FILE.32 ダークトライアドの三角形
千葉区532-住宅街。
「てか、聞いた? 隣のクラスで女子が消えたって噂」
下校中の3人は、話に花を咲かせていた。3人にとって何気無い会話で、何気無い日常。不穏な噂話ではあったが、話題を振った男子生徒に別段、意図はなく、思い付きのようなものであった。
「あーそれね。聞いた。ニュースにはなって無いけど、関東圏で女子生徒が何人も消えてるらしいんだよね。もしかしたら、その子も…」
「それって、都市伝説だろ? 真央は、消えたとかそんなんじゃ無いって。先生も体調不良だって…」
盛り上がり始めた噂話を、1人が否定する。どこか、必死さを感じる程に。
「ん? 真央? お前、土田とコレなのか?」
1人がニヤけ面で小指を立てた。
「そんなんじゃねぇって。幼馴染なんだよ。真央とは。だから、そういう噂が出回ってるのも知ってたし、真央が休むなんて珍しいから、3日目に先生に聞いたんだ。そしたら、体調不良だって…」
恋人関係に関しては、強めの語気で否定していたが、土田真央の安否について話し出すと、自信を無くすかのように言葉尻が弱々しくなっていく。
「てか、幼馴染なら直メ知ってんだろ? そんな心配そうな顔すんなら、本人にメッセージ送ればいいじゃん」
どんどん暗くなる表情を見て、心配になる2人。
「送ったさ。でも、返事が無いん、、、痛ッ!!!!」
何かに躓く。
「何だよ………。 えっ?」
見たものに驚愕し、言葉を失う男子生徒。
「た…。けて……。」
躓いた男子生徒に駆け寄る2人も、異様に言葉を失う。
そして、遅れてやってくる恐怖に身体を蝕まれる感覚に襲われる、3人。
目に映るのは、左半身の皮が剥ぎ取られ、まるで人体標本のようになった"人"。壁に背を付け座っている、ソレの目は虚ろで、息は細い。"人"としての形は保っていながら、"人"としてもう長く無い事は素人でも分かった。
「……ちゃん。…けて……」
か細く聞こえる声。だが、たしかに聞き思えある声だった。
「……ちゃん。…て……」
何度も聞こえる声に、男子生徒は絶望した。その弱々しい声で口にしているのは、自分の名前だったのだから。
そして、男子生徒は気づいてしまう。最悪な事実に。
「まさか…。真央……なのか?」
その問に、ソレが答える事は無かった。
四課オフィス。
パンッ。パンパンッ。
破裂音が轟くキッチン。奥で起きている"事故"を隠そうと、暗躍する深月がそこにいた。
そう、"事故"は四課で起きていたのだ。
大量に散撒かれたポップコーン。片付けようにも数が多過ぎる。証拠隠蔽のキーとなる掃除機は、メンバーが集まるリビングの先だ。どうすれば、バレずに片付けることができるのか…。
❶ 瞬間移動にも等しいスピードで掃除機を取りに行く。
❷ 正直に謝る。
❸ 誤魔化しながら、処理を考える。
「ねーねー、ポップコーン食べる?」
深月は大声で問い掛けると、皆の気を逸らす作戦に打って出た。❸を選んだようだ。
「気が利くじゃん。ちょうど始まるところだよ」
皿に盛られたポップコーンを机に置く前に、遼子は一摘みして、投げるよう口に入れた。
深月は勧めるようにポップコーンを置くと、「飲み物も取ってくるね」と足早にその場から去ろうとする。
それを見逃さなかったのが、陽菜だった。
「何かがおかしい…」
ジト目で辺りを見渡す、陽菜。その目がロックオンしたのは、怱々とその場から逃げようとする、深月の背中だった。
「みー!!! どこ行くの! 何か隠してるでしょ」
深月は慌てて事故現場へと逃げるが、そこは逃げ場の無い袋小路。つまり、八方塞がりである。
陽菜は、追っかけた先に広がる惨状を目の当たりにして、頭から煙が立ち始める。
「ひ、陽菜…さん? これには深めな事情が…」
「深月ッ!!!!!」
この後5分間、こってりと叱られたのは言うまでも無い。いつものドタバタ劇に、呆れた表情でポップコーンを摘む遼子と、苦笑する雫。
「2人とも、その辺にしておきなさい。始まるわよ」
梓は2、3度手を叩いて、2人を呼ぶ。
リビングの巨大ホロモニターに映る、空。ノイズと共に、空の対面に、小太りの男がホロで現れた───。
一課取調べ室。
「やっと会えましたねぇ」
空の第一声には微動だにせず、俯いたままの男。
「こうして顔を合わせるのは始めてですよね。川東燐さん。いえ、"リンリン"さんと呼んだほうが良いですよね」
空が口にした、"リンリン"というニックネームに、川東はぴくりと反応する。
「あれ、分かりませんか? 僕ですよ。ロリ命! ロリマシーンです」
見たことの無いテンションで、ぐふふという奇っ怪な笑い声を上げる空に、傍聴室の愛華は開いた口が塞がらない。
思えば、空の聴取を見学するのは始めてだった。故に、その癖の強さに唖然とした。
「まさか、君がロリマシーン? 思ってたよりずっと若い。しかも、公安の刑事だったなんて…」
驚きのあまり目を剥く、川東。しかし、捜査官である事を理解し、落胆の表情と共に、再び俯いた。
「いーえ、僕も数時間前に連れて来られたんです。リンリンさんとの関係や事件について一通り聞かれました。まぁ、何も答えられなかったんですが…。何かリンリンさんの力になれればって、公安の人に無理言って面会させてもらってるんです。タイプの女の子も嗜好も同じリンリンさんとは、通じ合ってるというか、親友だと思ってました。でも、いざ聞かれると何も知らない。情けないです」
肩を落とす、空。その目には涙が光っていた。
その様子に、川東は再び顔を上げると、
「ロリマシーンは悪くない。君はコミュでお互いのタイプを偽り無く語り合える唯一の友だと今でも思ってる。だから、そんなに落ち込まないでくれ」
と、必死に言葉を返した。
「ありがとう。リンリンさん。あの…、リンリンは本当に女子学生を誘拐したんですか?」
心配そうな眼差しを向ける、空。
数秒の沈黙があったが、重い口を開くように川東は応えた。
「あぁ…」
「どうして? リンリンさんはあんなに、女の子は妄想を掻き立てながら見るものだって言ってたじゃないですか」
前のめりになる、空。
「そうだった。でも、彼女と出会って変わったんだ」
急に人が変わったかのように興奮気味に口を開く、川東。
「彼女?」
「あぁ。彼女は天使だよ。43にもなって童貞の俺に声を掛けてくれる。俺なんかを見てくれる。期待してくれる。だから、ずっと俺を…俺だけを見ていてほしい。俺なら彼女のどんな願いも叶えてあげられるし、どんな期待にも応える事ができるんだ」
彼女というのは、恐らくは第一被害者の橋本望の事を言っているのだろう。川東のソレは、恋愛を通り越え、崇拝に近いものだった。
「だから彼女のために…」
冗舌に橋本望への想いを口にしていた川東だったが、急に我に返ったかのように止まる。そして一瞬だったが、視線を落とした。それを空は見逃さなかった。
「…だから、お、俺は、そう、彼女を誘拐した。俺の事を好きになってもらって、始めての相手になってもらって、結婚するために」
川東は言い切ると、座り直す。
「それじゃあ、他の女子生徒もリンリンが?」
「うん。そうだよ。彼女を誘拐したんだ。2人目も3人目も同じだろ? 近づいて、道を聞く振りをして、デバイスのホロマップを見せた。彼女達がマップに見入っている隙に、催眠ガスを吹きかけて、眠った所を車で連れ去ったんだ」
冷静な口調で淡々と答える、川東。橋本望について話している時とはまるで別人のようだった。それ程までに、橋本望への執着があったという事なのか。
いずれにせよ、これ以上の情報を得る事はできないだろう。
「リンリンが連れ去った、23人は無事なんですよね? 今どこに?」
ダメ元だったが、最後に被害者の安否を確認する、空。
「それを言っちゃあ、公安が彼女の場所を突き止めてしまう。俺の彼女だ。誰にも渡したくない。いくらロリマシーン相手でも言えない」
再び顔を俯く、川東。
「ありがとう。"川東"。おかげでいろいろと確証を得られたよ」
空の一言に、目を剥く川東。何かを言い掛ける前に、川東を形成するホログラムが崩れ、空だけがそこに残った。
川東の最後の言葉は、「どういう事だ」だろう。短時間であったが、空の正体を見誤る程度には信頼していたのだ。秘匿すべき情報を抜き取られているとも知らずに。
「お疲れさん。井川。流石の演技力だったな」
傍聴室から入ってきた、安浦。
「いえ、彼にはあれぐらいしなきゃ口を割ることは無いでしょう」
いつもの笑顔で答える、空。
「え? ええ? 全部演技だったんですか?」
空が取調べでしていた一連の言動全てが、演技だった事に未だに理解が追いつけない、愛華。
「譲ちゃんもまだまだだな。井川はな。聴取に入る数分前に、川東に関するありとあらゆる情報に目を通している。その上で、川東が唯一心を開くと思ったのが、ロリマシーン。だから、敢えてロリマシーンを演じた。そうだろ?」
「はい。コミュニティでの言動から性格特性を割り出して、自白環境を構築しました。おかげで欲しい情報は得られましたよ」
空は当たり前のように笑顔で答えるが、愛華には驚きでしかなかった。逮捕者、勾留者の情報だけでも膨大になる。だが、それに加えて、ネットコミュニティで関わりを持つ者全ての情報を、取調べ前の僅かな時間で頭に入れるなど、常人の沙汰では無い。さらに、それを演じ切るともなると、空の思考回路がどうなっているのか、愛華には理解できなかった。
「まず、川東燐は、"黒"です。被害者達の拉致、監禁の実行は間違いなく川東によるものでしょう。ただし、犯行の指示役、つまり黒幕は別にいます。
次に、第二被害者の松長優果以降の被害者は、残念ながら死亡もしくは重体の可能性が高い。そして、被害者の殺害は川東ではなく、黒幕によるものです」
「どうして断言できるんですか?」
愛華は尋ねる。
「理由は、聴取での川東の反応だよ。
まず、川東燐が"黒"という理由だけど、犯行内容を話す口調に迷いが見られなかった。冷静過ぎるんだ。まるで、ゲームのプレイ内容を話しているかのようにね。あれは、エピソード記憶*¹によるものだ。拉致・監禁という、非日常且つ、精神的な負担が大きい経験は、瞬時に記憶され、忘れたくても忘れられないものだ。仮に、川東が"白"だったとすれば、あの供述は、嘘か他人から聞いた物語ということになる。人は嘘や非体験の情報を話す時、脳内の側坐核が活発に働くんだ。そして、側坐核の活動によって、人間は無意識下で、視線のブレを始めとした、身体的反応を発してしまうんだけど、川東にはそれが見受けられなかった。つまり、あの供述は、思考ではなく、記憶によるものということになる。
次に、"川東を操る黒幕がいる"という理由だけど、拉致した女子学生への欲求や欲望、実際にどうしたのかという記憶が薄過ぎる。第一被害者を除いてね。川東が執着するのは、第一被害者の橋本望だけだ。言い換えれば、川東には、他22人の被害者を拉致する理由も無ければ、他22人の被害者のその後に興味が無いんだ。でも、たしかに被害者22名を拉致したのは川東だ。ここで行動原理に矛盾が生じるよね。何故、川東は、橋本望を除く22名もの女子学生を拉致しなくてはいけなかったのか。
最後に、被害者が既に死亡している理由だけど、聴取で被害者23名の安否を聞いた時、川東は、『"彼女"の居場所』と言った。普通は、"彼女達"だろ? 単に川東の興味が、第一被害者の橋本望にしか無いと言えばそれまでだけど、生きているのが橋本望、ただ1人という事実を認識していたからこそ不意に出た言葉だとも考えられる。であれば、22名は既に死亡していてもおかしくない。
そもそも、何故、川東はこのタイミングで自首をした? 理由は、今さら川東が逮捕された所で、本来の目的に何ら影響を及ばさないからだ。そして、公安の目が川東に向いているこの機に、黒幕は目的を果たそうと動くはずだよ」
空の推察に、愛華は驚く。ほんの30分程度、しかも、あの癖の強い取調べで、ここまでの情報が引き出せるとは思ってもみなかった。
「なら、その目的ってのは一体何だ?」
安浦は尋ねる。
「流石に、そこまでは…。でも、川東の自首は、黒幕の策略だと思います。そして、出頭させたという事は、川東はもう用済みとなった事を意味しています。それは、新たな拉致が不要となったのか、別の実行要員がいるのか…。いずれにしても、犯人の計画は次の段階へシフトしているはずです。事態も大きく動…」
空の言う、次の段階へと事態が動いているのであれば、一課で対応できる状況を超えていることになる。既に、Sレート事案の本件は、SSレートへの引上げ、つまり特課事案を意味していた。
「た、大変です!!!」
いつにもなく、慌てた様子の結城。
「お前はいつも大変だろ。で、どうした?」
安浦はツッコミを入れながらも、結城の慌てる様子に胸騒ぎを覚えていた。
「22人目の被害者、土田真央が発見されました」
息を切らしながら報告する、結城。
「何? 無事なのか?」
「い、いえ、発見時は息があったようですが、状態が悪く、救急搬送前に死亡が確認されました。既にドローンが現着していますが、一課に出動命令が出ています」
言葉を詰まらせる、結城。安浦の胸騒ぎは最悪の結果として的中していた。
「呼んどいて悪いな。この件、四課の領分かもしれん。その時は頼むな」
足早に取調べ室を出る、安浦と結城。
2人残された空間は、静けさが包んでいた。
「とりあえず、戻ろう」
空はそう言うと、その場を後にした。
四課オフィス。
空と愛華が戻ると、既に事件の情報がホログラムで展開されていた。
「おかえり。空。愛華。流石の名演技ね」
梓は、戻った2人をソファーに座らせた。
「皆さん、聴取を見てたんですか?」
「そだよー。ここでね」
深月が指差す先に、録画された一課での取調べ映像がホロ表示されている。
「陽菜がハッキングで、一課の回線に割り込んだんだ」
さらっと爆弾発言をする、遼子。違う課の回線に許可なく割込むところが四課らしい。最近は、そのフットワークの軽さが四課のチャームポイントに感じる、愛華。
「空に捜査協力だなんて、そのうち四課に来る案件だろうし、イザという時に動きやすいでしょ」
もっともらしい理由を口にする、梓。
「いや、お前が空の活躍を見たかっただけだろ。完全に職権乱用だよ」
雫は冷静にツッコミを入れた。
「な、雫さんだって一緒に観てたじゃない」
反論する梓は、いつにもなくタジタジだった。
はいはいと言わんばかりに、手を叩く、陽菜。
「現着のドローンから現場映像が来たよ」
陽菜がホロキーボードのエンターキーをタップすると、目を覆いたくなるような、まさに凄惨と言える状況が映し出された。
「酷い…」
思わず一言を漏らす、愛華。そして、息を飲むメンバー一同。特課として、数々の凄惨な事件を扱ってきたが、間違いなく指折りの状況だと言えるだろう。
「被害者は、土田真央。16歳。都内の高校に通っているわ。失踪したのは8日前。発見者は、同じ高校に通う同級生ね。1人は彼女の幼馴染だったみたいよ」
被害者情報を口にする、陽菜。その眉間にシワを寄せていた。
「幼馴染…。あたしらのような関係って事よね。辛いわね」
遼子は、深い溜息を吐いた。幼馴染の大切さを知っているからこそ、失う恐怖、喪失感を誰よりも感じていた、遼子。
「そうね…。この映像を見る限り、左半身の皮膚が損失、筋繊維が露出している。ここまで綺麗に皮膚だけが剥ぎ取られているとなると、何かの薬剤に漬けられているわ。ドローン情報だと、死亡時刻は発見後。つまり、生きたまま薬剤に漬けられて、皮膚を剥ぎ取られた、ということになるわ。被害者は、相当な恐怖と苦痛の中、じわじわと命が消えていくのを感じていたはずよ」
人体解剖学にも精通している、梓は、被害者が受けた苦痛を具体的に理解している。それ故に、並の人間であれば直視できない現実だが、顔色一つ変えずに状況を客観視しているところは、流石というべきである。
「こりゃ、現着した一課もメンタル保ってらんないかもね」
同情するかのような表情の深月。
一瞬の静けさを掻き消すかのように、コールが鳴り響く。
「はい」
梓が応答した。その声色から、発信者はすぐに分かった。
「竹内梓 警視監。今すぐ局長室に来なさい」
一方的に命令されたかと思えば、異を唱える隙も無い早さでプツリと通信は切れた。呼び出された内容については凡そ予想が付いていた。
「行ってくるわね」
梓はそう言うと、部屋を後にした。
公安庁局長執務室。
「君達の事だ。もう嗅ぎ回っているのだろう?」
狐のような鋭い視線で、梓を見る、天宮碧葵。
「詮索はけっこうです。本題を」
梓もまた、冷たい視線で返す。
「第一課が追っている広域事件0514。現時刻を以って、レートをSS指定とする。全権を引き継ぎ捜査したまえ」
天宮の命令に無言で一礼すると、矢継ぎ早に背を向け、歩き出す、梓。
「言うまでも無いが、本件は少々デリケートな内容だ。迂闊な行動で足元を掬われ兼ねない。気をつけたまえ」
追い打ちをかけるように発した、天宮。足を止めることなく出口に向かう梓の背中を、じっと目で追っている。そして、梓が退室するのを確認すると、溜息を吐いた。
「さて、どうする?」
誰もいない部屋で不敵な笑みと共に呟く、天宮。その笑みに隠された、言葉の意味を、この時、誰も理解はしていなかった。
*¹ エピソード記憶:長期記憶に区分される陳述記憶の一つ。「個人が経験した出来事に関する記憶」であり、何をしたかなどの内容に加え、付随情報(時間・空間的文脈・自己の身体状態・自己の心理状態)と共に記憶される。記憶強度が強いほど、鮮明に残る。