歪んだ犯罪心理を理解し、狂気に身を堕としたという事実を証明したことになる。いや、狂気に呑まれたのでは無く、元々、狂気側の人間だったのかも知れない。
安浦は、絶望と狂気の狭間で力が抜けたように跪いた。
一方、梓と空は、アリーナに"展示"された瀕死の被害者には目もくれず、ある人物を捜索していた。
「クリア…」
真っ暗闇の器具庫にエンフォーサーを向ける、空。梓と共に、音も無く入る。
視界不良の中、たしかに感じる悪寒にも似た不快感が、肌を刺す。梓と空は、負の奔流へと足を踏み入れていた。
「!?」
"何か"に気付いた梓は、咄嗟に空の前に左腕を出し、静止した。
梓は辺りを目で追いながら、ゆっくりとしゃがみ込むと床にデバイスを向ける。すると、突然、赤い光線がぼんやりと現れ、足元を照らした。
梓は、デバイスをライト機能に切り替え、床に向けたデバイスを垂直に動かした。
「見つけたわ」
空は、照らされた先を見て息を呑む。
そこに"いた"のは、拘束具によって椅子に固定された、橋本望であった。
見たところ、手足には無数のチューブが繋がれている。そして、左腕、厳密には指先から肘にかけては、赤黒く変色していた。
まだ、生きてはいるのだろうが、被害者まで数メートル離れた位置からでは、意識の有無までは確認できない。しかし、問題なのは、橋本望の右下に設置された装置から、チューブを通して絶えず液体が注入されているという事だ。
「梓姉…これ」
「うん。あの装置が、彼女の左腕に注入する薬液量をコントロールしているのね。徐々に注入して、カラになったら、右腕か足のどちらかの薬液が注入されていく仕組みね。薬液の全注入時間は、せいぜい15分ってところかしら。
たぶん、土田真央さんや、アリーナで標本にされた被害者達と同じ薬液だろうね。このままでは彼女は死ぬし、左腕はもうダメかも。
それに、このレーザーポインターはセンサーね。たぶん、この先の空間に張り巡らされているんだと思うわ。少しでも触れると、全ての薬液が一度に注入されて、彼女は死ぬ。でも、装置をハッキングする為に、陽菜を呼んでいる時間は無い。
つまり、私達が動かなければ彼女は死ぬし、間違えた行動をしても彼女は死ぬ。癪に障るけど、試されているわ」
冷静な現状把握で、状況整理をする、梓。
「装置を解除するには、あそこまで行かなきゃいけない。でも、あそこまで行くためにはセンサーを突破しなきゃいけない…か」
溜息混りに呟く、空。装置を見つめ、何通りもの策を脳内シュミレーションするが、最善策には何かが足りない。
刻一刻を争う状況で、数億通りの中、たった1つの正解を導き出さなくてはいけない。状況は最悪だ。
「何とかならないのか?」
背後から弱々しい声が聞こえた。器具庫入口に、憔悴しきった様子で立ち竦む、安浦の姿がそこにあった。
梓は、安浦を見向きもせず、レーザー光を見つめている。そして、指で光が差す方向を指差し始めたのだ。
「解けたわ」
梓は、ポケットから鏡を取り出すと、レーザー光に30度の角度に置いた。
「そうか。散乱か」
空は、盲点を突かれたかのように声を上げる。
「流石、空。気付くのが早いわ。
光の進路に反射許容範囲ギリギリの角度で反射物を置くと、光源の0.1%以下で回折した光波や光の粒子が、反射物と衝突して方向が変わる、レイリー散乱が発生するわ。ここで重要なのが、光源からさらに微弱な割合で発生したエネルギーが、入射した光子とは異なるエネルギーで散乱するということ。このラマン散乱を利用する事で、張り巡らされたセンサー全体に光的影響が与えられるわ」
梓はそう言いながら立ち上がると、センサーが張り巡らされているはずの空間に、躊躇無く足を踏み入れていく。
装置の元に辿り着くと、再びしゃがみ込んでは装置をイジり、意図も簡単に解体してしまう、梓。
その早業に、空は脱帽する。本来、スーパーコンピューターを使って弾き出すレベルの膨大な予測演算を、たった数分で導き出し、演算通りの結果を為してしまったのだ。とどのつまり、天才という他ない。
身体からチューブが外され、ひとまず椅子ごとアリーナに運び出される、橋本望。
彼女に、安浦は必死で呼び掛ける。何度も、何度も…。その想いが届いたのか、橋本望は静かに目を開ける。
「もう大丈夫だからな。自分の名前、分かるか?」
安浦の質問に、橋本望はゆっくりと頷いた。
「良かった。本当に良かった……生きていてくれてありがとう…」
安浦は、声を震わせながら、橋本望の右手を強く握った。
空が辺りを見渡すと、標本化された1人に近寄る。目からは涙が溢れ落ちていた。
「もう苦しまなくても良いんだ…。遅くなってごめん。ちゃんと家族の元へ帰すから。だから、今はもうおやすみ」
空の一言が手向けとなったかは分からない。だが、安心したかのような吐息が漏れる。そして、その後、彼女が息を吸うことは無かった。
行方不明者23人中、生存者は1人。首謀者の姿も無く、最悪な結果として幕を閉じる。
そのはずだった………。
「お、おい…。何してんだ?」
異変に気付いた安浦は、目を疑う。
梓は、事もあろうに被害者・橋本望にエンフォーサーを向けていたのだ。
「……。」
冷酷無慈悲にエンフォーサーを向ける、梓。
標本化された被害者達の最期を見届けた空も合流する。梓とは、橋本望を挟んだ対面で足を止めた。
「井川。お前んとこの嬢ちゃんがおかしいんだ。頼む。銃を下げるように言ってくれ」
必死に訴える、安浦。だが空は、その想いを拒絶するように目を閉じる。
「その子が黒幕なんです」
時が止まったかのような間。いや、本当に時は動きを止めたのかもしれない。もしかすると、世界は色を失い、灰色一色となっていたのかもしれない。そのくらい、濃い一瞬だった。
「は? な、何を言ってんだ? 冗談でしたじゃ済まねぇぞ?」
焦る、安浦。
「いい加減、猫を被るのは辞めたらどう? あなた、詰んでるのよ?」
庇い立てする安浦など其方退けで、エンフォーサーを向ける、梓。
「待ってくれ。竹内 警視監。犯人は、三島剛士朗じゃなかったのか? この子は、さっきまで死にかけていたんだぞ。見てくれ、今だって震えている」
エンフォーサーの前に跪き、手を広げて橋本望を庇う、安浦。額からは大量の汗が滲み出ては、床に落ちる。
「それは身震いよ。この状況が面白くってしょうが無いのよね?」
梓の指摘に、橋本望の肩の震えはどんどん大きくなっていく。
「プッ…。アハハハハハハハ!!!!」
堰を切ったように、嗤い声が響き渡る。溢れ出る、狂気の表情と共に。
「ふぅ〜。バレちゃったならしょうが無いよね。そ! 私がぜ〜んぶ仕組んだの」
一頻り嗤うと一転、笑顔でネタバラシする、橋本望。
「そ、そんな馬鹿な…」
腰を抜かしたように尻を付く、安浦。その目に映るのは、先程までの衰弱した少女では無く、狂気に満ちた悪魔だった。
そして、安浦はハッとする。
「三島…三島剛士朗は?」
「この子が殺したのよ」
梓は答えた。
「そんな、、、猟奇殺人なんてできないくらい大人しい子だったと周りの評判があったはずだろう? 何故…いつからそんな風に…」
必死な安浦を、蔑むように見ていた、橋本望。その表情に、安浦が橋本望に錯覚していた人物像が崩れていく。
「いえ、いつからっていうのは変わるキッカケがあった者に使う言葉ですよ。やっさん。そいつが他者との違いを感じ始めたのは、物心がつき始めた3、4歳頃だと思いますよ」
安浦の言葉を遮るように指摘する、空。
「何で分かるのー? そうなんだよね。だから、幼稚園の頃、先生に『人を傷付けてはいけません』って言われたことがあるんだけど、しっくりこなかったの? でね、『何で?』って聞いたんだけど、結局納得できる答えは返ってこなかったんだよね。それで、私なりに考えてみたんだけど、本当は人を傷付けちゃいけない理由なんてはっきり無くて、皆そう言われて育ってきたから、次の世代にもそう教えてるだけなんじゃないかって思ったんだ。
で、ある時思ったの。人を殺してみれば答えは見つかるかもって。でも、人って殺したくても、そんな簡単に殺せないものでしょ? いや、殺せるけど、後片付け大変だったりするでしょ? だから、なかなか機会に恵まれなかったんだよね。
そんな時だったなぁ。突然その時はやってきたの」
まるで楽しい思い出を語るかのような口調の橋本望。
「塾講師を殺した時だな?」
追求する、空。
「そんな事まで分かるの? すごいね。なんだか好きになりそう♡」
空に向けるうっとりとした表情は、まるで男を誘惑する夢魔のようだった。
「私に献身的なフリして襲ってきたの。その時、ビビッと来たわ。抵抗に見せかけて殺すチャンスだって!」
「嘘つくなよ。"襲って来た"んじゃ無く、"襲わせた"だろ。塾講師が献身的に接したくなるようキャラ作りして、誘導した。そうだな?」
艶めかしく唇を指で触り、妖艶な笑みを浮かべる、橋本望。
「そうだよ♡ でもね。先生を殺してみても、やっぱり分からなかったなぁ。人を傷付けちゃいけない理由。
あっ、でもその代わりに分かった事があったの! 人って、魂が宿るから汚く腐っていくけど、器としての肉体は綺麗だなって。見た目を捨てて、肉と骨だけになれば、いつまでも美しさを保っていられるって。
その時、人の美しさをもっと形あるものでお披露目したい、そう思ったわ」
「だから、川東燐を利用して、女子学生を拉致させた。川東とはどこで出会った?」
まるで取調べを行うように追求する、空。
「んーっと、マッチングアプリ…だっけ? 今って、国民何とかシステムってのが、理想の結婚相手まで選んでくれるでしょ? でも、そういうのじゃ満足できない不適合な人も一定数いるんだってー。それで何十年も前に主流だったマッチングアプリの残ったプログラム?が未だに使われてるって教えてもらったから始めてみたんだよね。そういうのを利用する人は、飢えてるから、心に付入りやすいって教えてくれたんだ」
行いを隠すどころか、平然と誇らしげに口にする橋本望。彼女は間違いなく、反社会性パーソナリティ障害であろう。
しかし、空が気になったのは、その精神疾患を利用し、犯罪を創造している者の存在だった。
「誰に?」
「先生だよ! 電話でいろいろ教えてくれるの。先生の言う通り、欲に飢えている人ばっかだった。
あの…誰だっけ? 太った人も気持ち悪いくらい求めてきてさ。私のコレクションは綺麗じゃないとって思って相談したら、同世代の女子、中でも今を絶望している子が良いって先生が教えてくれたの!」
"先生"と呼ばれるその存在を、この場で特定するのは難しいだろう。空は話を進めた。
「それで川東は殺さず、利用した…と」
笑顔で頷く橋本望。空は溜息を吐く。
「話を変えよう。土田真央は何故、処理半ばで遺棄した?」
橋本望にとって綺麗なコレクションは多い方が良いはずだ。土田真央とその他で何が違うのか…。だが、その答えは呆気ないものだった。
「あの子ね。私も残念だよ? でも、あの太ったキモイ人がさ、私の目を盗んで汚したの。最低じゃない? だから、2人とも出てってもらったの」
溜息混じりで答える、橋本望。
「なるほど。君の事、ある程度分かったよ。子供の頃から素直で真面目。大人しくも友達は多い。そういう人間像を創り出し、周囲の大人に認識させていたんだろ? 洗脳のように」
空が指摘した、"洗脳"という言葉にピクリと反応を示す、橋本望。
「洗脳ね。でも、あなた達だって洗脳されているじゃない。人を殺してはいけませんって、誰の価値基準? 人殺しは間違いなの? その理由は? まさか可哀想だから? ハッ、理屈にもならないわ。そうやってよく分からない基準を教育だの、倫理だの、道徳だのって、体良く洗脳して、思考を矯正させているだけじゃない。私の考えは間違っているかしら」
抑えていた狂気が止めど無く溢れ出す。肘置きを動く右手で殴り付け、怒りのままに自分の理屈を吐き出す様は、今までに出会ってきた犯罪者の中でも指折りだ。
「いや、間違っていない。でも、この社会という共通の意志では、明らかに異端だ。癌細胞のようにな」
空は橋本望を否定する。ゆっくりとエンフォーサーを向け、引金に指を掛けた。
「癌細胞…ね」
その言葉を聞き、歪んだ笑みを浮かべる、橋本望。何か意味深く思えてならない、空。
「まぁ、いいわ。私の作品は完成したの。美しいでしょう? これでもう、この世に未練は無い。お膳立てしてくれた、"新宮"先生には感謝しなきゃ」
梓と空が目を剥く。
「"新宮"…だと?」
「あぁ、楽しかったぁ…」
満たされた表情の橋本望。直後の不審な口の動きに、梓は気付く。
「待ちなさい」
梓は、ぐったりとした橋本望の口を抉じ開けるが、、カプセル錠は噛まれた後だった。
行き場の無い感情が押し寄せ、拳で床を殴る、安浦。鈍く低い音が広い体育館に響き渡った。