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公安四課  作者: やん
31/52

FILE.30 胡蝶の夢

19日前 ───。

公安庁附属病院。


陽菜(ひな)は?」

面会室に入るや(いな)や、その場で待機(たいき)していた、(あずさ)(そら)容態(ようだい)を聞く、深月(みづき)。ガラス窓の先に、点滴(てんてき)心電図(しんでんず)(つな)がれた陽菜の姿があった。


「大丈夫だよ。過度(かど)のストレスと貧血(ひんけつ)で倒れたみたい。今日の精密検査(せいみつけんさ)でも問題は無かったし、明日(あした)には退院(たいいん)できるだろうって」

深月を落ち着かせるように、両肩にポンっと手を置く、空。深月は安心して力が抜けたのか、ヘナヘナと崩れ落ちる。


1日前、第三課から提供された、違法ビジネス業者・SACRED(セイカレド)後継団体(こうけいだんたい)PROTO-STAR(プロトスター)の会員リストを(もと)に、juːˈtoʊpiə(ユートピア)アカウントを割出していた、陽菜。その最中(さなか)、スマイリーフェイスをエンブレムとした、(なぞ)のハッカーから攻撃を受け、()(すべ)無く、敗北(はいぼく)(きっ)してしまう。1度目の敗北から、睡眠時間さえまともに取らずに解析(かいせき)をしていたのが裏目(うらめ)に出たのか、得意のサイバー戦で2度負けたことがストレスとなったのか、陽菜は何かに意識を()り取られるかの(よう)にその場で倒れたのだった。


「いつもあの子に助けられていたわ。あの子の技術に頼って、あの子の助けにはなってあげられなかった…。だから今度は、私達が個々(ここ)の得意分野を()かして、陽菜に返す時よ」

梓の言葉には決意が込められていた。力強い意思に賛同するように、空と深月は(うなず)く。


3人の足元から空間がパラパラと(めく)れ上がる。(まばた)きの()に、電脳ワールドへと移り変わっていた。



16日前───。

新宿区富久168- PROTO-STAR(プロトスター)オフィス。


ざわつく室内は、まさに密集地(みっしゅうち)と呼べるに相応(ふさわ)しい。ざっと見たところ20代が多いように思える。


「ここで待ってて。説明会の前に、俺が普段お世話になっている方で、説明後の質問に答えてくれる人を紹介するから」

男はそう言うと、パーテーションで区切られたスペースに案内し、20(きゃく)程度あるパイプ椅子(いす)の最前列中央に座らせた。


(ほど)なくして、紹介者の男は別の男を連れてくる。全身ブランドに包まれ、如何(いか)にも"成功者"というような出立(いでた)ちだった。


「紹介するね。こちら、俺がいつもお世話になってる、原田佑汰(はらだゆうた)さん。佑汰(ゆうた)さんは元々(もともと)首都圏水道局しゅとけんすいどうきょくでトップ営業マンだったんだけど、今はこのビジネスだけで当時の何倍も(かせ)がれてる人なんだ。知識も豊富(ほうふ)で、今日は愛華ちゃんの疑問点(ぎもんてん)を全部解消してくれるから安心してね」

紹介者の男が(はな)つ笑顔は本物なのだろうか? 勧誘(かんゆう)されて来たであろう他の人達も、同じように上位会員(じょういかいいん)の紹介を受けていた。


佑汰(ゆうた)さん、こちらは柚崎愛華(ゆずさきあいか)さん。今年24歳で、今は雑貨屋(ざっかや)の店員さんをやってます。今日、説明を聞くのをめっちゃ楽しみにしてくれてるんですよ」

嬉しそうな紹介者。愛華(あいか)は立ち上り、緊張気味(きんちょうぎみ)にお辞儀(じぎ)をする。


「いいね! 今日、説明してくれる篠井雛果(しのいひなか)さんも、このビジネスを始めてたった半年で、本業だったパティシエを辞めて、コレ一本(いっぽん)で生活している1人だよ。体験談を(まじ)えて分かりやすく話してくれるから、愛華ちゃんも聞いたらこのビジネスやりたいってなると思う! 疑問点は全部俺が解決するから、まずは説明会を楽しみにしててね」

この原田(はらだ)という男、人間関係の作り方が圧倒的に上手(うま)い。身体(からだ)(なな)め45度に向け、目線を合わせる事で、圧迫感(あっぱくかん)を無くしている。しかも、説明者と自分、そしてこのビジネスに対するT-up(ティーアップ)絶妙(ぜつみょう)だ。もし、潜入捜査(せんにゅうそうさ)では無く、何も知らずに勧誘されていたら、信じてしまうかもしれない。そう思うと、正直怖くなる、愛華。


「はい。楽しみにしています。よろしくお願いします」

愛華も負けず(おと)らずの笑顔で返す。手応(てごた)えを(つか)んだかのように、自信満々の表情で退出(たいしゅつ)する、原田(はらだ)


「あと数分で始まるけど、トイレは大丈夫?」

紹介者は愛華の左に座った。


「それじゃあ、ちょっとお手洗いを()ませちゃいますね」

愛華はまたも笑顔で返すと、紹介者は女子トイレに案内した。紹介者の「ここで待ってるね」という言葉は、まるで(にが)さないと言われているようにも感じる、愛華。改めて、潜入捜査(せんにゅうそうさ)である事にホッとした。


愛華はトイレに入ると、深呼吸をした。そして、ポケットからフリスクのようなケースを取り出す。スライド式のケースを開くと、中から小型ミツバチドローンが4匹飛び出した。ミツバチが換気口(かんきこう)に入るのを確認して、愛華はトイレを出る。


あとは、作戦開始を待つだけだ。愛華は、再び笑顔でパイプ椅子に座った。


***


説明会は後半に差し掛かる。事前の調査通り、収入シュミレーションを話すだけで、収入を得るための条件は説明されていない。さらには、国内法(こくないほう)適用外(てきようがい)(うた)文句(もんく)に安心感を与え、ポジティブな内容に重点を置いた説明をしていた。


さすがの愛華も、これ以上、この場にいる事に疲れを感じ始めていたが、その時、指向性音声(しこうせいおんせい)は直接脳内に響く。


「お待たせ、愛華。あと1分で一斉摘発(ガサ)に入る。準備して」

遼子(りょうこ)だった。恐らくは(すで)に建物ごと警務ドローンが包囲(ほうい)しているのだろう。その事をここにいる誰もが知らない。


愛華はそっと時計を見た。カウントダウンは始まっている。


3・2・1。


扉を蹴破(けやぶ)る音に一瞬(いっしゅん)の静けさが室内を支配した。


「公安庁だ。ここにいる全員を特定商取引法違反とくていしょうとりひきほういはんおよび、金融商品取引法違反きんゆうしょうひんとりひきほういはんの疑いで拘束(こうそく)する。抵抗する者には、執行許可も出ている。全員、手を頭の後ろで組み、その場に()せなさい」

遼子を筆頭(ひっとう)に、警務ドローンと第三課捜査官達が流れ込む。


大人しく指示に(したが)う者は、勧誘されて初めて来た者か、会員となってまだ日が浅い者だろう。厄介(やっかい)なのは、リーダー格会員や中間会員だ。指示に(したが)うどころか、デバイスをこちらに向け、動画を()っている。突然の摘発(てきはつ)に対する抵抗なのだろうか。


「ちょっと、いきなり入ってきて何なんですか? 住居侵入(じゅうきょしんにゅう)ですよ?」

リーダー格の男が遼子に()っかかると、ぞろぞろとリーダー格会員が男女問わず詰め寄って来る。違法なビジネスをしている自覚も無いのだろう。行為を正当化(せいとうか)し、指摘(してき)された事実に対しては「それとは違うけれど、会員だから分からない」と(しら)を切る。まさに、洗脳(せんのう)とも呼べるものである。


公安とビジネス会員が繰り広げる押し問答(もんどう)は、加熱(かねつ)し、ついに、会員の男が警務ドローンによって倒されてしまった。それが会員達の感情を逆撫(さかなで)でしたのか、別会員の男がついに公安へ(きば)を向ける。


男は、遼子に向かってパイプ椅子(いす)を振り下ろした。


パンッ。

パイプ椅子(いす)は床を2、3回弾き、大きな音と共に倒れる。(あた)りは再び沈黙(ちんもく)(つつ)まれた。


倒れたパイプ椅子(いす)の下から、真っ赤な血がじわっと広がる。


何が起こったのか、理解が追いつかない会員達は、(おそ)(おそ)る入口を見る。そこには、(けむり)が立つ銃口(じゅうこう)を向けた、女性捜査官の姿があった。


「もう一度言う。お前たちは執行対象だ。死にたくなかったら、今すぐ頭の後ろで手を組み、()せろ」

これは慈悲(じひ)のある"指示"などでは無く、"命令"である事をようやく理解する、会員達。


会員達は次々(つぎつぎ)平伏(ひれふ)していった。


「先生、助かりました」

遼子がアイコンタクトを送ったのは、(しずく)だった。雫はもまた口角(こうかく)を上げるように()むと、「背中は任せろ」と一言(つぶや)いた。


平伏(ひれふ)した者達の中心で、1人だけ立っている者がいた。その違和感(いわかん)一抹(いちまつ)の不安を(いだ)きながら、男は声をかける。

「あ、愛華ちゃん。()せないと殺されちゃうよ?」


(しぼ)り出すように発した声は震えていた。それを聞き、見下(みお)ろすように紹介者の男を見ると、これまでとは違う本心の笑顔を見せた、愛華。


「愛華!」

遼子から投げられたエンフォーサーは、ブレる事なく愛華の手に(おさ)まった。


目の前で起こる状況をどうしても否定したい、紹介者の男。男は愛華に恋していたのだ。一緒にビジネスをする楽しみ、そして、距離が縮まれば恋人関係になれるのではという(あわ)い期待を(いだ)いていた。

「ど、どうしてなんだ。楽しみだって言ってたじゃないか。俺は君と…」


「ごめんなさい。私は公安庁第四課捜査官です」

男の想いを打ち(くだ)くかのように、愛華はエンフォーサーを向けた。


***


周囲を警光灯(けいこうとう)()らす中、次々(つぎつぎ)と警務ドローンによって、会員、勧誘を受けた人の区別無く移送されていく。彼らがどういう処遇(しょぐう)になるかは分からない。(あと)は第三課が担当する。


(あわ)い恋にヒビを入れてしまったな」

雫の(つぶや)きに、遼子はくすくすと笑っている。


愛華は(あわ)てて反論する。

「そ、そんなんじゃ無いです。全くそんな気持ち無かったです。それに、私は…」

何かを言いかけて、口篭(くちごも)る愛華。


遼子はすかさず話題を拾った。

「先生! 愛華にだって本命はいるんですから、そんなに揶揄(からか)わないであげてください」


「もー!! 遼子さんまでー!!!」

ふくれっ(つら)の愛華。先程までの殺伐(さつばつ)とした雰囲気(ふんいき)(うそ)のように、じゃれ合う3人。


そんな中、デバイスからコールが()った。


「遼子、聞こえる? こちらの拠点(きょてん)壊滅(かいめつ)よ。そっちは?」

別拠点(べつきょてん)摘発(てきはつ)した、梓からだった。


事前の調査で拠点(きょてん)は二ヶ所存在する事は分かっていた。だからこそ、拠点(きょてん)片方(かたほう)ずつ(つぶ)していては、もう片方(かたほう)雲隠(くもがく)れする可能性があった。だから、同時摘発(どうじてきはつ)決行(けっこう)したのだった。


「聞こえているわ。こっちの拠点(きょてん)壊滅(かいめつ)よ。だけど、リストに記載(きさい)の数人がいないわ」

遼子が言うように、リストに()主要人物(しゅようじんぶつ)数人が不在の為、確保できていなかったのだ。


「こっちもよ。(あと)虱潰(しらみつぶ)しに行くしか無いようね」

梓は溜息混(ためいきま)じりに言った。何故(なぜ)なら、一斉摘発(いっせいてきはつ)だけであればいつでもできるが、会員を一人残らず逮捕(たいほ)するのには、かなりの労力を(よう)するからだ。

そもそも、違法ビジネス団体の一斉摘発(いっせいてきはつ)壊滅(かいめつ)は、第三課の捜査目的(そうさもくてき)であって、四課の目的は別にある。目的の為には当日中の全員逮捕(ぜんいんたいほ)必須(ひっす)であった。


時間が(せま)る中、通信に割り込むノイズが一瞬(しょう)じた。


「私だけ仲間外れなんて(ひど)いじゃない。みんなのデバイスに逃亡中(とうぼうちゅう)の各主要メンバーの現在地をプロットした地図を送ったわ。三課にも共有済みよ」

四課の通信に割り込みできる人間など、1人しかいない。


「陽菜!!!!」

梓と遼子が同時に反応した。


「もう体調は良いの?」

一番に心配していた深月が(たず)ねる。


「うん。お陰様(かげさま)で。それよりみんなに心配かけちゃったよね。私、最初に負けた(あと)、"私にはこれしか無いのに"って必死(ひっし)になり()ぎちゃって、無理してでも取り返そうって思ったの。自分を追い詰めて、追い詰めて…。それでも、自分よりレベルの高いハッカー相手に、手も足も出なくて2度目も負けた。その時、"私の存在意義(そんざいいぎ)って何だろう"って思ってしまって、その瞬間、意識の糸が切れたみたいに目の前が真っ暗になった。

でも、眠っている(あいだ)に、みんなの声が聞こえた気がした。そこでようやく思い出したの。私が持つ最強の武器は、ハッキング技術じゃ無い。みんなの存在なんだって。だから、みんなの事、頼っても良いかな?」

陽菜の声はこれまで以上に明るいように思えた。


「もちろん!」

四課メンバー全員が口を(そろ)えて(こた)える。全員が1か所にいる訳では無い現状だったが、気持ちは同じ所にあるのを全員が感じた瞬間だった。


「さぁ、残りの会員を拘束(こうそく)、抵抗あれば執行(しっこう)も許可するわ。全員、状況開始」

梓の号令(ごうれい)で、一斉(いっせい)に動き出す四課。



その日のニュース番組は、公安庁による違法ビジネス団体の大規模な一斉摘発(いっせいてきはつ)に関する報道一色(ほうどういっしょく)となった。



───現在。

juːˈtoʊpiə(ユートピア)


歌姫・LUNÄ(ルーナ)の歌声が(ひび)き渡り、juːˈtoʊpiə(ユートピア)の全てを魅力(みりょう)する。


一帯(いったい)がファンで盛り上がる一方、人混(ひとご)みを(くぐ)り抜けるように、人の足首程(あしくびほど)の大きさしか無い、まん丸目をしたウサギのようなアバターが、巫女姿(みこすがた)をした九尾姫(きゅうびひめ)(もと)()()る。


「フフッ。アバターになっても空は可愛(かわい)いのね」

九尾姫(きゅうびひめ)は、ウサギとなった空を()き上げると、ぬいぐるみにするかのようにスリスリした。


「ちょ、ちょっと()めてよ。梓姉(あずねぇ)。捜査中なんだから」

空は必死に(のが)れようとするが、体格差に加え、ぬいぐるみボディでは力が入らず、バタバタと足掻(あが)く以外には何もできずにいた。


茶番(ちゃばん)のようなスキンシップから開放されたのは、15分後だった。梓は満足感(まんぞくかん)(ひた)っている。


「そんな事より、首尾(しゅび)は?」

空の指摘(してき)にハッと(われ)に帰る、梓。


上々(じょうじょう)よ。空の筋書(すじが)き通りになったわ」

嬉しそうな梓。


「なら、もうすぐ事態(じたい)が動く」

空は、どこからとも無く取り出した懐中時計(かいちゅうどけい)を見た。LUNÄ(ルーナ)の歌声とライブの爆音(ばくおん)、ファンの歓声(かんせい)が入り交じり、その他の音など()き消える中、カチカチと進む秒針(びょうしん)の音だけははっきりと聞こえた。


ライブも大詰(おおず)め。最終曲もサビに入りかけると、羽ばたくように両手を広げる、LUNÄ(ルーナ)。背中からは巨大な羽が出現し、それに合わせるように夜空(よぞら)にオーロラが出現。会場と()した街全体(まちぜんたい)壮大(そうだい)な世界観を演出していた。


『♪ 現実は貴方(あなた)傷付(きずつ)ける

だから貴方(あなた)仮想現実(この世界)こそ自分の居場所だと思ったの?

私は貴方(あなた)(そば)にいたい

(とな)りでずっと守り………』

LUNÄ(ルーナ)異変(いへん)に気付く。


声が出ない…。


ファンも異変(いへん)に気付き、ざわめきが起こる。


LUNÄ(ルーナ)必死(ひっし)に声を出そうとするが、音にならない呼吸のような声が(かす)れるだけだった。それでも、首を両手で(おさ)えながら、(うった)()けるかのように声を出そうとするLUNÄ(ルーナ)


ダークネイビーの夜空(よぞら)が真っ赤に()まり、オーロラは消し飛ぶ。何処(どこ)からとも無く、エラー音が鳴り(ひび)き、juːˈtoʊpiə(ユートピア)を不安と恐怖に()()えた。


「来た」

空は上空(じょうくう)を見上げる。


LUNÄ(ルーナ)を乗せた白鯨(はくげい)は動きを止める。行く手を(ふさ)ぐかのように巨大ホロモニターが出現し、嘲嗤(あざわら)うかの(ごと)く、"アレ"が表示される。そう、スマイリーフェイスのエンブレムだ。


()(やみ)の狂気を前に、後退(あとずさ)りするLUNÄ(ルーナ)


一度()が出た狂気を、誰も抑え込む事は出来(でき)ない。スマイリーフェイスを表示したホロモニターが次々(つぎつぎ)と出現し、あっという間にjuːˈtoʊpiə(ユートピア)全体を侵食(しんしょく)していく。


そして、LUNÄ(ルーナ)最期(さいご)悲劇(ひげき)(おそ)()かる。


声だけで無く、息を()くことができない。苦しみで倒れ込むと、その場でのたうち回る。助けを求めるように手を伸ばすが、その願いは届かなかった。LUNÄ(ルーナ)力尽(ちからつ)きると、白鯨(はくげい)から転がり落ちる。そして、地面へ落下する前に、身体がピクセル上の粒子となって(くだ)け消えてしまった。


梓と空はそれを見届(みとど)けると、その場から静かにログアウトした。



千代田区大手町284-ビル一室。


エレベーターが(ひと)りでに開く。フロアーの電気は消えており、エレベーターから()れた光が一帯(いったい)()らしている。電気が()いていないのは、その階全てのようだった。


「どうして、ここにいると分かった?」

事務の机に腰掛(こしか)ける男は、誰もいない場で(ひと)り言のように()い掛けた。


「そんなに警戒(けいかい)しないでくれよ。僕は現実世界(こっち)では丸越(まるご)しなんだから」

入口に()を向ける男は、両手を()げた。


(まと)っていた光学迷彩(こうがくめいさい)解除(かいじょ)した、遼子、陽菜、深月、雫、愛華。男を取り囲むように、入口前の陽菜を中心に扇状(おうぎじょう)に広がる5人。


声と後姿(うしろすがた)の様子から、20代前半の男だろうか。男は、横顔が見える程度にこちらを見ていたが、顔の前で展開されたホログラムによって、顔を視認(しにん)する事はできない。ホログラムには、例のスマイリーフェイスが大きく表示されていた。


「もう一度聞くよ? どうして、ここだと分かった?」

向けられたエンフォーサーを(おそ)れる様子(ようす)もなく、声色(こわいろ)(いた)って冷静だった、スマイルマン*¹。


「それは、あなたが私達の仕掛(しか)けた(わな)()かったからです」

愛華は(こた)える。


「2週間前に報道された、PROTO-STAR(プロトスター)一斉摘発(いっせいてきはつ)。それによって、あなたの思惑(おもわく)通り、組織の違法性(いほうせい)が全国に流布(るふ)される事になった。

あなたにとって、PROTO-STAR(プロトスター)の会員が、国家、国民に断罪(だんざい)されたという事は、第一(だいいち)の目的を達成したと言えた。

ただ、問題は第二目的。次に批判(ひはん)の目が向くのは、juːˈtoʊpiə(ユートピア)の運営だった。当然よね。PROTO-STAR(プロトスター)にシステム的な制裁(せいさい)を与えられず、結果的に詐欺(さぎ)ビジネス蔓延(まんえん)温床化(おんしょうか)を許してしまったのだから。運営は火消しに躍起(やっき)となったはずよ。そんな時、地獄(じごく)()った(ほとけ)(ごと)く、歌姫・LUNÄ(ルーナ)(あらわ)れた。彼女の爆発的な人気は、批判を()き消すには十分だった。実際、たった2日で事態は終息(しゅうそく)したんだから、運営も手放(てばな)しで喜んだ事でしょうね。

でも、その状況に不満を(いだ)いたのが、あなた。あなたは、犯罪の温床(おんしょう)()していた、juːˈtoʊpiə(ユートピア)とその運営も同様に(ばつ)を受けるべきと考えた。

そんな時、ネット上では、ある(つわさ)(まこと)しやかに広がり始めた。歌姫・LUNÄ(ルーナ)は、PROTO-STAR(プロトスター)(うら)から牛耳(ぎゅうじ)黒幕(くろまく)で、売り上げの数パーセントを得ていたjuːˈtoʊpiə(ユートピア)運営も、違法ビジネスに加担(かたん)していた、という(うわさ)よ。事実なら、運営を潰そうと目論(もくろ)むあなたにとって、美味(うま)い話になる。だから、あなたはハッキングによって機密情報(きみつじょうほう)を抜き出した。

そして、全ての証拠となる情報を手にしたあなたは、先程、19時27分にLUNÄ(ルーナ)殺害(さつがい)した」

陽菜は、事件背景(じけんはいけい)犯行動機(はんこうどうき)をスマイルマンに()き付けた。


「なるほど。でも、僕の質問に対する答えにはなっていないな。今のは、推察(すいさつ)した動機(どうき)の説明だ。君達が何故(なぜ)ここを()ぎ当てる事ができたのかを答えてもらっていない。そこの彼女が言った、"僕が(わな)()かった"というのはどういう意味?」

スマイルマンにとって、重要なのは居場所を特定されたという事だけだった。スマイルマンの犯行は、全てサイバー上で行われている。居場所を特定されたという事は、何かしらの痕跡(こんせき)を残してしまったということ。ウィザード級ハッカーとして、それは由々(ゆゆ)しき事であった。


「あなたが犯行で利用した、juːˈtoʊpiə(ユートピア)を含むネット環境全てが、あなたを(とらえ)える(ため)(わな)だった…と言えば、私達がここに来た理由も分かりますよね?」

これまで冷静だったスマイルマンだが、陽菜の答えに明らかな動揺(どうよう)を見せた。


「そんなはずは無い。juːˈtoʊpiə(ユートピア)へのアクセスも、回線への侵入(しんにゅう)も全て、ダミープログラムを先行(せんこう)させている。その環境に(わな)仕掛(しか)けられていれば確実に気付く。百歩譲(ひゃっぽゆず)って(わな)()かったとしても、ダークウェブをいくつも踏台(ふみだい)にしている以上、追跡(ついせき)は不可能なはずだ」

必死に反論するスマイルマン。顔は(かく)れていても(あせ)りを隠すことはできなかった。


「ええ。なので、juːˈtoʊpiə(ユートピア)およびサーフェイスウェブからダークウェブに(いた)るまでの"全て"をハッキングし、まんまコピーしたんです。当然、juːˈtoʊpiə(ユートピア)で上の個別アカウントも。つまり、あなたが最初に侵入した環境から全て、私が作り上げた"偽"の世界なんです」

陽菜は突き付けるように、スマイルマンが辿(たど)ったアクセス(こん)をホログラム表示した。


馬鹿(ばか)な。どれだけの演算力が必要だと思っているんだ。スーパーコンピュータを並列化したってできるものじゃ…。まさか、量子コンピュータか…」

スマイルマンが気付く、量子コンピュータの可能性。ただし、公表(こうひょう)されている事実との差異(さい)違和感(いわかん)を覚える。


「そう、量子コンピュータだ。(おおやけ)には、国民管理システムを利用目的として、主要都市の非公表地点(ひこうひょうちてん)に設置している、と公表(こうひょう)しているが、それとは別に、公安庁も秘密裏(ひみつり)だが所持(しょじ)している。その量子コンピュータ数台を並列化すれば可能だよ」

遼子はサラッと答えたが、スーパーコンピュータで数万年かかる演算を、量子コンピュータでは数秒で()える。そんな技術を、いくらウィザード級とは言っても1人のハッカー相手に使う事に、言い知れぬ抵抗感と国家に対する不信感を覚える、スマイルマン。


そして、ある事にも気付く。

「まさか、LUNÄ(ルーナ)も生きているのか?」


「うん。生きてるよ。だってLUNÄ(ルーナ)(あたし)だもん」

その声に視線を向ける、スマイルマン。そこには小柄(こがら)で、右の(かみ)だけを一つ結びした女性捜査官がエンフォーサーを向けて立っていた。


深月だ。


「あ、勘違(かんちが)いしないでね。あの環境でLUNÄ(あたし)潜入(せんにゅう)していた2人は、NPCじゃ無くてホンモノだから。もちろんちゃんと歌も歌ってたんだよ〜」

深月らしく、ニシシと笑いながらタネ明かしをする。


「難しい事は分かんないんだけど、受けたサイバー攻撃を解析(かいせき)して、陽菜が上手(うま)く死んだ事にしてくれたんだよね。ま、その辺はあんたの方が詳しいでしょ?」

一見、軽口(かるくち)に見える深月の言動。だが、その奥に(ひそ)む底知れぬ本質を垣間見(かいまみ)て、深月を明確な脅威(きょうい)と判断した、スマイルマン。何故(なぜ)なら、いくらウィザード級ハッカー・立華陽菜(たちばなひな)の技術があったとしても、普通はそれに合わせられるだけの行動を取る事は難しいからだ。


「お前が見た、LUNÄ(ルーナ)juːˈtoʊpiə(ユートピア)運営の黒い(うわさ)と、それに関する証拠に関しても、第四課(あたしら)で作ったものだ。まぁ、juːˈtoʊpiə(ユートピア)運営には無許可だからな。相当(そうとう)な煮え湯は飲んでもらってるが、そこは違法組織(いほうそしき)温床化(おんしょうか)を放置してたんだ。そのくらいの(ばつ)があっても良いってもんだろう?」

雫が言う、証拠を捏造(ねつぞう)するのは、そう難しくない。問題は(うわさ)だ。


(うわさ)の発生には、"情報の重要さ"と"情報の不確かさ"が必要である。最大多数(さいだいたすう)にとって必要な情報として認知させ、()つ、ネットワーク環境が発達した現代において調べても答えが出ないようにするのは、現実的に難しい。だが、第四課は少数でそれをやってのけたのだ。


「この筋書(すじが)きを作ったのは、ここには来ていないけど、第四課(私達)の仲間の1人よ。とんでも無いアイディアだけど、私の技術を信じて(たく)してくれたの。正直、1対1じゃあ、私はあなたに勝てない。あなたの方が上よ。でも、7人ならあなたを超えられる。7人ならあなたを追い詰められる」

陽菜の表情には、自信(じしん)が満ち(あふ)れていた。


「なるほど。僕は君達の話を聞いた時、ハッカーとしての君に注目した。君だけを標的(ひょうてき)に、僕が実行する制裁(せいさい)をプログラミングしたんだ。だけど、それが間違っていたんだね。僕が敵視(てきし)しなくてはいけなかったのは、第四課の全員だった…」

スマイルマンが(つくえ)から飛び降りると同時に、その場にいた5人の視界(しかい)にノイズが走る。


直接的、肉体的な痛みは無いが、視覚(しかく)にノイズが入り()む事で、まるで急な頭痛(ずつう)目眩(めまい)(おそ)われたかのような不快感が、5人を(おそ)う。5人は(たま)らず、片膝(かたひざ)を付く。


「ここまで追い詰められるとは…。流石(さすが)、公安四課。"あの人"の言う通りだ。でもね、僕に王手を()けたつもりだろうけど、君達には捕まらないよ」


「あの人…だと…?」

ノイズ塗れの視界に苦しみながらも、目の前の敵を見ようとする、遼子。


()めておいたほうがいい。無理をすれば失明(しつめい)する」

5人の前を平然(へいぜん)と通る、スマイルマン。


「貴様、あたしらの目を奪いやがったな」

抵抗するかのように叫ぶ、雫。


「うん。言っただろう? 敵は君達、四課全員だったって。目に入れている"ソレ"をハックさせてもらったんだ。さようなら。第四課。今度は負けないよ」

スマイルマンは何食わぬ顔で、部屋を(あと)にした。


2、3分後、IRIS(アイリス) PROTECTION(プロテクション)仕掛(しか)けられたノイズが消える。視界(しかい)を取り戻した5人。


「"今度は負けない"だと? 負けたのは私達のほうだ」

歯軋(はぎし)りの音を立てる、遼子。立ち尽くす5人に重く()()るのは、敗北感だけだった。



*¹ スマイルマン:円周に『Peace begins with a smile.』と刻まれた、スマイリーフェイス(にこちゃんマーク)をエンブレムとした、特A級(ウィザード級)ハッカー。


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