FILE.31 神隠しの本質
公安庁 四課専用戦術道場。
一面畳張りの一室。300畳もの広大な空間全てを、殺気にも似た空気が支配している。
シラットによる一進一退の攻防を繰り広げる、梓と雫。フェンシングのように鋭く、正確な突きは、まるで閃光のよう。割り込む隙は微塵も無い。学生の頃から師弟として、鍛え合い、磨いてきたからこその阿吽の呼吸と言えるのだろう。刹那の油断が、文字通り"命取り"となるような危険な組手だった。
道場の入口では、全身黒のスポーツウェアに身を包んだ空が、壁に凭れ掛かるように立っていた。腕を組んで、2人の動きを目で追っている。
3人を呼ぶために道場を訪れた愛華だったが、目的を忘れる程、2人の動きに呆気取られていた。
同じく、武術指導を受けているが、2人の本気を目の当たりに、距離を感じる、愛華。どれだけ鍛錬を積み重ね、成長しようとも、2人の背中すら見えない程に開いた実力差。
それは毎度の稽古でも感じていた。雫に対し、どれだけ打ち抜いても軽々しく去なされては、カウンターに伸される日々。為す術を見い出せない時すらある。
稽古では反省の余地もあるが、これが実戦だった場合、そんなに甘い事を言ってはいられない。1つの間違いが死に直結するのだ。戦闘技量が思うように上がらない中、四課に貢献できているのだろうか、とさえ思う。
もやもやとした気持ちが膨らみ、無意識に呟く、愛華。
「私は強くなってるのかな…」
心の声が漏れた事に気付き、赤面しながら慌てる、愛華。
「あの2人を見ていたら、気が遠くもなるよね」
空も呟くように口を開いた。変わらず2人の組手を見つめながら。
意外だった。愛華からすれば、空も十分に活躍している。そんな、空が2人を羨んでいるのだ。まさかの言葉に、意表を突かれた、愛華。
「でも、あの2人に追い付く必要なんて無いんだ。だって、あの2人にとってアレが持ち味で、四課で発揮できる力の一部なんだから。愛華ちゃんにだってあるだろう? 愛華ちゃん自身が、これだけは負けないって思える個性が。それはたしかに、戦闘技術では無いし、リーダーシップ力や運動神経、ハッキング技術、超直感、プロファイリングでも無いと思う。でも、確実にあるはずなんだ。だからそれを磨いて、唯一無二のモノにすれば良いんじゃないかな。四課ではさ、それぞれの唯一無二で、各々の弱点を補い合ってるんだ。俺も、みんなも、愛華ちゃんから助けられている事はたくさんあるよ」
微笑む空に、勇気付けられる愛華。「はい」と返答する声に、もやもやとした気持ちは無かった。
改めて、空の凄さに気付く。一番欲しい言葉を的確に掛けてくれるのだ。思えば、四課に配属されたあの日、入口の前で立ち竦んでいた時もそうだった。愛華にとって、空の存在は日増しに大きくなっていた。
数秒間だったが、見つめ合っていた事に気づき、愛華は再び赤面する。そして、思い出すかのように、話を変えた。
「そういえば、ここに来たのは、空さんを呼びに来たからでした」
「ん? 俺を?」
凭れていた壁から背を離す、空。
「はい! 一課の安浦さんが呼んでいまして」
"安浦"の名を聞き、微々ではあるが反応した事に、愛華は気付いた。
「やっさんが? なら、すぐに行かなきゃね」
顎を親指と人差し指で摘み、一瞬何かを考えたようだったが、ほぼ即決で答える、空。
梓と雫の凄まじい戦闘が繰り広げられる中、空は畳に一礼すると、2人の近くまで歩を進める。
殺し合いと言っても過言ではない2人の戦闘に割って入るなど、自殺行為だ。愛華は思わず、「危険です」と言いかけるが、それよりも早く、空は2人を前で1度大きく手を叩く。
向け合った2人の右手の間から、圧縮された空気が、瞬時に爆散するのを、愛華は感じた。
お互いの右手を突きの状態で向け合ったまま、ピタッと止める、梓と雫。手と手の間は20cmほど空いている。まるで、反発し合う極同士を向かい合わせた磁石のようだ。
「一課の安浦さんに呼ばれてるみたいだから、先に出るね」
空の申し出に、梓と雫は右手を下げる。その場を支配していた殺気は、嘘のように消えていた。
「わざわざ、空を?」
何かを勘繰る、梓。
「あの人に呼ばれているなら、空も断れんだろう。行ってこい。お前の稽古はまた今度だ」
梓を余所に、GOサインを出す、雫。
「愛華ちゃん、一緒に行こっか」
予想もしていなかった空の誘いに驚く、愛華。
「え? 私もですか?」
「うん! 伝説の刑事。現場の鬼。公安庁発足以前からとんでも無い難事件をいくつも解決してきた人なんだ。やっさんの担当事件を聞いたら、愛華ちゃんもぶっ飛ぶと思う。きっと、何か得られるものはあるはずだよ」
空にそこまで言わせられる人は少ない。いや、四課メンバー以外では今までいなかった。同じ捜査官ではあるが、課を超えた交流というのはあまり無い。だからこそ、すれ違いざまに挨拶こそすれど、他課のベテラン刑事の事を何も知らなかった愛華。
「ぜひ、ご一緒させてください」
愛華は、前のめりに応えた。
空と愛華は、道場に一礼すると、その場を後にした。
一課オフィス。
課によってここまで雰囲気の違うオフィスになるのか、愛華は驚く。
高級マンションのリビングにも似た四課オフィスとは全く違い、オフィス机とホロボードしかない殺風景な一室。部屋の真ん中は、大人2人が横並びに、両腕を広げた長さ程の空間があり、それを挟むようにして、向かい合わせで席が6席、左右二島ある。壁は黒塗りで、窓は遮光ホロによって閉ざされている。良い言い方をすればシックで洗練された部屋と言えよう。
「やっさん、お待たせです」
入室直後、空が声を掛けた相手は、部屋の中央でホロボードに映し出された映像を見ていた。
背中からでも伝わる、ベテラン刑事の風格。すれ違いざまに挨拶する時とは別人のような、張り詰めた空気を醸し出す、安浦に緊張する、愛華。
「おう、来たか。井川」
ニコやかに振り向く、安浦。先程までの張り詰めた空気は、嘘のように消えていた。
安浦長八 巡査部長。公安庁発足以前から第一線で活躍してきたベテラン刑事だ。"公安一課に安浦有り"。数々の難事件を解決してきた、安浦の名は、裏社会にも轟く程であった。
また、安浦は指導者としても優秀である。指導を受けた者の中には、屈指の実力者を数多く輩出しており、元第一課班長の故・木嶋丈太郎や、元第二課班長の手塚鈴華もその1人であった。
空も刑事としてのイロハを安浦から教わっている。
「お嬢ちゃん、井川を連れてきてくれてありがとうな。えっと、名前は…」
腕に着けているデバイスを叩けば、情報はホログラムで空間表示されるこのご時世だが、胸ポケットからボロボロの手帳を取り出す、安浦。
「第四課、柚崎愛華です」
咄嗟に答える、愛華。
「柚崎さんだね。よっしゃ、覚えたよ」
安浦は、手帳に書き加えながら、温かみのある声色で返答した。
積み重ねて来たものがまるで違うのは、先程の空気感で身に沁みて理解はしているが、どこかおじいちゃんと話しているような感覚になる、愛華。
「やっさん、今回お願いがあって愛華ちゃんも連れてきたんです。捜査中、愛華ちゃんに短期集中講義をお願いしたいんです」
短期集中講義という程、正式にお願いするものだとは知らなかった愛華は慌てて頭を下げた。
「こんなロートルに有り難い話だよ。今回の捜査中に教えられる事は教えよう」
笑顔を見せ、快諾する、安浦。
「ありがとうございます」
愛華は再び頭を下げた。
「それで、本題なんですが、今回俺が呼ばれたのは…」
空は話を切り替えた。
「そうだったな。今、第一課が追ってる事件は知ってるか?」
安浦の何か含みのある言い方に、愛華は疑問を覚えた。
「はい。女子学生連続誘拐事件ですね? 」
空は答えた。基本的には、担当課以外で捜査進捗も含めた、事件の詳細は秘匿される。合同捜査でない限り、"俺達が追ってる事件"のワードだけで、本来は何を指すのか、を空が言い当てられるはずはなかった。
しかし、"特課"である、第四課は例外であった。公安庁が捜査権限を有する事案は、課や地方の枠を超え、情報アクセス権と捜査権を有する。
つまり、空と愛華は知っていても問題ではないのだ。愛華は、それが特課の特権とは知らなかったがゆえ、他課情報を共有し合うのは当たり前だと思い、安浦の問に疑問を覚えたのだった。
「あぁ、そうだ。結城。ちょっと、アレ出してくれるか?」
安浦は、"ホロ"という言葉が出てこないのか、必死に腕のデバイスを指で突いていた。
結城巧は、「了解です」と元気良く答えると、意図も簡単に情報を展開した。
「事件の発端は、最初の行方不明者、橋本望の両親から捜索願いが出された事だった」
安浦が口火を切ると、合わせたように橋本望の情報がホロ展開された。
「橋本望。16歳。国立・艶星学園に通う、女子高生です。真面目で大人しい性格ながら、他人からの信頼は厚く、友人も多かったと、両親も周囲の人間も証言しています」
ホロ情報には、生年月日、血液型などの生体情報から、学年、成績、学歴、交友関係に至るまでのステータスなど、結城が省略した情報まで細く記載されていた。
「艶星学園といえば、国内唯一のお嬢様学校ですね。家柄もそうですが、かなりの偏差値を要する事でも有名ですし」
愛華は驚く。なぜなら、学園のシステム上、誘拐に巻き込まれる要素が限り無く無いからだ。
艶星学園の教育モデルは、"最高質の創造"である。学園の指す最高質とは、知力、体力の文武だけでなく、容姿、作法、能力、思考にまで至るまでのステータス全て。全寮制であり、在学期間は、悪影響となる要因の一切を排したバックアップ体制が敷かれ、学園外の対人関係については、監視、指導をするまでの徹底ぶりである。
「そうだ。俺からすると、この学校の仕組みは、異常と言える程の過保護っぷりよ。まるで、高級家畜のような扱いだ」
安浦は、溜息混じりで皮肉を口にした。
「だが、そんな穴の無い学校体制で、橋本望は消えた。学園での状況が、リアルタイムで保護者に送信される仕組みにもかかわらずだ。
ある日、寮のセキュリティドローンに橋本望の帰寮情報が登録されず、それを不審に思った保護者が、学校に問い合わせたそうだ。学校関係者は総出で捜索したそうだが、寮はおろか、学外周辺にも姿は無く、不安に駆られた両親が捜索願いを出したってのが顛末だ。
そして、この一件を機に、13歳から20歳までの女子学生が姿を消す事案が多発。今日までに、23人が姿を消している」
ホロボードには、行方不明となっている23人の顔写真が表示されていく。
半年もの間にこれだけ数、未成年が姿を消しているという事実。同性で、比較的歳が近い愛華は、無事を願わずにはいられず、無意識に拳を握った。
安浦は、愛華の様子に気付きながらも説明を続ける。
「この事件が長期化している原因は、識別スキャナーと防犯ドローンに記録が残らない点だ。あの暴動みたいだろ?
だが、最初の行方不明者が出てから2ヶ月近く経った時、状況が進展した。行方不明者の家族の下に、手紙が相次いで投函されたんだよ」
安浦は、部屋の奥へと動き出すと、証拠品が並べられている机の上から、一通の手紙を手に取り、空へ渡した。
手紙を受け取った空は、数秒間、安浦を見ると、静かに手紙を開いた。
カクカクと角ばった特徴的な手書き文字で、記されていた。
空の視線が手紙の上から下へと移る。そして、静かに溜息を吐くと、愛華に渡した。
手紙を受け取った愛華は、代読するように口を開いた。
『お父さん、お母さんへ。
心配していると思うから手紙を書きます。
私が失踪して二ヶ月が経ったね。私は今、ある人の下で生活しています。そして、これからも死ぬまで帰ることは無いと思います。だけど、絶望的な気持ちにならないでね。
この人と出会い、導かれ、今までの自分がどんな社会で生き、理不尽と不条理を強制させられていたかを知りました。一度きりしかない人生、もっと人間らしい生き方をしたい、今はそう思っています。
私を導いてくれる人は素晴らしい人です。あらゆるしがらみから開放してくれるんです。身も心もこの人に委ねています。なので、これが最期です。ありがとう。さよなら。』
愛華が読み終わると、妙な静けさが辺りを包んだ。
愛華は眉間にしわを寄せ、手紙を持つ手を震わせる。そして、空を見る。
「これは、明らかに違うな…」
空が呟く。
「あぁ、そうだ。被害者本人じゃない。犯人が被害者になりすまして書いたものだ。敢えて被害者本人が書いていないと分かるような字体で書いていやがる。被害者家族の感情を意図的に逆撫するために。悪意でな」
安浦は険しい顔で、証拠品が並べられている机から同じような手紙の束を持ってきた。その数、今日までの行方不明者数と同じ23通。
「被害者全員分、内容は全部同じだ」
安浦は、ゴムを外すと、自席の机に投げるように手紙を置いた。手紙は勢いで、扇状に広がった。
「こんなの…酷過ぎる」
詰まらせながら口を開く、愛華。何とか怒りを抑えようとしていた。
「手紙の共通点から、Sレートの広域事件として、捜査本部を設置。一課主導で当たっていたが、今日まで行方不明者の足取りも、犯人の尻尾も掴めていないってのが現状だ。表向きはな」
含みのある言い方をする、安浦。
「表向き…?」
意味深な言葉に反応する、空。
「実は、一昨日、"自分が犯人だ"と言う男が出頭してきたんだよ」
安浦が指した、ホロボードに、容疑者の男の情報と、リアルタイムの拘置施設内の映像が映し出される。そこに映るのは、ベッドで胡座を組む、小太りの男だった。
「出頭してきた男は、川東燐。43歳。独身。鉄工所のアルバイトで生計を立てているようです。逮捕の経緯ですが、一昨日の13時35分、川東が公安庁に突如出頭。警務ドローンによって逮捕されています」
結城は説明に合わせて、逮捕時の映像をホロボードに投影した。
そこには、小太りの男が5分程、警務ドローンに何かを必死に訴え掛ける映像だった。男の要望に終始、無反応だった警務ドローンだが、急に人が変わったかのように反応すると、3台で男を取り囲み、逮捕にする様子が映っていた。
「ん? 入口の前で警務ドローンに逮捕された?」
映像にある逮捕の瞬間に、明らかな違和感を覚える、空。
「はい」
結城が空の疑問に答えるように返事する。
「おかしいな。警務ドローンは自首の申告を受け付けない。自首を含め、あらゆる申し出、問い合わせは、庁舎内のインフォメーションドローンに申し出るのが一般常識だ。
そもそも、警務ドローンが逮捕行動に出るのは、簡易スキャンによって得た情報から犯罪思考が認められた場合と、捜査同行時に限定解除された時だけのはず。だから、警務ドローンによって逮捕されたという事は、既定値超えの思考異常を検出していた事になる。だけど、川東は、街頭スキャナーにも、公安庁舎の正門警務ドローンにも引っかからず、入口の真ん前まで来ている。という事は、少なくとも、逮捕直前までの解析結果は正常値を検出していたという事。そんな事有り得るのか?」
空は、検出データそのものに違和感と類似性を見出していた。その脳裏には、"かつての事件"が過る。
「井川さん。一応、川東の識別スキャン情報があります。ですが…」
結城は、出頭するまでの経路にある街頭スキャナー情報と正門、入口前の警務ドローンでスキャンした情報をグラフにして表示した。
「これは、妙過ぎる」
空は目を剥く。
「はい、入口まで安定している脳波と心拍数が、逮捕直前になってこんなにも急激な振り幅を示すなんて…」
愛華が言うように、心電図のような折れ線グラフは、入口前の警務ドローンに何かを訴えている時はほぼ直線だったのに対し、逮捕直前に急激な上昇へと変化していた。
これは、本来、急激なストレスを感じている時に出るもので、例えば、自殺など、"死"という結果が分かっている行為の前に見られる兆候である。
「いや、そこもだけど、そこじゃない。あまりに綺麗すぎるんだ」
空が目をつけたのは、安定時のスキャン結果だった。
「流石だな。一課で気付いた者はいなかったよ。俺もお前さんを呼ぶ前に気付いたくらいだ」
感心するようにガハハと笑う安浦は、空の肩にポンと手を置いた。
「で、お前さんに見てもらいたいのは聴取映像だ」
安浦がそう言うと、他のホロ情報は瞬時に消え、映画のフルスクリーンのように聴取映像が展開された。
一課捜査官の質問に淡々と答える、川東。だが、ある質問で言葉に詰まる。
"誘拐した女子学生は今どこにいますか?"
空はこの映像の違和感に気付いた。
「やっさん、俺にやらせたい事っていうのは、この男のプロファイリングですね?」
空は、静かに安浦を見る。
「頼めるか?」
安浦は、一言返事をした。
「早速、この男と話をさせてください」
空はいつも以上に強張った表情で言うと、安浦の案内で取調べ室に入って行った。