FILE.27 一刻の安らぎ
カーテンを開くと、眩いばかりの光が差込み、チンダル現象により室内はダイヤモンドダストのように輝いていた。
陽を受け、背伸びする、愛華。
時刻は8:35 ───。
港区南青山518-表参道。
100年以上も前から、ここ青山は超高級マンションと大型ショッピングモールが建ち並ぶ、一等地である。とはいえ、約50年前の関東地区改革による未来都市化で、改革前後では比較にならない程、テクノロジー都市となっている。
大型ホロモニターを前に足を止める、愛華。先日の国防省テロ事件に関するニュースが流れている。
国防省テロ事件。テロリスト・岩城祥一 元空軍少佐によって実行され、その死によって幕を閉じた。
岩城がテロ実行に至った根幹には、国防軍が秘密裏に実行した、『ネックブリーカー作戦』にあった。岩城を含めた、現地部隊に伏せられた、ウィルス兵器の使用。無差別抹殺の標的となった岩城は、両手両足を犠牲に、瀕死を乗り越え、奇跡の生還を果たした。それも、妻・華恋の下へと帰るという必死の想いによるものだったのかも知れない。そして、何とか帰還するも、生きて帰った岩城を待ち受けていたのは、絶望的な事実だった。最愛の妻の死、それも口封じの為に殺害されたという事実。2度も国家に裏切られ、絶望の底へと堕とされた心に残った感情は、復讐心だけだった。こうして、テロリスト・岩城祥一が誕生した。彼もまた、被害者と言えるであろう。
しかし、この真実が明るみに出ることは無い。ニュースでは、"違法入国したテロリストによる爆撃事件"として報じられ、真実は闇へと葬り去られるのだ。
岩城にとって唯一の救いは、全ての根源を指揮・指導した、青木隆 統合中将と村西鉄二 大佐が、クーデターを首謀したとして、四課に執行された事だろう。
愛華は、立ち竦み、やりきれない感情をホロモニターに向けた。
あの事件で、一つ、未解決な部分があるとするなら、義手義足姿となった、岩城はどうやって東京に戻って来られたのか、ということだ。何者かの手引き無くして、ほぼ不可能だ。しかし、"死人に口なし"。今となってはそれも闇の中となってしまった。
愛華は、ハッとする。デバイスからコールが鳴っていた。慌てて応答すると、足早にその場を後にした。
港区南青山535-表参道スカイガーデン47階。
表参道スカイガーデンは、屋上が空中庭園のように吹抜けとなっており、空と街を一望できる屈指の人気スポットだ。だが、凄いのは、悪天候の日である。ナノ技術により、ドーム状に展開された天蓋に、光学迷彩を施し、天蓋を透明化する事で、悪天候でも雨に濡れることなく、360度の絶景を楽しむことができるというもの。まさに、テクノロジーの粋を結集した未来モデルの体現である。
「もーっ、遅いってばー!!!!」
声が聞こえる方へと視線を向けると、女性3人が座っている。1人が手招きしていた。愛華は引き寄せられるように、小走りで駆け寄る。
「ごめん、ニュース観てたら遅れちゃって」
悪びれるように顳顬を掻く、愛華。席に座ると、店員にカフェラテを注文した。
「まぁまぁ、愛華が遅刻なんて珍しいんだし良いじゃん」
おっとり系の友人はなだめるように話を収拾した。
「ゆりか〜、ありがと〜」
涙目の愛華を優しく撫でる、友人。
「久しぶりに集まったんだし、乾杯といこうよ」
姉御肌の友人の一言に、他3人はふと思う。"お酒では無いから乾杯では無いのでは"と。ただ、ツッコミを入れる前に、音頭は取られていた。
お互いに社会人3年目を迎え、集まれる回数は減っていたからこそ、親友との時間を貴重に感じる、愛華。
愛華から向かって左に座るのが、おっとり系の友人、大宮優里花。物腰柔らかい、美人だ。雰囲気は、陽菜に似ているかもしれない。普段は、医療事務員として働いている。
対面に座っているのが、遅れて来た愛華に手招きした、笹礼奈。常に元気なムードメーカーだ。デバイスメーカーの事務員をしている。とどのつまり、OLである。
そして、愛華から向かって右に座るのが、姉御肌で頼りになる、並木雪。普段は保育士として、子ども達に手を焼かされている。
そして、愛華は刑事だ。
常に連絡を取り合い、これまではできる限り月一で集まるようにしていたが、この日は3ヶ月ぶりの集まりだった。
「そういえば、こないだテロあったじゃん? 国防省だっけ? 犯人逮捕されたってニュースになってたけど、あれって愛華が逮捕したの??」
礼奈の唐突な質問に、びくっと反応する愛華。親友とはいえ、捜査に関する口外は禁じられている。どう誤魔化そうか、頭をかけ巡る。
「んーっと、どうかな〜」
良い案が思い付かず、苦笑いしかできない、愛華。
「バカ!そんなの守秘義務で言えるはず無いじゃんって」
雪は咄嗟に口を挟むと、礼奈の額にデコピンをお見舞いした。救われた愛華は、安心から溜息をつく。
「それもそっかー。いや〜、あたしらの仕事も大概だけどさ、体張って、命を掛けてまであたしら国民を守ってくれてると思うと、愛華には頭上がんないよね。毎日文句垂れてるのが恥ずかしくなるよ」
額を擦る、礼奈。
「たしかに。私も肩が凝るとか、上司の悪口ばっか言ってるけど、反省しなくちゃね」
優里花の言葉に、思い当たるところがあるのか、3人で溜息を吐く。
「みんなだって大変だよ! 職種によってベクトルが違うだけで。それに、仕事って大変なことばかりじゃないって最近思うんだ。仕事を通じて他者と関わり、影響を与え合う事で、成長やスキルアップを感じたり、達成感を得られる。それが常日頃の努力や次の一歩に繋がるわけで、それこそが仕事の醍醐味だって思うよ」
愛華の話に、3人はポカーンとした表情で聞き入っていた。
「やっぱ愛華の説明は上手いわ。ぐうの音も出ないほど納得させられちゃう」
雪のベタ褒めは珍しい。
「さすが、職性診断で中央省庁に全てA判定出てただけはあるよね」
優里花も後押しする。
親友からの思わぬ賛辞に、嬉しくも、照れる愛華。
それから話に花が咲き、気付けば2時間経っていた。
「ねね。juːˈtoʊpiəと言えばさ、聞いた? あの噂」
VR空間での出会いコミュニティについて、話が盛り上がっていたところで、急に神妙な面持ちで話題を持ち出す、礼奈。
「何? 急に。まさか怖い話じゃないでしょうね」
怖い話が苦手な雪を他所に、礼奈は不敵な笑みを浮かべて話し出す。
「最近、有名コミュニティの運営者や有名ランカーが次々と突然死しているっていう噂よ。死体には、外傷も苦しんだ形跡は無し。共通点は、全員がjuːˈtoʊpiəへリンクしている最中に死んでいるということ。でね、ここからが都市伝説なんだけど、juːˈtoʊpiəに登録されている個人情報が売り買いされてるようなの。ダークウェブっていう、一般人はアクセスできない、世界中のハッカーやマフィア、武器商人や裏社会に通じる悪い人達が利用するサイトがあるみたいで、そこで日本人の情報は特に高値の取引がされてるんだって。で、そこに登録されてしまうと、命を担保に多額の保険金が掛けられて、その数日後には、ハッキングによってリンク回線に高出力の電波を流して殺されるらしいの」
デバイスで顎の下から光を当て、恐怖を演出する、礼奈。
「待って。そんな事が行われていたら、すぐにニュースで取り上げられるんじゃない? それに公安だって動くだろうし」
優里花は、怖がる雪の頭を撫でながら質問する。
「この件には、国家が関わっているって噂なの。人間選別の為に、ダークウェブでの取引を黙認しているらしくて。しかも、juːˈtoʊpiəを運営しているのは、世界を裏で支配している秘密結社って噂もあって、国家と結託してるって言われてるの。その証拠に、殺されているのは国益にならない人達で、殺害後は遺体ごと売買されるから、遺体も残らなければ、ニュースになる事も無いんだとか」
礼奈の都市伝説好きは学生の頃からだが、ネタはどこで仕入れているのか、ますます拍車掛かっていることに、少し引く、愛華と優里花。
「ほら。もしかすると、みんなの情報も登録されていて───」
止まらぬ勢いのまま、3人を驚かそうとした瞬間、雪のデバイスが大音量で鳴り響く。
それには、愛華と優里花だけで無く、さすがの礼奈もビクつくように驚いた。
「あーーー…ごめんなさい。ごめんなさい…」
完全に怯えきった雪に、愛華と優里花が宥める。
「ごめん。雪。ちょっと調子に乗り過ぎちゃった。あくまでも噂なの。都市伝説! どうせ嘘話だよ!!!」
礼奈は、雪の怯え具合に、やり過ぎたと慌てて謝った。
「ほんと?」
涙目でみんなを見る、雪。その表情に3人は心を撃たれる。
「う、うん! そうだよね? 愛華」
礼奈によるキラーパスもいいところだった。
「え? あっ、うん! それに、公安でそんな話が出たこと無いし、事件化したことも無いから、たぶん誰かが面白可笑しく作った話が独り歩きして、都市伝説になったんだよ」
慌てて答える、愛華。それを見て、落ち着きを取り戻す、雪。
「そろそろ行こっか」
優里花が空気を変えるかのように、店を出ることを提案した。
4人が支度をする中、レジから怒号が聞こえる。
「どういう事だって聞いてんだろうが」
ガタイの良い20代後半から30代前半の男が店員の胸倉を掴んでいた。酷く興奮状態にあった男は、遂に店員を殴り付けてしまった。
周りからは悲鳴が響く中、愛華は親友3人に動かないよう指示し、男の下へ駆け寄った。
「落ち着いてください! これ以上の暴力はダメです」
愛華の倍はあるだろう肩幅に、20cm以上ある身長差。誰もが愛華の身を案じ、中には近づかないように忠告する者もいた。
男の怒りは収まらず、声を掛けた愛華へと牙を向けた。親友である、優里花、礼奈、雪の3人が思わず目を背けてしまう程の恐怖が、一帯を支配し、愛華へと濁流のように流れる。
「他人がしゃしゃり出んじゃねーよ」
上から振り下ろすかのように、男の拳が愛華を襲った───。
目を瞑っていたのか? いや、ほんの刹那に瞬いただけだ。男は、何が起きたのか理解できないまま、地面に俯せ状態になっていた。直後、感じたのは、右腕の痛みだった。
いつの間に、右腕ごと関節を決められていたのか? それも、この小娘に?
考えても出ない答えは、愛華の提示によって目の前に現れた。
「公安です。あなたを暴行の現行犯で逮捕します」
愛華が見せた、刑事の証。そう、この1年半で、愛華もまた刑事としての成長を遂げていたのだ。
***
「せっかくの集まりだったのにごめんね。みんな…」
申し訳無さそうにしょんぼりしている愛華。背後では、逮捕された男が警務ドローンによって移送されている。
「何言ってるの? カッコ良かったよ」
雪がポンっと肩を叩く。
「だね。公安に入って、ちょっとどこか遠い存在に感じてたんだけど、でもこうして愛華が私達の事を守ってくれてるんだって感じたよ?」
続く、礼奈の言葉に嬉しさが込み上げる、愛華。
「これからも、私達は愛華のこと応援してるからね」
優里花の言葉は、3人だけじゃなく、ここに暮らすみんなの想いなんだ、その期待に沿っていける刑事でありたい、改めて実感する愛華だった。
───2日後。
サイレンの音が、乱立するタワーマンション群で響き渡る。
一体、いくらで購入できるのか。四課オフィスに引けを取らないくらいの部屋。その寝室で事件は起きていた。
「害者は、前島岳。33歳。自称、個人事業主。情報商材の購入者を勧誘し、会員を増やすことで、傘下会員から手数料を得る、所謂、MLMのビジネスモデルを収入源としていたようだね。ただ、契約書の未交付や収入条件の一部未開示および隠匿、法律の虚偽説明等の疑いが浮上し、三課が張っていたみたいなんだ」
空は、三課の捜査情報をホロで展開した。
「会員数も相当のようね。法の抵触を知った上で、加担していた者は一割程度だろうけど、これを機に三課が組織にメスを入れる。中には洗脳に近い状況にある会員もいるだろうから、どこまでを逮捕・施設送りにするかの線引きは難しいと思うけど、それは三課の仕事ね。問題は"これ"が殺人事件ということで四課にパスが来たこと」
梓は男にデバイスを向け、簡易スキャニングを行うが、外傷も無ければ、争った形跡も無かった。
「で、殺人なんだったら一課か二課に担当させれば良いんじゃないの?」
深月が不満そうに言う。最近、他課の捜査区分を四課に押し付けられているのを感じていたからだ。
「いや、これは四課にしか捜査できない案件のようだよ」
空は、男の死亡時に着けていた、HMDを見て言った。
直後、デバイスが鳴る。別現場に出ている遼子からだったが、現場の映像を見て息を飲む。
「死因なき殺人…」
梓は静かに呟いた。