FILE.28 笑む闇
時報音と共に刻々と進む秒針。その針が0を指す時、重い腰を上げるかのように長針もまた0を指す。
「juːˈtoʊpiə*¹へようこそ。時刻は午前0時。今日も皆さんにとって素敵な一日でありますように…」
アナウンスが都市全域に響き渡る。街を行き交うのは、"人"では無く、多種多様な姿をした"アバター"。娯楽やショッピングを始め、金融機関などの行政システムまでもが集結し、街全体がパッケージ化したコンテンツ。そう。ここは仮想世界。もう一つの現実───。
───13時間後。
街頭の巨大モニターには、MMORPG関連のインタビュー映像が放映されており、その下には何人ものゲームプレイヤー達が立ち止まっていた。
「システム補正が完備されている現在において、勝ち抜く為に必要なのはDEX*²でも無ければ、AGI*³でも無いんです。それらに課金した所で何の意味も無い。重要なのは事前の"情報"なのです。情報をどれだけ早く手に入れられるか。そして、その手段を持っているかが鍵となる。この放送を観て、慌てて情報を集め始めるプレイヤーもいるんでしょうけど、既に遅い。"いま"、この時点で戦いはもう終わっているんです」
全身黒の装備を纏い、目には暗視バイザーのような物を埋込んだ、レンジャー部隊風の男。自信の表れなのか、パフォーマンスなのか、男は得意げに話すと、既に勝利を確信しているかのように右手を強く握り、天に掲げた。
ネット中継ということもあり、男と女性司会者の背景は中継閲覧者の様々な意見がリアルタイムで流れている。
「さすがは、今やjuːˈtoʊpiəに展開されるMMOの中で最もハードと言われる、『バレットオブマーセナリーズ*⁴』のトッププレイヤーだけあって、勝利への方程式は構築済みなんですね」
和装姿で獣耳の女性司会は、前のめりにインタビューをする。
「いやいや、最高の腕を持ったプレイヤーが集まるのが、このBØMですからね。ただし、俺が意識しているのは3人以外いないと言っても過言じゃない。だって、ほら、もうあなた方には銃口を突きつけているんだから」
自信を隠しきれない男は、右手で拳銃を形作り、撃つ仕草をする。
直後に賛否、いや否定的なコメントが殺到したのは言うまでもない。ただの一言で民衆が湧き上がるというのは、それだけ注目度の高いゲームという証明であり、男の存在はゲームの顔としても共通の認識となっていた。
「さすがの自信ですね。当然、次回の大型イベント『ナイフアンドガンズ』も優勝を狙っているということですよね」
煽るように確認する、女性司会者。
「そりゃ、もちろんですよ。優勝以外考えていませんね。まぁ、俺を倒せる人がいるなら出てきてほしいですけどね」
男は両手を広げ、天を見上げる。誰も俺を倒す事なんてできないと言わんばかりに。
その直後、刹那に映像が乱れる。ほんの一瞬、何かが映った。顔絵のようにも見えなくは無いが、それを認識した者は殆どいなかった。
何事も無かったかのように映像は復旧する。
「さぁ、この俺と命のやり…」
興奮のまま、閲覧者に向けてのメッセージを叫ぼうとした瞬間だった。男は言葉の続きが出ないことに気づく。いや、出ないのでは無く、口が痺れて動かないのだ。全身から悪寒と冷汗が染み出る。そして、その時はやってきた。
胸を引き締められる痛み。激痛が思考を停止させる。
男は苦しむ余裕も無く、目を見開きながら前へと膝まずく。
倒れると同時に、男のアバターは崩れるようにログアウトした。
司会者は訳も分からず混乱し、コメントには様々な反応が殺到する。ただ、一つ確実なことは、誰一人として状況を把握している者はいない、ということだった。
───3日後。
三郷区437-ヒルズガーデン三郷。
マンションの一室、16帖の隅々を小型の鑑識ドローンが走り回る。
「害者は米林穂海。23歳。死亡推定時刻は今から2時間前…。今のところ死因は不明です。
彼女は、本職の保育士とSNSを使った広告動画配信、所謂アフィリエイトで生計を立てていて、最近は、アフィリエイト収入が支柱だったようです。一見、病死にも見える状況ですが、あまりにも綺麗過ぎる…。他殺、つまり一連の事件と同一だと思います」
柚崎愛華は断言する。遺体を前に動じず、冷静に観察し、洞察し、判断する様子は、新人だった1年半前とは別人だった。彼女は新宮那岐の事件を経て、1年半、特課としての経験を積むことで刑事として大きく成長を遂げていた。
愛華は、しゃがみ腰で遺体の隅々まで見るように覗き込む。一般的にデバイスでのスキャンがこの時代の主流だが、昔ながらの目で見て判断する重要性を愛華は第四課で学び、知っていた。
「私も他殺の線に同感だ。病死と言えば、心筋梗塞、もしくは脳卒中辺りが思いつくけど、仮に睡眠中の発病だとしても、ソファーの上でこんなに綺麗な体勢では死な無いだろう。誰かに何かのトリックで殺された。つまり、これまでと同じ、"死因なき殺人"と考えるのが自然だ」
奥の部屋から出てきた、雫。黒髪長髪を靡かせ、その後からは良い匂いが漂う。スタイル抜群、キリッとした目つきから纏う、凛とした雰囲気は、竹内梓と何処となく似ている。容姿だけで言うなら、間違い無く男性人気は高いだろう。
雫はホログラムで展開した情報を、愛華に飛ばすようにデコピンする。情報はクルクルと回転しながら愛華の目の前で止まった。
「2時間前のログにjuːˈtoʊpiəへのアクセス記録が残ってる。恐らくは自身が開設したチャンネルにアクセスしてたんだろう。状況証拠に過ぎないが、現実認識ができないjuːˈtoʊpiəへのアクセス中に殺されたんだろう。本人の意識は仮想世界に置いたままだから、現実世界で何が起こったのか分からない内にお陀仏ってことだな」
雫は手に持っていた耳掛けタイプのデバイスを鑑識ドローンに渡した。ドローンは自分より少し大きいデバイスを蹌踉めきながら受取ると、どこかへと持ち去って行く。
「さすがの観察眼ですね。白羽衣雫 警視正」
愛華は指先で小さく拍手する。その目には、白羽衣雫への憧れが映っていた。
「こんなの観察眼なんて大逸れた代物じゃないよ。状況証拠からの帰結だ。それと!いつも言ってるだろう。私を階級付きで呼ぶな、柚崎愛華 警視!」
雫はスタスタと愛華に近付くと、愛華の額に力強く中指を弾く。その痛さに涙を浮かべ、額を抑える愛華だった。
「しかし、仮想世界へのダイブ中に殺害…。これで7人目です。しかも、未だに死因の特定ができないなんて」
額をさすりながら、ゆっくり立ち上がる。
「最近の行方不明者の中で、被害者である可能性が高い者も含めると、数は24人に上る。広域事件になりそうだな。7人の共通点は?」
雫の問に、愛華は被害者7人の状況をホロ展開した。
「7人ともjuːˈtoʊpiə内での人気ランカーということです。ご存知の通り、juːˈtoʊpiəは、各カテゴリー、各コミュニティーの集合体で、大規模なものや人気ランカーには大企業が出資する程、莫大な市場規模を誇っています。人気ランカーともあれば、巨億の財を成している場合もあります。羨望の影には妬み有りとも言うぐらいですし、彼、彼女らを面白く思わない人も一定数存在するばずです」
愛華が展開したのは、被害者に向けられた匿名の誹謗中傷コメントだった。
仮想世界の普及に伴い、ネットは国家の閲覧対象下にあるが、規制が追い付いていないのが実情だった。国民管理システムによって心身を縛られた国民が、ストレスの捌け口にするのはネットだ。とりわけ、ネットでのマイナス感情の発散は、無意識状態の場合が多く、一時的なストレス軽減にも繋がっている。ネットでのストレス発散により、ストレスケアが必要な状態であっても、識別スキャナー計測時にはセーフ値となってしまう問題も、今日では指摘されている。
「つまりは怨恨の可能性だな…」
雫は溜息混じりで呟く。匿名性の高いネット世界での怨恨は、人物特定が難しいとされる。妬み、嫉みを向ける人物と向けられる人物の関係性が赤の他人である場合が多いからだ。
「はい。でも、私は逆の捉え方もできると思うんです。犯人は、恨み、辛みを抱えた人の想いを利用して、自らの承認欲求を満たしているんじゃないでしょうか?」
「ずっと不自然に思っていたんです。怨恨の場合、相手に恐怖と苦痛を与えて殺すのが一般的です。ですが、この遺体も、前6件も、遺体と現場が綺麗過ぎるんです。まるで、寝ている間に穏やかな"死"が訪れたかのように」
愛華は探偵のように指で顎を掴みながら、ソファー周りをゆっくりと歩く。
「必要以上の苦痛を与えていないという事か…。
陽菜。この件に関して取り上げている、ニュースと検索ワードを1ヶ月まで遡ってグラフ化してくれ」
思いついたかのように、デバイスで陽菜に指示する、雫。
陽菜は二つ返事で返すと、1分も経たないうちにグラフ化情報が送ってきた。
「やっぱり、この犯人、"事件の情報が報道されることで、世間に注目される"ことに快楽を覚えるタイプかもしれない。ほら、報道数や検索数が増えれば増えるほど、殺害の感覚も短くなってきている。話題になることが目的で、殺害自体は準備に過ぎない。だから、殺害時、不用意に傷つける事はしない。秩序型に分類できるわ。動機は使命型と多少の快楽型が当て嵌まる。ただ、殺し方法が全く分からん」
雫のプロファイリングに、井川空を重ねる愛華。
「それについてはごめんなさい。殺害方法と死因の特定が難航していて…。まるで、誰かの掌で転がされている気分よ」
デバイスの先から聞こえる、陽菜の声。1人目が発見されてから3週間が経過する中、珍しく行き詰まっていたのだ。
「いえ、いつも陽菜さんを頼ってばかりなんですから、こういう時くらい刑事らしく、足で情報集めます!」
愛華は元気良く答えた。
「ありがとう。愛華ちゃん。私も数字ばっかりとにらめっこするんじゃなくて、"刑事らしく"足で突破口を見出すわね!」
柔らかい声色に視線を向ける、愛華と雫。部屋の入口には、やる気に満ちた顔で、立華陽菜が立っていた。
船橋区378-船橋仲通り旧商店街。
古びた旧商店街は、日中にもかかわらず陽の光が行き届かず、暗闇が覆っていた。暗い所には必然的にマイナスなものが集まると言うが、影に潜む浮浪者のおこぼれをネズミが貪っている。劣悪な環境だが、彼等には、国家に縛られることの無い生活は快適なのかもしれない。そんな闇の世界では、イレギュラーが日常茶飯なわけだが、この日はいつもとは違った騒がしさが、一帯の緊張感を高めていた。
「なんなんだよ」
息も絶え絶えの男。ゴミ箱や道に落ちている物を蹴り飛ばそうとも、その足を止めることは無く、必死の表情で逃げていた。
背後から感じる、猟犬の視線と恐怖が、男の脳裏に最悪を過らせる。しかし、その最悪が現実のものとなり、男の足は止まる。
目の前には建物の壁なのだろう。行き場を塞がれた男にチェックメイトと言うように、背後で止まる2人の足音。
「嫌だ。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない……」
言い聞かせるように何度も呟いていたが、恐怖は男の正気を呑み込み、暴走へと駆り立てた。
叫びながら、ポケットから刃物を取り出すと、2人に向かって突き立てる。刃が光を反射し、一閃を引くと、ドスっという鈍い音が辺りに響く。
男はそのまま意識を失い、倒れた。視界がぼやける中、最後に見たのは女性2人組だった。
三郷区437-ヒルズガーデン三郷。
陽菜は、部屋へ上がるや否や、被害者のHMDと自身のデバイスを接続した。
「相変わらず、お前は難しいことをやってのけるな」
雫は、覗き込むように陽菜のデバイスを見たが、表示されているのは、全く意味不明なアルファベットと数字の文字列ばかりで、早々に諦めてしまった。
「被害者のHMDに残るアクセス履歴を解析してみようと思ってます」
お手上げの雫に、笑顔で答える陽菜。
「被害者・米林穂海の運営者ページには、毎日多くのアクセスがあります。ただ、中には不自然な方法でアクセスをしている者もいます。例えば、複数のサーバーを踏み台に、足跡が付かないようにしているとか。彼女、有名ですからね。妬み、嫉みで、足を引っ張ろうとする人間は必ずいるものです。それ自体はよくある事なんですが、視点を変えて、殺人をする上で必要になるものは何かを考えてみたんです」
陽菜の指の動きに合わせて、情報が大量に出てきては、整理されていく。
「そうか。個人情報か」
ハッとする、雫。
「そうです。出会い頭の無差別殺人でもない限り、相手を知った上で、殺人の計画立てるはずですからね。そして、パーソナルデーターへの不正アクセスは、痕跡が残りやすい。本来、ログインが必要になるなど、技術的にアクセス制限されたディープウェブ上にありますからね。プロは、その痕跡を消そうと偽装するけど、逆にそれが目立つ場合もある。だから、そこから犯人に辿り着けるかもしれません」
陽菜の表情に自信が戻ってゆく。
そして、高速で動いていた指がピタッと止まると、深呼吸をした後、中指でENTERを強めにタップした。
「絞れたか?」
雫が聞く。
「ええ。対象は長谷川衿花。33歳。歌手活動をしているようだけど、機会に恵まれず、アルバイトで生計を立てているようね。既に、空と遼子には位置情報を送っているわ」
陽菜が展開するマップには、赤い丸が点滅しながら目的地へと移動していた。
越谷区369-メゾンプレステージ越谷4階。
古びたアパートが並ぶ一角。真昼間というのに、差し込む光は乏しく、一帯が寂しさを帯びている。
扉の前で突入のタイミングを図る、空と遼子。
「ロッククリア…」
囁くと、手信号で空に指示を出す。
3・2・1……
「公安庁刑事課だ。無駄な抵抗は止め、手を頭の後ろに組んで伏せろ」
扉を強く開き、空を先頭に室内へ踏み込む。
向けたエンフォーサーの先には、ガクガクと怯えながら床に伏せる女性がいた。
何かがおかしい…。空の直感が囁く。
その瞬間、エラー音と共に、デバイスからはホロウインドウが止めどなく飛び出した。
「何だこれは!?」
遼子は驚きと共に部屋中に展開された、エラーウインドウを見渡す。
直後、エラーを知らせる画面が、白黒テレビのようにプツリと消えると、切り替わるようにマークが表示された。
青ラインのニコちゃんマークに、右は白、左は青で塗られたシンプルなもの。それ故に、笑顔には表と裏が混在し、心から笑えない笑みを常に浮かべているのだ、というメッセージ性が読み取れた。また、マークの周りをぐるっと一周するかのように、『Peace begins with a smile.』と刻まれている。彼の聖人、マザーテレサが残した言葉である。
マザーテレサは、45年にわたり貧しい人、病める人、孤児、終末期の人達に尽くし、信徒を導いたとされる、聖人であった。だが、一方では、改宗の強要、事前金の不適切利用、終末期患者への不衛生な医療など、黒い噂が絶えず囁かれた。もちろん噂、都市伝説の範疇を超えないが、マークの直訳は、『平和は微笑みから始まる』である。
「まさか、俺達は嵌められたのか…」
目を剥く、空。何故なら、突入に至った情報元は陽菜だったからだ。
警務車内では、エラー音が絶え間なく鳴り響いていた。
「嘘……。」
何度も、何度もホロキーボードを叩く、陽菜。しかし、陽菜がロックを解除しようとすればするほど、エラー音に阻まれる。
焦りから、より指の動きは加速するが、全く功を奏したようには見られない。
愛華は目を疑う。事、サイバー戦において、陽菜が苦戦を強いられる事など、今まで無かったからだ。
奥歯が割れそうになるくらい、力が入る。
四方八方に張り巡らされた網の檻によって、陽菜のAI・ハニーは行き場を失う。まさに八方塞がりとなっていた。
必死で突破口を抉じ開けようとしていた陽菜に、遂にその時が訪れる。
陽菜の肩に優しく手を置く、雫。それを見ていられず、口を手で覆う、愛華。
その様子はリアルタイムで、空と遼子にも伝わっていた。
「そんな、、、ひーちゃんが負けるなんて…」
信じられないという表情で立ち竦む、空。遼子は、涙を堪え、絶句していた。
鳴り止まないエラー音と共に、嘲嗤うかのように、微笑みを浮かべたマークが2人を見下ろしていた。
*¹ juːˈtoʊpiə《ユートピア》:一般向けに公開されている仮想世界。情報化した精神をアバターに投影し、五感を情報世界へ完全接続した技術を採用している。ショッピングや娯楽を始め、金融・行政機関まで集結している。
*² DEX:デクステリティの略。MMORPGにおいて、すばやさ、器用さ、命中率、クリティカルヒット率、回避率、生産成功率などに影響するステータス。
*³ AGI:アジリティーの略。MMORPGにおいて、敏捷さ、回避率や命中率などに影響するステータス。
*⁴ バレットオブマーセナリーズ:通称BØM。近年で大人気のVRMMO。プレイヤーは傭兵となり、各戦場や戦闘に参加する。