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公安四課  作者: やん
35/52

FILE.34 洗脳社会に生まれし癌細胞

公安庁舎の正門前は、多数の報道陣(ほうどうじん)(あふ)れ返っている。(かろ)うじて、正門警務(せいもんけいむ)ドローンが()()めているが、いつ突破(とっぱ)されてもおかしくない状況であった。


「正面は無理そうね」

遠くから様子を(うかが)う、(あずさ)と四課メンバー。


緊急出入口(きんきゅうでいりぐち)を使うしか無いね。ハニー!ルート案内お願い」

陽菜(ひな)の指示に、AI・ハニーは「りょうか〜い☆」と返答すると、四課メンバー全員のデバイスにルートを示したマップを表示した。


7人は顔を見合わせ、小さく(うなず)くと、その場から姿を消した───。



四課オフィス。


「まさかあんな出入口があったなんて」

愛華(あいか)(おどろ)く。ドローン格納庫に隠し出入口があるなんて思ってもみなかったからだ。


緊急時(きんきゅうじ)の出入口だからね。警視長(けいしちょう)以上の権限(けんげん)が無いと知り得ないのよ。愛華ちゃんも他言無用(たごんむよう)だよ?」

陽菜はにこやかにウインクした。


「班を2つに分ける」

梓は唐突(とうとつ)に宣言する。それはいつもの事で、班を二分化(にぶんか)することに不自然は無いのだが、(おどろ)いたのは班分けメンバーだった。


「1班を(そら)と私。2班を陽菜、遼子(りょうこ)深月(みつき)(しずく)さん、愛華の5名に分ける」

梓の判断に疑問を持ったのは、雫と愛華だった。


「待て。何故(なぜ)、人数に(かたよ)りを作った? 私達は今回の犯人像を(つか)めていない。複数か単独か、思想や動機(どうき)も分からない相手だ。班分けは良いとしても、戦力は均等(きんとう)にすべきじゃないのか?」

雫にとって2人は、シラットという武術を(つう)じた弟子(でし)だ。当然、2人の戦力を過小評価(かしょうひょうか)をしているわけでは無かったが、相手の情報が無さ過ぎる以上、心配でならなかった。


「雫さんはツッコんでくると思ったわ。その様子だと、愛華も疑問(ぎもん)に思っているのよね。いいわ。理由を説明しましょう」

2人の疑問(ぎもん)には理解を示す、梓。

「その前に、本件(ほんけん)首謀者(しゅぼうしゃ)が誰なのか、という事から話さなきゃね。空。お願い」


これまで、鼻先すら(かす)らなかった黒幕(くろまく)の存在。だが、梓と空は特定までしている。これに、雫と愛華は(おどろ)く。


黒幕(くろまく)にして首謀者(しゅぼうしゃ)は─────」



公安庁地下駐車場。


光源の(とぼ)しい地下駐車場に一筋(ひとすじ)の光が()す。その光は次第に幅を増し、数名の人影(ひとかげ)がじわっと現れる。


エレベーターから出てくる、第四課の6人。それを待っていたかのように、現れた人影(ひとかげ)は、四課の()く手を(はば)むように目の前に立った。


「やっさん…」

最初に反応したのは空だった。


「無理を承知(しょうち)で頼みに来たんだ。俺を捜査(そうさ)に加えてくれんか? 頼む」

定年間近のベテラン刑事は頭を下げた。


安浦(やすうら)にとって、この事件が最後になるだろう。36年間、葛藤(かっとう)(かか)えながら捜査(そうさ)(たずさ)わってきた男が最後に願ったのは、この猟奇事件(りょうきじけん)の被害者が1人でも多く救われる事だった。


「残念ですが、その申し出を了解する事は…」

梓は断りを入れかけたが、空は静かに首を横に振って(はば)んだ。


「顔を上げてくれ、やっさん。この事件(ヤマ)は元々、やっさんが追っていた。だから、やっさんにはケジメを付ける権利がある。力を貸してください」

空は手を差し出した。


「ありがとう…ありがとう…」

頭を下げたままの安浦(やすうら)は、声を(ふる)わせながら手を取った。


その様子に、空は四課メンバーを見渡し、小さく(うなず)く。


「空…」

少し()()け、空の真意(しんい)を理解したかのように、梓もまた小さく(うなず)くいた。


「時間がありません。事件の黒幕(くろまく)と被害者達の居場所を移動しながら話します」

空に(さき)(うなが)された安浦(やすうら)は、突き動かされるように頭を上げると、警務車(けいむしゃ)へと乗り込んだ───。



───警務車内。


「ねねッ、私達(あたしら)警務車(けいむしゃ)に乗り込んだは良いけど、(おもて)ってマスコミだらけじゃ無かったっけ? 」

(めずら)しく、まともな事実を口にする深月。一同は目を丸くする。


深月の言う通り、正面入口に押し掛けていたマスコミは、警務車(けいむしゃ)の姿を見ると、カメラを向け雪崩(なだれ)のように押し寄せる。


「大丈夫よ! AASは解除したから♪ 」

目を光らせた陽菜は、サラッと恐ろしい事を口にした。車を運転すると人が変わるという人はいるものだが、陽菜もそのタイプなのかもしれない。


全自動で動く現代の自動車において、自律自動(じりつじどう)ブレーキシステム、通称:AASは、事故軽減(じこけいげん)に大きく左右(さゆう)する。警務車(けいむしゃ)にも当然搭載(とうさい)されており、原則、解除は違法である。

そんな大事なシステムを解除したという事は、目的地まで止まる事なく、突破(とっぱ)するという事だ。


「えぇ!? そ、そんな事したら…」

愛華の予想は的中する。


数で押し寄せれば止まると(たか)(くく)るマスコミだったが、容赦無(ようしゃな)く突っ込んで来る警務車(けいむしゃ)に、悲鳴(ひめい)と共に道を()ける。無理矢理(むりやり)に開かれた道を堂々(どうどう)と進む警務車(けいむしゃ)は、正門を出てしまう。


「ね! 大丈夫だったでしょ♪」

陽菜は悪魔のような笑顔をしていた。


「愛華、深月が陽菜に頭が上がらない理由が分かったろ?」

引き()った苦笑(にがわら)いの遼子に、愛華は無言で首を(たて)に振った。


一方、深月はというと、ジェットコースターにでも乗っているかのようにゲラゲラと笑っていた。



******


首謀者(しゅぼうしゃ)及び被害者の位置特定(いちとくてい)(いた)った経緯(けいい)は以上です」

空は、安浦(やすうら)被害者(ひがいしゃ)の共通点から割り出した、"居場所"の特定経緯(とくていけいい)を説明した。


「なるほどな。俺達一課は、事件を一方向でしか見ていなかった。犯人の仕掛(しか)けた(わな)にまんまと引っ掛かっていた訳か…。それで、犯人は一体誰なんだ? 」

犯人の情報開示を()かす、安浦(やすうら)


「この男です」

車内にホロ情報が展開される。それを前のめりで見る、安浦(やすうら)


三島剛士朗(みしまごうしろう)。34歳。都内の予備校(よびこう)に勤務する国語教師です。何でも、彼の授業を受けると学力スコアが上がると(もっぱ)らの評判で、そのカリスマ性に加え、(さわ)やかなマスクは、女子学生や母親から圧倒的な支持を集めていたようです。

ただ一方、容姿(ようし)の良い学生へのセクハラ疑惑(ぎわく)()えなかったようです。実際、個別指導を受けた一部の女子学生にメンタル汚染が見られ、2年間で5人が自殺(じさつ)しています」

空は、自殺した女子学生の情報と共に、当時のニュース記事もホロ表示した。


『予備校で相次ぐ自殺。学力スコアが及ぼす心的負荷』の見出しで一面(いちめん)(かざ)っていた。


「明らかに怪しいじゃないか」

前のめりだった身体(からだ)を起こし、腕を組む、安浦(やすうら)


「はい。状況的には。実際、自殺者5人の共通点が三島(みしま)だった事から、当時の二課が捜査対象(そうさたいしょう)としてマークしていました。しかし、1ヶ月で証拠不十分(しょうこふじゅうぶん)になってます」

二課の捜査資料が展開する、空。それを見て、安浦(やすうら)(うな)るように考え込む。


「でも、どうしてこの男が本件の犯人になるんだ? 」


「被害者がアクセスしたサイトのスクリプトに残っていたデバイスIDです。逆探(ぎゃくたん)したところ、三島(みしま)のIDである事が判明しました。

通常、プログラムを構築(こうちく)すると自動的に入力端末の製番(せいばん)、つまりデバイスIDが記録されます。ただ、この事を知っている人は意外に少ないんです。それこそ、"立華(たちばな)"レベルのハッカーであれば、構築したプログラムから痕跡(こんせき)を消すのは常識でしょう。しかし、三島(みしま)素人(しろうと)だった。気付かず痕跡(こんせき)を残したんだと思います」

空の説明に、安浦(やすうら)は物足りなさを感じていた。確かに、サイトページに残ったユニークIDは証拠にはなり得る。しかし、三島(みしま)を犯人と断定(だんてい)するのに、それだけでは弱い。刑事であれば誰しもが感じるところだが、まるで決め付けているような動きに、本来の四課らしさを感じ無い、安浦(やすうら)


釈然(しゃくぜん)としないままではあったが、安浦(やすうら)を乗せた警務車(けいむしゃ)は、現場目前(もくぜん)だった。



千葉区 某地区廃校。


廃校(はいこう)というものは、"負"が集まりやすい。幽霊(ゆうれい)怪奇現象(かいきげんしょう)といった非科学(ひかがく)の話では無く、"人"がその地にマイナスな感情を向けるが(ゆえ)に、"負"のエネルギーが()まるのだ。"人"はそういった"負"に影響を受けやすい。引っ張られると言っても良いだろう。思わぬ思考を(めぐ)らせ、思わぬ行動に出てしまうのだ。


校内に侵入後、二手(ふたて)に別れた、四課メンバーと安浦(やすうら)。陽菜、遼子、深月、雫、愛華の5人は、光学迷彩(こうがくめいさい)で身を(かく)し、(やみ)へと姿を消す。


当初の計画と異なる点は、安浦(やすうら)の存在だ。

光学迷彩(こうがくめいさい)を四課以外で実戦使用(じっせんしよう)している課は無く、事実上、四課の特権使用となっている。

ゆえに、安浦(やすうら)も使用できないのが現状だ。

また、特権といえば、特課(とっか)である四課メンバーは、各自の判断で容疑者の即時執行(そくじしっこう)、すなわちエンフォーサーによる法的殺害(ほうてきさつがい)が認められている。ただし、四課以外の課でのエンフォーサー使用は認められておらず、使用するのは麻酔銃(ますいじゅう)であるアネスシーザーだ。行動を共にする安浦(やすうら)も例外ではない。


以上の事から、梓と空は、作戦の一部を変更し、遂行(すいこう)していた。


先行(せんこう)する梓は、手信号を送る。()れた動きはまるで、獲物(えもの)()(おおかみ)のようだった。


各部屋を確認しながら、廊下(ろうか)を進む3人。人気(ひとけ)一向(いっこう)に感じられず、ただ廃墟(はいきょ)()した古びた校内を、鬼ごっこしているようだった。


1階と2階には、犯人はおろか、被害者の姿は無く、残るは3階と体育館だった。階段を正面に、上がれば3階、右に進めば渡り廊下(ろうか)の先に体育館という構造になっている。


二手(ふたて)に別れる事もできるだろうが、犯人側の戦力が分からない以上、2:1に別れるのは得策ではない。


文字通り、別れ道となった階段を前に、安浦(やすうら)(あせ)っていた。選択次第では、犯人に時間を与える事になる。そうなれば、犯人の逃亡もそうだが、助けられる命が助けられなくなる。


そうした安浦(やすうら)の焦りを知ってか知らずか、梓は、階段の一段目に足を()けたところで、足を止めた。そして、数秒間上を見つめると、

校舎(こうしゃ)にはいないわね」

(つぶや)き足を()ろした。


「じゃあ、やっぱり体育館なんだね」

空は確認するように梓を見て(うなず)く。梓も(うなず)き返し、2人は体育館の方へと走っていった。


その状況が、安浦(やすうら)にとっては不可解であった。2人の考えがまるで分からないのだ。何故(なぜ)、3階は調査せず、犯人と被害者は体育館にいると確信できたのか、そして、空が言った"やっぱり"とはどういう意味なのか。


安浦(やすうら)は、3階を尻目(しりめ)(なぞ)りながらも2人を(あと)を追う。そして、体育館へと足を踏み入れ、絶句(ぜっく)する。


「こ、これは……」

目に映る光景は、まさに身の毛がよだつという言葉がふさわしい。足が(ふる)え、立っていることさえ困難に感じる、安浦(やすうら)


「生きています。今はまだ…」

唐突(とうとつ)に答える、空。


安浦(やすうら)はハッとする。目の前で起こっている、不可解(ふかかい)に対する答えとしては的確であり、残酷(ざんこく)な事実だからだ。そう、安浦(やすうら)の目に映っているのは、全身の皮膚(ひふ)()がされ、筋肉や臓器が(あら)わになった、人体標本と()した21体だった…。


薬品漬けされた身体(からだ)は、ワイヤーで固定されている。独特なポージングはまさしく"展示"を意識しているのだろう。


そして、空が言った、"生きている"という意味を理解した時、安浦(やすうら)は自身の感情に恐怖を覚える。


このような醜悪(しゅうあく)姿(すがた)に変えられても、()き出した心臓は鼓動(こどう)し、眼球は動いている。まるで、"(せい)"にしがみつくかのように、必死で生きているのだ。

安浦(やすうら)はそれを美しいと思った。だが、同時に"美しい"という感想を(いだ)いたという事は、(ゆが)んだ犯罪心理を理解し、狂気に身を()としたという事実を証明したことになる。いや、狂気に()まれたのでは無く、元々、狂気側の人間だったのかも知れない。


安浦(やすうら)は、絶望と狂気の狭間(はざま)で力が抜けたように(ひざまづ)いた。


一方、梓と空は、アリーナに"展示"された瀕死(ひんし)の被害者には目もくれず、ある人物を捜索(そうさく)していた。


「クリア…」

()暗闇(くらやみ)の器具庫にエンフォーサーを向ける、空。梓と共に、音も無く入る。


視界不良(しかいふりょう)の中、たしかに感じる悪寒(おかん)にも似た不快感が、(はだ)()す。梓と空は、()奔流(ほんりゅう)へと足を踏み入れていた。


「!?」

"何か"に気付いた梓は、咄嗟(とっさ)に空の前に左腕(ひだりうで)を出し、静止した。


梓は(あた)りを目で追いながら、ゆっくりとしゃがみ込むと床にデバイスを向ける。すると、突然、赤い光線(こうせん)がぼんやりと(あらわ)れ、足元(あしもと)()らした。


梓は、デバイスをライト機能に切り替え、床に向けたデバイスを垂直に動かした。

「見つけたわ」


空は、()らされた先を見て息を()む。


そこに"いた"のは、拘束具(こうそくぐ)によって椅子(いす)に固定された、橋本望(はしもとのぞみ)であった。

見たところ、手足には無数のチューブが(つな)がれている。そして、左腕、厳密(げんみつ)には指先から(ひじ)にかけては、赤黒(あかぐろ)く変色していた。


まだ、生きてはいるのだろうが、被害者まで数メートル(はな)れた位置からでは、意識の有無までは確認できない。しかし、問題なのは、橋本望(はしもとのぞみ)の右下に設置された装置から、チューブを通して絶えず液体が注入されているという事だ。


梓姉(あずねぇ)…これ」


「うん。あの装置が、彼女の左腕(ひだりうで)に注入する薬液量(やくえきりょう)をコントロールしているのね。徐々(じょじょ)に注入して、カラになったら、右腕か足のどちらかの薬液が注入されていく仕組みね。薬液の全注入時間ぜんちゅうにゅうじかんは、せいぜい15分ってところかしら。

たぶん、土田真央(つちだまお)さんや、アリーナで標本(ひょうほん)にされた被害者達と同じ薬液だろうね。このままでは彼女は死ぬし、左腕(ひだりうで)はもうダメかも。

それに、このレーザーポインターはセンサーね。たぶん、この先の空間に張り(めぐ)らされているんだと思うわ。少しでも()れると、全ての薬液が一度に注入されて、彼女は死ぬ。でも、装置をハッキングする為に、陽菜を呼んでいる時間は無い。

つまり、私達が動かなければ彼女は死ぬし、間違えた行動をしても彼女は死ぬ。(しゃく)(さわ)るけど、(ため)されているわ」

冷静な現状把握(げんじょうはあく)で、状況整理をする、梓。


「装置を解除するには、あそこまで行かなきゃいけない。でも、あそこまで行くためにはセンサーを突破(とっぱ)しなきゃいけない…か」

溜息混(ためいきまじ)りに(つぶや)く、空。装置を見つめ、何通りもの(さく)を脳内シュミレーションするが、最善策(さいぜんさく)には何かが足りない。


刻一刻(こくいっこく)(あらそ)う状況で、数億通りの中、たった1つの正解を導き出さなくてはいけない。状況は最悪だ。


「何とかならないのか?」

背後(はいご)から弱々(よわよわ)しい声が聞こえた。器具庫入口(きぐこいりぐち)に、憔悴(しょうすい)しきった様子で立ち(すく)む、安浦(やすうら)の姿がそこにあった。


梓は、安浦(やすうら)を見向きもせず、レーザー光を見つめている。そして、指で光が()す方向を指差し始めたのだ。


()けたわ」

梓は、ポケットから(かがみ)を取り出すと、レーザー光に30度の角度に置いた。


「そうか。散乱(さんらん)か」

空は、盲点(もうてん)()かれたかのように声を上げる。


流石(さすが)、空。気付くのが早いわ。

光の進路に反射許容範囲はんしゃきょようはんいギリギリの角度で反射物を置くと、光源の0.1%以下で回折(かいせつ)した光波(こうは)や光の粒子が、反射物と衝突(しょうとつ)して方向が変わる、レイリー散乱(さんらん)が発生するわ。ここで重要なのが、光源からさらに微弱(びじゃく)な割合で発生したエネルギーが、入射した光子(こうし)とは異なるエネルギーで散乱(さんらん)するということ。このラマン散乱(さんらん)を利用する事で、張り巡らされたセンサー全体に光的影響(こうてきえいきょう)が与えられるわ」

梓はそう言いながら立ち上がると、センサーが張り(めぐ)らされているはずの空間に、躊躇(ちゅうちょ)無く足を()み入れていく。


装置の元に辿(たど)り着くと、再びしゃがみ込んでは装置をイジり、意図(いと)簡単(かんたん)に解体してしまう、梓。


その早業(はやわざ)に、空は脱帽(だつぼう)する。本来、スーパーコンピューターを使って(はじ)き出すレベルの膨大(ぼうだい)予測演算(よそくえんざん)を、たった数分で(みちび)き出し、演算通りの結果を()してしまったのだ。とどのつまり、天才(てんさい)という他ない。


身体(からだ)からチューブが(はず)され、ひとまず椅子(いす)ごとアリーナに運び出される、橋本望(はしもとのぞみ)


彼女に、安浦(やすうら)は必死で呼び掛ける。何度も、何度も…。その想いが届いたのか、橋本望(はしもとのぞみ)は静かに目を開ける。


「もう大丈夫だからな。自分の名前、分かるか?」

安浦(やすうら)の質問に、橋本望(はしもとのぞみ)はゆっくりと(うなづ)いた。


「良かった。本当に良かった……生きていてくれてありがとう…」

安浦(やすうら)は、声を(ふる)わせながら、橋本望(はしもとのぞみ)の右手を強く(にぎ)った。


空が(あた)りを見渡すと、標本化された1人に近寄る。目からは涙が(こぼ)れ落ちていた。


「もう苦しまなくても良いんだ…。遅くなってごめん。ちゃんと家族の元へ帰すから。だから、今はもうおやすみ」

空の一言が手向(たむ)けとなったかは分からない。だが、安心したかのような吐息(といき)()れる。そして、その(あと)、彼女が息を吸うことは無かった。


行方不明者(ゆくえふめいしゃ)23人中、生存者は1人。首謀者(しゅぼうしゃ)の姿も無く、最悪な結果として幕を閉じる。


そのはずだった………。



「お、おい…。何してんだ?」

異変(いへん)に気付いた安浦(やすうら)は、目を(うたが)う。


梓は、事もあろうに被害者・橋本望(はしもとのぞみ)にエンフォーサーを向けていたのだ。


「……。」

冷酷無慈悲(れいこくむじひ)にエンフォーサーを向ける、梓。


標本化された被害者達の最期(さいご)を見届けた空も合流する。梓とは、橋本望(はしもとのぞみ)(はさ)んだ対面(たいめん)で足を止めた。


井川(いがわ)。お前んとこの(じょう)ちゃんがおかしいんだ。頼む。(じゅう)を下げるように言ってくれ」

必死に(うった)える、安浦(やすうら)。だが空は、その想いを拒絶(きょぜつ)するように目を閉じる。

「その子が黒幕(くろまく)なんです」


(とき)()まったかのような()。いや、本当に(とき)は動きを()めたのかもしれない。もしかすると、世界は色を失い、灰色一色(はいいろいっしょく)となっていたのかもしれない。そのくらい、()一瞬(いっしゅん)だった。


「は? な、何を言ってんだ? 冗談でしたじゃ済まねぇぞ?」

(あせ)る、安浦(やすうら)


「いい加減、(ねこ)(かぶ)るのは()めたらどう? あなた、()んでるのよ?」

(かば)()てする安浦(やすうら)など其方退(そっちの)けで、エンフォーサーを向ける、梓。


「待ってくれ。竹内 警視監。犯人は、三島剛士朗(みしまごうしろう)じゃなかったのか? この子は、さっきまで死にかけていたんだぞ。見てくれ、今だって(ふる)えている」

エンフォーサーの前に(ひざまづ)き、手を広げて橋本望(はしもとのぞみ)(かば)う、安浦(やすうら)(ひたい)からは大量の汗が(にじ)み出ては、床に落ちる。


「それは身震(みぶる)いよ。この状況が面白(おもしろ)くってしょうが無いのよね?」

梓の指摘(してき)に、橋本望(はしもとのぞみ)(かた)(ふる)えはどんどん大きくなっていく。


「プッ…。アハハハハハハハ!!!!」

(せき)()ったように、(わら)い声が(ひび)き渡る。(あふ)れ出る、狂気の表情と共に。


「ふぅ〜。バレちゃったならしょうが無いよね。そ! 私がぜ〜んぶ仕組んだの」

一頻(ひとしき)(わら)うと一転(いってん)、笑顔でネタバラシする、橋本望(はしもとのぞみ)


「そ、そんな馬鹿(ばか)な…」

腰を抜かしたように(しり)を付く、安浦(やすうら)。その目に映るのは、先程までの衰弱(すいじゃく)した少女では無く、狂気に満ちた悪魔だった。


そして、安浦(やすうら)はハッとする。

三島(みしま)三島剛士朗(みしまごうしろう)は?」


「この子が殺したのよ」

梓は答えた。


「そんな、、、猟奇殺人(りょうきさつじん)なんてできないくらい大人(おとな)しい子だったと周りの評判があったはずだろう? 何故(なぜ)…いつからそんな風に…」

必死な安浦(やすうら)を、(さげす)むように見ていた、橋本望(はしもとのぞみ)。その表情に、安浦(やすうら)橋本望(はしもとのぞみ)錯覚(さっかく)していた人物像が(くず)れていく。


「いえ、いつからっていうのは変わるキッカケがあった者に使う言葉ですよ。やっさん。そいつが他者との違いを感じ始めたのは、物心(ものごころ)がつき始めた3、4歳頃だと思いますよ」

安浦(やすうら)の言葉を(さえぎ)るように指摘する、空。


「何で分かるのー? そうなんだよね。だから、幼稚園(ようちえん)(ころ)、先生に『人を傷付(きずつ)けてはいけません』って言われたことがあるんだけど、しっくりこなかったの? でね、『何で?』って聞いたんだけど、結局(けっきょく)納得(なっとく)できる答えは返ってこなかったんだよね。それで、私なりに考えてみたんだけど、本当は人を傷付(きずつ)けちゃいけない理由なんてはっきり無くて、皆そう言われて育ってきたから、次の世代にもそう教えてるだけなんじゃないかって思ったんだ。

で、ある時思ったの。人を殺してみれば答えは見つかるかもって。でも、人って殺したくても、そんな簡単に殺せないものでしょ? いや、殺せるけど、後片付け大変だったりするでしょ? だから、なかなか機会(きかい)(めぐ)まれなかったんだよね。

そんな時だったなぁ。突然その時はやってきたの」

まるで楽しい思い出を語るかのような口調の橋本望(はしもとのぞみ)


塾講師(じゅくこうし)を殺した時だな?」

追求する、空。


「そんな事まで分かるの? すごいね。なんだか好きになりそう♡」

空に向けるうっとりとした表情は、まるで男を誘惑(ゆうわく)する夢魔(サキュバス)のようだった。

「私に献身的(けんしんてき)なフリして(おそ)ってきたの。その時、ビビッと来たわ。抵抗に見せかけて殺すチャンスだって!」


(うそ)つくなよ。"(おそ)って来た"んじゃ無く、"(おそ)わせた"だろ。塾講師(じゅくこうし)献身的(けんしんてき)(せっ)したくなるようキャラ作りして、誘導(ゆうどう)した。そうだな?」


(なま)めかしく(くちびる)を指で(さわ)り、妖艶(ようえん)()みを(うか)かべる、橋本望(はしもとのぞみ)

「そうだよ♡ でもね。先生を殺してみても、やっぱり分からなかったなぁ。人を傷付(きずつ)けちゃいけない理由。

あっ、でもその代わりに分かった事があったの! 人って、(たましい)宿(やど)るから(きたな)(くさ)っていくけど、(うつわ)としての肉体は綺麗(きれい)だなって。見た目を捨てて、肉と(ほね)だけになれば、いつまでも美しさを保っていられるって。

その時、人の美しさをもっと形あるものでお披露目(ひろめ)したい、そう思ったわ」


「だから、川東燐(かわひがしりん)を利用して、女子学生を拉致(らち)させた。川東(かわひがし)とはどこで出会った?」

まるで取調べを行うように追求(ついきゅう)する、空。


「んーっと、マッチングアプリ…だっけ? 今って、国民何とかシステムってのが、理想の結婚相手まで選んでくれるでしょ? でも、そういうのじゃ満足できない不適合(ふてきごう)な人も一定数いるんだってー。それで何十年も前に主流だったマッチングアプリの残ったプログラム?が未だに使われてるって教えてもらったから始めてみたんだよね。そういうのを利用する人は、()えてるから、心に付入りやすいって教えてくれたんだ」

行いを(かく)すどころか、平然(へいぜん)(ほこ)らしげに口にする橋本望。彼女は間違いなく、反社会性パーソナリティ障害であろう。


しかし、空が気になったのは、その精神疾患(せいしんしっかん)を利用し、犯罪を創造(そうぞう)している者の存在だった。


「誰に?」


「先生だよ! 電話でいろいろ教えてくれるの。先生の言う通り、欲に()えている人ばっかだった。

あの…誰だっけ? 太った人も気持ち悪いくらい求めてきてさ。私のコレクションは綺麗じゃないとって思って相談したら、同世代の女子、(なか)でも今を絶望(ぜつぼう)している子が良いって先生が教えてくれたの!」

"先生"と呼ばれるその存在を、この場で特定するのは難しいだろう。空は話を進めた。


「それで川東は殺さず、利用した…と」

笑顔で(うなず)橋本望(はしもとのぞみ)。空は溜息(ためいき)()く。


「話を変えよう。土田真央(つちだまお)何故(なぜ)処理半(しょりなか)ばで遺棄(いき)した?」

橋本望(はしもとのぞみ)にとって綺麗(きれい)なコレクションは多い方が良いはずだ。土田真央(つちだまお)とその他で何が違うのか…。だが、その答えは呆気(あっけ)ないものだった。


「あの子ね。私も残念だよ? でも、あの太ったキモイ人がさ、私の目を(ぬす)んで(よご)したの。最低じゃない? だから、2人とも出てってもらったの」

溜息混(ためいきま)じりで答える、橋本望。


「なるほど。(きみ)の事、ある程度分かったよ。子供の頃から素直(すなお)真面目(まじめ)大人(おとな)しくも友達は多い。そういう人間像(にんげんぞう)(つく)り出し、周囲の大人に認識させていたんだろ? 洗脳(せんのう)のように」

空が指摘(してき)した、"洗脳(せんのう)"という言葉にピクリと反応を示す、橋本望(はしもとのぞみ)


洗脳(せんのう)ね。でも、あなた達だって洗脳(せんのう)されているじゃない。人を殺してはいけませんって、誰の価値基準(かちきじゅん)? 人殺しは間違いなの? その理由は? まさか可哀想(かわいそう)だから? ハッ、理屈(りくつ)にもならないわ。そうやってよく分からない基準(きじゅん)を教育だの、倫理(りんり)だの、道徳(どうとく)だのって、(てい)良く洗脳(せんのう)して、思考(しこう)矯正(きょうせい)させているだけじゃない。私の考えは間違っているかしら」

(おさ)えていた狂気が()めど無く(あふ)れ出す。肘置(ひじお)きを動く右手で(なぐ)り付け、怒りのままに自分の理屈(りくつ)()き出す(さま)は、今までに出会ってきた犯罪者の中でも指折りだ。


「いや、間違っていない。でも、この社会という共通の意志では、明らかに異端(いたん)だ。癌細胞(がんさいぼう)のようにな」

空は橋本望(はしもとのぞみ)を否定する。ゆっくりとエンフォーサーを向け、引金(ひきがね)に指を掛けた。


癌細胞(がんさいぼう)…ね」

その言葉を聞き、(ゆが)んだ()みを浮かべる、橋本望(はしもとのぞみ)。何か意味深(いみぶか)く思えてならない、空。


「まぁ、いいわ。私の作品は完成したの。美しいでしょう? これでもう、この世に未練(みれん)は無い。お膳立(ぜんだ)てしてくれた、"新宮(しんぐう)"先生には感謝しなきゃ」


梓と空が目を()く。


「"新宮(しんぐう)"…だと?」


「あぁ、楽しかったぁ…」

満たされた表情の橋本望(はしもとのぞみ)。直後の不審(ふしん)な口の動きに、梓は気付く。


「待ちなさい」


梓は、ぐったりとした橋本望(はしもとのぞみ)の口を()()けるが、、カプセル(じょう)()まれた(あと)だった。


行き場の無い感情が押し寄せ、(こぶし)で床を(なぐ)る、安浦(やすうら)(にぶ)く低い音が広い体育館に(ひび)き渡った。


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